第19話 混浴風呂に入る真祖
ミノタウロス討伐の翌日の夜。
「あ、あの……本気で入るんですか?」
「ここまで来て何を言ってるの! 私、いい加減お風呂に入りたいのよ」
ファーティマは嫌がるクリスの手を強引に引いて、公衆浴場に意気揚々と向かう。
先日のミノタウロス退治でちょっとした小金持ちになったことが、ファーティマの背中を後押しした。
お金を支払い、小さなタオルと大きなタオルを二枚ずつ借りる。
小さなタオルは風呂で体を洗ったり、出る前に軽く水気を拭きとるためのもので、大きなタオルは出た後に体を拭くためのものだ。
初めてということもあり、簡単なマナーを番台に聞く。
するとクリスがあからさまに嫌がり始めた。
「え、湯舟にタオルをつけちゃいけないんですか?」
「お湯が汚れるからな。できればやめて頂きたい」
つまりタオルで体を隠すことができない。
嫌がるクリスに対し、ファーティマは溜息を吐いて言った。
「うーん、まあそんなに嫌なら無理に入らなくても良いよ? 別に強制するつもりはないし」
「え、えっと……ご主人様は良いんですか?」
「だってお風呂に入りたいし」
ファーティマがそう答えるとクリスは覚悟を決めたのか、小さな声で「入ります」と言った。
別に無理はしなくて良いとファーティマが言うと、クリスは主人が入るのに自分が入らないわけにはいかないという。
「まあ、良いなら良いけど」
ファーティマはタオルを手に持ち、脱衣所に入る。
脱衣所は男女で分かれているようだ。
「お風呂は一緒なのに何で脱衣所は別れてるのかね?」
「下着を盗む人がいるからじゃないですか?」
「なるほど」
ファーティマとクリスは服を脱いだ。
「……」
「どうしたの、クリス」
クリスはファーティマの体と自分の体、具体的には胸部を見比べる。
ファーティマは中々良いものをお持ちであり、一方クリスのは慎ましいサイズだ。
「大きくなるでしょうか?」
「クリスって、まだ十四でしょ? これから大きくなるって」
視線の動きで意図を察したファーティマはクリスを剥げます。
ちなみに半神であるファーティマの成長は人間と比べて遅く、十四の時はまだ精々五歳程度の体であった。
ファーティマは堂々と、クリスはタオルで体を隠しながら浴場に向かう。
「おお、中々大きいね」
人でごった返していたが、それを加味しても十分な広さがある。
取り敢えず二人は体の汚れを落としてから、風呂に入った。
「ふぅー」
ファーティマは手足を大きく伸ばし、天井を仰ぎ見た。
天井には一面、絵のようなものが描かれている。
「ねえ、クリス。あの絵は何?」
「あれは……おそらくタイルかと。題材は……吸血鬼の王『ハサン』と霊長の王『ファーティマ』の一騎打ちです」
「へぇー、でも言われてみれば、なるほどね。うん、確かにそうかも」
凶悪な顔をした黒髪の男と、凛々しい顔をした白髪の女性が向かい合い、武器を構えている。
黒髪の男は黒い兜を頭に被り、左手に鎌のような形の剣を持ち、左足に黒い石が嵌め込まれたサンダルを履いている。
白髪の女は左手に大きな盾を、右手に剣を持ち、右足に白い石が嵌め込まれたサンダルを履いていた。
「……実際、合ってるんですか? あれは」
「大方合ってるね。唯一違うところがあるとすれば、お兄様の顔かな? もっとカッコよかったよ。あそこまで怖い顔はしてなかった」
「……お兄様?」
「ハサンお兄様」
ファーティマの言葉にクリスは目を丸くした。
ハサンとファーティマが兄弟だった、というのは伝わっていなかったのだ。
「兄弟、だったんですか?」
「二卵性双生児で先に生まれたのがお兄様。まあ一卵性の可能性もあるけど」
極まれに一卵性の双生児でも雌雄が異なることがある。
そのため二卵性とは断定できない。
そもそも神に一卵性やら二卵性やらという概念が通用するのか、甚だ疑問だが。
「お兄様は私よりも強かったね、辛うじて勝ったのは私だけど」
そう言ってファーティマはクリスにブイサインをする。
クリスはどういう表情を浮かべれば良いのか、困惑する。
「……良いんですか? お兄様だったんですよね?」
「良いも何も、話し合いじゃあ解決できなかったしね。お互い一歩も譲るつもりはなかったから、仲介なんて望まなかったし。お互い勝った者が正義、ということで最初で最後の兄弟喧嘩。まあ殺しちゃったお兄様の分までこの世を謳歌するのが真の兄孝行だと思うのよ、妹としてね」
ファーティマは飄々と言ってのけた。
その表情には後悔や憎しみの色はなかったが、少しだけ寂しそうだった。
「まあ可愛い末の妹ができて、お兄様も喜んでるでしょ」
「末の……妹、ですか?」
「ここに金髪の可愛い妹がいるじゃない! 私、ずっと妹が欲しかったんだよね」
ファーティマはそう言ってクリスの頭を撫でた。
クリスは顔を赤らめる。
「あ、ありがとう、ございます。私も……お姉様がずっと欲しかったです」
「あれ、クリスって一人っ子?」
「長女です、妹がいました」
「ふーん」
