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第三章〜彼女の謎〜

久しぶりの更新です。

 

遅くなり、申し訳ありません。

血塗れの少女を背負い、ボクは闇を駆ける。少女・シーフィの吐息が、彼女の生を僅かに感じさせる。

 

最近、走ってばかりだな。と、少しふざけた事を考えてみる。勿論足は緩めないが… 

 

人目につかないよう、最大限人気の無い道を選ぶ。

 

目指しているのはボクの家。 

 

ボクが彼女を抱えたとき、彼女が言ったのだ。

 

『…病院は…駄目…』

 

擦れた声で、彼女はそう懇願した。理由は分からないが、必死に頼まれたら聞かないわけにはいかない。

 

それに、ボク自身も感じているのだ。本能で、彼女は『普通』では無いと… 

恩人とも言える人を、『普通ではない』と表現するのは気が引けたが、その表現が一番しっくりくるのだ。 

 

「…急がないとっ」 

 

今それを考えても意味はない。ボクは思考を振り切り、足をより速く動かした。 

 

◆◇◆ 

 

必死に走ったが、やはりこの時期は暗くなるのが早い。 

時刻は午後八時頃。この時間では、姉が帰って来ているか微妙な時間だ。

 

居ても困るし、居なくても困る。不思議な感じだ。

 

鍵を確認する。…掛かっていると言うことは、姉は居ない。そういうことだ。

 

 

鍵を開け、中に入る。そして、取り敢えず自分の部屋へ移動する。

 

みゃっ!?

 

エンジェがボクを見て、驚いたような声を上げる。どうやらシーフィを警戒しているようだ。

 

「…大丈夫だよ、エンジェ」  

 

そう声を掛けると、エンジェは短く一つ鳴き、ボクの足に擦り寄った。

 

自室に入り、シーフィをベッドに寝かせる。出血は止まっており、静かな寝息を立てている。

 

先程の状態が嘘のようだ…… 

 

「……どうしよう…」

 

この後一体どうすれば良いのだろうか。全く分からない。 

 

「と、取り敢えず救急箱……」

 

確か救急箱は居間の棚にあったはず。ボクは階段を駆け降りる。

 

居間に入ると、机の上に書き置きを見つけた。

 

『緊急で仕事が入った。晩ご飯は出前で頼む』

 

相当急いでいたのだろうか。かなり乱暴な文字だ。

 

緊急で仕事が入ったのなら、明日の昼まで帰ってこない。過去がそうだったからだ。

 

「えっと、救急箱…救急箱…」

 

探せばすぐに見つかった。見つけた救急箱を抱え、ボクは自室へと戻った。

 

シーフィは先程と変わらず、寝息を立てている。シーフィの顔を、エンジェが覗いていた。

 

「ちょっとゴメン、退いてくれる?」

 

そう言ってエンジェを退かす。不満げな声を上げるエンジェ。そのエンジェを自分の脇に置く。

 

「さて……」

 

救急箱を開き、シーフィを見る。そこでボクは固まった。

 

「…」

 

彼女の傷は左脇腹辺りにあるようだ。血が滲み、黒い衣服が見て分かるほどに赤くなっている。見ていて痛々しい。

 

「えっと〜……」

 

つまり、傷を見るには服を脱がさなければいけないわけで…。ボクは迷っていた。エンジェがボクを見上げ、鳴く。

 

「……ふぅ…」

 

息を整え、ボクはシーフィの服に手を掛けた。

 

「ん…んぅ…」

 

「ひゃあっ?!」

 

シーフィが寝返りを打つ。ボクは奇声を上げ、手を離す。

 

「す〜…」

 

「……」

 

ここまで気持ち良さそうに眠っているのなら、治療は必要なのだろうか。そう思ったが、万が一と言う事もある。 

 

決して邪な考えがあるわけではない……

 

再び彼女の服に手を掛ける。ボタンを一つずつ外す。 

外している間は呼吸が止まっていた。全てのボタンを外し終え、ボクは入り口まで走った。

 

「はぁーっ、はぁーっ…」

 

息を強く吐き、呼吸を整える。心臓が早鐘の様だ。激しい鼓動を感じる。

 

だが、彼女の傷を確認しなくてはいけない。覚悟を決め、ベッドの傍へ戻る。

 

エンジェがボクを見る。どこか呆れているように見える。

 

…無茶言わないでくれ…

 

大きく深呼吸一つ。思い切って、シーフィの服を脱がせた。

 

「っ!?」

 

先程とは違う意味で呼吸が停止する。有り得ない光景だ。

 

「…う、嘘…だろ?」

 

口から言葉が漏れる。

 

