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夏時間の終わり

作者: 小腸

 うだるような暑い夏の日、ではなかったと思う。そりゃあ昼間は残暑が厳しく汗ばむけれど、夕方になれば涼しい風が吹く。あれはそんな時期だったと思う。


 俺は小学校から帰ると友達と遊ぶべく、すぐに公園へ走っていった。夏時間になる前に帰りなさいよ、という母の決まり文句を聞き流しながら。

 公園ではすでに友達が待っていて、家の遠い俺が一番最後だった。悪い、と言いながらの登場はすでに恒例になっていて、みんな快く許してくれた。

 じゃんけんをして、鬼を決める。今日は缶蹴りだ。あの頃はもう空き缶がその辺に転がっているような時代ではなかったが、祥平はいつもどこからともなく空き缶を見つけてきた。あれはなんらかの才能じゃないかと今でも思う。

 でも、この話に祥平の特殊能力は何の関係もない。とにかく、俺たちは缶蹴りで遊び、ケイドロで走り、疲れはて、そして日が暮れた。みんな鐘が鳴る前に帰って来い、と言われているが、それだと家が遠い俺は一人だけ早く帰らなければならなくなる。夕暮れ間近、もっとも盛り上がる時間だ。それを逃すのが惜しかったから、その日の俺はみんなに合わせていつもより少しだけ長く公園にとどまっていた。ちょっと遅れたって、母にどやされるくらいだ。

 そして、鐘が鳴る十分前、帰る方向が同じ祥平とともに公園を出た。空は夕焼けで、すでに日が落ち始めていた。

 祥平の家は公園の近くで、俺はすぐに一人になった。自宅まであと歩いて15分、家が遠いというのは遊びに行くにも遅れるし不便なことも多いが、一人きりの帰り道は案外悪いもんじゃない。そこらの小石を蹴って歩いてみたり、野良猫のちょっかいを出してみたり、俺はなんだかんだ小学生なりに楽しんでいた。

 T字路に差し掛かったとき、鐘が鳴った。あーあ、母ちゃん怒られる。めんどくさいなあ。

 鐘の音が止んだ。

 突然、肌に触れる空気が異質になる感覚がする。ほら、一番風呂に入ると肌がちょっとピリピリするだろう? それがずっと続く感じだ。

 夏時間だ、と俺は直感した。

 普段と変わらない俺の住む街なのに、何かが違う。どの家にも、どの店にも灯りがついていない。いきなり停電したのか、と思ったが、何か違う。

 そうだ、人がいないんだ。ここは住宅街で、夕暮れどきは帰路につく人々で賑わうというのに。

 なんだか不気味に思って、俺は早歩きになる。とにかく家に帰らなければ。頭に浮かんでいたのはそれだけだった。

 交差点に出るが、電気もついていないから、当然信号も機能していない。あたりは日が落ちてどんどん暗くなっていく。一人は怖い。早く母の叱り声を聞きたかった。

 ここは普段から車の通りがすくなくて、信号を守るやつなんてほとんどいなかった。だから、今日だって大丈夫だ。

 そう思って、交差点を走り抜け、

「うわあっ」

 車だ。真っ黒のセダンが猛スピードで通り過ぎていった。まるで狙いすましたかのようなタイミングだった。思わずしりもちをつく。その間にも何台も何台も車は続く。人も、灯りも、信号すらも付いていない街中で、車だけが猛スピードで走っていた。

 しりもちをついたままの体勢で、黒のセダンを、白いボックスカーを、緑のタクシーを呆然と見送る。

 そのときになって、俺は初めて怖いと思った。登り棒の一番上に至ったときの気持ちや、般若のように起こる母に対する怖いとは違う、背中がひんやりとするような恐怖だった。

 動けないでいたのはどれくらいだろう。永遠にも思えたが、きっとそんなに長くない。小刻みに体が震えだし、ようやく言うことを聞き始めた体を、勢いでめちゃくちゃな方向へ走らせる。

