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第五章〜運命交差〜

遅くなり、申し訳ありませんm(__)m

ボクが居たのは、例えるなら暗い、光の差し込まない部屋だった。

 

誰も入れない。ボクの方からも、決して出ようとはしない。

 

ボクはそれで幸せだったのか?

 

否。

 

そんな筈はない。

 

苦しかった。悲しかった。辛かった。痛かった…

 

一人の部屋は、心が冷えた。

 

でも。

 

ボクにはどうすればいいのか分からなかった。

 

勇気が無かったから。

 

どうしようもなく、心が弱かったから。

 

誰の言葉も、ボクは信じる事が出来なかった。

 

勇気が、無かったから…

 

でも、何故だろうか。

 

不思議と、彼女の事は信じる事が出来た。

 

彼女は易々と、この暗い部屋の扉を開いた。

 

部屋に光が差し込む。

 

彼女は、眩しかった。

 

どこまでも綺麗で…

 

ボクは彼女が…

 




 

女神に見えた。

 



 

◆◇◆ 

 


 

『…あれ程、事を大きくするなと言っただろう』

 

薄暗い部屋の中、若い男の声が響いた。

 

腰まで伸びた美しい銀髪。すらりとした体躯を、独特な服に包んだ男は、その整った顔の眉間に皺を寄せている。

 

開いているのか閉じているのか分からないが、開けば相手を萎縮させるであろう瞳。口元は歪み、己の部下に対する怒りを顕にしていた。

 

『…何か言い分はあるか?』

 

男の冷たい言葉を浴びた部下は、肩を震わせ、男を見た。

 

黒く、爛れた肌。長く鋭利な爪。巨大な牙。背に生えた黒き翼。潰れたような赤き瞳… 

 

悪魔、あるいは魔物と形容できる生き物。

 

しかしその生き物は、一人の男に怯えていた。

 

『イッ、イマ一度ワタクシメニ…』

 

『…消えろ』

 

部下の懇願を最後まで聞くことはなく、男はその細い腕を部下へと向けた。

 

一瞬で、悪魔はその場から蒸発した。

 

『無能な者など、我が配下には要らぬ』

 

男が鼻を鳴らし、先程まで部下の居た場所を睨む。

 

その時、部屋の扉が叩かれた。

 

『…どうした』

 

『報告が有ります』

 

扉から、別の部下が入ってくる。

 

 

先程の部下とは違い、人の形をしている。だが、背には黒い翼が生えていた。

 

『…申してみろ』

 

『標的は移動せず、依然としてあの街に留まっております』

 

『…何?』

 

男は耳を疑った。それは幸運な事ではある。しかし、理由が分からない。

 

動かない理由。あの街には何かがある。男はそう考えた。

 

『如何致しましょう。ディネオ様…』

 

ディネオと呼ばれた男は、数秒の思考の後、言葉を発した。

 

『厄介な者共が動きだす前に片を付ける。…私が出向こう』

 

口元に笑みを浮かべる。部下は了解の意を表し、恭しく礼をする。

 

『状況に応じ、随時指示を出そう。私の指示があるまで動かぬよう伝えておけ』 

 

『はっ!』

 

部下は退出する。ディネオは懐から写真を一枚取り出す。そのに写る少女を見、憂いの籠もった表情を浮かべ、小さく溜め息を吐いた。

 

そして、再び懐にしまい、ディネオは部屋を後にした。

 

◆◇◆ 

 

 

「シーフィ…」

 

日曜日、ボクはいつものビルを訪れていた。

 

日は高く昇り、ボクを照らす。雪に反射し、光り輝く。

 

左脇に視線を落とす。

 

シーフィがいつも座っていた場所だ。だが、今は誰も居ない。ボク一人が、この場所で立ち尽くしている。 

 

「…くそっ!」

 

苛立ちをコンクリートの地面にぶつける。固くなった雪を削る音。

 

ここに来ればシーフィが居るかもしれない。僅かな期待は、脆くも崩れ去ったのだ。

 

「…シーフィ、一体どこに…」

 

