彼女
僕の中で何かが壊れた、と思った
何が壊れた、とか、そんなことはわからなかった
ただ、自分の世界から何かが消え去ったことだけは確かだった
高校生のとき、憧れていた先輩がいた
僕らは同じ演劇部の部員で、先輩は僕より2つ年上だった
彼女の演技はいつだっていきいきとしていた
その演技から、彼女がどれほど演劇を愛しているかがわかった
彼女が演劇の話をするときの笑顔は、まるで太陽のようだった
卒業するとき、彼女は言った
私は舞台俳優になるの、と
彼女が卒業してから、僕らは一度も会わなかった
ずっとずっと会いたくて、心の片隅に彼女との思い出を温め続けていた
時折、何かの拍子に彼女の笑顔がまぶたの裏に浮かんだ
気が付くと、僕は高校を卒業して、大学に入っていた
大学を出ると、適当なところに就職し
職場で出会った、綺麗な女性と結婚した
幸せだった
ごく普通に
それでもまだ
彼女のことが忘れられなかった
そんなある日のことだった
十数年ぶりに、彼女に出くわした
街中で、突然声をかけられた
しかし、僕ははじめ、それが誰だかわからなかった
あれだけ会いたいと思っていたひとだったが、彼女はあまりにも変わりすぎていた
すっかりやせ細った彼女に、昔の太陽のような輝いた笑顔はなかった
別人のようだ、と思った
演劇という名の吸血鬼に、自らの血を捧げ続けたからだろう
僕が、心の中で温め続けていた人
恋心とも、尊敬とも区別しがたい、憧れたひと
でも、彼女はもういない
昔の彼女は死んだのだ、と思った
僕の中で何かが壊れた、と思った
何が壊れた、とか、そんなことはわからなかった
ただ、自分の世界から何かが消え去ったことだけは確かだった
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