 きっと、きっと、この辺りいっぺんがどこか知らない世界へワープしてしまったんだ。だから、ここから出れば戻れるはず。

 根拠なんてどこにもないが、そんな考えにすがった。

 家の方向なんてもう分からなかった。いつのまにか日は完全に沈み、車のハイビームばかりが眩しかった。

 そのときだった。

 脇道のかたすみに、ぽつりと灯った小さな光を見つけた。

 見覚えのあるオレンジ色の暖かな輝き。コンビニだ。

 これで、やっと終わりだ。わけのわからない空間から抜け出せる。一心不乱にコンビニを目指した。体全体で扉を押し開け、店内に突入する。

 勢いで床に倒れこんだ俺は、背中に誰かの視線を感じた。店員か、客か、とにかく人だろう。おかしなことが起こっていることを伝えて、早く家に帰りたかった。

「大丈夫ですか」

 呼びかけに答えようと、顔を上げる。目があった。

 その人の瞳は、真円で真っ白だった。

「大丈夫ですか」

 壊れたレコードのようにそいつは同じ言葉を投げ続ける。

「大丈夫ですか」

 瞳どころか顔、体全部真っ白だった。

「大丈夫ですか」

 短くていびつな形のそいつの手が目の前に差し出される。

「大丈夫ですか」

 目があった。

「大丈夫ですか」

 次にその言葉を聞いたとき、俺は弾かれたように再び走りだした。

 もうどこへ向かおうとしたとか、家はどっちだとか、そんなことはどうでもよかった。いくつもの交差点、道路、住宅地を抜けていった。車のエンジン音が遠くに聞こえた。何度か転びそうにもなったが、どうにかこらえた。一度倒れたら、次は立ち上がれない気がした。


 そして、そこで記憶は終わっている。気づくと家の布団で寝かされていた。全身に寝汗をかいていた。いや、冷や汗だったかもしれない。

 起き上がると、母がやってきて、

「あら、やっと起きたの。もうすぐ夕飯よ」

 いつも通りにそう言った。窓の外を見ると、まだ夕暮れ前。夏時間が始まる前だった。どこからがと言われたら分からないが、きっとあれは夢だったんだろう。妙に生々しかったが、俺はそう思うことにした。


✳︎


「というような夢を最近また見るようになったんですよね」

「ふーん、最近っていつから?」

「3ヶ月くらい前から。トラウマってほどじゃないんですけど、気持ちがいい夢ではないんで嫌なんですよね」

「それで、楠木くんに紹介されてここにきたと」

 スクールカウンセラーの白樺さんは、いかにも気だるげに言った。まだ年も若く、ジーンズにセーターというラフな格好なので、学生と言っても通じるだろう。

「で、君はどうしたいの? その夢を見ないようにしたいとか?」

「そういうこともできるんですか?」

「できるよ。精神科行って薬出してもらえばいい。特定の夢、いや、特定のイメージかな、脳内でそれを破壊する薬がある。でも、若いうちはおすすめしないかな」

 紅茶いれるけど、飲む? と勧められたが、俺は断った。

「すごいですね」

「まあ、嘘なんだけどね」

 さすが楠木先生のご友人、よくわからない人だ。

 紅茶が入ったカップを手に白樺さんはソファーに座り直す。

「えーと、それで? どうしたいんだっけ?」

「夢見の悪さからくる寝不足を解消したいです。この夢を見ると、どうにも不安になるんですよね」

「睡眠薬は? 特定の夢を見れなくするなんて薬はないけれど、夢を見ないノンレム睡眠にどっぷり浸れるお薬はあるよ」

「いえ、睡眠薬も試して見たんですけど、あんまり合わなくて」

「そればっかりは体質もあるもんね。じゃあ、不安を解消する方向で考えようか」

 白樺さんは紅茶が入ったカップに口をつける。風が窓を叩く音がする。

「まず、どうしてその夢を不安に思うの? どういうところが怖いと思うの?」

「見慣れた街がいつもと違うから、ですかね。それと…」

「それと?」

 先を促されるが、俺はためらった。他所から見ればきっと阿呆らしいことだ。大学生にもなって、と思われるに決まってる。

「言ってごらん、バカにしないから。宇宙のM365星雲から電波を受け取った、地球はもうダメです、先生一緒にこのペットボトルに乗って逃げましょうみたいな人も私のところに来るわけだし」

 白樺さんにつられて俺も笑う。少しの逡巡のあと、続きを話す。

「ネットの掲示板で似たような話を見たんですよね。子供のころ、異世界に行ってしまった、みたいな触れ込みで。その話を書き込んだ人は、夢ではなく実際の体験だとしていたんですけど、やっぱり僕と同じように、この夢を最近見るようになったというんです。そして、あっち側に引っ張られている気がする、という10日前の書き込みを最後に、掲示板には現れていません」

 掲示板の与太話を真に受けるなんてどうかしていると思う。でも、

「なんとなく、ぞくっとするんですよね」

 俺の話を聞き終えた白樺さんは、ふーむと思案顔でカップに口をつける。

「夢っていうのはね、自分の記憶を再生して脳内を整理する行いなんだ」

「あの街もコンビニも全部実在するってことですか?」

「ある意味ではそうじゃないかと思う」

 では、あの掲示板の書き込み通り、俺は異世界に迷い込んだということだろうか。いやいやいや、そんなまさか。

「君は20xx年生まれだね? 実家は北地方」

 白樺さんは俺のカウンセリングカードを見ながら言った。

「そうですけど、何の関係があるんですか?」

「まあ焦らないでよ」

 白樺さんはニヤリと笑い、芝居かかった仕草でメガネを押し上げた。

「北地方で昔大きな地震があったのは知ってる? 君が4歳くらいの頃かな」

「知ってますよ」

 当然知っている。あそこに住んでいる人間でこの出来事を知らない人間は皆無だろう。地元に帰ると、母はあのときは大変だったと、今でもぼやく。

「そのときのフラッシュバックってことですか? でも、僕が住んでいた地域はほとんど被害はなかったはずですよ」

 確かに大きな揺れはあったものの、実家では多少ものが落ちた程度だった。一緒に暮らしていた祖父が揺れに驚いて、思わず転んてたんこぶをこさえてしまったのが一番の怪我だったくらい。土砂崩れや家屋の倒壊などの被害があったのは、震源地近くだけだった。

