落下型少女
基礎
母子家庭に育った一人娘。高校1年。
詳細
本人が生まれる前に両親が離婚しており、なぜか養育費等の支援を受けていないため裕福とはいいがたい家庭に育つ。小学生の頃にあった授業で「父親の仕事」を題材とした調べ学習で自分だけ母親のをしなさいと指示され、母だけであるということが不自然であるという思いを抱くようになった。そのためなるべく相手にそのことを悟らせないように会話するか自分からネタにしていくようになる。また、嘘をつくことによって気を引くことができるということを知り、所々で嘘をつくようになる。しかし母親が見栄などで言ったことに瞬時に合わせることができるような子供になったため、指摘されたり諫められたりすることもなく育つ。ばれたときには謝るが、次はもっと気を付けようと考える。
低学年の頃は周囲を一緒に遊ぶことが楽しく、活発な子供であった。しかし体育の授業が本格的に始まったことによりできる子できない子の差が出始めたころに、できないことをからかわれたため動くことに苦手意識を持つ。「みんなで遊ぶ日」という行事に参加しない/かかわらないために逃げ道を探し、読書にたどり着く。その時は「先生に今日も来なさいって言われたから行かなかった」という嘘をつくことに罪悪感がなくなっていた。
中学校へ入学するころには完全なインドア派になっており、読書のイメージ補完として絵を描き始める。中学校では強制的に部活へ入部しなければならなかったため、美術部へ。しかしそこまで絵をかくのが好きだったわけでもないため、コンテストや公募への取り組みは最低限で部活の仲間と会話することに楽しみを見出していた。
平凡ながらに努力をすることが嫌いなわけではなかったため、成績等はそれなりによく愛想がいいため適度な人間関係は保持していた。しかし、中学二年に入りクラスが変わったことで友人と離れただけでなく小学校から仲の良かった子と気まずくなったことが要因で、なんとなく人が嫌いだと思うようになる。
基本的に早熟で、あまり周囲と話が合わない子供だった。家の方針であまり娯楽を知らず、話題についていけないこともしばしばで、そのたびに「自分は必要とされない」という思いを強くしていく。
この時期から母親が会社員から自営業へ転向。忙しそうにしていることから自分の思っていることを伝えることができなくなっていく。始めるのを迷っていると聞かされた際は「やってみたいことなら、したらいいんじゃないかな?できる限り応援するし」と答えている。
中学三年では要領の良さと真面目さ、愛想の良さで先生から気に入られており、それなりに過ごしやすい環境で生活する。「本当の自分はこれじゃない」「誰にも分られていない」という感覚が強いが、それによって嘘や話題として話されるありえそうな笑い話が受けるようになっていく。このころはクラスの委員長をするような明るく運動のできる友人ができ、学級内ヒエラルキーでは枠から離れた上位層となっている。
高校受験では誰もいかない学校に行きたいと思うが私立は金銭問題で、県外受験も同様の理由で断念。しかし近所の普通科高校は学年の大半が受験することもあり行きたくないと思うが、ほかの高校を選ぶことも面倒で偏差値的にも確実に入れるところを適当に選ぶ。普通に受験すると寒い時期なのではと思ったことから、推薦を希望。それなりの成績と内申点によって推薦受験をすることとなり、合格。受験後に出された課題は答えを写して期限ぎりぎりに終わらせた。最後の日誌では表紙を描くなど貢献したが、本体をもらった際には何ごみか検討し始めるほどに思い入れがない。
高校に入学してしばらくは中学の友人とつるんでいたが面倒になっていき、次第に一人で動くようになる。しかし、思春期真っ盛りということもありあまり良い扱いはされなかった。加えて友人と仲たがいをするなどのトラブルが発生し精神的に追い込まれる。妙にイライラするようになったころに、母の仕事がうまくいっていないことに対して祖母が言った「だから言ったじゃない。今からでも事務の仕事に戻ったら?」という言葉に苛立ちが爆発する。その日はふて寝することで難を逃れるが「一度はやりたいならしたらいいと応援したのにうまくいっていないからと手の平を返すのはどうなのだ」と釈然としない思いを抱える。
秋になり、母と祖母の対立が増えていくにしたがって、ストレスが蓄積し成績が低下。それに対して母と祖母が言った「もう少し頑張ったら」で糸が切れる。
享年15歳 失血性ショック死