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ワタルの帰国直前篇。
長くなったので、幾つかに分けます。
◇ ◇ ◇
イギリス・ケンブリッジ大学に程近い、貴族達のセカンドハウスが並ぶ一角。
木々が並ぶ奥深くに一際古く雰囲気のある屋敷が建っていた。
屋敷の中でも最奥の広間。
目の前に広々としたイギリス庭園を望める2階、バロック調の一辺が10m以上はある広間の片隅には、いくつかのデスクが備えつけられていた。
装飾過多なデスクには合わない、無骨なPCを前に数人の若者が暗い表情で仕事に打ち込んでいた。
カチャカチャ打っているキーボード音の他は一切の沈黙が漂う重苦しい空間を、一つの携帯バイブ音が切り裂いた。
――ブーン、ブーン、ブーン
「あ? 誰んだ?」
重苦しい結果に終わった仕事が一段落し、報告書を書いていたゲオハルトが顔をあげる。
ゲオハルトは室内の皆を見回すが、疲れた表情を浮かべつつ誰もが首を振る。
「緊急コールだったら、知らねぇぞ?
ボスがマジ切れる」
――ブーン、ブーン、ブーン。ブーン、ブーン、ブーン……
「と言うより、長くありません?
20回以上コールしてますわよ?」
疲れ沈んだ表情をしていたサラが、充血した碧の瞳を擦りながらパソコンから目を離す。
「だなー」
アンリがくしゃくしゃなカールしている金髪を、さらに掻き回す。
未だに鳴り続ける音に、皆が首を傾げた。
その時「カチャリ」と、旧式な入口の扉が開く。
一斉に室内三人の視線が、マグカップを持って入ってきた男、亘に向けられた。
「え? 何?」
装飾過多な扉を丁寧に閉めながら、亘は皆を見回す。
「ワタル!
報告は?」
アンリの言葉に、亘は入口から遠い執務机エリアに歩み寄りつつ肩を竦める。
「まあ、怒られたよ。
5賢者の一人であるオレがいたにも関わらず、犠牲者が出たからなぁ」
重苦しいため息をついた亘は、足を止めて既に朝を迎えた外界に目をやる。
「ですが、初期の報告と状況は全く違いましたわ!
ワタルさんが責を全て負うのは少し違いませんこと?!」
サラは憤慨の声を上げ、立ち上がった。
言葉を続けようとするサラを、ゲオハルトは手のひらで制す。
「その話はもーちっと落ち着いてからにしようぜ。
てかワタル。
お前んじゃね、携帯?
まだ鳴ってるぜ?」
3分以上コールを鳴らし続けるバイブ音を示す。
「長いよなぁ」
ヤル気が失せたアンリは、背もたれに体重を預け椅子を揺らしながら笑う。
「いつから鳴ってるんだ?」
執務エリアに辿り着いた亘は、確かに響いているバイブ音に気付き、机下の鞄を探る。
「あ~、三分は鳴ってんじゃね?」
「はぁ?」
ゲオハルトの言葉に思わず疑問の声を上げたが、探り当てた携帯の着信相手標示を見た亘は激しく脱力した。
「ゴメン、オレだ」
ため息をつき、時間を確かめる。
朝の8時20分過ぎを指す時計に時差を換算してから、通話ボタンを押す。
「ゴメン、待たせたよね、叔父さん」
突然日本語を話はじめた亘が談話エリアに足を向けたのを境に、三人は顔を見合わす。
「誰だぁ?
女か?!」
「妙に優しい口調だったね」
ゲオハルトとアンリがにやりと笑いあうが、サラが肩を竦めた。
「日本語で『オジサン』と、ワタルは言っていました。
『オジサン』とは、英語で「叔父」を指す言葉。
おわかりになりますでしょ?」
サラは目の前のパソコン画面を覗いて、深いため息をつく。
「「……あ~」」
ワタルとは幼い頃からの長い付き合いである三人だ。
ワタルには叔父しかおらず、ワタル自身が叔父に深い敬愛の情を持つことも。
「あの叔父さんなら、わかるわ」
アンリは呆れつつ、鳴り続けた携帯の呼び出しに深く納得する。
アンリの言葉に頷き、ゲオハルトはにこやかなワタルを眺めた。
「まあ、アノ仕事上がりだろ。
ワタルに一番負担が大きかったし。
気分転換にちょうど良かったんじゃね?」
まあな、と頷くアンリを横目に、サラは立ち上がった。
「私達も一息つきましょう?
根を詰め過ぎても、良いことありませんもの。
お二人とも、アールグレイで宜しくて?」
各々の仕草で了承する二人を確認してから、サラは談話エリアを通り抜け室外に向かう。
ワタルの傍を通り過ぎる瞬間、ワタルが眉をひそめていることに不吉な予感がした。
――パタリと閉じた扉に凭れかかり、サラは天井を仰いだ。
感じた予感が、現実にならないことを願いながら。