表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様代行ー心優しき少女と傷ついた神の契約ー  作者: みい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/28

第五章「母の祈りー光芒ー」

誰かの声がした。

水の底から呼ばれているような、かすかな響きだった。


――お母さん。


――清江さん……。


沈んでいた意識が、ゆっくりと浮かび上がっていく。


まぶたを開けると、白い天井が滲んで見えた。


点滴のチューブが腕を伝い、微かな機械音が静寂を刻んでいる。


枕元には、由美と美亜が並んでいた。


二人とも泣き腫らしたような顔で、それでも笑おうとしていた。


「よかった…」


由美の声が震え、清江の手を強く握る。

その温もりが、どんな薬よりも深く身体に沁みていく。


何かを言おうとしたが、喉が詰まり、言葉よりも先に涙がこぼれた。


この手のぬくもりを、どれほど夢見てきただろう――。




子を持つことを諦めたあの日から、胸の奥に残り続けた痛み。


誰かを抱きしめる未来など、自分にはもう訪れないと信じていた。


けれど今、目の前にいる。


血のつながりを越えて、確かに自分の心に宿った“家族”が。


清江はそっと、由美と美亜の手を包み込んだ。


涙が頬を伝いながら、静かに笑みを浮かべる。


――あのとき、私は何を手放し、何を願ったのだろう。


閉じかけた瞳の奥に、あの日の記憶がゆっくりと甦っていく。



春の光の中、病室の窓辺に咲いていた小さな花。

そして、差し出された書類と、震える自分の手――。


記憶の扉が、静かに開いていった。






あの春の日、窓の外には淡い桜が揺れていた。


手術のあと、霞む意識の中で聞こえたのは医師の穏やかな声。


――子宮は摘出しました。もう、お子さんを持つことは難しいでしょう。


枕元で手を握る夫・光彦の顔を見た。


言葉を失った彼の目に浮かぶ涙が、やけに遠く見えた。


それでも光彦は清江をそっと抱きしめ、共に生きようとした。


それからの日々、光彦は変わらず優しかった。

けれど、その優しさが清江の胸を締め付けた。


松浦家の空気は冷たく重く、跡取りを望む沈黙が絶えなかった。


食卓で交わされる何気ない会話にも、自分の名がない。


微笑みの裏に潜む沈黙が、何よりも辛かった。


夜、眠れぬまま胸に手を当て、隣で眠る光彦の顔を見つめた。

そして何度も願った――せめて、この人だけは、幸せでいてほしいと。


やがて白紙の離縁届に、震える指で名前を書いた。


光彦の声を聞くこともなく、静かに家を出た。


外は、春の雨が降っていた。


傘もささずに歩く頬を、冷たい雫が伝う。


それが涙なのか雨なのか、もう分からなかった。


それでも、どこかで感じていた。

――この痛みの果てに、いつか誰かを守れる日が来るかもしれない、と。


その願いだけを胸に、清江は雨の街を歩き続けた。






現実へと戻ると、由美と美亜のぬくもりが過去の冷たい雨を溶かしていく。


「……ありがとう」


声にならないその言葉が、微笑みとなってこぼれた。


涙はもう、悲しみではなく、祈りのように流れていた。


その時、様子を見に来た医師が安堵の表情で顔を覗き込む。


「良かった…目が覚めたんですね。どこか痛みなどはありませんか?」


柔らかな声に、清江はゆっくりと首を振った。


「先生、本当にありがとうございました」


由美は立ち上がり、礼を伝える。


美亜も隣で深々と頭を下げた。


「松浦先生、次は三〇二号室の田中さんです」


看護師の呼びかけに、医師は笑顔で応え、清江たちへ一礼して去っていった。


「……松浦」


清江はその名を、遠い記憶の響きのように呟いた。


外はもう夜だった。

病室の窓の外には、静かな月の光が差し込んでいる。


その淡い光が、由美と美亜の後ろ姿をやさしく包み込んでいた。





青葉はその場に座り込み、壁にもたれた。


全身の力が抜けていく。


だがその顔には、疲労よりも確かな達成感があった。


「よく頑張った。青葉は強いな」


シンが労うと、青葉は首を横に振った。


「私が強いんじゃなくて、シンがそうさせてくれてるんだよ」


そう言って笑うと、青葉は夜空を見上げた。


月のそばで瞬く星々が、確かな希望のように瞬いていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