そう声を漏らし、ボクは空を見上げる。晴れ渡った空は、ボクの心とは真逆だ。


ボクは、昨日の出来事を思い出した…

 

◆◇ 

 

『来るなぁっ!』

 

ボクの記憶にある彼女の最後の表情は……泣き顔。

 

ボクの足は、無意識のうちに彼女へと向かっていた。彼女に笑って欲しい。その一心だったのだろうか。

 

『ああぁぁァアァ!』

 

それは逆効果だった。彼女は半狂乱になり、肥大化した左腕で、強く、地面を叩いた。

 

凄まじい轟音。ボクの一歩前が陥没した。

 

『アッ、アアッ!!』

 

彼女は右腕で頭を抱え込み、蹲った。

 

ボクは言葉を探した。最大限、彼女を安心させられる言葉を。 

 

思いついた言葉は、単純。 

 

これしか思いつかなかった。

 

ボクは、出来る限りの笑みを浮かべ、言った。

 

『大丈夫、怖くない。…ボクは絶対に、キミを嫌いにならない。…決して』

 

彼女の様子が変わる。目を見開き、ボクを見た。

 

綺麗な金髪は乱れ、どこかみすぼらしい印象を受ける。

 

呼吸が安定した。ボクは彼女に近づこうと、足を一歩、陥没した場所へと踏み出した。

 

その時。

 

『来るな』

 

先程の泣き声とは違い、小さな制止の言葉。それは、小さな声だが、不思議とよく通った。

 

『シーフィ…』

 

ボクは立ち止まり、ただ呆然と彼女を見た。 

 

彼女はボクが止まったのを確認し、ゆっくりと立ち上がった。

 

そして自身の左腕を見る。すると、急速に腕は小さくなり、元の大きさへ戻った。瞳も同じく、普段の綺麗な瞳へ戻る。

 

『見ただろう。私は人じゃない…』

 

『…』

 

彼女の発した冷たい声に、ボクは何も返せない。無言で彼女の言葉を聞いていた。

 

『…これ以上、私に関わらない方が身のためだ』

 

『…シーフィっ!』

 

思わず叫んだ。後に続く言葉などない。それでも、叫ばずにはいられなかった。 

 

 

『……』

 

『……』

 

互いに何も言わない。沈黙が続く。

 

静けさの中、人の足音が近付いてくるのが分かった。あれ程の音だ。気付かない方が不自然だ。

 

『人が来た…な』

 

彼女は足音を確認し、そう言った。表情は冷たい、感情を殺していた。

 

『…シーフィ』

 

 

名前を呟くだけで、足が前に出ない。ボクは自分の足を見、そして気付いた。

 

 

震えていた。小刻みに、ただガクガクと。

 

怯えていた。ボクの心ではない。ボクの身体が怯えていたんだ。

 

 

『お前も、早くこの場を離れるんだ。色々面倒だろう…』

 

そう言いながら、服についた汚れを払う。感情を押し殺した声。彼女はボクを見た。

 

あんな事を言いながら、震えを抑えることの出来ないボク。彼女にはどう見ているのだろうか。

 

一度、彼女は俯く。そして、顔を上げた時。

 

『…楽しかった、ありがとう』

 

優しい笑顔を浮かべ、彼女は泣いていた。先程まで溜めた涙を、一度に流すかのように…

 

『……………さようなら』 

 

彼女は高く跳躍する。ビルを越え、すぐに姿が見えなくなってしまった。

 

『シーフィ!…シーフィィィィッッ!!』

 

叫んだ。彼女の名を。

 

天には三日月。

 

その形は、ボクを嘲笑っているように見えた。 

◇◆◇ 

 

 

「…い、…聞いとるんか?神ちゃん」

 

「えっ、あぁ…何だっけ」

 

ボクの返事に、肩を竦め、小さく溜め息を吐く学。

 

日付変わって月曜日。昨日、ボクは一日かけてシーフィを探した。しかし、結局彼女は見つからず、現在に至る。

 

シーフィの事で頭が一杯になり、学の話に集中出来ていなかった。 


昼休み、いつもの面子で廊下で立ち話をしている。

 

