第12話 魔術の衰退に大きなショックを受ける真祖
科学とは「経験的実証と論理的推論により作り上げられた、合理的な知識の体系」である。
まあつまり何らかの方法でそれを観測し、その法則を推論し、理論化することができるのであれば、精霊だろうが魂だろうが理力だろうが魔力だろうが世界記憶だろうが、それらは等しく「科学」の一分野として学問化することができる。
では科学技術とは何なのか。
科学技術というのはすなわち、「科学」の知識を応用した「技術」である。
そして科学技術には二種類ある。
魔術とテクノロジーである。
基本的にこの両者は科学的知識を元に、何らかの結果を算出しようとする行為である点では共通しているが、その方法論は全く異なる。
同様に魔術を研究し使用する魔導士や魔術師と、テクノロジーを研究し使用するテクノロジストやエンジニア、テクニシャンは全く異なる。
ファーティマは科学者であり、魔導士であり、魔術師であり、研究者であり、技術者であるが、テクノロジストやエンジニア、テクニシャンではないのだ。
魔術とテクノロジー、その方法論の違いを「製鉄」を例に説明しよう。
前提として、製鉄に於いて課題となるのは鉄鉱石からいかにして鉄を取り出す……
つまり酸化鉄を鉄に変化させることである。
テクノロジーも魔術も、鉄鉱石が鉄分子と酸素分子が結合した酸化鉄分子によって構成されているという科学的な見地は変わらない。
問題になるのはその酸化鉄分子を、どうするかという方法だ。
まずはテクノロジー。
ヘルムが行ったのは立派なテクノロジーである。
彼の鍛冶技術は酸化還元反応という「科学」を下敷きにしている。
ヘルムは酸化還元反応を発生させて、鉄を作り出すために様々な道具や材料を用いたが、やっていることを単純化すると以下の通りになる。
Fe2O3 + 3CO → 2Fe + 3CO2
つまり酸化鉄と炭素を反応させて、鉄と二酸化炭素を作り出す。
還元と酸化が表裏一体となった反応である。
例えどんなに技術が進歩しようとも、製鉄のテクノロジーはこの反応が原則となる。
古代人だろうが現代人だろうが未来人だろうが異世界人だろうが宇宙人だろうが、これ以外のやり方は(新たな科学法則が発見されない限りは)存在しない。
ではファーティマが行った魔術的な手法による製鉄はどのようなものなのか。
これは非常に単純明快で、単純化すると以下の通りになる。
2FeO → 2Fe + O2
当然だが、自然界では……というよりどんな実験室でもこのような現象は発生しない。
ではなぜこんなことが成立するのか……
それはファーティマが世界記憶にアクセスし、一時的に科学法則の書き換えを行ったからである。
つまり一瞬だけ、ファーティマが指定した酸化鉄のみにこのような反応が発生するような「科学法則」が生み出されたのだ。
お分り頂けただろうか?
