第三章〜彼女の謎〜
久しぶりの更新です。
遅くなり、申し訳ありません。
血塗れの少女を背負い、ボクは闇を駆ける。少女・シーフィの吐息が、彼女の生を僅かに感じさせる。
最近、走ってばかりだな。と、少しふざけた事を考えてみる。勿論足は緩めないが…
人目につかないよう、最大限人気の無い道を選ぶ。
目指しているのはボクの家。
ボクが彼女を抱えたとき、彼女が言ったのだ。
『…病院は…駄目…』
擦れた声で、彼女はそう懇願した。理由は分からないが、必死に頼まれたら聞かないわけにはいかない。
それに、ボク自身も感じているのだ。本能で、彼女は『普通』では無いと…
恩人とも言える人を、『普通ではない』と表現するのは気が引けたが、その表現が一番しっくりくるのだ。
「…急がないとっ」
今それを考えても意味はない。ボクは思考を振り切り、足をより速く動かした。
◆◇◆
必死に走ったが、やはりこの時期は暗くなるのが早い。
時刻は午後八時頃。この時間では、姉が帰って来ているか微妙な時間だ。
居ても困るし、居なくても困る。不思議な感じだ。
鍵を確認する。…掛かっていると言うことは、姉は居ない。そういうことだ。
鍵を開け、中に入る。そして、取り敢えず自分の部屋へ移動する。
みゃっ!?
エンジェがボクを見て、驚いたような声を上げる。どうやらシーフィを警戒しているようだ。
「…大丈夫だよ、エンジェ」
そう声を掛けると、エンジェは短く一つ鳴き、ボクの足に擦り寄った。
自室に入り、シーフィをベッドに寝かせる。出血は止まっており、静かな寝息を立てている。
先程の状態が嘘のようだ……
「……どうしよう…」
この後一体どうすれば良いのだろうか。全く分からない。
「と、取り敢えず救急箱……」
確か救急箱は居間の棚にあったはず。ボクは階段を駆け降りる。
居間に入ると、机の上に書き置きを見つけた。
『緊急で仕事が入った。晩ご飯は出前で頼む』
相当急いでいたのだろうか。かなり乱暴な文字だ。
緊急で仕事が入ったのなら、明日の昼まで帰ってこない。過去がそうだったからだ。
「えっと、救急箱…救急箱…」
探せばすぐに見つかった。見つけた救急箱を抱え、ボクは自室へと戻った。
シーフィは先程と変わらず、寝息を立てている。シーフィの顔を、エンジェが覗いていた。
「ちょっとゴメン、退いてくれる?」
そう言ってエンジェを退かす。不満げな声を上げるエンジェ。そのエンジェを自分の脇に置く。
「さて……」
救急箱を開き、シーフィを見る。そこでボクは固まった。
「…」
彼女の傷は左脇腹辺りにあるようだ。血が滲み、黒い衣服が見て分かるほどに赤くなっている。見ていて痛々しい。
「えっと〜……」
つまり、傷を見るには服を脱がさなければいけないわけで…。ボクは迷っていた。エンジェがボクを見上げ、鳴く。
「……ふぅ…」
息を整え、ボクはシーフィの服に手を掛けた。
「ん…んぅ…」
「ひゃあっ?!」
シーフィが寝返りを打つ。ボクは奇声を上げ、手を離す。
「す〜…」
「……」
ここまで気持ち良さそうに眠っているのなら、治療は必要なのだろうか。そう思ったが、万が一と言う事もある。
決して邪な考えがあるわけではない……
再び彼女の服に手を掛ける。ボタンを一つずつ外す。
外している間は呼吸が止まっていた。全てのボタンを外し終え、ボクは入り口まで走った。
「はぁーっ、はぁーっ…」
息を強く吐き、呼吸を整える。心臓が早鐘の様だ。激しい鼓動を感じる。
だが、彼女の傷を確認しなくてはいけない。覚悟を決め、ベッドの傍へ戻る。
エンジェがボクを見る。どこか呆れているように見える。
…無茶言わないでくれ…
大きく深呼吸一つ。思い切って、シーフィの服を脱がせた。
「っ!?」
