第81話 26歳のシエル・ラングリッター
シエル一行が勇者セスタとの戦いを終えて3年が経過した。
フラリアとブレイズは今も孤児村で子ども達を守りながら暮らしている。アクトナイトは勇者セスタを間違った道へ歩ませたツツジの追跡に出てから音沙汰がなく、仲間内では安否不明という扱いだ。
その勇者セスタはクルミに連れられてどこかへ旅立った。彼女が住んでいたアイクラウンドでは当初、勇者失踪の悲報が流れていた。それでも彼女の意志を継いだつもりでいる者達によって、国中の魔族は一人残らず根絶やしにされた。そして3年後、魔族掃討を掲げた勇者はその存在を忘れ去られた。そもそも何のために魔族を全滅させる必要があったのか、その真意を知る者はおろか、興味を持つ者もいない。
「あっついわねぇ…」
「こらシエル!サボるな!」
「ごめんなさ~い!…ちょっと手を止めただけじゃないの…」
そしてシエルはセスタとの戦いの後、冒険者を辞めた。今は家造りや畑仕事など、アイクラウンド国内で力を必要とする仕事に参加させてもらうという便利屋のようなやり方で生計を立てていた。
かつてはAランクの冒険者になりたいと願っていたのにこの落ちぶれ様。燃え尽き症候群とは恐ろしい物である。
アイクラウンドを旅立ってから勇者セスタを倒すまでに、才能ある有望な若者達と出会い過ぎてしまったのも原因だろう。
日が暮れると、シエルは実家へ戻る。家には2年ほど前から身体を弱らせている母親のロンナが夕食を作って待ってくれていた。
「おかえりシエル。今日の冒険はどうだった?」
「うん…楽しかったよ」
母親に冒険者を辞めた事は伝えていなかった。働き方を変えてから稼ぐ額も上がった事で、ロンナも娘がさらに出来るようになったと思い込んでいたのだ。
父親のケイトとはコルクで顔を合わせてそれっきりだ。昔は1ヶ月に1通と送られてきた手紙だが、どうやらシエルとの邂逅を果たした後から手紙は送られて来なくなったようだ。恐らく、マユの魔法によってコルクごと消滅させられたのだろう。当然、この事も告げられるはずがなく、シエルの内に隠したままだった。
「…お母さんってお父さんの事どう思ってる?」
「あの人はきっと元気だよ。だけど…もう会うことはないだろうねえ」
「どうしてそう思うの?手紙が来なくなっちゃったから?」
「それもあるけど…なんでだろうねえ」
それから初めて、母の口から父親ケイトについて聞かされた。なんと二人はこの国で一緒に育った幼馴染だったのだ。
「あの人は子どもの頃から悟りを開いてるみたいに落ち着いていたねえ…いっつも遠くを見ていたよ。だから旅行が好きなのかって尋ねたらそうじゃないって言うし、実際に新婚旅行もアイクラウンドを一周するだけだった…」
「どーしてそんなよく分かんない人と結婚なんかしちゃったの!?」
「本当にね…ケイトの事はよく分からなかったけど、私とあなたの事を愛してくれてるっていうのはよく分かってるから。私が農業を辞めてもこれまでと変わらない生活が出来るのは、あの人が残してくれたお金のおかげなんだよ」
ここまでケイトの事を良く言うものなので、シエルは意地悪な質問をした。
「…もしかしたら他の国で浮気してるかもしれないよ。そうだったらどうする?」
「それならそれでいいよ。そう長くない私なんかよりも、一緒に死ねる人のそばにいてくれた方がいい」
浮気という行為は非常識的でされた側にとってはとても許し難い事である。しかしそれを許すような母親の言葉がシエルには理解できなかった。
「変なの…」
「変かもねえ。あんな人を好きになってしまったんだから」
微妙な空気になったシエルはさっさと夕食を平らげると、風呂に入ってそのまま自分の部屋に行ってしまった。
「はぁ…」
この国で顔見知りだった冒険者達の中には、名の知れた存在にまで成り上がった者もいる。それに比べて今の自分はカスのように思えて仕方なかった。
「…手紙、確認しないと」
シエルの部屋の窓には、伝書鳥用のポストが付いていた。遠くにいるフラリア達とはこれで連絡を取り合っているのだ。
窓を開けてポストを確かめると、フラリアから1通の手紙が届いてた。
「カジヤンから…なんだろう」
手紙の内容は救援要請だった。フラリアのいる孤児村は砂漠にあるオアシスを中心に作られた村である。そこを狙った地上げ屋が村を壊滅させようと日々攻撃を仕掛けているのだが、段々とその勢いが増していき、村にいる人間だけでは守り切れなくなってきているようだ。
「またか…はぁ、いい加減違う土地に移りなさいよ…」
嫌々ではあるが、仲間達を放っておくわけにはいかない。シエルは手紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱へ投げ入れる。それからテーブルに置いてある瓶から錠剤を2粒取り出して唾を溜めて無理矢理飲み込んで、再びベッドの上で横になった。
そして次の日の朝。シエルは旅立つ準備をした。ちょっと古い知り合いのところへ出掛けて来る。そう母親に伝えようとしたが、この時間なら台所で朝食を作っているはずのロンナの姿がなかった。
「お母さん?…まだ寝てるのかな」
シエルは母親の寝室へ向かった。ロンナは一人で使うには大きすぎるベッドの上で横になっていた。
「…起こすのも悪いか」
