第四章「初めて抱く恋心ー光ー」
青葉の導きと桜の想いを、
どうか優しく見守ってください。
「後悔や苦しみだけを、桜さんに残すなんてできないよ。想いを伝えるかどうかは桜さん次第だけど。もう一度、あの恋を始めた場所で先生ときちんと向き合ってほしい」
「同感だ」
シンは一言だけ呟く。
そして、青葉と共に祈り始めた。
それは、遠くて暗く、今にも見えなくなりそうな不安を抱いた桜のもとへ。
市村が学校を去る日が来た。
教室では、残念がる生徒たちが市村を囲む。
「いっちー、卒業式には来てよ」
「居なくなると寂しいな」
そんな生徒たちを前に、いつも通り接する市村も、どこか寂しそうだった。
桜は友人と話をしていたが、遠目で市村を見ていた。
授業開始前、着席を促した市村は生徒へ感謝の想いを伝え始めた。
桜は教卓で話す市村を見るのが辛かった。
「今日で最後……。明日からは先生が居ないことが当たり前になるんだ。そうしたらきっと、この気持ちも消えて無くなる」
桜は、市村が代理講師を終えると告げた日からずっと、この想いを消すことだけを願っていた。
市村は生徒全員へ感謝を述べ、自身の好きな花の種を、メッセージカードと共に一人ひとりに配る。
桜の席へ近づく市村の動きに、胸は張り裂けそうに締め付けられる。
「中原、ありがとう」
市村は桜に種袋とカードを渡し、優しく微笑みかけた。
胸の苦しみが、より一層増していく。
桜は堪えきれず、涙が頬を伝う。
即座に下を向き、言える言葉はただひとつだけだった。
「……どうも」
小さな声に込められた感謝と、胸のざわめき。
表情には隠せない動揺があったが、桜自身もその気持ちの大きさに驚いていた。
ほんの一瞬、世界が静止したかのように、青葉の祈りと桜の想いがそっと重なった。
市村は全員へ配り終えると、復帰した教師へ笑顔でバトンタッチし、教室を後にした。
その日の放課後、桜は教室から出られなかった。
市村への想いを、学校を出たら断ち切ると強く決めていたからだった。
窓の外からは、野球部の威勢の良い掛け声と吹奏楽部の音楽。
それは、あの日の記憶を鮮明に想い起こさせた。
「……先生」
何度も後悔はあった。
桜は胸の奥で、ふんわりと優しい光に背中を押される感覚を感じた。
自然と足は花壇へ向かい、階段を駆け下りる。
夢中で走ったのは、生まれて初めてのことだった。
息を切らせながら花壇に着くと、夕日に照らされたマリーゴールドが静かに咲き終えようとしていた。
桜は自分と重ねて、ただ見つめる。
「中原!」
声に振り向くと、市村が側へ駆け寄ってきた。
「マリーゴールドを見に来てくれたのか?頑張って手入れしたんだけど、もう仕事を終えようとしてるね。これを見て、リラックスできたって言ってくれる生徒もたくさんいて、本当に感謝だよ」
優しく花に触れる市村に、桜の胸はさらに締め付けられる。
「先生が一番好きな花って、マリーゴールドなんですか?」
桜も花を見つめながら問いかける。
「マリーゴールドは好きだけど、一番って言われたら……サクラかな」
桜の胸は一気に高鳴る。
自分のことではないと分かっていても、鼓動は早くなる一方だった。
「家のすぐ前に青柳公園って小さな公園があるんだけど、そこに小さなソメイヨシノの樹が一本だけあってね。年々大きくなって立派に成長したんだ。僕は子供の頃、少し病弱だったから、毎年そのサクラに元気をもらっていてね。共に育ったって言ったら大袈裟かもしれないけど、大切で大好きな花なんだよ。そこから色んな花に興味を持つようにもなったんだ」
桜は、優しい表情で話す市村が眩しく見えて、直視できずにいた。
市村は続ける。
「毎年、そのサクラが咲くのを蕾からずっと見守ってたんだけど、小学生の時にクラスメイトから『男が花を好きなんてダサい!』とか言われちゃってね。最初はショックで落ち込んだけど、嘘でも嫌いになれないし、そのうち『好きなんだから仕方ない』って思うようになったんだ。蕾が懸命に花開こうとする姿は、感動するんだよ。何でもそうだけど、夢中で好きになるって心で感じるものだし、理屈じゃないんだ」
市村の言葉に、桜を覆う暗闇が、風に乗って舞う花びらのように軽くなった。
「大切な気持ちに嘘ついちゃだめなんだ……大事に持っていて良いんだ」
気づくと、桜は笑っていた。
市村は最近元気がない桜をずっと気にして見守ってきたが、最後に笑顔を見れて安堵と幸福感に包まれた。
卒業までの間、花壇の手入れを引き継ぐ約束を交わし、桜は市村に感謝を伝えて学校を後にした。
胸に、大切な想いの樹を残してーー
青葉は部屋のベッドへ勢いよく倒れ込んだ。
極度の疲労感と、達成感に似た感覚があった。
「本当に良かった」
「よい顔をしているな」
シンは青葉を誇らしく思った。
そして、続きは任せろと含み笑いを浮かべた。
不思議そうに首をかしげる青葉――その胸には、次の祈りへの期待が小さく灯っていた。