最初は空と学で話をしていたので、ボクは外を眺めていた。 

「高校はどうするのかって、そう話してたの」

 

空がボクを見てそう言った。

 

「高校…」

 

よくよく考えてみれば、ボク等は中三だ。しかも十二月上旬。それなのに、ボクは行きたい高校がはっきりしていない。

 

担任にも、願書がどうとか言われていた気がする。

 

「考えてなかったな…」

 

だが、今の状態では考えようにも考えることが出来ない。シーフィの事でそれどころではない。

 

特に希望校もない。学力が丁度の学校に入れればいいか……

 

「ねぇ、聖原君……」

 

空が遠慮がちに口を開く。ボクは耳を傾ける。一体何だろうか。

 

「桜花高校…、受けてみない?」

 

「…桜花高校って、私立の?」

 

私立桜花高校。この街にある有名な学校だ。私立だが、進学率の高さ、部活動等から、人気が高い。

 

「どうして?」

 

ボクが聞くと、空は顔を赤くしながら説明を始める。 

 

「その…、せっかく仲良くなったから、出来れば一緒の学校に行きたいなって…」

 

そう言われたら考えなくてはいけない。

 

確かに、仲良くなった友達と一緒の学校には行きたい。だが、私立になると学費が高い。姉に今まで迷惑を掛けた分、これ以上は…

 

 

「行くには行きたいけど、学費が…」

 

「あ〜、学費ならな…」


断りを入れようと思い、そう言った時、学がボクの言葉を遮った。

 

「入試テストの得点上位者には、ある程度免除されるんよ。神ちゃん、成績は悪くないやろ?」

 

「ん〜…」

 

桜花の人気を考えると、それはかなりの競争率だ。目指すならば、相当の努力が必要になるだろう。

 

「…、そう言う学は?」

 

学はどこを受けるのだろうか。そう思い、聞いてみた。学は口元に笑みを浮かべ、当たり前のように言った。

 

「俺も桜花や。一人暮らしやし、学費の問題も…」

 

「ちょっと待て」

 

今度はボクが学の言葉を遮った。軽く問題発言をしたぞ、コイツ。

 

「一人暮らしって言ったか?今…」

 

「話して無かったか?」

 

「ないよっ!!」

 

自分でも驚くほどの速度で、ボクは突っ込みを入れる。学はあっけらかんとした顔で。

 

「…まぁ、家出みたいな物やし、あんまし気にすること無いて」

 

そう言ったが。


普通この歳で一人暮らしなんかするか?いや、それ以前に出来るのか?

 

そんな事が、頭の中で渦巻いていた。

 

「まぁ、あんまり遠くの学校にも行けへんしな…」

 

「え…」

 

ふと、学が小さな声で呟く。その時の顔は、何だか悲しそうだった。

 

だがそれも一瞬、すぐにいつもの笑顔に戻った。

 

ボクの気のせいだったのだろうか。

 

「空はいくら頑張っても無理やしな〜」

 

空白の時間のうちに、学はあっさりと話題を変えた。 

 

「う、うっさいっ!!」

 

突然話を振られ、しかも馬鹿にされた空は、顔を真っ赤にして怒る。

 

そのせいで、学から話を聞くタイミングを逃してしまった。いつか、話してくれるだろうか。

 

「私関係ないもん!」

 

「…関係ない?」

 

次いで、空の言葉も引っ掛かった。ボクが眉間に皺を寄せていると、学がニヤニヤしながら言った。

 

「神ちゃん。空の名字は?」 

 

「…桜花。………って、もしかして…」

 

ボクが視線を向けると、空は頷いた。

 

「うん、私のお爺ちゃんの学校なの」

 

何だろうか。今日は色々と驚かされる。

 

「…で、神ちゃんはどうするんや?」

 

ここで、学が話を戻す。

 

ボクは少し考え、答える。 

「…一応、努力してみるよ。上手くいったら、県立より安いみたいだし…」

 

ボクがそう言うと、二人は顔を見合わせ、笑みを浮かべる。 

 

そして、凄まじい勢いで抱きついてきた……

 

