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そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,01 / Chapter 06〉

挿絵(By みてみん)

 ジェフロワの実母の家に着いたのは、日も沈みかけたころだった。

 子爵領の中で最も賑やかな港町。そのメインストリートにある一番の大店が彼女の実家である。店の裏手に回ると、店舗とは別に大きな屋敷がある。豪邸には違いないが、農村に建てられた邸宅と異なり、広大な庭や塀は無い。家の壁は路地に面し、防犯のためか、全ての窓に鉄格子が取り付けられている。

 重厚な鉄扉の横の、申し訳程度に存在を主張する呼び鈴を押す。

「ごめんください。クエンティン子爵家のマルコです。アンヌ様は御在宅でしょうか?」

 マルコは必至で呼びかけるが、反応は芳しくない。貴族の子弟がお付きの者もなく、事前の連絡も無しに来訪する。そんなことがあるはずは無いと、扉の覗き窓すら開けてもらえなかった。

 幾度か呼び鈴を鳴らすうちに、ようやく覗き窓を開けてもらえた。

「しつこいな! だから帰れと言って……」

 そこまで言ったところで、守衛はようやくマルコの顔を見た。

「ええっ! ほ、本物? い、いい、いったい何の御用でっ⁉」

 声を裏返して用向きを尋ねる守衛。だが、子爵家の者は通すなと言いつけられているのだろう。扉を開ける気配はない。

「アンヌ様にお願いがあってまいりました。お目通りを願います」

「え、ええと、その、大変申し訳ないのですが、アンヌ様はお加減が優れませんので、どうぞお引き取りを」

 棒読みである。そしてチラチラと手元を見ている様子が見受けられる。守衛用の台本が用意されているようだ。

「ほんのわずかな時間で済む話なのです。アンヌ様にとっても、決して悪いお話ではございません。『呪符に関することだ』と言っていただければ、すぐにでもお会い頂けると思うのですが……どうしても、お目通り願えませんでしょうか?」

「そ、そう言われましても……アンヌ様は本日、月の障りで起き上がることもままならないご様子であるとメイドたちから聞いておりますので……」

 またも棒読みだが、この理由を使われてしまうと、もうこれ以上食い下がることも出来ない。女性の月経の話に男はとやかく口を出せないし、出したらただの大馬鹿者だ。

 マルコは溜息交じりに伝言を頼む。

「仕方ありません。今日のところは諦めます。また後日、こちらからご連絡を差し上げますが……今晩、私は湖畔の別荘に宿泊する予定です。もしアンヌ様からご連絡いただけるようでしたら、別荘のほうへとお伝えください。別荘ならば、兄の目を気にせずに済みますからね。では、失礼します」

 マルコはサッと身を翻し、足早に立ち去る。その背を見送ると、守衛は早速、アンヌの元へ向かった。

 物陰に隠れていたロドニーが合流し、彼らは表通りに出た。歩調を緩めず、馬車を停めた広場のほうへと向かう。

「お前、本当に上手い言い回しを考えるな」

「それほどでもありませんよ。もしも私がモンスターをけしかけている側ならば、こう言われたらじっとしていられないと思いますので。思いついたままに言ってみただけです」

「おっかねえなぁ。そんじゃ、その別荘とやらに行って、モンスター様の御来訪を歓迎しちまおうか?」

「ええ。確たる証拠を掴んで、彼女の暴走を止めて差し上げましょう」

 二人は顔を見合わせ、不敵に笑った。




 守衛の報告を聞いたアンヌは、発狂したかのような奇声を上げた。そして聞くに堪えない罵詈雑言を、尽きることなく並べ立てる。そのままマルコとクエンティン家を罵り続けて、十分ほどが経過したころである。息を切らせ、肩を激しく上下させ、不意に言葉を途切れさせた。

