第7話 生きた食糧を買う真祖
それから二週間後、ファーティマは冒険者ギルドに訪れて例のサソリの買い取り金を受け取った。
価格は金貨二十五枚。
このお金でファーティマはあるモノを買おうと考えていた。
しかし一人で買いに行くのは心細かったので、ファーティマはコンラートを尋ね、付き添って貰うことにした。
「それで、何を買うんだい? 嬢ちゃん」
「うん、奴隷をね……買おうと思うんですよ」
奴隷。
人の形をした物だ。
ファーティマの生きていた四千年前にも存在した制度である。
もっともファーティマはあまりこの制度が好きではなかったので、奴隷になるのは借金を支払えなくなった者と犯罪者だけと定め、身分として固定することだけはしなかった。
生まれながらにして奴隷としての人生が決まっているのは間違っていると、考えていたからだ。
とはいえ、人間臨機応変に対応しなければならない。
奴隷は良くないだ、何だと言っていると干乾びてしまう。
そう……ファーティマは奴隷を購入し、その奴隷から血を吸おうと考えていた。
魔術契約で縛れば、ファーティマが吸血族であると言い触らされる心配もない。
「奴隷? 何でそんなものを?」
「身の回りの世話とかをして貰いたいのと、世間の常識を教えてもらいたいのと……あと、護衛ですかね?」
「……嬢ちゃんに護衛なんているのか?」
「いやー、まあそれは……ほら、睡眠薬とか盛られたりするかもしれないし」
ちなみにファーティマには生半可な毒は効かない。
ファーティマの片親は大地の地母神、女神であり……竜、蛇としての属性を持っている。
そのため大概の毒はファーティマには効かない。
無論、伝説級の毒となれば話は別だが。
「しかし奴隷ってのは面倒だぞ? 人ひとりの衣食住の面倒を見るってことだからな。嬢ちゃん、分かってるのか?」
「それはもう」
これでも霊長の王である。
その辺りの責任や義務に関しては、当然心得ている。
そんなわけでファーティマはコンラートに連れられて奴隷市場にやって来た。
奴隷商人たちが各地で競りをしたり、奴隷の取引を行ったりしている。
「嬢ちゃんはどんな奴隷が欲しいんだ?」
「うーん、エルフとかドワーフとか巨人族がいいかな。あ、でも巨人族は部屋に入れるのが面倒だから、エルフ族やドワーフ族みたいな妖精種が望ましいですね」
エルフやドワーフは総じて高い理力を持つ。
血中の理力濃度が非常に濃いのだ。
つまりそれだけ効率的に理力を吸うことができる。
ファーティマの備蓄理力は現在一パーセントを切ってるので、実はかなり不味い状況だ。
早急に補給が必要である。
「嬢ちゃん、予算はいくらだ?」
「金貨二十五枚くらいです」
「うーん、それでエルフやドワーフは無理だと思うぜ、エルフやドワーフなら金貨五十枚以上は下らない。二十五枚だと、普通の労働奴隷が限界だな」
コンラートの話によると、普通の奴隷は金貨二十枚から五十枚。
見た目の良い奴隷や熟練の職人奴隷だと、金貨百枚を超えることが多々あるという。
エルフの多くは容姿が良く、ドワーフは手先が器用なので五十枚を超えてもおかしくない。
とのことである。
ちなみに一般庶民の平均的な年収は金貨三十枚前後だとか。
「うーん、取り敢えず参考までに一番高いところから順番に見ていきます」
「それが良い。無駄遣いはしないにこしたことはない。ああ、それと……」
コンラートは頭を少し掻いてから言う。
「Aランク冒険者に敬語を使われるのは、少しな……もっと砕けて良いぞ」
「そう? 分かった」
ファーティマは頷いた。
まず初めにファーティマが訪れたのは最高価格百枚の奴隷売り場だ。
これより上になると、競によって競売に掛けられる。
「みんな奴隷の割には状態が良いね」
「そりゃあ商品だからな」
奴隷の表情も決して暗くない。
むしろ積極的に客に声を掛けて、自分を買ってくれとアピールして、奴隷商人に勝手なことを言うなと怒られたりしている。