◇◆◇ 

 

 

放課後、ボクは街をふらついた。もしかしたら、シーフィに会えるかもしれない。そんな僅かな希望を捨てずに。

 

「…」

 

すでにこの街を離れているかもしれない。いや、そう考えた方が自然だ。

 

「シーフィ…」

 

彼女の名を呟く。だがそれは、意味もなく雑踏の中に掻き消えていった。

 

空を見上げる。

 

夕暮れの空は、赤い日に染まり、どこか寂しい。

 

歩き回るうちに、彼女と別れた場所の付近まで来た。立ち入り禁止と書かれたテープが貼られ、数人の警察がいた。

 

規模は小さいが、最近の事件と関係があるであろう場所だ。以前の事件程ではないが、警備、報道陣が見えた。

 

「…あ」

 

その中、見覚えのある後ろ姿が見えた。

 

「……あ」

 

その人物もボクに気付き、同じように声を上げた。そして、こちらに寄ってきた。

 

「こんな所で何してるんだ?」

 

人物…姉は、ボクの前に立ち、そう聞いてきた。

 

「学校の帰りだよ」

 

適当にそう返し、すぐに不味いと感じた。そうだ、ここは…

 

「帰りって、家から逆方向だろ、こっちは」

 

「ぅ……」

 

やはり突っ込まれた。ボクは小さく呻き、苦笑いをして誤魔化そうとするが、咄嗟に言い訳が思い浮かばない。

 

「えっと、その…」

 

「…」

 

しどろもどろになっているボクを、姉は訝しげに見る。

 

「…神夜、ここに何か用事があるのか?」

 

姉は感が良い方だ。今も、ボクを見てこう言った。

 

…こんな状態だと、疑われても仕方ないか?

 

「…いや、特には」

 

なるべく平静を装う。しかし、姉がその程度で諦めるわけが無い。そして、ボクを追求しようと、姉が口を開いた時だった。

 

「あ、いた!神流さん!」

 

スポーツ刈りの男が駆け寄ってきた。 

 

「急に居なくならないで下さいよ」

 

「特に問題ないだろ?雨宮が適当に取材すればどうにかなるだろ」

 

姉がさらりと問題発言。仕事に対して、そんな態度で良いのだろうか。

 

「休暇が無くなったからって、そんな適当な事言わないで下さい…」

 

雨宮と呼ばれた男は肩を落とす。

 

姉は久し振りに休暇を貰った。だが、この事件が発生し、駆り出された。

 

「こんな小さな事件。新人でも十分だろうが…」

 

姉は不満を吐露する。

 

「絶対、休み増やしてやる…」

 

姉の顔からは決意、そして、身の毛もよだつような怒りが見えた。

 

「はぁ…、…ん?」

 

雨宮がボクに気付いた。そしてマジマジとボクを見、嫌らしい笑みを浮かべた。 

 

「弟くんですよね?」

 

「?…そうですけど」

 

雨宮は姉に何かを耳打ちする。

 

ガンッ、ズザザーッ!

 

姉が雨宮を殴った。

 

……人って、あんなに飛ぶんだ…

 

「ちっ、くだらない事ばかり言って…」

 

そう言いながら、姉は何故か息を荒く、顔を赤くしていた。

 

それにしても、雨宮の飛び方もそうだが、一体何を言ったのだろうか。

 

「何?なんて言われたの?」「煩い!!」

 

キッと、鋭い視線でボクを刺す姉。顔は相変わらず赤い。

 

内容は気になるが、聞かない方が身のためだろう。

 

 

姉は息を整え、ボクに向き直った。先程までとは打って変わって、真剣な、強い眼差し。

 

「…で、ここに何をしに来た?」

 

「別に…何も」

 

事件について、何か知っているのではないか。姉の視線は、そう語っていた。

 

「姉さんは、別に刑事じゃないだろ?」

 

ボクの言葉に、姉は溜め息を吐き、肩を竦めた。

 

「一つ、質問だ」

 

ピッと、人差し指を立てる姉。ボクは息を呑む。

 

姉の声が、耳に届く。

 