シエルは静かに家を発ち、街にある転送屋へ向かった。転送屋とは望んだ場所へワープさせてくれる施設であり、冒険者だった頃のシエルは何度か利用した事があった。
そうして孤児村のあるアトナリルという国の砂漠のど真ん中へやって来た。
「やってるなぁ…」
離れた場所に見える村を無数の戦車が囲んでいた。シエルは欧殻斬刃の等剣を握り締め、村の方へ走り出した。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
障害物のない砂漠にシエルの大声が響き渡る。すると戦車の砲門がこちらに向いた。しかし臆することなく、シエルは飛んでくる砲弾を殻を被った状態の剣で弾きながら前進した。
「出たぞ!例の女剣士だ!」
「頼んだぞ!ギルドカノプスの戦士達!」
すると戦車の陰から7人の戦士達が現れ、シエルの進む先に立ち塞がった。恐らく彼女対策に地上げ屋が雇った冒険者達だろう。
「若いなぁ…将来があって羨ましいわよ。全く」
シエルは足を止めると、剣を地面深くまで突き刺した。それからスコップで砂を掘るように剣を手前に倒しては、砂の津波とも呼べる現象を起こしたのだ。
村を襲っていた地上げ屋達は砂に埋もれた。しばらく待つと生き残った者だけが蟻のように地中から這い上がり、抵抗の意思も見せずに逃げていった。
敵の撤退を確認したシエルは村へ入っていった。砂の津波を起こしたのにも関わらず、村への被害は一切出ていなかった。
「シエルさん!来てくれてありがとうございます!」
「どうってことないわよ…それにしても飽きずに頑張るわねえ」
村に暮らしている子ども達は戦いが終わったのを確認すると地下壕の中から出て来ては、怪我人の手当てや壊された物の修理などの復旧作業に取り掛かった。
シエルは砂に埋まった戦車や武器を掘り起こしては村の中へ運び込んだ。これら全ては村の防衛兵器として再利用されるのだ。
「お前、冒険者は引退したんじゃなかったのか」
一緒に作業をしていたブレイズがふと尋ねた。引退した身にしてはやけに力があることが気になったのだ。
「引退したよ。今は街の便利屋として色々やってる」
「それにしては力があるな」
「鍛えてるからね。なんの才能もない私じゃ肉体労働でしか稼げないから」
ブレイズ達はこの国の社会から切り離された村を守りながら自給自足の生活をしている。しかしシエルはアイクラウンドの国民であるため、お金がなければ生活していく事はできないのだ。
「お前もこっちへ越して来たらどうだ」
「そうしたいんだけど…アイクラウンドには身体の弱いお母さんがいるの。母さんも引っ越す事は考えてないっていうし、私がそばに付いていてあげないと…」
「そうか。戦力が補充できるかと思ったが残念だ」
地面を掘っていると窒息死した男の死体が出て来たが、その身体よりも彼が身に付けていた装備に用があった。
「これもまだ使えそうね…」
そうして身包みを全て剝がされた男は再び砂の中へ埋められた。
ここで暮らし続ける限り、村への襲撃は一生続く事になる。3年の内に大人になった者達もここを守る使命があり、学業や仕事のために村を巣立つ事が出来ていなかった。
「このままだと進歩も出来ない。そのうち力負けしちゃうよ。やっぱり別の場所に移った方が…」
「だけど大勢いる子ども達を受け入れてくれる国なんて近くにないよ」
「もう僕達が一緒にいる事に拘る必要はないんじゃないの?」
「ここまで協力してきたのになんてこと言うんだ!」
村の方針は中心となる子ども達が決める。大人であるシエルは当然の事、外部からやって来て村を守るだけのブレイズとフラリアも干渉はしなかった。
「シエルさん…?」
「用事も終わったし、私帰るわね」
「もう帰っちゃうんですか?お昼ご飯食べていってくださいよ」
「こんなギリギリの生活してる村に振る舞う余裕があるの?それに口に合わないのよ。ここの子達の料理って」
冷たく言い放ったシエルは村を出て、この国の転送屋がある街の方を目指す。それを見送るフラリアは、変わってしまった彼女の後ろの姿を悲しそうな目で見ていた。
「シエルさん…前に比べて暗くなったよね」
「だな…」
そうして半日掛けてアイクラウンドへ戻ったシエルは家へ帰って来た。
「ただいま…お母さん?」
いつもなら明るいはずの家が暗かった。玄関に靴があることから、母親は自宅の中にいる事が確認できる。
「…お母さん!?」
嫌な予感がした。シエルは土足のまま家へ上がりロンナを捜した。台所、浴室、庭を見たが母親の姿は見つからない。そして最後に姿を見た寝室に入ると、今朝と変わらない体勢のまま眠っている彼女を見つけた。
「お母さん!」
シエルは掛け布団を引っぺがした。ベッドの上には、まるで眠っているように息を引き取ったロンナがいた。
「そ…そんな…」
次の日、ロンナの遺体は家の庭に埋められた。行方知れずの父親には伝える事が出来ず、近所にも特に仲のいい人がいるわけでもなかったので葬儀は行わず、シエルは法律上必要とされている事だけをその日の内に処理した。
本当に急だった。身体を弱らせていた病気が昨晩、遂に命を奪ったのだ。
「…やっとか」
シエルは悲しむという気持ちより、もう面倒を見なくてもいいのだという解放感を覚えていた。その内悲しくなって泣き出しはするだろう。それでも長く引き摺らないという自信がどこかにあった。