第89話 仇かカタギか
ある日、クルミはセスタをはじめとした自分に深い関わりのある者を自分の家に呼び寄せた。
「どうした。急を要する事態とはなんだ?」
「悪いんだけどタオル貸してくれない?」
「シエルさん!なんでそんな濡れてるんですか!?」
「子供達と漁に出ていたところに帰還の合図を送ったら、こいつだけ泳いで戻って来たんだ」
びしょ濡れのシエルにタオルの塊を投げ渡すと、クルミは本題に入る。彼女はテーブルの棚から小さな小瓶を取り出した。中には得体の知れない物体が躍動しており、シエルはギョッとした。
「な、何よそれ…」
「マユのバックアップだな」
セスタがその名前を出した瞬間、今まではしゃいでいたシエルが黙り込み、ブレイズから殺気が溢れ出した。
マユとは二人の師であるレイアストをクロウと共に殺した魔女である。しかし孤児村を支えていたクロウとは違い、魔族の味方をする人間なら容赦なく殺すという低俗な魔女だった。
マユは特殊な術を持っていた。それは魂の宿った肉体がやられたとしても、別の場所に肉片さえ残っていればそこへ魂を移すことで復活する事が出来るという強力な物であった。しかし彼女との決戦にて、その魂はアクトナイトによって消滅させられたのだ。
「この肉片は以前まで硬直したままでした。恐らく、マユさんの魂がアクトナイトというメアリスに浄化された時でしょう。それが今になって再度鳴り始めたのです」
「だったらそれを寄越しなさい。今すぐ潰すから」
「待ってください!まずは私の話を聞いてください!」
「どうせ様子を見ようと言うのだろう。俺は賛成できない。どんな形であれそいつはレイアストの仇だ」
クルミはこの肉片を成り行きを一緒に見守って欲しいと頼みたかった。しかしシエルとブレイズがそれを許すはずもなかった。
「し、師匠…」
「クロウと同じだ。マユの事も大して記憶にない。そんな私に擁護する資格はない」
「そんなぁ!?薄情じゃないですか!」
二人の視線が瓶に集まっていた。だがその間に割って入るのがフラリアであった。
「ブレイズ、シエルさん。やり返しなら3年前に果たしたはずじゃないですか。この肉片からマユが蘇ったとしても、今のセスタさん達を見れば考えを改めてくれるかもしれないですよ。ここはクルミさんの言う通り、様子を見た方がいいと思います」
「…分かったわ。だけどこの島に危害を加えるようなら即刻叩き斬るから」
「ブレイズは?」
「右に同じだ」
フラリアはホッと胸を撫で下ろした。
「そういうわけです。瓶はクルミさんの方で保管していただけませんか?この二人に渡すと秒で握り潰してしまいそうなので」
「フラリアさん…ありがとうございます!」
そうして再び動き出したマユの肉片はクルミが見守る事となった。
次の日、瓶の中の肉片は脈打つように震えていた。それを見ていたクルミの元へフラリアが訪れた。
「おはようございます。マユ…さんの調子はどうですか?」
「昨日とは特に変わらず…マユさんの魂が戻って来た時には肉片が瓶の中から出せと言わんばかりに発光して、そこから出す事で復活が完了していたんです…」
しかしここに収まるべき魂は既にこの世になかった。そもそも、昨日までこの肉片は何の動きも見せていなかったそうなのだ。
「…復活するといいですね」
「え?だけどマユさんはあなた達の仲間を──」
「殺しました。だけどそれも過去の事です。どんな形であれ蘇るならそっちの方がいいし、そこから和解できたらもっといいな…こんな事、ブレイズが聞いたら怒るかな」
「…そう言ってもらえると、彼女もきっと喜びます」
しかしその日の内に進展はなかった。
それから数日後、ある事件が起こった。出来上がったばかりの国クロウに一隻の大きな船が近付いて来たのである。
「全員警戒態勢!」
セスタは鍛えた男子達に指示を出した。迎撃の準備が完了すると、シエル、ブレイズ、クルミの3人がリーダー格の子供達と共に小舟に乗って船まで接近した。
「あなた達は一体どこの国から来たんですか?!何の用事があってここに来たんですか!?」
得体の知れない存在に尋ねるにしてももう少し丁寧な言い回しがあっただろうが、伝わったという事でギリギリ及第点である。護衛を務めるシエル達は敵が不審な動きを見せるまで、何もしないつもりでいた。
「敵意はない!我々はアメーカ国の貿易船である!…子供ばかりじゃないか」
「どうしてここに来たんですか?」
「あぁ…先日、この船は海賊に襲撃を喰らってしまった。我々は海賊を追い払う事には成功したものの、多くの水と食糧を失ってしまった!謝礼なら後ほど本国より送る!どうか水と食糧を分けて欲しい!」
「た、大変だ!食糧を奪われたって!」
「急いで助けないと!」
話を聞いた子供達は疑う事もなく船を島に停泊させると、自分達の分が足りなくならないギリギリまで、必要とされている物資を船に運んだ。
「この島に大人はいないのか?」
「クロウは出来上がったばかりの国なんです。大人はセスタ教官とシエルさんの他に数人ほど」
「なるほど…」
子供達と船長が話している位置から少し離れたところには作業を見守るセスタとブレイズがいた。
「気付いたか」
「この船は奴隷船だ。大きさの割に装備と乗組員が少ない。それに清掃しているつもりだろうが、血生臭いは残っている」
