第三十五章 磁計侃、白貂娘について論ずる 1
その日、穣丘の街は朝から活気に満ちていた。
街の中心部にある広場には、前日から大掛かりな試合場が設けられ、その日に行われる事になっていた出し物を見るために、既に多くの住民が集まっていた。
もちろん、出し物とは白貂娘と呂厳によって行われる親善試合のことである。
試合は午後を予定していたが、試合場の周囲には多くの露店も出ており、まるで何かの節句のような賑わいを見せていた。
外の様子を見てきた甜憲紅がそう説明すると、白貂娘は溜息を吐いた。
「では、私は祭りの見世物、という訳ね」
「あら、構わないじゃない。どうせあなたには、勝つ気はないんでしょう。真剣勝負をするのでないなら、お祭りの見世物と変わらないもの」
陽長公主の返事に、白貂娘は驚いた。自分が負ける、という事は、太子や大司馬など、一部の人しか知らないはずであり、陽長公主にも知らされていないはずだったからである。
事実、甜憲紅は陽長公主の言った意味が分からず、目を白黒させた。
「陽長公主、それは」
白貂娘が問いただそうとすると、陽長公主は軽く逸らかした。
「知らないわよ。ただ、そう思っただけ。気にしないで。私はただ楽しめれば良いのだから。あなたも弱音なんか吐かないで、楽しむつもりでないと、持たないわよ」
そう言われては、白貂娘も何も言えなかった。
「道化師は道化を演じ、観客は道化に見入る。
観客は道化師に踊らされ、道化師は観客と共に踊る。
観客が踊りを間違えると道化師は踊り直し、
道化師が踊りを間違える時、観客は道化師を追い出す」
「なんですか、それは」
突然、陽長公主が朗々と声を上げたので、白貂娘の支度の手伝いをしていた甜憲紅は、思わず聞き返してしまった。
「何でもないわ。私も詩を作ってみただけよ」
「変な詩ですね」
「そうね。変な詩ね」
黙ったままの白貂娘を放っておいて、陽長公主と甜憲紅がそんな会話をしていた。
甜憲紅は変な詩だと言ったが、白貂娘には陽長公主が何を言おうとしているのかが分かった。
恐らく、陽長公主が何も知らない、と言ったのは、知らされていない、という意味であろう。彼女の詠んだ詩から考えると、その持ち前の洞察力で、この街で起きる事について、おおよその見当を付けているようであった。
「道化師には、自分の踊りを楽しむ余裕はないでしょう。ただ、自分の出番が終わる時を待つだけです」
「あら、そうかしら。前に私が会った事のある舞妓は、自分の芸を見てもらう事に、喜びを感じていたわ。道化師だって、実力があれば、それくらいの余裕はあるんじゃない」
「実力とは、客観的なものではないでしょうか。道化師が自分には実力があると思っていても、観客がそれを認めなければ、その道化師は喜びを感じるでしょうか」
「本当の実力があれば、認めてくれる人もいるはずよ。後は、その人が自分の実力を信じるかどうかだわ」
「お二人はなぜ、そんなに道化師の話をされるのですか」
陽長公主と白貂娘の道化論議に水を差したのは、甜憲紅だった。
二人は我に帰ったように彼女を見たが、すぐに陽長公主が笑いながら答えた。
「そうね。可笑しいわ。なんで道化師の話で盛り上がったんでしょう」
もちろん、二人は文字どおりの道化師について話していたのではない。しかし、甜憲紅には、まだそこまで言葉の裏を読み取る事はできなかった。
判らないならば、判らないままの方が良い事もある。陽長公主はそう考えて、話を逸らかした。




