そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,01 / Chapter 05〉
騎士団支部に到着し、支部長、副支部長らへの挨拶を終えたロドニーは、支部内の宿舎にいた。砕けた口調とおどけた態度は下町育ちの労働者のようだが、彼はこれでも貴族の子弟。他の特務部隊員と異なり、遠征先で宿や食事を提供してもらえる確率は高い。今回も運良く、友好的な歓迎を受けることができた。
宿泊場所としてあてがわれた部屋に入り、荷物を下ろす。上着を脱ぎ、何気なくベッドに腰掛けたその瞬間。これまで堪えていた移動のダメージが噴出した。
「う……」
突然顔色を変えるロドニーに、案内役のマルコは不安げに尋ねた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「い、いやぁ、その……駅からここまで、乗合馬車が運休でよぉ。ゴーレムホース使ったもんだから、ケツの皮が、ちょっと……」
「ええっ⁉ なんという無茶をされるのですか! すぐに治して……差し上げたいのですが、ええと……服の上からですと、多少痛みが残るかもしれませんが……?」
何しろ場所が悪い。出会って間もない赤の他人に擦り剥けた尻の皮を見せられるほど、ロドニーの羞恥心は薄弱でなかった。
「うん、ありがとう、それでいいから……」
ヨレヨレとした動作で俯せになり、マルコの治療を受ける。
「悪いな、ホント。初対面のやつに、いきなりこんなことさせて……」
「どうぞお気になさらず。こうまでして駆けつけてくださったおかげで、私は命を救われました」
「いやいやそんな大袈裟な。お前、俺が割って入らなきゃ、魔法で防壁張って耐えるつもりだったろ?」
「あ、はい。たしかに、そのつもりでしたが……」
「邪魔して悪かったな。お前の腕なら、あのモンスターが体力使い果たして自滅するまで防ぎきれたよな……」
「いえ、邪魔だなんて! 私一人ならともかく、トマスさんは高齢で、あの怪我でした。ハドソンさんが駆けつけてくださらなかったら、危険な状態になっていたはずです!」
「ありがとよ。そう言ってもらえると、余計なことじゃなかったって思えるぜ」
「事実、余計なことではありませんでしたから。あの、それより、なぜお分かりに? 私が防御を得意としていることは、あまり知られてはいないと思うのですが……」
「んー、まあ、アレだ。お前の個人情報は知らねえけどよ、治癒魔法の腕を上げると、どうしても攻撃系が使えなくなるんだ。魔法属性の問題らしいんだけど、あんまり周知されてねえからな。けっこうみんな、知らずに両方やろうとしてるんだよな……」
「あの……それは本当ですか? 努力が足りないせいではなく?」
「ああ。中央のほうじゃ、かなり研究が進んでるからな。そろそろ魔法学の教科書にも載るって話だぜ?」
「なんと……教科書に掲載されるほどとは……」
「だから最近じゃ、治療の上手い奴はいくら練習しても上達しねえ攻撃系を諦めて、防御と補助的な魔法のスキルを磨いてるぜ。お前もそっちのタイプだろ?」
「は、はい。一応、攻撃系も諦めてはいないのですが、どうしても中級より先に進めなくて……」
「いいんじゃねえか?」
「え?」
「無理に短所を克服することなんかねえって。そんなことしてる間があったら、長所のほうを伸ばしたほうが良いと思うぜ」
「……初めて言われました」
「うん?」
「短所があってはいけない、何でもこなせなければ、と。これまでずっと、そう言われて参りました」
「まあ、それができるならやればいいと思うけども……無理じゃねえか? 何もかも完璧にできる人間なんて、どこにもいねえだろ?」
「そう……ですよね? いませんよね、そんな人間……」
「おう。そんなモンがいるなら見せてもらいてえよ。つーかさ、人に『完璧にやれ』っていうヤツほど不完全なの、なんでだろうな。人に要求するより、まず自分がやって手本を見せてくれよって感じじゃねーか? ……って、あれ? マルコ? どうしたんだよ、固まっちまって……?」
マルコは神妙な面持ちのまま、何かを必死に考えているようだった。
「あの……ハドソンさん」