「そこの銀髪の綺麗なお嬢さん! 俺はこう見えても元Aランク冒険者なんだ! どうだ? 奴隷として買わないか?」
中々容姿の整ったイケメンの奴隷がファーティマに声を掛けた。
まあファーティマも女なのでイケメンに声を掛けられて悪い気はしないが……
ファーティマとしてはAランク冒険者なのに、どうして奴隷落ちしたのか気になる。
「嬢ちゃん、一応言っておくが……同じAランクでもソロとユニゾンじゃあ大きな違いだ。もしソロでAなら、競売に掛けられる。ありゃあ、ユニゾンだな。ソロだとBかCだぜ」
「へぇー、そういう詐欺にも注意しないといけないのね」
「ああ、奴隷商人の連中は少しでも奴隷を高く売ろうと化粧を施したり、一時的に太らせたりする。俺は病気持ちの奴隷を掴まされて、一週間で死なれて大損した奴を知ってる。気を付けろ」
四千年前でも、おそらく奴隷事情はさほど変わらなかっただろうが、ファーティマは奴隷を購入することそのものが初めてである。
というより物を買うという行為にもあまり慣れていない。
会計はファーティマの仕事ではないからだ。
そういうのは全て大臣とその配下の官僚たちが済ませていた。
次に最高価格五十枚の売り場に行く。
五十枚を下回ると奴隷の価値としては普通で、先程の奴隷たちのように容姿が優れて居たり、何か特殊な技能を持っていたりすることはない。
奴隷たちの表情もあまり明るいとは言えない。
「あ、でもあの人とか割とイケメンじゃない?」
「確かにな……だが、気を付けろよ。五十枚以下の値打ちが付けられるには、相応の理由がある。容姿が良くて安いってのは危険だ」
コンラートの忠告を聞き、ファーティマはなるほどと頷いた。
丁度予算内の奴隷も売っていたが、イマイチ微妙なのが多い。
「うーん、理力量が少ないなあ……やっぱり理力が多いのは高いのね」
吸血族には生まれつき、理力量を感知する能力を持つ。
上質な理力はそれだけ美味しそうな匂いがするのだ。
別に理力量が少なくても生命維持には困らないが、出来れば理力量の多い、高品質の奴隷が欲しい。
ファーティマはグルメなのだ。
最後にファーティマは最高価格金貨十枚という格安の奴隷売り場を訪れる。
何らかの理由で売れ残った奴隷が最後に行きつく場所だ。
「うーん、何というか、酷いね」
「まあ、一番の安物だからこんなものだと思うが」
奴隷たちの表情は非常に暗い。
そして衛生状態も決して良いとは言えない。
商人側もあまり売る気は無いのだろう。
在庫処分として、売りだしているのだ。
売れたら儲けもの。
売れなかったら……
「闘技場に卸されるのが関の山だな」
「闘技場? でも剣闘士はかなり良い職業だよね」
「まさか、剣闘士みたいにまともな武器は与えられないよ。丸裸で放りだされて、喰われる……そういうショーを好む連中はいるのさ。あとはまあ、そうだな……格安の娼館で働かされるか。目を潰したり、手足を切断して物乞いをさせるっていう使い道もある」
あまり聞いていて気分の良い話ではない。
やはり奴隷制度は好きじゃないと、ファーティマは改めて思った。
もっとも今の自分のように必要とする人間がいる限り、無くならないだろうが。
「なあなあ、お嬢さん。あなたにお勧めしたい奴隷がいるんだが、来てくれないか?」
「はい? ま、まあ……良いですけど」
突然、奴隷商人がファーティマに声を掛けた。
ファーティマとしても、特に目当ての奴隷があったわけでもないので、お勧めしてくれるのであればその奴隷を見に行く分は構わない。
時間もまだあるのだ。
「この娘です、どうです? 可哀想だとは思いませんか?」
「これは……」
「酷いな」
ファーティマとコンラートは顔を顰めた。
奴隷商人が指差す方向には、金髪の奴隷がいた。
種族は人族に見える。
その子の顔の右側はとても美しかった。
その分、焼け爛れた左側が余計に酷く見える。
左側の顎の皮膚と首元の皮膚が癒着してしまっていて、皮が伸び切り……目を閉じることもできていない。