「地震での被害はね。でも、けっこう長い停電があったでしょ。信号も止まってたはず」

「あ…」

 すっかり忘れていた。北地方すべての発電所を統括していた総合発電所が止まってしまい、ほとんど揺れなかった地域でも1週間ほど停電していたのだった。

「被害は少なかったとはいえ、大きな地震があったから家に篭るというのはおかしくない。それに、北地方は広いから信号がついていなくても、車で行動しようとする人は多かったらしいね」

 これで電気と人が消えた街の説明はつく。頭の中のもやが晴れて、不明確だった夢が確かなものになる。

 しかし、

「あのコンビニと夏時間って言葉については説明がつきません」

「だから、夢というのは記憶の整理だと言ったでしょ? 君は別々の記憶を夢として再構成したんだ」

「コンビニと夏時間に当たる記憶があるはずだということですか?」

「そういうこと」

 白樺さんは余裕綽々、優雅に紅茶を飲んでいる。

「夏時間の方は簡単。かつて、この国でもサマータイムを導入しようっていう動きがあってね、それがちょうど地震があった時期なんだ。サマータイムの別名は夏時間、その頃はテレビで連呼されていたからそれじゃないかな」

 言われてみればそんなこともあったかもしれない。ためしに調べると、該当するニュース記事が出て来る。

 だが、こんな簡単に言われてしまうと、なんだか騙されているような気分になってくる。白樺さんはつかみどころのない人だし、何より楠木先生の友人だし。

 それに、

「コンビニの方は?」

「これはね、たぶんイロハくんだと思うんだよね」

「イロハくん?」

 これこれ、と白樺さんは端末に一台のロボットの画像を端末に映し出す。

 真円の真っ白な瞳、いびつな短い腕。

 なぜ今まで思い出せなかったのだろう。まぎれもなくコンビニにいたあいつだった。

「昔流行った接客用のロボット。ファミレスとかコンビニとかにいて、注文とったり、レジ打ったりしてくれたんだよね。これくらいのやつ」

 そう言って、彼女は座ったまま自身の頭上あたりを示した。

「人型のくせに、顔も含めて全身真っ白、それに加えてあからさまな機械音声っていうアンバランスさが気味悪くてね。子供ながらにそういうのが印象に残って夢に出てきた」

 白樺さんは残り少なくなった紅茶を飲み干す。

「同じ時代に同じ地域を生きた人は、似たような体験をしていてもおかしくはない。だから掲示板で似たような書き込みが見つかった。最後の書き込みは、まあ、ネットだしそんなに気にしなくていいんじゃない?」

 電気のない街もコンビニも夏時間もすべて自分の経験の断片だった。異世界だなんだなんてものよりもよっぽど現実的だと思う。

 幼い頃見たとんでもなく怖いホラー映画が、所詮子供だましだったと悟ったときのようななんとも言えない気分だった。

「そんなことだったなんて…」

 拍子抜け、とはこのことだ。

「あくまでも私の見解だけどね。でも、怖い体験や不気味な話の真相なんて案外そんなもんだと思うよ」

 真相なんて案外そんなもん。その言葉を噛みしめる。

 今夜からはすっきり寝られそうだった。


✳︎


 ありがとうございました、と礼儀正しく頭を下げてから彼は出ていった。完全に扉が閉まってから10秒数え、私は電話をかける。

 相手はもちろん楠木くんだ。

 さっきの学生に罪はない。しかし、どうにもめんどくさいことを押し付けやがったあいつには一言言ってやらないと気がすまなかった。あの症状は間違いなく…

 3コール目で、小憎たらしい腐れ縁のあの野郎が受話器をとった。

「あんたが紹介してきた学生、さっき帰ったとこ。あれ、第五プログラムの後遺症でしょ? 軽度だったしもう平気だと思う。てきとーに言いくるめといたから、話合わせといてね。え? お礼なんていらないから、そんなことより、面倒なことばっかりこっちに押し付けてないで、尻拭いくらい自分でやってよ。こっちだって新機軸のことで忙しいんだからさー」

 


キーワードを怪談にしましたが、あんまり怖くないですね。

幼少期の不思議な体験って、案外こんなことが根っこにあるんじゃないかなと思って書きました。

最後はまあ、なんとなくです。

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