「おう?」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「お、おう。彼氏は募集してねえから、それ以外の質問にしてくれよ?」
ロドニーは身構えた。いきなりあらたまって何を言われるのかと警戒したのだが、マルコの質問は予想のはるか上を行っていた。
「最高レベルの魔法障壁、物理防壁、通信妨害を同時展開した状態で、他の術者を完全無力化する呪詛を使用できる方にお心当たりはございますか?」
「どんな超人だソレ!」
通常、同時に使用できる呪文は二種類まで。それも比較的簡単な魔法同士の組み合わせに限られる。マスタークラスの術者ならば三種以上の同時使用も可能だが、それでも、最高レベルの魔法を組み合わせることは出来ない。
「え? 何その質問? お前、そういう知り合いいるの?」
「兄です」
「はあっ⁉」
「兄の部屋には誰も入れないのです。扉を破壊すべく《火炎弾》を放ってみたこともありますが、完全に防がれてしまって……」
「家ん中でそんなもん撃つなよ!」
「ええ、今にして思えばそうなのですが、あの時はそれでムキになってしまって……魔法が駄目ならば物理攻撃をと思い、ダイナマイトをセットして発破を試みたのですが、それも全く効かず……」
「いやあのだからおうちの中で……うん。まあ、やっちゃったもんは仕方ナイヨネー……」
しかしこれだけでは魔法障壁と物理防壁が同時展開されているとは言い切れない。一種類ずつ使用した可能性もある。だがマルコは、なおも物騒な話を続ける。
「魔法攻撃をしつつ物理的打撃を与えればどうかと思い、《冷凍弾》を撃ちながらチェーンソーで斬りつけてみたのですが、扉には傷一つ付かず……」
「お前それ、引き籠りの人を外に出すには最悪の方法だと思うよ? 普通、怖くて出て来なくなるよ?」
「はい。今にして思えばそんな気もするのですが、やはりその、ここで引き下がったら負けだと思いまして。属性違いであらゆる手段を試していくうちに、兄の防御スキルにも磨きがかかり……今では、先ほど述べたような最強の防御網を構築されてしまわれました。もう私の攻撃ではどうにもなりません。通信妨害のせいで《雲雀》は中に入れませんし……」
「ん? ちょっと待て? 通信妨害まであるのか? 確かな話なんだよな、それ」
「はい。いつ、どのようなタイミングで《雲雀》を飛ばしても、兄の部屋にだけは絶対に入れません」
「お前からの連絡だけじゃなくて、誰が飛ばしても?」
「そのようです。家臣らや、この支部の仲間たちにも協力してもらいました。五十七名がかりで三日間、二十四時間アタックし続けましたが、一羽たりとも中には入れず……」
「おかしいだろ、それ!」
「いえ、防御系魔法は就寝中でも発動し続けるものですし、一日に何度か掛け直せば……」
「そっちじゃなくて! 《雲雀》も通れないほどの通信妨害があるなら、お前の兄貴、どうやって呪符を買ったんだ? 本当に一歩も出てきてねえんだろ? だったら、裏ルートで禁制呪符を入手するツテなんか持ってねえだろ!」
「……そういえば、そうですね……?」
「お前のうちで、実際に金の管理してるのは? さっき連絡してたばあやか? それとも、執事か?」
「いえ、金銭の管理には会計士を雇っています。三人でそれぞれを監視する体制を取っておりますので、勝手なことはできないはずです」
「なら、他に大金を動かせそうなのは? 子爵家の公金に手を付けなくても、惜しげもなくポンと金貨を放れるようなヤツ。この辺りで、そういう立場の人間は?」
「そんな人物は誰も……いえ、一人、心当たりが」
「誰だ?」
「義母です。兄にとっては実の親ですが、私がクエンティン家に入る前から、もう別居状態でした。あまり記憶には無いのですが、父とは、両家の財産と地位を目的とした政略結婚だったはずです」
「その母ちゃん、今どこで何してる?」
「実家のほうで、事実上の再婚状態であると聞き及んでおりますが?」
「ってことは、お前の親父さんとの離婚は成立してないんだな?」
「はい。やはり貴族が離婚するとなると、世間体などの問題もありますし。周囲から反対されて、別居状態のまま二十年以上……」
「ぶっちゃけトークで答えてほしいんだけどよ。その女、自分の子供を愛してると思うか?」
「……それは……」