先程とは違う意味で呼吸が停止する。有り得ない光景だ。
「…う、嘘…だろ?」
口から言葉が漏れる。
見えたのは彼女の綺麗な肌。透き通るような極め細やかな、美しい物だ。
だが、ボクが目を見張ったのはそこではない。
傷が、塞がっていた。
否、正確には塞がっている途中だった。
ゆっくりと、傷が消えていっていた。
ドスン、ボクは尻餅をついた。頭の中が真っ白だ。
シーフィに布団を掛け、ボクはベッドの横に背中を預けて座った。
「……」
天井を見上げていると、急に疲れが出た。もう考える事の出来ない脳は、静かな眠りに落ちていった。
◆◇◆
「何よ…コレ…」
開いた口が塞がらないとは、まさしくこの事だろう。脳がまともに働かない。思考が停止している。
今まで、何度も現場は見てきた。だがこれは、比べ物にならない。
酷過ぎる…
赤い夕日が、その光景を更に哀しくしていた。
「…なさん、神流さん!」
「えっ…あっ、すまない」
声を掛けられていても気付かない程に、私は目の前の光景に意識を持ってかれていた。
「いえ、仕方ないっすよ。こりゃあ、酷過ぎますからね…」
私に声を掛けた男。雨宮泰は、私の横に並び、真剣な目付きで惨状を見る。
スポーツ刈りの頭。顔は三枚目。背は私よりも1、2センチ高い程度。今年入ってきた新人だ。
「うわっ…似合わない…」
「なっ?!なんすかっ、人が真剣に話してんのにぃっ?!」
私の一言にオーバーな反応を示す雨宮。心まで三枚目なのだろうか、コイツは…
「…はぁ」
だが、ふざけても心にかかる霧は晴れない。
「神流さん…。コレ、報道しても良いと思いますか?」
雨宮が小声で私に聞いた。答えは決まっている。こんな物…
「出来るわけ…無いだろ…」
上から強力な圧力で押し潰された様なコンクリート。それは、かつての姿が思い出せない程。
元は人間だったと思われる、腕、脚…。瓦礫から突き出て、その生々しい姿を曝している。風景を染めるのは深紅、夥しい量の血だ。おそらく、規制がかかる。
「…ちっ」
舌を打つ。私は後悔していた。来なければ良かった……
報道の仕事をしてきて、このような感情は初めてだ。
瓦礫の一部に書いてある文字に目をやる。
『……総合…院…』
「…総合病院」
ここは、この街で一番大きな病院だった。この人達はここの患者だった。
警察官が、焦りながらブルーシートを掛けている。その内の一人が、一つの瓦礫に脚を引っ掛ける。
ガラッと、崩れる瓦礫。そこから赤黒い物が見えた。
「うぷっ……」
「……」
私は目を伏せ、どうにか耐えた。直視した雨宮は吐いた。だがそれも仕方がないだろう。
赤黒い物。人の頭部だ。
圧により、顔の原型は留めていない。破裂した脳天から中身ををぶちまけ、眼球は飛び出している。
それを赤く染め上げた血液は黒く変色していた。
「コレはまるで……」
淡い記憶の波が、私を呑み込もうと押し寄せる。私は首を大きく横に振った。
「聞き込み…行くぞ…」
膝をつき、虚ろな目をしている雨宮を視界の端に捉え、私は言った。
◆◇◆
総合病院から離れた場所にある他の病院。総合病院程ではないが、器材など、しっかりとした物がそろっている所だ。
私と雨宮は、そこを訪ねた。
「すみません、お話を聞かせて頂けますか?」
医師に笑顔で名刺を渡す。眼鏡を掛けた、いかにも医者。といった風格の男性だ。
「聖原…神流さんって、あの?」
名刺を睨みながら医者は言う。私は頷き、再度笑顔を作る。
「どうでしょうか」
医者は考え込んでしまう。まあ、急かしても仕方ない。私は病院内を見渡す。
総合病院程ではないが、それなりに大きい。設備も問題ないだろう。
私がここに来た理由。それは、今回の事件でたった一人の生存者が運び込まれたからだ。
「わぁっ!かんなさんだぁっ!」