「黒衣の女を見なかったか?」 

背中に冷たいものが流れる。動揺を、顔に出してはいけない。分かってはいるが、自分でも分かる程に、顔が引きつっている。

 

シーフィの事を、人に知らせるのは不味い。理由はない、これは直感だ。

 

それに、姉に話せば巻き込んでしまうかもしれない。それだけは避けたかった。 

 

返事をしないボクを見て、姉は言葉を続けた。

 

「その女は、現場で度々目撃されている。私の考えでは、その女が犯人…」

 

「違うっっ!!」

 

思わず叫んでいた。周囲の人が、何事かとボクを見る。ボクは俯き、地の雪を睨み付けた。一体、今ボクはどんな顔をしているのだろうか。

 

怒りか、悲しみか…、自分でも分からない。ただ、ボクの中ではっきりしているのは、彼女、シーフィは絶対に犯人ではない、その気持ちだけだ。

 

確固たる証拠はない。だが、別れ際のあの表情、あれを見た時、ボクは無条件で彼女を信じたいと思った。事件と彼女に、どのような関係があるのか、それは分からない。もし彼女が犯人ならば、ボクの身を案じるなど有り得ない。

 

彼女は確かに『普通』ではない。でも、紛れもない『女の子』なんだ。

 

それを、土曜日によく知った。だから、恩人でもある彼女を信じると決めたんだ。

 

紛れもない、ボクの意志で…

 

「…姉さん」

 

よくよく考えてみれば、あの叫びはボクがシーフィを知っていると肯定しているのと同じだ。

 

おそらく、姉はボクの反応を見るために、わざと言ったのだろう。まんまとはめられたわけだ。

 

姉はどんな顔をしているのだろうか。ボクは重たい頭を上げ、姉の顔を見た。

 

「…神夜」

 

姉がボクの名を呼ぶ。何を言われるのだろう。言葉を聞かぬうちに、手が震えている。

 

どうして自分は、こうも臆病なのだろうか。そんな自分が嫌になる。

 

姉は強い視線でボクを見ている。射抜くようなその視線に、ボクは思わず後退る。

 

何をやってるんだ、ボクは。

 

信じると決めたんじゃないのか。

 

なら何故、後ろに下がる。 

 

こんな事では、彼女を見つける事も、笑顔を見る事も出来ないじゃないか!

 

笑っていた方がいい。そう言ったのは誰だ?

 

他でもないボクじゃないか。

 

「姉さん、ゴメン。今は話せないけど、いつかちゃんと話すから…」

 

迷いはない、迷ってはいけない。人の目を気にしている場合じゃないんだ。

 

ボクは決意を固め、姉の目を見た。


弱い自分は捨てる。

 

 

さっきも決めた。これはボクの意志、そして思いだ。誰にもこの思いを歪める事は出来ない。

 

「……ふぅ」

 

視線が絡み合い、しばしの沈黙の後、姉は息を吐いた。何かを考えるように、目を閉じる。

 

そして、次に目を開いた時、その瞳には、優しい光が宿っていた。

 

「…先程、神夜が言った通り、私は刑事ではない。だから、神夜がその女とどういった関係だろうと、正直どうでもいい…、だがな…」

 

一度、そこで言葉を切る。眼差しが、また強くなった。

 

だが、ボクはもう、後退りはしなかった。

 

姉はボクをしっかりと、その目に捉え、言った。

 

「自分が正しいと思った事は、最後まで貫け。そして、諦めるな」

 

力強い姉の言葉。ボクはそれをしっかりと受け取り、頷いた。

 

すると、姉は満足したように、首を縦に振った。

 

「さっきは探るような事をしてすまない。ただ、お前の、神夜の身が心配だったんだ」

 

「……ありがとう」

 

姉が笑顔で言った言葉に、ボクも笑顔で返した。

 

「私も、その女が犯人だとは思っていない。…それに、神夜を変えてくれた人なのだろう?」

 

…この人は、どこまで知っているんだろう…。

 

ボクは苦笑いを浮かべ、それを答えにした。しかし、姉はそれだけで満足したようだ。

 