「……さない……」

 耳を劈く絶叫の後では、その声は誰の耳にも届かなかった。

「……るさない。許さない。許さない。許さない……」

 アンヌは、傍に控える若いメイドの胸座を掴み、唾を飛ばして命令した。

「このまえ買った呪符! 残ってるやつ、全部持ってきなさい!」

「え、で、ですがあれは、一度に使うと危険だと……」

「うるさい! ご主人様の命令が聞けないの⁉」

「も、申し訳ございません、ただいま……」

「大体あいつ、愛人の子の分際で何様のつもりなのよ! 私を脅迫するつもり⁉ いいわ! そっちがそのつもりならとことんやってやる! 私の人生を台無しにしたクエンティン家のやつら、全員ぶっ殺してやるんだから! グズグズしてんじゃないわよ! あんたもアレに食われたいの⁉」

「ひっ! す、すぐお持ちいたします……」

 悲鳴のような声を上げながら、メイドはアンヌの寝室へと走った。彼女の怯えようは尋常でない。なぜなら彼女は知っているのだ。あのモンスターが生き物を襲い、肉を食うことを。

 あの日術者は、デモンストレーションとして一枚の呪符を使ってみせた。

「ご婦人方、とくとご覧あれ。異界より呼び出でたるは、最強最悪の食人モンスターにございます……」

 呪符を起動した瞬間、空間が裂け、気味の悪いモンスターが現れた。

 モンスターは何の迷いもなく犬たちに襲い掛かる。この犬たちは、標的として用意されていたものである。人に馴れた様子もなく、おそらく野犬と思われた。しかし訓練せずとも、犬は生まれながらに素早く、賢い生き物である。そう簡単に殺されるはずはない。

 だが、目の前の惨劇はどうしたものか。犬たちは為す術もなく捕えられ、食い千切られてゆく。哀れな悲鳴を上げて檻の中を逃げ回り、あるはずもない出口を探し、決死の覚悟で仕掛けたであろう一撃はあっさり防がれ――一方的に殺されてしまった。

 メイドはその光景を恐ろしく思った。そしてそれ以上に、その様を見て歪んだ笑みを浮かべる主人の顔に戦慄した。

 この人に逆らったら、自分もこうされるのだ。

 それが分かっても、逃げ出すことはできない。あの術者は、確かにこう言っていた。


「この呪符は誰でも簡単に使えます。相手の正確な座標が分からなくても大丈夫。この呪符を《雲雀》にくわえさせて、相手のところに送り付けてやれば良いのですよ。リボンがピンと伸びたら、相手が受け取った証拠です。通信が繋がった状態ならば、離れていても声は届きます。貴女はたった一言こう言うだけ。『さようなら、いとしいひと』……とね」


 そう、どこに逃げても無駄なのだ。アンヌがこれを持つ限り、いつ何時、あのモンスターをけしかけられるか分からない。戦闘訓練を受けているマルコならともかく、自分はただの、無力な女。あの犬たちのように、何の抵抗もできぬまま食い殺されてしまうに決まっている。残る呪符は十八枚。マルコとジェフロワを殺すために使い果たしてくれれば良いが、一枚でも余ってしまったら――。

(私は消される……だって、私は奥様のしてきたことを全て……)

 一番近くで、すべてを見てきた。口封じのために殺されるか、秘密を知る者として一生ここで飼い殺されるか。どちらに転んでも、未来には一片の希望も無い。

(余ったら私に使われてしまう……そうよ! だったら、余らなければいいんだわ!)

 メイドは呪符の束から、一枚を引き抜いた。そして廊下の片隅に隠れ、スカートをたくし上げる。

(これで……ううん、駄目。あと十七枚もある。でも、いっぱい取ったら奥様に気付かれてしまうかも……)

 逡巡する。気付かれない程度に抜き取って、確実に数を減らしたい。

(あと……そう、あと一枚だけ……)

 メイドはもう一枚抜き取って、スカートの下、ストッキングの留め具に呪符を挟み込む。

 この屋敷の、どこに隠すのも恐ろしい。肌身離さず持っていたい。

 皮肉にも彼女は、この呪符を恐れるからこそ遠ざけることができなかったのだ。破いて捨てることも、燃やしてしまうこともできた。それなのに、そんな方法があることすら思いつかなかった。

