第22話 歴史の概略を聞く真祖
翌日、ファーティマは神官長の研究室に訪れた。
クリスも同伴している。
コンラートたちは興味が無いようだったので来ていない。
「どうぞ、紅茶です」
「ありがとうございます」
ファーティマはお礼を言った。
そして一口、紅茶を口にする。
非常に良い茶葉だ。
随分と儲かっているようである。
いつの時代も、人気のある神様の神官は金持ちだ。
「霊長の王が死に、神々と英雄の時代である神代が終わった後の人の世。大陸歴が始まってから、どうして魔術が衰退してしまったのか、具体的に何が起こったのかをお聞きしたのです」
「……ふむ、その様子ですとそこそこお詳しいようですな。四千年前、霊長の王時代には魔物が存在しなかった可能性がある、という学説はご存じですか?」
神官長の言葉にクリスは目を丸くした。
魔物の存在が当たり前となっている現代に生まれたクリスからすると、そのような説が存在することそのものが驚きだ。
だがファーティマは驚かない。
「そのような学説は聞いたことはありません。ただ私個人は、実はそうなのではないかと、思っていました」
「ふむ、なるほど……」
神官長は紅茶を一口飲み、喉を湿らせた。
そしてゆっくりと話し始める。
「霊長の王は『吸血鬼の王』ハサンを討ち取った後、すぐにこの世を去りました。その後しばらくの間は霊長の王の帝国は維持されますが、すぐに分裂します」
「……」
だろうな、というのがファーティマの感想だった。
ファーティマはすぐに蘇るつもりだったし、ファーティマの後を継ぐような後継者は存在しなかった。
こればかりは仕方がないだろう。
「霊長の王の後継国家は離合集散を繰り返し、互いに覇を競い合いました。霊長の王信仰はその時に広まったと言われております。世界中の国々が霊長の王の真の後継は自国だと、そして霊長の王は自分たちと同じ民族であると主張したのです」
神官長の話によると、約三百年間の間、そのような戦国時代は続いたようだ。
その間に数百の国々が勃興し、滅亡した。
「この三百年の間の出来事の多くは口伝、または各民族の伝承に残されております。また神聖文字は解読できておりませんが、この五百年の間に各民族が作り上げた独自の文字の方は多少なりとも解読が進んでいるため、それなりのことは分かっております」
「なるほど……ところでその三百年の間、魔術は? 魔物は存在しましたか?」
「少なくとも我々の時代よりも魔術は進んでおりました。そして魔物の存在、より正確に言えば体内に魔石を内包した生物の存在を匂わせるような記述、伝承は一切ありません」
つまり三百年の間はファーティマの生きていた神代と、そこまで変わらなかった。
ということになる。
「三百年間の戦乱により、百、いや千以上あった国々は淘汰され、最終的に四つの国が生き残りました。通称、四王国です。その四つの国々の攻防の時代は二百年続きます。四王国時代とも呼ばれますね」
「その二百年はどれくらい資料が残っていますか?」
「この二百年に関してはかなりの資料が残されております。それぞれの王国の王が自分たちの記録を後世に残そうとしましたから。そして霊長の王信仰が最盛期を迎えたのはこの時期ですね」
「なるほど」
この街の神殿が建てられたのは紀元四百年頃。
丁度四王国時代に重なる。
「その中でも特に攻勢を強めた国が、遊牧系の人族、エルフ族、ドワーフ族の三種族連合の王国です。彼らはこの時代、唯一製鉄技術を持っていました。馬と戦車、そして鉄製の武具によって軍事強国として他の三王国を圧倒しました」
「それで他の三つの王国が亡んだ、ということですか?」
「いえ、違います。……滅んだのは四王国、全てです」
神官長は少し悔しそうな表情を浮かべた。
「実はこの四王国の滅亡原因はさっぱり分かっていないのです。ただ、確かなことは……紀元五世紀末、何かが起きた。それによって四つの王国が亡び、その間に詰み上がってきたほぼ全ての文化、技術が喪失したということです。私たちはこれを……」
「五世紀の破滅」
クリスがぼそりと呟いた。
神官長は髭に触りながら頷いた。
「うむ、そこの召使のお嬢さんの言う通り。我々は五世紀の破滅とこれを呼んでいる。それから約五百年間、すなわち紀元千年を迎えるまでは文字資料どころか口伝、伝承すらも殆ど残されていない暗黒時代となる」
神官長は指を三本、ファーティマに突き出した。
「しかし分かっていることが三つあります。一つ、この時代に製鉄技術が各地に伝播したこと。二つ、魔物が出現したこと。三つ、魔術に関する知識のほぼ全てが喪失したこと。それだけは四王国時代と暗黒時代が終わった後の文明の資料を比較することで、分かっています」
「ふーむ……」
ファーティマは腕を組み、考えを巡らせた。
魔物の出現と製鉄技術の伝播、その後の暗黒時代というのは何となく分かる。
要するに魔物の影響で四王国が亡び、秘匿されていた製鉄技術が各地に伝播された。
そして武器の必要性から製鉄技術が進歩した。
それは結びつく。
だが魔術の衰退は結びつかない。
加えて……ファーティマは知っている。
五世紀を迎える以前に、既に魔術が衰退を始めていたことを。
少なくともこの街の神殿に使われている魔術は、神代と比べると随分と程度の低いものだ。
(あり得るとすれば、何らかの原因で魔術師が全滅した、とか?)