見えたのは彼女の綺麗な肌。透き通るような極め細やかな、美しい物だ。

 

だが、ボクが目を見張ったのはそこではない。

 

傷が、塞がっていた。

 

否、正確には塞がっている途中だった。

 

ゆっくりと、傷が消えていっていた。

 

ドスン、ボクは尻餅をついた。頭の中が真っ白だ。

 

シーフィに布団を掛け、ボクはベッドの横に背中を預けて座った。

 

「……」 

 

天井を見上げていると、急に疲れが出た。もう考える事の出来ない脳は、静かな眠りに落ちていった。

 

◆◇◆ 

 

 

「何よ…コレ…」

 

開いた口が塞がらないとは、まさしくこの事だろう。脳がまともに働かない。思考が停止している。

 

今まで、何度も現場は見てきた。だがこれは、比べ物にならない。

 

酷過ぎる…


赤い夕日が、その光景を更に哀しくしていた。

 

「…なさん、神流さん!」

 

「えっ…あっ、すまない」

 

声を掛けられていても気付かない程に、私は目の前の光景に意識を持ってかれていた。

 

「いえ、仕方ないっすよ。こりゃあ、酷過ぎますからね…」

 

私に声を掛けた男。雨宮泰(あまみや・やすし)は、私の横に並び、真剣な目付きで惨状を見る。

 

スポーツ刈りの頭。顔は三枚目。背は私よりも1、2センチ高い程度。今年入ってきた新人だ。 

「うわっ…似合わない…」

 

「なっ?!なんすかっ、人が真剣に話してんのにぃっ?!」

 

私の一言にオーバーな反応を示す雨宮。心まで三枚目なのだろうか、コイツは… 

 

「…はぁ」 

だが、ふざけても心にかかる霧は晴れない。 

「神流さん…。コレ、報道しても良いと思いますか?」

 

雨宮が小声で私に聞いた。答えは決まっている。こんな物… 

 

「出来るわけ…無いだろ…」

 

上から強力な圧力で押し潰された様なコンクリート。それは、かつての姿が思い出せない程。 

 

元は人間だったと思われる、腕、脚…。瓦礫から突き出て、その生々しい姿を曝している。風景を染めるのは深紅、夥しい量の血だ。おそらく、規制がかかる。

 

「…ちっ」

 

舌を打つ。私は後悔していた。来なければ良かった……

 

報道の仕事をしてきて、このような感情は初めてだ。 

 

瓦礫の一部に書いてある文字に目をやる。 

 『……総合…院…』

 

「…総合病院」

 

ここは、この街で一番大きな病院だった。この人達はここの患者だった。 

警察官が、焦りながらブルーシートを掛けている。その内の一人が、一つの瓦礫に脚を引っ掛ける。

 

ガラッと、崩れる瓦礫。そこから赤黒い物が見えた。 

「うぷっ……」

 

「……」

 

私は目を伏せ、どうにか耐えた。直視した雨宮は吐いた。だがそれも仕方がないだろう。

 

赤黒い物。人の頭部だ。

 

圧により、顔の原型は留めていない。破裂した脳天から中身ををぶちまけ、眼球は飛び出している。

 

それを赤く染め上げた血液は黒く変色していた。

 

「コレはまるで……」

 

淡い記憶の波が、私を呑み込もうと押し寄せる。私は首を大きく横に振った。

 

「聞き込み…行くぞ…」

 

 

膝をつき、虚ろな目をしている雨宮を視界の端に捉え、私は言った。

 

◆◇◆

 

 

総合病院から離れた場所にある他の病院。総合病院程ではないが、器材など、しっかりとした物がそろっている所だ。

 

私と雨宮は、そこを訪ねた。 

 

「すみません、お話を聞かせて頂けますか?」

 

医師に笑顔で名刺を渡す。眼鏡を掛けた、いかにも医者。といった風格の男性だ。

 

「聖原…神流さんって、あの?」

 

名刺を睨みながら医者は言う。私は頷き、再度笑顔を作る。

 

「どうでしょうか」

 

医者は考え込んでしまう。まあ、急かしても仕方ない。私は病院内を見渡す。

 

総合病院程ではないが、それなりに大きい。設備も問題ないだろう。

 

私がここに来た理由。それは、今回の事件でたった一人の生存者が運び込まれたからだ。

 

 

「わぁっ!かんなさんだぁっ!」

 

突然背後から抱き付かれた。身体を反らせながらどうにか耐える。 

「こらっ、雪音(ゆきね)!いけません」

 

そして、すぐにそんな女性の声が聞こえる。親子だろうか。

 

ちらりと後ろを振り返る。私の腰の辺りに、六歳程の栗色の髪を腰まで伸ばした少女がしがみ付いていた。

 