 自分の行動がいかに愚かであったか。彼女がそれを自覚するのは、何もかもが手遅れになってからのことである。




 主人の待つ遊戯室に戻ると、案の定、ヒステリックな声で叱責された。遅い、何をしている、この愚図、役立たず――聞き慣れたいつもの言葉である。わがままな三歳児が、誰に叱られることもなくそのまま歳を取ってしまったかのようだった。

「も、申し訳ございません。どうぞ、奥様……」

「ふん!」

 差し出された呪符を、ひったくるように受け取る。そして数も数えず束のまま、バンとテーブルに叩きつけた。

「何やってんの! さっさと《雲雀》出しなさいよ!」

「は、はい……」

 口汚く罵りながらも、このメイドを傍に置き続ける理由。それはアンヌに、魔法の素養がないからである。

 この国では、上流階級の人間ほど高度な魔法教育を受ける。本能レベルで出せる炎や氷は、せいぜい蝋燭に灯をともし、コップの中身を冷やせる出来る程度。攻撃、防御、治癒、通信の他、産業技能として自在に魔法を使うには、長期にわたる訓練が必要なのだ。

 アンヌの性格では、地道な努力などできるはずもない。貴族や富豪の令嬢が通うシュリーゲン女学院の卒業証書だけは持っているが、それは金で買ったもの。実際には入学から数日で落ちこぼれ、翌月には不登校。何の魔法も使えないことを隠すため、傍には必ず、魔法技能を有す使用人を置いている。

 子爵との不仲の原因も、すべてはこの『経歴詐称』に端を発している。しかしアンヌは、それがなぜいけないのか、何一つ理解していない。原因が自分にあるとは考えてもいないし、むしろ、自分は子爵家の勝手な言い分を押し付けられた被害者だと思っている。

 親の庇護の下、何をしても、また、何をしなくても許された『富豪のお嬢様』。そのメッキが、嫁いだ先で綺麗に剥がれた。ただそれだけのことなのに。

 アンヌは、メイドに呼び出させた《雲雀》に命令する。

「この紙くわえて、マルコ・ファレルのところに行きなさい」

 雲雀は言われた通りに呪符をくわえようとするが、雲雀の小さな体では、どんなに頑張っても三枚までしか運べない。

 呪符の束を前にまごつく様子を見て、アンヌは怒鳴り散らす。

「何モタモタしてんの⁉ やれって言ってんだから、さっさと行きなさいよ!」

 メイドは慌てて、もうあと五羽の雲雀を呼び出した。

 雲雀たちは三枚ずつ呪符をくわえ、最後の一羽は残った一枚を持っていった。

 簡単な掛け算、三かける五。足すことの一で、十六枚。

 これでは、呪符を抜き取ったと気付かれてしまうのではないか。メイドの心臓は爆発しそうな勢いで拍動するが、この心配は杞憂に終わる。

 頭に血が上ったアンヌは、呪符の枚数など数えてはいなかった。

「早く……早く受け取りなさい。そうしたら、一気に全部使ってやるんだから……」

 指先のリボンを見つめ、ブツブツと独り言をこぼす。

その目は狂気に満ちていた。




 マルコとロドニーは町を出て、牧草地帯の一本道を進んでいた。辺りは暗い。一軒の民家も街灯もないこの道では、月明かりだけが頼りである。

「ゴーレムホースでなかったら、絶対に事故ってるよな、この道」

 ガタガタと揺れる馬車から身を乗り出し、辺りを見渡す。

 この馬車は騎士団の備品。支部に配備される中で、最も小型の馬車だ。定員二名。横並びの座席は御者席で、座席の後ろの空間は物資を格納するためのもの。外見上は向かい合わせ四人乗りの馬車と同じくらいでも、幌の内側に座席は無い。