その辺りでファーティマは会話を断ち切る。
これ以上踏み込むのはクリスが望んでいないような気がしたからだ。
クリスも自分から妹について語ることなかった。
「ところでさ、クリス」
「何でしょう?」
「なんか、私たち目立ってる?」
「い、今更ですか……」
クリスは苦笑いを浮かべた。
実はクリスはずっと、ファーティマの背中の後ろに隠れるような位置でずっと風呂に浸かっていた。
男性の視線が非常に気になったからだ。
元々ファーティマは非常に美しい容姿をしており、均整の取れた体つきをしている。
お湯に浸からないように髪を結い上げ、露出したうなじに汗と水滴が伝う様子は女であるクリスから見ても非常に扇情的だ。
後ろ姿だけでもそうなのだ。
前など、とんでもない。
男性客、そして一部の女性客の視線はずっとファーティマに集中しており、そしてその傍らにいたクリスにも視線は集まっていた。
クリスもファーティマに比べるとまだまだ発展途上だが、容姿の美しい少女だ。
「おや?」
急にファーティマは立ち上がった。
湯舟に隠れていた部分まで完全に露出し、余計に視線が集まる。
「クリス、ちょっと来て」
「は、はい? な、何ですか?」
ファーティマはクリスの手を引いてお湯の中を進む。
そしてファーティマは一人の男性の肩を叩いた。
「ん、何だ? って、あんたは……」
「やっぱりコンラートさんじゃん、久しぶり!」
ファーティマは片手を上げて挨拶した。
コンラートは目を見開いて驚き、そして思わず視線を湯舟の中に移す。
この浴場のお湯はごく普通のお湯なので、普通に見える。
いろんなものが。
「あ、ああ久しぶり……ところで嬢ちゃん、少しは隠したらどうだ?」
「ん?」
ファーティマは首を傾げた。
浴場の客の三分の一は女性だが、多くの女性はタオルを湯舟に浸けることはせずとも、手で大切な部分だけはちゃんと隠していた。
クリスなんて、ファーティマの体に自分の体を密着させてしっかりと隠している。
だがファーティマは隠すどころか、手足を思い思いに伸ばしており、丸見えになっていた。
「何で?」
「い、いや……嬢ちゃんが良いなら良いんだが。その、恥ずかしくはないのか?」
コンラートの問いにようやく合点がいったファーティマはポンと手を打った。
そして胸を張って答えた。
「両親から貰った大切な体に、恥ずべきものなんて、あるわけないでしょ」
不思議とファーティマの声は浴場に響き、良く通った。
それはファーティマの声が少し大きかったこと、そして声が反響しやすい構造だったこと、そして人々がファーティマに無意識に注意を傾けていたからだった。
自分の体に劣るところなど、恥ずかしい部位など一切ない。
だからこそ隠す必要などないのだ。
というファーティマの言い分は確かに納得の行くものであった。
しかしそれは理性の上の話であり、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのが普通の人である。
「嬢ちゃん、あんた……イケメンだな」
コンラートは思わず呟いた。
ファーティマは首を傾げる。
ファーティマ自身は特に不思議なことを言った覚えはないのだ。
そんなファーティマの様子を見ていたクリスは実家にあった大理石の像を思い出す。
(そう言えば神様の像って、露出多かったなぁ……)
クリスの家には大昔に作られた神々の像があり、男性器や乳房が見えているようなものもあった。
開放的な肉体美、というやつである。
ファーティマの中には「裸は美しい」という価値観はあっても、「裸は恥ずかしい」という価値観はないのだろう。
「というか、コンラートさんは恥ずかしいの?」
「え、あ、いや……まあ嬢ちゃんと違ってそこまで自信があるわけではないからな」
そう言ってコンラートは反射的に自分の股間を手で隠した。
何を納得したのか、ファーティマは「なるほど」と頷いた。
さて、コンラートと雑談していると……
急に騒がしくなった。
騒ぎの方を見ると、十人前後の男性の集団が他の客を押しのけるように浴場に入って来ていた。
彼らは体も洗わず、湯舟に平然と入った。
「あれは……」
「この街で一番の冒険者パーティーだ。ユニゾンランクはA、そしてリーダーもソロでAで、その他多くのBランクがいる。だが素行が悪い、関わらない方が……、おい、嬢ちゃん!」
ファーティマは静かに平泳ぎしながら、男性の集団に向かう。
するとリーダー格の男がファーティマの姿に気が付いた。
「何のようだ、女。もしかして、抱かれに来たのか? まあ確かに今夜の予定は空いてぇぇえええええええお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
近づいたことでファーティマの顔をしっかりと認識した男は絶叫を上げた。
ファーティマはその男性に親し気に話しかけた。
「久しぶり、腕相撲の人!!!」
それはまるでたまたま銭湯で、同性のクラスメートに会った学生のような気安さだった。