どちらも科学的知識を下敷きにしているが、その方法論、思考回路が根本から異なるのである。
テクノロジーは複数の科学的な知識を組み合わせ、応用し、工夫を凝らして、その科学法則の内部で結果を求める技術である。
反対に魔術はその科学的知識に対して理解を深めた上で、一時的にその科学法則を完全に破壊して結果を求める技術なのだ。
テクノロジ―は川下り、魔術は川上りに例えることができる。
同じ川を移動する行為でも、下るのと上るのでは思考も方法も異なり、互いに理解し合えないのは当然のことだ。
ヘルムたちテクノロジストが新しい科学法則を発見した際にそれをどのように生かすか、どのような知識と組み合わせれば役に立つのか、そのために必要な設備は何なのかを考えるのに対して……
ファーティマたち魔術師は新しい科学法則を発見するとそれを立ちはだかる「障害」と捉え、それをどのように破壊し作り変えるのか、そしてそのためにはどうやって世界記憶にアクセスし、どれくらいの理力や魔力を消費するのか、どのように行うのが最も効率良く行えるのかを考える。
ファーティマを含め、四千年前の魔術師たちは皆、鉄鉱石が酸化鉄であることを知っていたし、酸化還元反応についても知見があった。
木炭や石炭が炭素の塊であることも知っていたし、燃焼がどのような現象なのかも分かっていた。
この世が無数の分子、原子によって構成されていることも知っていたし、さらに原子が電子や中性子、陽子で構成されていることも仮説として提唱されていた。
だが彼らにとって、それは全て破壊し、作り変えるべき法則に過ぎない。
それらを複雑に組み合わせ、より効率の良い設備を作り出して、酸化還元反応によって鉄を作成するという発想には……
絶対に至らない。
至るはずが無いのだ。
もしその結論に至る者がいれば、それは魔術師ではなくテクノロジストだ。
テクノロジストが「科学法則を破壊し、書き換えることで鉄を作り出そう」という発想に至ることが絶対にあり得ないのと、同様に。
「いや、しかしそこまで魔術が衰退していたとはね」
その夜、ファーティマは溜息を吐いた。
これだけテクノロジーが進歩していたのだから、相応に魔術も進歩しているだろうと……期待していたのだ。
それだけにショックは大きい。
「加えて科学知識もかなり失われているようだし。どうしてだろうか……」
ファーティマは熟考する。
四千年前は科学はかなり進んでいたが、その知識のほぼすべては魔術師によって独占されていた。
というより魔術師以外の人間が科学的知識を得たところで何の意味もない、と当時の科学者を構成する魔術師たちは考えていたため、非魔術師に公開するという発想がなかったのだ。
その独占していた魔術師たちが何らかの原因で壊滅的な打撃を受ければ、確かに魔術と共に科学知識も衰退するだろう。
だがその「壊滅的打撃」の正体が分からない。
「今度、図書館かどこかに行って……ああ、言葉や文字も覚えないと。いつまでも翻訳魔術は効率悪いし」
ファーティマはぶつぶつと呟く。
とはいえ、今すぐに取り掛からなければならない事態でもないので精神的には余裕がある。
「まあ、もう遅いし寝よう、クリス。明日はクリスに近接魔術戦闘を教えるから」
「近接魔術……戦闘、ですか?」
「そうそう。護身術くらいは身につけないとね」
あの後、ファーティマは女性でも扱える小振りの剣と、短剣を三本購入して与えた。
ファーティマは買っていない。
ぶっちゃけ、ファーティマは素手でも十分以上に強いのだ。
生半可な武器では、あってもなくても変わらない。
「あ、そうだ。寝る前にさ……失礼して良い?」
「えっと、何がですか? ……ああ、なるほど」
クリスは一瞬困惑の表情を浮かべたが、すぐに納得の色を浮かべた。
そしてファーティマのところまで歩み寄り、胸元を緩めて、白い首筋をファーティマに晒した。
ファーティマの鼻腔を、果物のような甘酸っぱい香りがくすぐる。
「どうぞ、ご主人様」
「悪いね、クリス」
ファーティマはそう言ってクリスを抱きしめた。
その口元には白い牙が覗いている。
吸血時のみ、牙が姿を現すのだ。
「頂きます」
「あ、っく……」
ファーティマの牙がクリスの首に埋まる。
ファーティマは喉を鳴らして、クリスの血を啜る。
いつまでも吸い続けたくなるような、甘美な味だ。
甘く、仄かに酸っぱい。
新鮮でサラサラとして、何の穢れもない無垢な血液。
これだから処女の生血を啜るのは止められない……
ファーティマはそう思った。
ファーティマはいつまでも吸い続けたくなる気持ちを抑え、クリスの首から牙を離した。
クリスの首には牙が突き刺さった、二本の穴の跡が残っている。
もっとも、これも半日で消えてしまうのだが。
「どう、クリス。体調は大丈夫?」
「はい、もう寝てしまいますし……これくらいなら大丈夫です」
クリスは頷いた。
一晩寝れば、失った血は回復する。
「じゃあ、お休み。クリス」
「はい、ご主人様」
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