 ロドニーの言葉に、マルコは苦笑した。

「そうですね。本物の馬に、この速度で夜道を走らせたら……」

「確実に転ぶ。オートセンサー付いてない安物ゴーレムでも転ぶ。こんな手放し運転とかゼッテエ無理。マジ痛い」

「え、試されたのですか?」

「好きで試したわけじゃねえよ。実家で使ってるゴーレムホースがけっこう高性能なヤツだって知らなくて、騎士団入ってすぐに、ちょっとな」

「具体的にお聞きしても?」

「んー、まあ、黒歴史だけど……実家のと同じ感覚で使って、馬車ごと川にドボン」

「馬車ごと! それは大変でしたね。いえ、実は私も、落馬したことがあるのです」

「騎士団入ってから?」

「ええ。お恥ずかしい限りで……」

「具体的に言ってみようか?」

 自分が先に聞いてしまった手前、言わないわけにもいかない。マルコは笑いを噛み殺しながら話す。

「ハドソンさんと同じです。実家のゴーレムホースが、貴族向けに造られた高性能な特注品だと知らなかったのです。それまで私は、一般的なゴーレムにはセンサーが付いているものと思い込んでおりました。急な坂道でも、馬のほうが勝手にバランスを取ってくれるだろう、と……」

「ああ、振り落とされちゃった感じ?」

「ええ。それはもう見事に。同僚たちに馬鹿笑いされましたよ。三日はその話で弄られました」

「三日で済んだならマシだって! いやぁ、ホント。今考えたらただのバカだよな」

「本当に。裸で戦いに行くようなものです。酷い愚行だ」

「貴族って怖いよな。自分が常識を知らないことにすら気付けねえんだぜ? 執事もメイドも、『高貴なお方はご自分でこのようなことをされる必要は無いのです』とか言っちゃってさ。何もやらせてくれねえし」

「はい。それが当たり前と思っておりましたから……外の世界を知ったときは、ショックで頭がどうかするかと思いました」

「あ、ひょっとして、中央の中学校に入ったとき?」

「もしや、ハドソンさんも?」

「おう。雑巾がリストラされたタオルの再就職先だったなんて、言われなきゃ気づかなかったぜ。マジでびっくりした」

「あ、それ、分かります。一斉清掃の時間ですよね」

「そうそう、放課後の!」

「私、あれで泣きそうになりましたよ。掃除しろと言われても、何をどうすれば良いかもわかりませんし……」

「よく分からなくて突っ立ってると、サボるなって怒られるんだよな」

「人に訊こうにも、なにせ思春期でしたからね……」

「無駄にプライドだけ高くて、『教えて』って言えねえの」

「ちょっと聞けば、それで済む話ですのにね」

「俺さ、あれでようやくわかった感じ。メイドたちが、いつも何やってくれてたのか。もう俺、うちのメイドに偉そうに命令なんて出来ねえ」

「ええ。掃除してくださいお願いします、という感じになりますよね」

「まあ、『俺ってなんにも知らなかったんだ!』って気付いた瞬間はすっげえ恥ずかしかったし、いっそ死んでやろうかっつーくらい落ち込んだけどよ。アレが無かったら、今頃最悪な馬鹿貴族になってたんだろうなぁ、って思うと……」

「幸せなのでしょうね、私たちは」

「だよな。こうやって、笑って黒歴史話せてるんだし」

 顔を見合わせて、自然に笑う。経歴に多少の違いはあれども、二人は貴族の子弟で、今は王立騎士団に所属する身の上。分かり合えることは多い。同じ騎士団員でも、身分の違う者とでは、こうも本音で語り合うことは出来ないのだ。