魔術師は特権階級である。
故に魔術師は弟子を大勢育てるようなことはしない。
自分の食い扶持を減らすことに繋がるからだ。
そして文字に残すような真似もしない。
あくまで口によって伝える。
魔術が流出するのを防ぐためだ。
そしてもし文字に残すような変わった魔術師がいたとしても、それは神聖文字によって記されることになるだろう。
神聖文字を読めるのは魔術師、または魔術師の下で教育を受けている魔術師見習いだけ。
五世紀の破滅が起こる前段階で魔術師たちが壊滅的な打撃を受けていたとすれば、魔物に対抗出来ずに四王国が亡ぶのも、製鉄技術を持つ国が勢力を拡大することにも納得がいく。
ある程度の結論を得たところで、ファーティマは神官長に尋ねた。
「神聖文字の解読は一割程度は進んでいるんですよね?」
「ええ、そうですが?」
「現代では魔物に分類されている食人種たち。吸血族、サキュバス・インキュバス族、人狼族。この三種族への迫害はいつから始まったか、分かりますか?」
ファーティマの質問に神官長は目を見開いた。
「ほう、お嬢さん……本当によくご存じだ。そう、霊長の王は霊長、全ての人類の王であった。それを示すように壁画には全ての種族が円状に描かれていることが多い。つまり全ての種族は霊長の王の統治の下では食人種たちを含めて平等であった、という学説が近年提唱されている。そのことを言っておられるのですね?」
ファーティマは頷いた。
どうやら知っている人は知っているようだ。
まあ、当然と言えば当然だろう。
それらの絵を描かせたのはファーティマだ。
自分にもしものことがあった時、全ての種族が平等であるという思想が失われないように、絵にしっかりと残したのだ。
「実のところ私もその学説を支持しております。もっとも未だ少数派ですがね。食人種たちは必ずしも人間に害を及ぼすような種族ではありません。十分、共存ができるはず……と私は思っていますが、まだまだ異端の考えです」
「……それは素晴らしい考えだと、思いますよ」
食人種は全てファーティマの子供と言っても良い。
別に子供だからといって特別優遇するつもりはない。
ファーティマの思想はあくまで平等だ。
しかし迫害の対象となっているのはやはり気持ちの良いものではない。
自分は霊長の王などと言って、今更でしゃばるつもりは毛頭ないが……
食人種の地位回復には着手するつもりだ。
食人種に対して悪感情を抱かない人もいる。
それだけでもファーティマにとっては救いだった。
「失礼、先程の質問に答えておりませんでしたね。少なくとも四王国時代には既に民族同士の迫害があったとされています。食人種は数が少なく、そして忌諱されやすい。四王国時代とその前段階の戦乱の時代にはすでに迫害が始まっていたと考えて良いでしょう。もっとも食人種だけでなく、その地域社会に於いて少数になった種族は皆、他種族に迫害されていたようですが」
神官長の言葉を聞き、ファーティマは思わず溜息を吐いた。
自分のまとめ上げたものがたった数百年で砂塵に帰したと聞くのは辛いものがある。
(お兄様は何て言うだろうか……それ見たことか、かな?)
まあ、良い。
もう一度、やれば良いだけの話だ。
今度は別のやり方で。