突然背後から抱き付かれた。身体を反らせながらどうにか耐える。
「こらっ、雪音!いけません」
そして、すぐにそんな女性の声が聞こえる。親子だろうか。
ちらりと後ろを振り返る。私の腰の辺りに、六歳程の栗色の髪を腰まで伸ばした少女がしがみ付いていた。
私を見上げる雪音と呼ばれた少女は、愛らしい笑みを浮かべ、その円らな瞳をこちらに向けていた。
「すみません、お仕事の邪魔をしてしまって…」
母親が申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえ、大丈夫ですよ?」
私は母親の方を向き直り、そう言った。
見れば若い母親だった。娘同様、栗色の髪を腰まで伸ばしている。年は二十代半ばといった辺りか。
「すみませんでした。ほら、雪音?行きましょ?」
母親が雪音のことを呼ぶが、雪音は私の服にしがみ付き離れようとしない。
「モテモテっすねぇ〜。神流さん」
そんな事を言う雨宮の顔面を殴る。「ぶふぉあっ!?」と、オーバーなリアクションをしながら吹っ飛んだ。
「かんなさんとあそびたいっ」
雪音がそう言うと、母親は困ったように眉尻を下げた。それを見て、私は少し苦笑しながらこう言った。
「もう少しここに居ますので、その間なら…」
私の言葉を聞き、雪音の表情がパッと明るくなる。とても可愛らしい。
母親は少し悩むが、「買い物をしてくる間だけ」と言って病院から出ていった。
「すみません。こんな状態になってしまって…」
医者に向き直り、私は謝罪した。だが、医者は首を横に振る。そして言った。
「その子なんです。例の生存者というのは……」
◆◇◆
「何や?」
学は声のする方を見た。そこでは、神夜の姉、神流が数名と話している姿が見えた。
「おっ、神流さんやないか」
友人の姉、しかも美人という事もあり、学は声を掛けようと椅子から腰を上げる。
「…でも、仕事中っぽいからなぁ…」
しかし、そう言ってすぐに腰を降ろした。流石に遠慮した方が良いと感じたのだ。
「九条さん。九条学さん」
そう考えていると、名前を呼ばれた。
「はいよ」
さっと腰を上げ、学は診察室へ歩いた。
「一日に病院二件かぁ…、結構キツいなぁ…」
そう呟きながら。
◆◇◆
医者の話では、雪音は退院間近だったらしい。だが、今回の件に巻き込まれたため、外傷と、その精神状態を確認する必要があり、ここに運ばれたらしい。
「かんなさんは、かれしとかいるんですか?」
最も、その必要は無かったようだが。
このような少女に、直接話を聞くのは良くないのだが、私はどうしても直接聞きたかった。
報道の人間として、ではなく、一人の人間として。
「ねぇ、雪音ちゃん」
「なぁに?」
雪音は私の言葉に反応する。私たちは椅子に並んで座り、雪音は私を見上げていた。
「どうやって助かったの?あの場所から…」
「えーっとね…」
医者の話では、雪音はあの病院がどうなったかは知らないらしい。いずれ知ることになるが、それは辛い事だと感じる。
雪音は私に笑顔を向ける。その笑顔が逆に心苦しい。
雪音は明るい声で言った。
「くろいおねぇちゃんがたすけてくれたのっ」
◆◇◆
小鳥の囀りが聞こえる。差し込む日差しがボクを覚醒へと導いてゆく。
「んっ…」
寒い。そう言えば、床で寝てしまったのだった。
遠くからシャワーの音。姉が帰ってきたのだろうか。
そこまで考え、ボクはようやく目を開く。隣でエンジェが眠っていた。
「あっ、シーフィっ」
思い出し、慌てて振り返る。が、彼女はそこには居なかった。パニックに陥るボク。
階下へ駆け降りる。居間、玄関、その他色々な部屋を回って彼女を探す。だが、見つからない。
姉に見つかる前に、どうなかして彼女を見つけださないといけない!