 マルコは、不意に笑顔を引っ込めた。ロドニーの目を見て、改まった口調で言う。

「……あの、ハドソンさん」

「おう、なんだ?」

「その、もしよろしければ、私と……」

「彼氏は募集してないからね?」

「いえいえいえ、そこまで親密な関係は望んでませんから!」

「そいつは良かった! じゃ、トモダチな!」

 ずい、と差し出された右手。屈託なく笑うロドニーに、マルコも笑みを返し――手を取ろうとした、そのときである。

 マルコの手の中に、一羽の雲雀が現れた。

 握手しようと、手を差し出しかけていたのだ。その手は自然と、雲雀の身体を受け止めてしまっていた。雲雀が何をくわえているか、確認する間など無い。

 この魔法は、飛来した雲雀を受け取ることで通信が繋がる。マルコの指に絡みつくリボン。赤い光のリボンは、一秒のタイムラグも無く、遠く離れた相手に言葉を届ける。

「こんばんは、マルコ。そして……」

 最初の一羽に続き、残る五羽が、マルコの腕や肩、膝の上に止まる。


「さようなら、いとしいひと」


 アンヌがその言葉を発すると同時に、十六枚の呪符が一斉に発動した。

「く……っ!」

 マルコは咄嗟に腕を振り、数羽の雲雀を振り払う。と同時に、走行中の馬車から飛び降りた。

「マルコ!」

 かなりの速度が出ている。打ち所次第では命に係わるだろう。ロドニーは馬車を停め、腰の短銃を抜く。

「魔弾装填、《照明弾》!」

 持ち主の声を認識し、短銃は機能を切り替える。そのチキチキという駆動音が鳴りやまぬうちに、ロドニーは引き金を引いた。

 エネルギー充填が不完全でも構わない。ここは放牧地のど真ん中。人工的な照明が一つもない。とにかく今は、わずかでも明かりが欲しかった。

 撃ちあがった《照明弾》は小さくか弱い光である。それでも周囲五十メートルほどは視認できる明るさになった。

「クソ! なんつー数……」

 マルコを取り囲むモンスターの数は十六。そのすべてが《照明弾》に反応し、一斉にロドニーを見た。

「……マジかよ……」

 頬が引き攣り、表情が凍りつく。けれど体の反応は真逆である。銃を左手に持ち替え、右手で剣を抜く。フッと短く息を吐き、次の瞬間には、もうそこに姿はない。

 ロドニーに向かっていたモンスターたちは、突然消えた標的を探した。

 最初の個体は、ロドニーの姿を視認できただろうか。

 背後から剣を一閃。モンスターの首が宙を舞う。首なし死体が倒れるより早く、二体目の首が飛んだ。

 三体目は胸を撃たれた。だが銃の設定は《照明弾》のまま。殺傷能力は無い。

着弾の瞬間、辺りに閃光が奔る。

「マルコ! 動けるか⁉」

 モンスターたちの目が眩んでいる隙に、ロドニーはマルコに駆け寄った。一応は疑問形で声をかけたが、この時点で怪我の有無は確認できている。ロドニーは人狼族。風上に立つマルコに出血がないことくらい、嗅覚だけでも十分わかる。

「ハドソンさん! 私が《銀の鎧》を使います!」

「おう! 頼んだ!」

 マルコの防御魔法は達人級の腕前。魔法と物理攻撃、どちらも防御可能な《銀の鎧》も、呪文詠唱無しで発動させてみせた。

「うおっ? マジかよこれ!」

 思わずそう叫んでしまう。ロドニーは一瞬にして、白銀の鎧を纏った古式ゆかしい『騎士』の姿に変じていた。これは強そうだ。そして何より、動きやすい。魔法の鎧は見た目と裏腹に、一切の重量を感じさせなかったのだ。

「呪文なしで鎧を具象化して見せるなんて……あのさ、これって、本当に《銀の鎧》なのか? 実はなんか、別の魔法だったりしない?」

 ロドニーが疑問に思うのも無理はない。エネルギー充填時間の短縮、唱えるべき呪文の省略、手順の簡略化など、魔法を『不正な方法』で発動させる裏ワザはいくらでもある。しかしそういった使い方では、効果や有効時間が大幅に落ちる。先ほどの《照明弾》が良い例である。あの魔弾は、正しく使えば周囲一キロメートルを真昼のような明るさに出来たはずなのだ。

 そう、普通は弱くなるはずなのだが――。

「ハドソンさん! 後ろ!」

「うわあっ!」

 死角から襲いかかってきた。ロドニーは反射的に左腕を出し、防御姿勢を取る。

このとき、マルコの魔法が『見かけ倒し』でないことが証明された。

 モンスターの歯がロドニーの腕に触れる五センチ手前。銀色の光が弾けた。パキンという妙に軽い音の直後、モンスターは口元を押さえ、大きく飛び退る。

 歯が折れたのだ。

「うわぁ……なんだこれ、マジでスゲェ……」

 驚愕と感嘆の混ざり合った、気の抜けた声を上げる。だが、呆然と立ち尽くすようなことは無い。鎧の強度が分かった瞬間、ロドニーは攻撃に転じていた。

「よっ!」

 歯が折れ、攻撃力の落ちた個体を狙った。ロドニーは素早く駆け寄り、熊のような両手を掻い潜る。懐に入り込み、モンスターのアゴ下へのゼロ距離射撃。弾はモンスターの口腔、鼻腔、脳を貫通し、上空でぱあっと明るく閃光を放つ。