ボクは姉に一礼し、来た道を戻ろうと、踵を返した。

 

もう一度、彼女に会いたい。

 

あんな顔が最後だなんて、絶対に嫌だ。

 

彼女はまだ、この街にいる。

 

その僅かな希望を信じ、ボクは駆け出した。

 

◇◆◇ 

 

「…ったく、世話の焼ける弟だ」

 

神流は、神夜の走り去った方を、じっと見つめながらそう言った。

 

「いいんですか?その女に弟くん渡して」

 

地べたを這いつくばりながら、神流を見上げる雨宮は、悪戯っぽくそう言った。 

 

神流がボクシングの動きをする。それを見た雨宮は、「ひぃっ!ごめんなさいっ?!」と言って、素早く立ち上がった。

 

それを見た神流は、軽く溜め息を吐く。

 

「いいんだよ。…ただ」

 

「ただ?」

 

神流が顎に手を当て、考え込む。雨宮は首を傾げながら神流を見る。

 

「…いや、何でもない」

 

神流はそう言いながら、首を大きく横に振る。

 

「そうですか?…それなら、早いとこ取材しましょう。神流さんも、休み欲しいでしょ?」

 

そう言って、雨宮は現場付近へ戻っていった。

 

一人残された神流は、空を見上げる。東の空が、暗くなっていた。

 

「いや…やはり」

 

そう言い、神流も現場へ向かった。

 

◇◆◇ 

 

 

二ヵ月が過ぎた。

 

その間、勉強をしながらも、毎日のようにシーフィを探した。

 

雪も疎らになり、今では道の端に少し残っているだけだ。

 

人生で初めて、友達と一緒に、自身の誕生日(十二月二十四日)を祝ったりもした。

 

しかし、何かが足りなかった。ボクの心に穴が出来たような、変な感覚。

 

決して楽しくないわけではなかった。空や学と一緒にいることは、ボクにとって嬉しい事だ。

 

それでも、やはり彼女がいないと駄目なのだ。ボクを救ってくれた、彼女がいないと… 

 

「どうした?神ちゃん。あんま出来んかったんか?」 

 

ボクが思い耽っていると、学がそう声を掛けてきた。 

 

今日は私立の一般入試。ボクと学、そして空は、会場からの帰り道を歩いていた。

 

「いや、別にそうじゃないけど…」

 

そう答えながら頭を掻く。試験の問題は解けた。が、ボクが解けないのは別の問題だ。

 

「心配する必要ないで?…ほれ、空を見てみい」

 

「ん?」

 

学が、親指で空を指す。その指先を追って、空を見る。

 

そこには、試験の問題用紙を睨み付け。

 

「いや、あれは…やっぱり?…でもそうなるとぉ…」  

 

ボソボソと、まるで呪咀を唱えるような空がいた。

 

はっきり言って、怖い。

 

「終わってからそんなネチネチと。意味ないやろ、ソレ」

 

学がそう言うと、空は眉尻をキッと吊り上げ、睨む対象を、問題用紙から学へ変更した。

 

「うっさぁーいっ!?その余裕の態度がムカつくのよっ!!」

 

「何やとぉ?!」

 

二人が口論を始める。これはいつものパターンだ。流石に慣れた。

 

「よくもまぁ飽きないな、二人とも…」

 

逆にここまで来たら、凄いの一言だ。

 

だが、考えてほしい。

 

口論を始め、一人残され、結局、仲裁に入るのはボクだと言うことを… 

 

 

「…はぁ」

 

溜め息を一つ。

 

試験で疲れたのだ、仲裁はやめておこう。これ以上疲れたくはない。

 

口論を続ける二人を放置し、今日はどこでシーフィを探そうか思案する。

 

二ヵ月。ずっと彼女を探し続けてきた。だがどれも空振り。

 

しかし、不思議と諦めは浮かんでこなかった。

 

信じていれば、いつかきっと会える。そう思ったから。

 

「…行って、みようかな」

 

ふと、初めてシーフィに会った場所を思い出した。

 

