2.1.2.1青きアスター1
陰気臭い森を抜けると大きな湖が見えてきた。河の奴らの住む近くにやってきた。ようやくだ。いや、気を抜くにはまだ早い。時間に余裕がない上にまだまだ目的地までは遠い。少し緩んできた気持ちを引き締めて足早に道なき道を急ぐ。
水場の端に木で建てられた櫓が見えると同時に、こちらに走ってくるものが現れた。少し年で太った喉骨のしっかりと出た族長だ。格好もつかずに両腕を振って必死に走っている。隣にいる娘も尋常でない様子に緊張してか口をキュッと結んでいる。
「やっと助けが来たかっ!。。。もう奴らが来るっ!。。。あいつらもう聞きつけてきやがった!」
目の前まで来て、さらに荒く息をする顔をくっつけるほどに近づけてくる。迫ってくる獣顔に思わず顔をしかめながらも、ドライアはしっかりとした声で諭す。すべてわかっていたことだろうに。今更騒いで何になるのだか。
「落ち着け。備える時間はまだあるだろう。それにもとよりわかっていたことだろう。あの子さえいるならば我等は立て直せる。もとより多少の犠牲は織り込み済みだろうに。。。我々の盟約を忘れるなよ。」
全く小物のくせに思い上がっていて困ったものだ。こんなものでは口車に乗せられて我々を裏切ることすらも考えられるだろう。まあ所詮後生の者どもだ。いてもいなくてもさして支障はなかろう。
河のものは私の言葉に気後れしたのか、顎を引いて唾をのんだ。しかし、ここまで言っても思いのほか状況が見えていないようで、食い下がってくる。格が低い上に頭も回らないとは。
「。。。しかし保証がないではないですか!このままでは我々の一族は滅びてしまう!なにかしら」
もとより滅びる道しかないくせに何を言うか。体を見下ろすと、急いで首から下げてきたであろう飾りには、ところどころ黒ずんだ数個の白い石がかかっている。
「フフフ。。。。フフフフハハハハッハハハハハッハハハ」
小物が大事そうに握るその首飾りを見て思わず笑ってしまった。
「何が面白いっ!」
顔から熱を発するほどに憤る姿がさらに笑いを誘ってくる。ついには涙まで流れてきた。せいぜい猿のくせして一丁前にこいつらにも集団意識があるらしい。なかなかどうして面白い。趣味の悪いエルフにしては悪くない選出だ。
時間さえ稼げればもはや正直どうでもいい。憤る男は置いておいて、ここに来た目的を達せなければならない。グッと顔を引き締め、パンと膝の上を払って姿勢を正す。
「その話は終わりだ。黙れ。波に関する者はどこにいる?」
「波っ!?」
大きな声で聞き返してまたも面前に汚い顔を近づけてくる。全く笑いを誘う良い顔をしているが、この反応で不思議と笑いは上がってこない。
「お前何を知っている」
大きく骨の出た首を力いっぱい絞りそのまま持ち上げる。苦しそうにみっともなくバタバタしながら呻く。
「お。。。。おろ。。して。。。」
降ろしてやるわけがない。獣には順位付けが大切だ。つけあがった態度を直すのにもちょうどいい。
「早く答えねば殺すぞ?」
当然時間の無い今はこいつを殺すわけにはいかない。だがこいつにそんなことはわからない。先ほどより弱くバタバタともがきながら吐き捨てるように語る。
「我々の。。。かつての盟友だ。。。。」
降ろしてやると少しせき込んでから、喉を摩り警戒するように若干腰を落として話を続ける。
「ンン。。。先々代がこちらに来る以前に別れた者たちだ。かつては西に流れたはずだが。。。今どこにいるかはわからない。。。。」
気色の悪い上目遣いで見上げてくる獣顔から眼をそらす。使えないやつだ。まあだがあっちで西に行ったならこちらでもその可能性は十分にある。こいつらは移動していないから、ここから西へ行けばほぼ確実に何かしらの痕跡は得られるだろう。
「。。。なんであいつらを探している。。。?あいつらの本質は俺らと変わらない。俺達でも問題はっ」
まだ媚びを売るような気色の悪い目つきで見つめてくる頭の根を叩き払う。
「貴様に関係はない。このままデカブツ共と戦線を維持しろ。あの根性なし共でも、いないよりはマシだろう。」
「いやっ、だからそれが厳し。。。」
「黙ってろ。。。。しばらくしたらエルフも来るだろう。」
そうすれば撤退も戦線の押し上げも見えてくるだろう。まああいつらが助けに入るのは極めて低い可能性だろうが。
だが男はエルフが来ることに納得したようで、では、と言ってまた走っていった。
「よろしかったのですか。我々の村からさほど遠くはありません。以前のあの片耳の件もありますし。」
口を挟まずに聞いていた娘も、あの男の言い分に思うところがあるのだろうか。今後もそのように考えるのだろうか。私の考えていることに、この子はどんな解答を導くのだろうか。
「それより重要な問題がある。これから私はそちらへ行く。お前は村に戻って私の代わりをしなさい。言っていることがわかるね。」
「行くって。。。さっきあの者が言っていた波のところでしょうか。それに代わりって。。。」
焦って聞き返してくる娘はまさに我らの一族の娘といった反応だ。だがこの子は我が強い。きっといい人選だろう。
「あの子が村に来て5年程か。。。ならば、もう5年程度なら問題ないだろう。5年後にはお前のところに戻ろう。それまでお前がドライアとして村を導くのだ。」
「。。。?」
私の言っていることが充分に理解できていないようだが、そんなことを気にしている場合ではない。あの書物に、獣にもう一人の黒髪にこのタイミング。何を企んでいる。これ以上我々も置いて行かれるわけにはいかない。
「寝殿の東対の屋にある箱を確保しなさい。中に入ればどれかはすぐに思い至るだろう。そうしたらすぐに離れなさい。他の者も数人連れて行くのが良い。庶子たちは置いていきなさい。あの子たちは強い。お前が離れればあの子たちで勝手に生きるだろう。いいね。箱だけ持って離れなさい。しばらくすればどういうことかはわかるよ。」
あの子はそのままウルダー達が連れて避難するはずだ。人が減るのは痛手だが一族として痛手はさほどあるわけではあるまい。
娘は神妙な面持ちで頷いては目に涙を湛えている。何か勘違いをしているようだが、私は死ぬ気はさらさらないのだが。。。まあ勝手に納得してくれるなら良しだ。
「おい!もう来ているのだろう」
上を向いて周りに声を響かせる。するとすぐに木陰からエルフが出てきた。さっきの獣顔とはまた違った気色の悪い笑いを顔に張り付けてゆらりゆらりと近付いてくる。油断も隙もない。
「この子を村に連れて行ってくれ。私は少し調べ物がある。しばらくかかるとウルダーには伝えてくれ。」
私が言わずとも勝手に伝えるだろうが、変に感づかれてもかなわない。
エルフは仰々しく一礼すると、軽く手を叩いた。
さて私もそろそろ行かねばなるまい。少し離れたところからは悲鳴と怒号の入り混じった声々が湿った空気に響いてきた。思ったより早かったな。