「っしゃ! 明るくなった!」

 不完全な充填状態で放った一発目、二発目とは異なり、より高くから、広範囲を照らしている。明るさは日中と同程度。効果も、このまま五分くらいは持続するはずだ。

 脳を撃ち抜かれたモンスターが半透明になって消えていく最中、その体を押しのけるように、一気に六体が群がってくる。

「来やがれ! 何体相手でも余裕で……」

「ぷみゅみゅう! ぷみゅっ! ぷみゅ!」

「だあああぁぁぁっ! その声はやめろぉ~っ!」

 大きく振るわれた剣は、空振りしたかに見えた。しかし次の瞬間、ロドニーの近くにいた一体と、そのすぐ後ろにいた一体、そのさらに後ろの離れた場所にいた一体が、同時に倒れた。いや、倒れたというよりは、崩れたというほうが正しいだろうか。モンスターたちは上半身と下半身を切り離され、落下した上半身のみでモゾモゾと這っている。

 ロドニーはもう一度、剣を大きく振るう。刃はモンスターの身体には届いていない。だが――。

「みゅ?」

「ぷみ?」

「み……」

 三体の首が同時に飛んだ。その他の個体は、事態を把握できずに棒立ちになった。その隙をつかぬ手はない。

 目にも止まらぬ早業で、残る個体を次々と仕留めていく。一体、また一体と倒れ、姿は透けていき、三分が過ぎたころには、すべてのモンスターが姿を消していた。

 その間、マルコは何もできなかった。

(レベルが違いすぎる……)

 巻き添えを食わぬよう、防御壁を展開するだけで精一杯だった。戦いに参加することはおろか、ロドニーの動きが速すぎて、サポートにすら入れない。これが『特務部隊』の実力かと、密かに身震いする。

「おう、マルコ。大丈夫だったか?」

 振り返るロドニーは、少年のような声と顔で、爽やかに尋ねてくる。つい数秒前まで鬼神のごとき様相だったことなど、まるで感じさせない。

「え、ええ。おかげさまで……」

 服に着いた土を払い、平静を装った。何とはなしに、この気持ちを悟られたくない。

「馬車から跳んだとき、どっか打たなかったか?」

「大丈夫です。跳躍と同時に、自分にも《銀の鎧》を使いましたから」

「マジかよ! あの一瞬で⁉ ホントすげえなお前! 尊敬するぜ!」

「い、いえ、そんな。それほどでは……」

「それほどのことだって! 俺、防御系苦手だからさ。自分に出来ないことが出来るやつ見ると、本気でスゲエなって思うんだ。あ、そうだ。ほら、さっきの続き」

「え?」

「だから、さっきの。マルコ、俺たち、いい友達になれると思うぜ」

「……あ!」

 差し出された手を見て、マルコはまた、自分に植え付けられた『何の役にも立たないプライド』に気が付いた。

 何もかもこなせる完璧な人間などいない。自分に出来ないことや素晴らしい技量には、惜しみない賞賛を送れば良いのだ。そしてもし自分が賞賛されたなら、素直に胸を張って、こう言えば良い。