そういえば、最近は行くことが無かった。気持ちを新たにするためにも、良いかもしれない。

 

「…そろそろ止めるか?」

 

思い出して、学と空を見る。すると、二人は取っ組み合いの喧嘩を始めていた。 

 

ボクは、慌てて二人の間に入った。

 

◇◆◇

 

「くっ…」


暗い路地裏に、私は身を隠した。

 

傷口が痛む。

 

血が溢れ、アイツに買ってもらった服が赤く染まってしまった。所々破れ、もう着ることは出来ないだろう。

 

それがとても悲しい。

 

思い出が一つ消えるような、不思議な感覚。

 

「ディネオのやつ…、手加減が無いな…」

 

明るい時間帯に攻めてくる。つまり、アイツも相当焦っているという事。

 

今まで一度も勝った事の無いアイツを焦らせている。それだけでも、多少の優越感に浸ることが出来る。

 

だが、そこでふと思う。

 

このまま逃げ続け、一体何になるのだろうか。

 

疲弊し、人々に迷惑をかけ…。

 

これは、私の我が儘ではないか?

 

逃げて、逃げて、逃げて……。

 

一体何が残った?

 

「……くそっ」

 

唇を噛む。プチンと、皮の破ける音と共に、口内に鉄の味が広がる。

 

神夜と最後に会ったのは、二ヵ月前だったか。

 

その二ヵ月は、実に無味乾燥な日々だった。

 

一日だけだったが、神夜と遊んだあの日は楽しかった。

 

出来るならば、もう一度。もう一度だけ、あの空気を味わいたい。

 

「行ってみるか…」

 

神夜と出会った場所。そうだ、あの場所へ行ってみよう。

 

時間はあまり無い。行くなら早く行ったほうがいいだろう。

 

そう思った私は、ゆっくりと足を前に踏み出した。

 

◇◆◇ 

 

 

二人と別れ、ボクはあの場所へと向かっていた。

 

 

もう一度決意を固めるため、もう一度、勇気を持つために。

 

ふと、足を止めた。

 

クレーン車等が立ち並ぶ。そこは、二ヵ月前に崩壊した病院跡だった。

 

二ヵ月が経った今も、工事は完了していない。

 

生存者一名。姉から聞いた話では、小さな女の子らしい。確か、雪音という名前だった。

 

「あ……」

 

道の脇、そこに沢山の花が供えられていた。ボクは手を合わせる。

 

シーフィに会う前のボクでは、まず有り得ない行為だ。今では、素直な気持ちで冥福を祈ることが出来る。これも、彼女のお陰だ。

 

「ほら雪音?お花を置きましょう?」

 

隣から、女性の声が聞こえた。 

見ると、六歳程の栗色の髪をした少女を連れた女性、おそらくは母親だろう。そして、少女は雪音と呼ばれていた。

 

「こんにちわ」

 

「あ、どうも…」

 

母親と思われる女性と、挨拶を交わす。すると、雪音ちゃんも母親の真似をした。 

 

「あの、雪音ちゃんって、あの…」

 

尋ねるのは善くないとは分かりながらも、聞かずにはいられなかった。もしかしたら、雪音ちゃんは何かを知っているかもしれないから。

 

 

「えぇ…」

 

惨劇を思い出したのだろう。母親は、苦虫を噛み潰したような顔をする。仕方の無いことだが。

 

 

「聖原神夜です。以前、姉がお世話になったようで…」

 

ボクは頭を下げる。姉を使うのは正直避けたいが、どうしても話を聞きたかった。

 

「…神流さんの…、弟さん?」

 

女性は一瞬驚くが、すぐに笑顔を浮かべた。姉は偉大だと感じた。

 

だが、想像以上に反応を示したのは雪音ちゃんだった。

 

「ねぇっ!かんなさんにあわせて!」

 

雪音ちゃんは、笑顔でボクに駆け寄ってきた。そして、愛らしい笑みでボクを見上げる。

 

「ん、じゃあ今度遊びにくる?」

 

ボクはしゃがみ、雪音ちゃんに視線を合わせ、彼女の頭を撫でた。

 