物を食べるのにも苦労しそうだ。
しかし……
(あ、良い匂いがする。美味しそうだ……理力の質はかなり高いね)
果物のような、瑞々しく、新鮮で、甘酸っぱい匂いがファーティマの鼻腔をくすぐった。
理力の味には個人差があり、吸血族にも好き嫌いがあるが……
こういう果物みたいな匂いの血は、殆どの吸血族が好む。
ファーティマも大好物だ。
「年は十四歳。元々は容姿の良い奴隷だったんですがね、女主人に嫉妬されて、顔を焼かれちまったんですよ。しかも毒薬を飲まされて、喉も潰されてしゃべることもできない。どうです? 同じ女として、可哀想だとは思いませんか? このままだと見世物にするか、闘技場にぶち込むか、豚の餌にするしかなくてね」
女主人に嫉妬されて、顔を焼かれた……
という言葉を聞いたファーティマの表情がピクリと動く。
「おい、嬢ちゃん……待ちな。こういうのは敢えて話を作ったり、盛ったりするのさ。同情させて、奴隷を売るためにな。なぁ、どうなんだ? そいつは本当の話か?」
「本当の話ですよ。証明する手立てはないのでお疑いになるのも自然なことだとは思いますが……でもね、その娘の容姿が元はとても美しいのと、このままだとまともに生きれないってことは確かでしょう?」
奴隷商人は肩を竦めて言った。
他人事なのは、あくまで商品でしかないからだろう。
売れなければ大損だが、少女がどのような命運を辿ろうとどうでもいいという気持ちが透けて見える。
ファーティマは少女に近づく。
少女は死んだような目でファーティマを見上げた。
ファーティマは静かに尋ねた。
「ねぇ、生きたい?」
ファーティマが問うと、少女が小さく頷いた。
おそらく皮が癒着してしまっているため、話すことができないのだろう。
ファーティマは奴隷商人に向き直った。
「まあ、買うか買わないかは価格次第だね。いくら?」
「金貨十枚です」
「高いな。しゃべることも満足にできない、火傷の影響でいつ感染症に掛かって死ぬか分からないような奴隷が十枚? 金貨三枚が精々だ」
ファーティマが少女を買おうとすると、コンラートがファーティマと奴隷商人の間に割って入り、値下げを要求した。
奴隷商人は目を細める。
「ははは……冗談はやめてくださいよ。私だってね、大損はしたくない。金貨八枚でどうですか?」
「三枚だ。ふざけているのか? 言っておくが、こんなお荷物を買うのはお人好しの嬢ちゃんくらいだぜ」
「……良いでしょう。五枚でどうですか?」
「よし、分かった。良いぜ……そういうわけだ、嬢ちゃん」
あっさりと価格を半分にして見せたコンラートの技術にファーティマは目を丸くした。
「凄い……」
「嬢ちゃんが世間知らずなだけだよ」
コンラートは苦笑いを浮かべた。
ファーティマは金貨を五枚支払い、奴隷商人と契約を交わした。
奴隷商人は少女の首輪を外し、首輪と鍵をファーティマに手渡していった。
「そうそう、街中では首輪や足枷、手枷などは着けて歩かせないでください。この街の法です」
「何で?」
ファーティマが尋ねると奴隷商人は小声で言った。
「目で見て奴隷だって、分かるようになると奴隷が奴隷の数を目で見て認識できるようになるでしょう?」
「なるほどね」
自分たちの数が多いと認識した奴隷が結託して反乱を起こす可能性がある。
だから奴隷と奴隷以外の人間の区別が見かけの上では付かないのが望ましいと。
「少なくともこの国では全ての奴隷は登録されてますし、足裏には小さな焼印で番号が記されているのでご安心を。安心できないのであれば、専門店をお尋ねください。背中に大きな焼印を施したり、見た目ではそうと分からない拘束具が売ってありますので」
「それはどうも」
元々ファーティマは魔術契約で少女を縛るつもりなので、そんなものは不必要だ。
ファーティマは少女に手招きしていった。
「今日から私があなたの主人、ファーティマ。ほら、来て」
少女は小さく頷いた。