愛人の子にそれを問うのも酷な話である。だが、ロドニーは構わず訊いた。これを確認しないことには、話を進めることができない。
マルコは眉間にしわを寄せ、しばし考えた。これまでの兄の様子や、使用人たちの態度、家に届いた郵便物のことなどを思い出す。新年の挨拶、年中行事、茶会や夜会への招待状、誕生会の知らせ――。クエンティン家に届いたあらゆる封書の中に、兄に宛てられた物はいくつあっただろう。そしてその送り主の中に、義母の名はあっただろうか。
思案すること三十秒。マルコは、重苦しい表情で結論を述べる。
「義母は、兄を厭うておられます。ご自分の子と、お認めになっていないのだと思います」
この答えに、ロドニーは「やっぱりな」と呟いた。地位と財産を条件とする愛の無い結婚。義務として行う単純作業めいた子作り。産んだ子を残しての別居。残念なことに、これは貴族にとってはありがちな、珍しくもなんともない家庭崩壊の形である。特務部隊員として駆り出された『機密案件』のほとんどが、このようなトラブルを抱えた家で発生している。
ロドニーはベッドから起き上がると、痛みの引いた尻をさすりながら苦笑した。
「スッゲー楽になった、ありがとよ」
「いえ、完治には至らず、申し訳なく思います」
「こんだけ治れば十分だって。それじゃあ俺、とりあえずそのお母ちゃんのところに突撃家庭訪問してみるわ」
「え? なぜですか?」
「なぜって、そりゃあお前の兄貴が爵位に着いたら困る人間って、その女が最有力候補じゃねえか。新子爵の実母が、爵位継承式の直後に先代子爵との離婚を成立させて、間も置かずに次の男と再婚なんて……周りが止めるだろ? お前は『どうぞご自由に』って言えるか?」
「い、いえ……それは私も止めると思います。いくらなんでも、それではあまりに世間体が……」
「だろ? でもよ、そうなるとその女、もうこの先一生再婚できなくなるんだぜ? 意識不明でも何でも、本人が存命中なら旦那と離婚・次の男と再婚ってステップも踏めるけど、この状態のままお前の親父さんが息を引き取ったら? 言いたかねえけど、もう、いつポックリ逝ってもおかしくねえ状態なんだろ? そうなっちまったら、その女の肩書は?」
「……なるほど。ええ、確かに……その場合、彼女はこの先、一生涯子爵夫人のままです。夫が他界している以上、再婚も、法的には認められますが……」
「何年経っても、何十年経っても、子爵夫人という肩書がある限りクエンティン家の影響力からは逃れられない。家臣から横槍が入って、『家の名を穢す行為』として再婚は阻止され続ける。……それってさ、はっきり言って地獄じゃねえか?」
「……地獄……です、か?」
ロドニーの言葉に、マルコはハッとされられた。
父と、兄と、自分。物心ついた時から、家族といえばこの三人のことだった。マルコが考える『クエンティン家』とはこの三人で、家の名誉も伝統も格式も、全てこの三人のために存在していた。自分の産みの親は、兄の母とその実家は、いったいどんな気持ちでクエンティン家と関わっていたのだろう。
優しいばあや、有能な執事、忠実な家臣たち――彼らの支えで、自分は、汚いものや凄惨な現実を一切目にすることなく育ってきた。しかしそれは、自分の立ち位置からは見えなかっただけのこと。実際には、どこかで誰かが、今この瞬間も苦しんでいる。
彼らを苦しめているのは、他ならぬ自分たち。
マルコはその事実に、横っ面を張り倒された気がした。
「……ハドソンさん。私は、なんと愚かなのでしょう。これまで考えたこともありませんでした。クエンティン家の名と、世間体ばかり大事にして……家の名も、世間の目も、彼女の尊厳を踏みにじる言い訳にはなりませんのに……」
マルコは唇を戦慄かせていた。知らなかったのだ。貴族の子弟としての教育を受けた彼には、庶民が当たり前に持っている『個人の幸せ』という概念が無かった。
その概念に、彼は今、気付いてしまった。
「私は……私はこれまで、なんということを!」
クエンティン家の名に恥じぬよう、完璧な人間であれ。そう望まれ、振る舞ってきたつもりだった。
兄が爵位を継ぎ、自分は騎士として領地と領民を守ってゆく。その言葉は嘘ではないし、誰かに押し付けられた目標でもない。
それが何だ。どこが完璧だ。領民を守るどころか、たった一人の女性の人生すら守れていないではないか!