「ほんと?…ねぇ!おかあさん、いいよね!」

 

太陽のような笑顔で、母親を見る雪音ちゃん。母親は少し困ったような顔をした。そして。

 

「…宜しいんですか?」

 

と言った。

 

「姉が休みの日は、ですけど」

 

ボクはそう言って笑う。母親もボクを見て笑った。しかし何故だろうか、その笑顔はどこか淋しそうだ。

 

会話を聞き、母の了承を得たと分かった雪音ちゃんは、飛び跳ねて喜んだ。

 

「仲良くしてあげてくださいね?」

 

雪音ちゃんを見て、そう言った。

 

 

そして、思い出したように言葉を続けた。

 

「自己紹介がまだでしたね?…私は四季秋音(しき・あきね)です」

 

「改めて、聖原神夜です」

 

互いに名前を交換する。騒いでいた雪音ちゃんが、やっと戻ってきた。

 

「ゆきねはゆきねだよ!よろしくね!」

 

「うん、よろしく」

 

また、雪音ちゃんの頭を撫でる。雪音ちゃんは嬉しそうに笑う。

 

「秋音さん。少し、雪音ちゃんに聞きたい事があるんですけど、良いですか?」  

 

ボクの質問に、秋音さんは頷いた。

 

◇◆◇ 

 

 

ボクは、雪音ちゃんから聞いた話を思い出しながら歩いていた。 

 

病室にいたら、突然病院が崩壊を始めた事。

 

泣いていたところを、黒衣の女性に助けられた事。

 

その女性の特徴を聞くと、シーフィの特徴と一致した。

 

多分、姉に話した内容と大差ないだろう。姉は話してくれなかったが、そうだろうと感じた。

 

唯一の収穫と言えば。

 

「雪音ちゃん…か」

 

新しい友達が出来たので、よしとしよう。

 

四季親子と別れ、しばらく歩いた。廃ビルが近付き、人が少なくなる。

 

そして今、ボクの目の前には、崩れた廃ビルがあった。病院とは違い、復旧される雰囲気が無い。

 

ここは、言うなれば忘れられた場所。誰も訪れない、誰に必要とされない場所だ。

 

だが、ボクにとっては大切な場所だ。

 

思い出すように、二ヵ月前と同じように振り返り、向かいのビルを見上げた。

 

「………え…」

 

屋上に、黒い…影。

 

足が勝手に動きだす。思考よりも先に、体が動く。

 

二ヵ月前と同じような感覚。ただ、彼女に会いたい。それだけで走る感覚。

 

息が切れる。足が痺れる。だが、その感覚が懐かしい。心が踊る。

 

屋上への扉が見えてくる。足の回転が、一段と速くなる。

 

そして。

 

ボクは扉の前に辿り着いた。

 

そして、一気に開け放った……

 

◇◆◇ 

 

大きな音と共に、扉が開かれる。神夜は扉が開ききる前に、叫んだ。

 

「シーフィィィっ!!」

 

神夜の視線の先。そこにいたのは、体中に傷を作り、血に汚れ、膝を抱え蹲る、そんな見たこともない姿だったが。

 

紛れもないシーフィだった。

 

勢い良く顔を上げるシーフィ。その視線が、神夜を捉える。

 

二ヵ月という時間は、あらゆる物を変えた。

 

地に積もる雪は消え、今は堅いコンクリート。

 

流れる風は、以前ほどの冷たさは帯びていない。

 

シーフィの姿も変わった。綺麗だった体は、傷だらけ。

 

だが、変わらない物もある。

 

神夜の気持ちは、初めて出会った時と同じだった。

 

ただ、会いたい。会わなければならない。その気持ちから、ここへやって来た。 

 

シーフィの瞳には驚きが見えた。

 

対し、神夜の瞳には、喜びが滲みでていた。

 

神夜は深呼吸を二回、息を整える。そして、シーフィに向かい、笑顔で言った。 

 

 

「…久しぶり、シーフィ」

 

 


 

一度離れた二人の運命。

 

その運命は、時を経て。

 

再び、この地で。

 



 



 

交わり、一つになった……

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