「その……ありがとうございます!」

 マルコは笑顔で、ロドニーの手を取った。

 そう、どうせ誇りを持つなら、長所に対してのみでいい。人に誇れる長所があれば、どんな欠点や短所があっても、そのことで卑屈に振る舞う必要も無いのだから。

「普通そこ、ありがとうじゃなくてヨロシクなんじゃ……んー、ま、いっか! じゃ、俺も、よくわかんねーけどありがとう!」

 互いの目を見て、爆笑した。

 こんなふうに笑うのはいつ以来だろう。マルコは凝り固まった自分の心が、とても自然に解けてゆくのを感じていた。




 それからしばらく、二人は何度か《照明弾》を上げ直し、現場の状態を調査した。だが死体が消えてしまうせいで、戦闘時に荒れた牧草以外、なんの痕跡も残されていない。

「ん~……確かにこの辺、モンスターの血液浸み込んでたよな? 土中の成分分析やれば、なんか出るかもしれねえけど……」

「支部の者が簡易検査キットを持参するはずです。王立大学の分析装置ほどの精度は望めませんが、大まかな判定なら出来ると思います」

「そうだな。じゃ、到着するまで別のところ調べるか」

「はい」

 さすがにこれだけ明るくしていれば、騎士団支部も気付くだろう。そう思っていたのだが、待てど暮らせど、支部から人が来る気配はない。

「お前んとこの連中大丈夫か? 中央だったら、照明弾なんか撃ったら五分後には厳戒令出てるぜ?」

 中央ことセントラルシティは、町の中心に王宮を据えたこの国の首都。当然、警備は最も厳しく、治安は最高に良い。そんな町で、特務部隊の特殊装備品から《照明弾》が打ち上げられたらどうなるか。

 広域型の夜間照明を必要とする異常事態とみなされ、一般市民には外出禁止が言い渡される。騎士団員および貴族の私兵隊には武装状態での待機命令が発せられ、町会長や商工会長には、自警団を使って街路の安全確認を行うよう指示が出される。

 とにかく、何事も発生していなければ使用されないモノである。使われたからには警戒する。これが当たり前の反応なのだが――。

「おかしい……この位置なら、支部の見張り櫓からよく見えるはずですのに……」

「なんかあったかな? ……お?」

「あ、やっと来ましたね」

 牧草地帯の一本道を、一頭の馬が駆けてくる。騎乗しているのはマルコと同じ紺のジャケットと白のパンツの男。まだ顔が分かるような距離ではないが、治安維持部隊所属であることは確認できる。

「あれ? でも一人しかいねえぞ? 変じゃねえか?」

「ええ。現場に出る際は、安全のために最低二名以上の班を組む規則になっております。いったいどうしたと……」

 なにせ広大な牧草地。姿が見えてから到着まで、馬を全力で走らせても二分以上かかった。

 その支部員は馬を下りてマルコの顔を見るなり、今にも泣き出しそうな声で報告する。

「ご、ご報告いたします! 今から三十分ほど前、エデル市内にモンスターが出現いたしました! モンスターは、その……人を食っています!」

「なんだって⁉」

「どうにか市民ホールまで誘導し、魔法を使える者たちが、総出で結界を張っております! ですが、マスタークラスの術者は一人もおりません! マルコ様、どうかお早く! あれが外に出てしまったら、我々では止められません!」

「分かった、ただちに向かう! ハドソンさん!」

「おうよ! ゴーレムホース、バージョン《ペガサス》! 起動せよ!」

 ポケットから取り出した呪符に魔力を込める。と、名刺大のカードは見る間に大きくなり、馬へと変ずる。これはゴーレムホースの中でも特にレアな特注品。背中に翼の生えたペガサスタイプである。

「こ、これは……」

「乗れマルコ! 飛んでったほうが早いだろ!」

「え、ええ。それはそうなのですが……なぜピンク色なのです……?」

「呪符職人が材料費ケチってフラミンゴの羽根を合成しやがったんだよ! 俺だって好きでこんなファンシーなの使ってるわけじゃねえからな! 勘違いするなよ!」

「あ、は、はい、安心しました。いや、それにしても、ピンクのペガサスに男二人で……」

「色は気にすんなっつーの! いいから行くぞ!」

 キレ気味のロドニーと狼狽えるマルコ。表情こそ違えど、どちらも激しく赤面しながら、ピンクのペガサスで飛び立っていった。

 取り残された支部員は、その様子をうっとりとした目で見つめている。

「イケメンが二人、星空のランデブー……はあぁ~ん、ス・テ・キ~❤」

 支部の中にも危険なモンスターがいることを、マルコは知らない。


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