マルコの胸に、これまで一度も感じたことが無い、熱い感情が沸き起こる。その気持ちは、まさに燃え盛る炎のようだった。学校の教員や家庭教師から聴かされたものとはまるで違う。教科書にも参考書にも載っていない、もっと純度の高い『正義』の心が――。
「ハドソンさん」
「おう、なんだ?」
ロドニーはニヤリと笑った。マルコの反応には覚えがある。これは、『本当のこと』に気付いてしまった人間の顔だ。
「先ほどの打ち合わせ、変更させていただいてよろしいでしょうか?」
「どのへんを?」
「式典で述べる口上に、付け加えたい文言がございます」
「大方の予想はつくけど、一応聞いておくぜ。なんて言う?」
マルコはやや間をおいて、大きく息を吸い込む。そしてその言葉を、一気に読み上げた。
「先代子爵に意識回復の見込みが無いため、息子ジェフロワが、代理として両親の離婚手続きを行うことを宣言します。先代子爵とその妻が別居状態に陥り、既に二十年以上が経過。二人は事実上の離婚状態にあります。子爵家から離れれば、彼女は一切の相続権を失います。これは子爵家の財産を守るために必要な措置であることをご理解ください」
「……財産を守るため、か。うまい言い方だな。そう言われちゃ、家臣団は反論しにくいな」
「ええ……これまでクエンティン子爵領では、別居のことも、兄が引き籠っていることも、全てタブーとされてきました。ですが、隠そうとするから羞恥心が肥大し、余計に言い出しづらい状況が出来上がっていくのです。せっかくの代替わりです。事実をありのままに述べ、全てさらけ出し、なにもかも清算してしまいたいと思います。……いかがでしょうか?」
「いいと思うぜ、そういうの。俺は好きだな。けど、それをやるためには、兄貴とそのお母ちゃんに話を通しておかねえとな」
「はい。ですから、ご一緒させてください。私も、義母に直接会ってお話ししたいのです」
「おう、そりゃあ構わねえけど……出掛ける前に一つ。お前、モンスターの出現場所がクエンティンの屋敷じゃなくて、家からものすごく離れた畑や農道だったこと、どう思う?」
「え?」
突然の話題の転換に、マルコは即座に答えを返せない。
「お前の兄貴は呪符なんか買ってないと思う。現状、最有力容疑者は母親のほうだ。禁制呪符を購入するくらいの金は持っている。でもそうなると、変だよな? 自分の人生の最大の障害を取り除きたいなら、直接刺客を送り込むのが筋ってモンだろ?」
「……確かに、辻褄が合いませんが……」
「そこで、さっきのお前の話だ。お前の兄貴は防御系魔法の達人。家の中……いや、家の近くにモンスターを送り込まれても、全部防いでいるはずだ」
「いえ、ですが、防壁を張っただけでは何キロも離れた場所にモンスターを追いやることはできないはずですし……」
「通信妨害と魔法障壁を組み合わせると、召喚呪符の座標指定を強制変更できるんだぜ?」
「えっ? そうなのですか?」
「ああ。理論上はな。実際に成功した事例は確認されてねえけど……お前、ばあやに仕事の時間教えてるよな? さっき《雲雀》使ったときに、『まだお仕事中』って言われてたろ? 支部の勤務時間って、シフト制で日によって違うはずだよな?」
「え、ええ。勤務時間そのものは機密には指定されておりませんし、家の者にも伝えておりますが……あの、だとすると、まさか……」
「お前の兄貴、ちゃんと狙って転送してるかもしれねえ。これまでにモンスターが出現した場所、資料で見たけどよ。騎士団の巡回ルートから百メートル以上離れていた事例はねぇだろ? 運良く村の見回り中に発見できました、ってパターンばっかりで。時間が何分かズレてたら、絶対に遭遇できねえはずなのによ」
「……まさか兄上は、自分に差し向けられた刺客を利用して、私を殺そうと……?」
「かもしれねえし、本当にただの偶然かもしれない。けど、できることなら、最悪な可能性のほうを念頭に置いて行動してほしい。でないと、いざというときに対処が遅れる」
ロドニーの声も、目も、真剣そのものである。
これは命に係わること。一瞬の気の迷いが、死に直結する。
マルコの耳に、ロドニーの心の声はしっかり届いた。
「分かりました。常に警戒を怠らないようにいたします」
「よし。じゃ、行こうぜ」
「はい! あの、ですが! 馬車を用意させますので、少々お待ちを!」
「ん? ……その母ちゃんの家って、近所じゃねえのか……?」
「領内ではありますが、ゴーレムホースで向かうには難儀な場所かと……」
「……尻の皮、剥けちゃう?」
「はい。それはもう、確実に」
「えーと……ここで大人しく待ってるね?」
「はい……」
双方、これでも真面目にやっている。やっているのだが、しかし。どうにも締まらないやりとりであることは否めなかった。