ボクが家中を駆け回っていると、後ろから声を掛けられた。
「何やってるんだ?お前」
「話し掛けないでくれ、シーフィ。今忙しいんだ」
「?…ふ〜ん」
シーフィにそう言って、ボクはシーフィを探しに、もう一度自室に戻ろうとする。
「……」
居間へ向かうシーフィを置い……て。
居間を見る。そこには姉のパジャマを着たシーフィが、冷蔵庫から勝手にアイスを取出し、テーブルに座って食べていた。
アイスを美味しそうに食べるシーフィ。今まで見たことの無い笑顔だ。
「…」
それを見て、ボクはしばらく固まっていた。足下で、エンジェがボクを見ていた。
◆◇
「………で、何で普通に人様の家の風呂に入ってるのさ…」
シーフィの反対側に座り、ボクはそう切り出した。
彼女は依然としてアイスに夢中。こちらの声に気付いてはいない。彼女の幸せそうな顔を見ていると「もういいや」と思ってしまう。
ボクの視線に気付いたシーフィが、ボクとアイスを交互に見た。そして、一言。
「…お前も食べたいのか?」「いるかぁあぁっ?!」
シーフィのボケに、いまだかつて無い速度で突っ込みを入れる。彼女は、何故ボクが叫んでいるのか分からない。そんな表情だ。
「…もしかして……」
シーフィが何かに気付いたような表情をした。ようやくボクの言葉の意味を理解したのだろうか。
彼女は真剣な眼差しでボクを見る。
鋭い眼光に、ボクは生唾を呑み込む。
彼女は口を開いた。
「お前……一緒に入りたかったのか?…風呂…」
ガンッ……
ボクはテーブルに突っ伏した。額を強く打ち付けたが、余りに阿呆らしく、痛みをあまり感じなかった。
と言うか、シーフィのこの発言は天然なのだろうか。いや、そうとしか考えられない。
「だが、残念だったな。私はそんなに軽い女ではないぞ」
話を続けているシーフィ。ボクは手をヒラヒラと振り、取り敢えず否定する。
「じゃあ、何だと言うんだ」
本気で分からないのか、彼女は眉間に皺を寄せる。
「いや、普通他人の家の風呂に断り無く入るのはどうかと…」
そう言って、ボクはテーブルの端にあったコップを取り、お茶を注いで口に含んだ。
「お前こそ、女を家に連れ込むのはどうかと思うぞ?」
「ぶっ!」
吹き出した。お茶を。
「なっ!人聞きの悪い事を言わないでくれっ!それに、あれはキミを助けるためじゃないか!」
「別に頼んでないし、お前の家へ連れてけなんて、一言も言ってない」
「……」
いや、確かにそうだけど。ボクは反論出来なかった。
「それに、服が脱がされていたな。…お前、何する気だった?」
シーフィの言葉に、ボクは彼女の白い肌を思い出してしまった。
顔が熱くなる。何かを言おうとするが、上手く言葉に出来ない。
「…ぷっ」
そんなボクを見て、シーフィが吹き出す。笑いは次第に大きくなり、ついには腹を抱えて笑いだした。
「かっ、からかったな!?」
ボクは腰を上げ、前のめりになりながら怒りを顕にするが、シーフィは気にせず笑い続けた。
足下でエンジェがボクの真似をしている。何がしたいんだ、コイツは……
結局。彼女の笑いが収まるまで数分かかった。
◇◆
「……聞かないんだな」
「何を?」
笑いが収まったシーフィはそう言った。
今日は平日だが、この状態では仕方ない。ボクは、彼女の笑いが収まるまでの間に学校に風邪を引いたと電話を掛け、椅子に腰を降ろした所だった。
シーフィの目は打って変わって真剣な物だった。
「見たんだろ?…傷口」
「…」
ボクは無言で頷いた。シーフィは目を伏せる。
「…それなら、何で聞かないんだ…」
先程までの勢いは無く、とても小さな声だ。ボクは静かに、最大限優しく言った。
「話したくないなら、話さなくていいよ」
「え…?」
シーフィが息を呑んだ。ポカンと、間の抜けた顔をしている。
「キミが話したくなったら話せばいい。ボクは…その…」
小っ恥ずかしくて頭を掻く。顔も熱い。でも言いたい。
「信用してるから…キミの事…」