セスタは船の中へ物資を運び込む子供達から一度も目を離さなかった。作業後には点呼を取り、愛しい部下が誰一人として誘拐されていないか入念にチェックを行った。
そうして子供達にはその正体を明かさぬまま、奴隷船はクロウから離れていった。奴隷の売買という卑劣極まりない商売人を助けてしまったっと知ったら悩んでしまうだろうと、セスタ達はその事実を告げないことにした。
「マユ…さん?」
奴隷船が来た日の晩、クルミが持っていたマユの破片に異変が起きた。まるで復活する直前のように発光していたのだ。
慌てて瓶の蓋を開けて肉片を落とす。地面に落ちた瞬間に肉片は形を変えて、見覚えのある少女の姿へと変貌を遂げた。
「マ…マユさん!マユさんが蘇った!」
本来なら起こりえるはずのないマユの復活が成し遂げられる。クルミは彼女を背負うと、シエル達の元に連れて行った。
「婚期の方から来ん気ってね~…あら?クルミ」
「皆さん見てください!マユさんが蘇りました!」
それを聞いたシエルとブレイズは剣を持って戦闘態勢に入った。しかしクルミに背負われているマユはボーっとしており、戦う意思どころか自我も感じられなかった。
「待ってください!まだ何もやってません!」
「そうですよ二人とも!様子を見るって約束だったじゃないですか!」
言われずともまだ攻撃するつもりはないが、それでも肉片を見た時よりも強い警戒心は残ったままである。
「私…」
「マユさん?」
「私は…マユ…そう、マユを待ってるの。マユはいつ戻ってくるの?」
言動が妙だった。まるで自分がマユではないというような物言いだった。
「あなたは…マユさんじゃないんですか?」
「違うよ」
クルミが尋ねると、彼女自身はマユではないと否定してしまった。しかしどうして肉体が形成されたのか。セスタがある考察を述べた。
「どういう理由かは分からないが、お前の持っていた肉片は魂を持たないまま今の姿になってしまったのだろう…それかもう戻る事のない魂を待ち焦がれて、人の姿になって探しに行こうとしているのか…バックアップ、私が誰か分かるか?」
「うん、セスタ様…」
「それでは自分が誰かは分かるな?」
「私はマユだけどマユじゃない…私は誰?本当のマユはどこ?」
「お前が待つ魂は既にこの世に残ってない」
「そうなの…じゃあ私、どうすればいいの?」
クルミと近い背丈をしているマユは、まるで物心付いたばかりの幼い子供のようになっていた。
「マユさんはどうしたいですか?」
「分からない…」
魂を持たないマユに害はなさそうだった。このまま様子を見て、能力を診断した後で島作りに参加させる事が決定した。
だが次の日、幼い子供のようだったマユの精神面が大きく変化していた。
「放して!放してよ!」
砂浜では海に向かおうとするマユとそれを止めるクルミがいた。
「待ってください!落ち着いて!」
「マユはいらないの!生きてちゃいけないの!」
「そんな事ありません!あなたは記憶通りのマユさんとは違うんです!」
「違くない!マユはマユ!大勢の人達を殺した事に変わりはないの!」
マユの魔力が上昇する。波が寄せて風が荒れ、砂粒が垂直に浮き上がっていた。
「ちょっと!どうなってるんですか!?」
そこへ偶然通り掛かったフラリアはすぐさまマユを止めに入った。
「マユさんってばどうしちゃったんですか!?」
「近寄らないでよ!もうこうなったら自分でも何するか分かんないわよ!」
「眠ってる間に記憶を遡ったみたいなんです…それで、以前のマユさんに備わっていた強い加虐性を持たない今のマユさんにとってその記憶が物凄く苦痛になってるみたいで…!」
「嫌ぁ!嫌ぁぁぁ!」
荒れるマユの姿を見て、フラリアはかつての戦いを思い出した。
絶体絶命の危機に追い込まれた事で潜在呪文を発現させたマユは、巨大な怪物へと変貌を遂げたのだ。
「マユさん…自分を許してあげてください!」
「そんな事できない!私はあなたみたいな魔族を数えきれないほど殺したのよ!生きてちゃいけないんだ!」
「それでもあなたに生きて欲しい!自分を呪って死ぬなんて悲し過ぎます!」
「私は死にたいの!」
「それでも生きてください!今この時にあなたが蘇った、いや産まれたのには何か意味があるはずです!」
「意味なんてない!」
「ある!絶対にある!」
頬を殴られながらもフラリアは強く叫ぶ。すると今の言葉が効いたのか、マユは暴れるのをやめて彼女の方を向いた。
「本当…?」
「あります!絶対に!それを見つけるためにも生きてください!」
説得を受けたマユは海に沈むのを諦めた。一旦は考え直してくれたようだ。
それからマユはフラリアについて回るようになった。どうやら懐かれたようだ。
「人生って何が起こるか分からない物ね…」
魔族であるフラリアと、その魔族を嫌っていた記憶を持つマユ。その二人が一緒にいることがシエルにはとて奇妙に見えた。
「マユさん、次は木を切るのを手伝ってくれませんか?」
「分かったわ」
オリジナル程ではないが、現在のマユも魔法が使える。彼女は風魔法を起こして、建材にする予定の木を全て切り倒した。
こうして魔法使いの住民が一人増えたクロウは、国としてさらに発展していくのであった。