彼女がどういった人物なのかは気になる。だが、シーフィは恩人で、ボクは彼女を信用している。だから、彼女が話したくないなら無理に聞く必要はない。そう思った。
「……とう」
シーフィが何か呟いた。良くは聞き取れなかったが、その後に彼女が見せた笑顔を見たらそれもどうでも良くなった。
「…じゃあ、そろそろ」
シーフィは立ち上がり、帰ろうとした。ボクはそれを止めた。
「ちょっと待って」
玄関まで歩いていたシーフィが振り返る。
「何だ?」
素で気付いていないのだろうか。仕方なくボクは指摘した。
「それ…姉さんのパジャマなんだけど」
服を確認したシーフィが、顔を真っ赤にした。
◇◆◇
シーフィを送り出し、ボクは欠伸をしながら時計を見た。
十一時。そろそろ姉が帰ってくる時間帯だ。
「…?」
どういう言い訳をしようか。そう考えていると、妙に頭が痛い事に気付いた。
正確には、気付いてはいたのだが、テーブルにぶつけた所為だろうと思っていたのだ。
体温計で計ってみる事にする。数分後、小気味の良い音が体温計から聞こえた。
「…八度六分」
…どうやら、嘘が誠になってしまったらしい。
◇◆◇
空は赤く染まり、時間がそれだけ流れた事を教えてくれた。時計を見れば、針が四時を指していた。
昼頃に姉は一度帰ってきたが、すぐにまた出ていってしまった。相当忙しいようだ。
結果、風邪薬を飲んだ後ずっと眠り、現在に至る。
「……はぁ」
溜め息を一つ吐く。暇過ぎる。
だが、一人で居ることを暇だと感じるのは不思議だった。ついこの間までのボクでは有り得ない考えだ。
みゃあっ!
ボクの脇でエンジェが鳴く。まるで、自分が居ると主張しているようだった。
エンジェの頭を撫でてやる。すると嬉しそうに擦り寄ってきた。
その時、インターホンが鳴った。誰かが来たらしい。
ボクはゆっくりと立ち上がり、玄関へ向かった。
そして、扉を開くとそこには。
「こんにちは、聖原君」
「お見舞い来たで〜」
大方の予想通り、空と学が立っていた。
取り敢えず中へ招き入れる。
自室へ移動し、学校での出来事等を話した。
「そう言えば、神ちゃんはしっとるか?」
二人が来て三十分が経とうとした時、思い出したように学がそう切り出した。
「何を?」
ボクがそう返すと、学がニヤリと笑った。空は呆れたように溜め息を吐く。
「最近、この辺りで話題になっとる事件。知っとるやろ?」
「あぁ、あのニュースでやってるヤツ?」
十日前程から起こっている騒ぎ。ニュースでも何回か目にしている。先日も姉が現場へ向かっているのをテレビで見たばかりだ。
「何でも、建物が原因不明の倒壊をしてるって」
「そうそう、ソレだよソレ」
ピンと人差し指を立てる学。空が学を睨む。
「聖原君、聞き流していいですよ。学はふざけて言ってるだけなんだから」
学が空を無視して続けた。
「あの事件、悪魔の仕業やって噂されとるんや」
「悪魔?」
普通に考えれば、学は阿呆らしい話をしている。小学生でも馬鹿にするような話だ。
でも、ボクはその話に惹き付けられた。何故かは分からない。不思議と興味が湧いたのだ。
「そんでな?全ての事件に共通する事が、一つあるんや」
「何だよ、その共通する事って」
学の口元に笑みが浮かぶ。空は完全にボク等を無視してエンジェと遊んでいた。
「黒装束を着た、金髪の美少女が目撃されとるんや」
◇◆◇
「さようなら、聖原君」
「ほな、さいなら」
五時半を過ぎた頃。二人は帰っていった。辺りはすでに暗い。ボクはすぐに自室へ戻った。
「…」
学の話がボクの頭から離れない。気になって仕方ないのだ。
『黒装束を着た、金髪の美少女が目撃されとるんや』
そのフレーズが強く残っていた。そして、ボクが思い浮かべたのは。
「シーフィ…」
別に彼女を疑っているわけでわない。
今朝、ボクは彼女に「話したくなったら話せばいい」と言った。
だが、それなら彼女はいつになったら話してくれる?
矛盾した感情がボクを包む。彼女の意志を尊重したい。だが、知りたい。
そして、彼女が無関係で、彼女の身が安全である事を確認したい。
これも不思議だ。会って間もない相手の身を、どうしてボクは、ここまで心配しているのだろうか。
「姉さんに…相談してみようかな…」
ベッドの上。ボクは窓の外、遥か上空にある薄い雲のかかった月を眺めていた。
◇◆◇
姉が帰ってきたのは夜の九時過ぎだった。ボクは玄関まで迎えに行く。だが、姉は。
「しぃ〜んやぁ〜?かえっらよぉ〜」
異常なまでに酔っ払っていた…
「あの姉さ…」
「しぃ〜んやぁ〜っ」
ガバァッと、思い切り抱き締められた。女性とは思えない力。身動きは疎か、呼吸すら上手く出来ない。
初めて知った。姉は酒癖が悪い。
姉の新たな一面を見れて、嬉しいのか悲しいのか。ひとまず、渾身の力で姉を突き放す。
「姉さんっ、いい加減…に…って、えぇっ?!」
「うぅっ…ぐすっ…」
今度は愚図りだした。そして。
「うわあぁぁぁあぁぁぁんっ!!」
大声で泣きだした。声が響き渡る。ペタンとその場に崩れる姉。
「はぁ…」
溜め息が漏れ、体から力が抜けた。
◇◆
「いやぁ、申し訳ない」
あっけらかんとした口調で姉はそう言った。まだ顔は赤い。
「いいけどさぁ…」
居間のテーブルに突っ伏して、ボクは呻く。姉は反対側に座り、鼻歌を歌っている。
結局、姉が泣き止むのに一時間かかった。(最後は水をぶっかけた)その所為で、時刻は十時を回っていた。
「神夜、夕飯は食べたのか?」
そう言えば食べていなかった。昼も食欲が無く、軽くしか食べていなかった。
熱も落ち着いていたため、その事を思い出すと、急に空腹がボクを襲った。
「いや、まだだけど…」
ボクがそう答えると、姉は親指を立て、笑顔でボクを見せた。
いつまでこのテンションは続くのだろうか…
姉は手に持っていたビニール袋から『寿司』と書かれた箱を取り出した。
「アンタはおっさんか……何げに高そうだし…」
と言うか、風邪で寝込んでる弟を一人残して、何故外食に行ける……
「まっ、食いな食いなっ!」
姉は自分の分を取り出す。まだ食うのか…
だが、指摘してまた泣かれても堪らない。渋々、高級寿司に箸をつけた。……うん、美味い。
姉も寿司を頬張る。本当に機嫌が良さそうだ。ボクは一つ聞いてみる。
「機嫌が良いみたいだけど、どうしたの?」
「ん?」
ボクの問いに、満面の笑みを向ける姉。そして勢い良く立ち上がり、箸を天に向けた。
「何とっ!一週間のお休みを頂いてしまいましたぁっ!!」
「…ふ〜ん…」
呆然と見つめるボクに、姉はビシィィッと箸を突き付ける。
「つまり!神夜との親睦を深める事が出来るのです!!」
サッとボクの後ろに移動する姉。そして、ボクの事を優しく抱き締めた。
「ねぇ神夜?明日どこ行きたい?」
明日は土曜日。なら遊びに行くのも良いかもしれない。
……遊ぶ?
「あっ!」
ボクは閃いた。思わず立ち上がってしまい、後ろにいた姉が尻餅をついてしまう。
「どっどうしたの?!」
姉が目を白黒させている。
「ごめん姉さん。明日は無理!」
そう言ってボクは自室へ向かった。まずは体調を整えなければいけない。
居間で姉が駄々を捏ねているのが分かる。ボクは。
「ごめんっ!でも、ありがとうっ!姉さん!!」
それだけを言って、自室に入った。
◆◇◆
居間に取り残され、神流は椅子に座り、呆然と神夜の残した寿司を見つめていた。
「……はぁ…」
神流の吐いた溜め息には、悲しみが籠もっていた。
みゃあ
足下でエンジェが鳴いていた。神流はエンジェを抱え、自分の脚のうえに移動させた。
「ほら、食いたいなら食いな?」
エンジェは嬉しそうに寿司のネタを頬張る。神流はエンジェを撫でながら、もう一度溜め息を吐いた。
「…やっぱり『姉さん』……か…」
神夜の駆けていった廊下を見る。寂しいと、その表情が語っていた。
「さあ…夜は長い。…もう一度飲み直すか」
ビニール袋から缶ビールを取り出す。蓋を開け、中身を口に含んだ。
◆◇◆
翌朝、体温を計ると熱は下がっていた。でも念の為に薬を飲んでおく。
服装を確認する。私服は少ないので自信はない。ジーパンに厚手の白いTシャツ。その上に黒い革のジャンパーを羽織った。
まぁ、特に問題は無いだろう。
財布の中身を確認。八千円弱。おそらくは大丈夫だろう。
あとは、シーフィがいつもの場所に居るかどうかだが。…多分大丈夫だろう。
「…不確定要素、多過ぎるな…」
明日にしようとも思ったが、可能なら最大限早くしたかった。
時計の針は午前十時を指している。いい頃合いだ。
玄関へ向かう。靴紐をしっかりと結ぶ。結んでいると、今更ながら緊張してきた。
「…落ち着け…落ち着け…」
自分に暗示を掛ける。必死にやっていると、背後から。
「何言ってるんだ?」
姉が声を掛けてきた。表情は見えないが、絶対眉間に皺を寄せている。
「いや、ちょっと…」
何も言えない。恥ずかし過ぎる。
「…いってらっしゃい」
小さな声で姉はそう言った。どこか寂しそうな声に、ボクは驚いた。
「私の誘いを断って行くんだから、楽しんでこい。…でないと、怒るぞ?」
その姉の言葉に何かが引っ掛かったが、ボクには分からなかった。
だが、姉の言う通りだ。楽しもう。思う存分。
そう考えると、体から力がすっと抜けたような気がした。
「…ありがとう、姉さん。…行ってきますっ!」
ボクは外へ飛び出した。
◆◇◆
雪が固まり、滑りやすくなっている道を、転ばないように走る。
だが、気を付けても何度か転びそうになる。しかし、足が止まる事はなかった。
速く、速く。もっと速く!
そう思いながら走っていた。とにかく、とにかく速く。
しばらくして、いつものビルに辿り着く。階段を駆け上がる。いつも通りだ。
彼女、シーフィの事が知りたいなら、仲良くなればいい。そう思った。
つまり、友達になるのだ。
階段を駆け上がった勢いそのままに、ボクは屋上の扉を開け放った。
いつもの場所に……いた。
今日は傷がない。元気なシーフィだ。
それを見て、ボクはほっと胸を撫で下ろす。
シーフィは振り向いて、ボクを見た。驚いた顔をしている。
そんな彼女に、ボクは少し息を整え、言った。
「遊びに行こうっ!今から!!」
積もった雪が、朝日で輝く。
それは…
楽しい一日を予感させる物のように感じた……
えーっと、活動報告に色々書いてあります。気になる方は御覧ください。