私を見上げる雪音と呼ばれた少女は、愛らしい笑みを浮かべ、その円らな瞳をこちらに向けていた。

 

「すみません、お仕事の邪魔をしてしまって…」

 

母親が申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「いえ、大丈夫ですよ?」

 

私は母親の方を向き直り、そう言った。

 

見れば若い母親だった。娘同様、栗色の髪を腰まで伸ばしている。年は二十代半ばといった辺りか。

 

 

「すみませんでした。ほら、雪音?行きましょ?」

 

母親が雪音のことを呼ぶが、雪音は私の服にしがみ付き離れようとしない。

 

「モテモテっすねぇ〜。神流さん」

 

そんな事を言う雨宮の顔面を殴る。「ぶふぉあっ!?」と、オーバーなリアクションをしながら吹っ飛んだ。 

 

「かんなさんとあそびたいっ」

 

雪音がそう言うと、母親は困ったように眉尻を下げた。それを見て、私は少し苦笑しながらこう言った。

 

「もう少しここに居ますので、その間なら…」

 

私の言葉を聞き、雪音の表情がパッと明るくなる。とても可愛らしい。

 

母親は少し悩むが、「買い物をしてくる間だけ」と言って病院から出ていった。 

 

「すみません。こんな状態になってしまって…」

 

医者に向き直り、私は謝罪した。だが、医者は首を横に振る。そして言った。

 

「その子なんです。例の生存者というのは……」

 

◆◇◆

 

「何や?」

 

学は声のする方を見た。そこでは、神夜の姉、神流が数名と話している姿が見えた。

 

「おっ、神流さんやないか」  

 

友人の姉、しかも美人という事もあり、学は声を掛けようと椅子から腰を上げる。

 

「…でも、仕事中っぽいからなぁ…」

 

しかし、そう言ってすぐに腰を降ろした。流石に遠慮した方が良いと感じたのだ。

 

「九条さん。九条学さん」

 

そう考えていると、名前を呼ばれた。

 

「はいよ」

 

さっと腰を上げ、学は診察室へ歩いた。

 

「一日に病院二件かぁ…、結構キツいなぁ…」

 

そう呟きながら。

 

◆◇◆ 

 

 

医者の話では、雪音は退院間近だったらしい。だが、今回の件に巻き込まれたため、外傷と、その精神状態を確認する必要があり、ここに運ばれたらしい。

 

「かんなさんは、かれしとかいるんですか?」

 

最も、その必要は無かったようだが。

 

このような少女に、直接話を聞くのは良くないのだが、私はどうしても直接聞きたかった。

 

報道の人間として、ではなく、一人の人間として。

 

「ねぇ、雪音ちゃん」

 

「なぁに?」

 

雪音は私の言葉に反応する。私たちは椅子に並んで座り、雪音は私を見上げていた。

 

「どうやって助かったの?あの場所から…」

 

「えーっとね…」

 

医者の話では、雪音はあの病院がどうなったかは知らないらしい。いずれ知ることになるが、それは辛い事だと感じる。

 

雪音は私に笑顔を向ける。その笑顔が逆に心苦しい。 

雪音は明るい声で言った。  

 

「くろいおねぇちゃんがたすけてくれたのっ」

 

◆◇◆ 

 

 

小鳥の囀りが聞こえる。差し込む日差しがボクを覚醒へと導いてゆく。

 

「んっ…」

 

寒い。そう言えば、床で寝てしまったのだった。

 

遠くからシャワーの音。姉が帰ってきたのだろうか。 

そこまで考え、ボクはようやく目を開く。隣でエンジェが眠っていた。

 

「あっ、シーフィっ」

 

思い出し、慌てて振り返る。が、彼女はそこには居なかった。パニックに陥るボク。

 

階下へ駆け降りる。居間、玄関、その他色々な部屋を回って彼女を探す。だが、見つからない。

 

姉に見つかる前に、どうなかして彼女を見つけださないといけない!

 

ボクが家中を駆け回っていると、後ろから声を掛けられた。

 

「何やってるんだ?お前」

 

「話し掛けないでくれ、シーフィ。今忙しいんだ」

 

「?…ふ〜ん」

 

シーフィにそう言って、ボクはシーフィを探しに、もう一度自室に戻ろうとする。

 

「……」

 

居間へ向かうシーフィを置い……て。

 

居間を見る。そこには姉のパジャマを着たシーフィが、冷蔵庫から勝手にアイスを取出し、テーブルに座って食べていた。

 

アイスを美味しそうに食べるシーフィ。今まで見たことの無い笑顔だ。

 

「…」

 

それを見て、ボクはしばらく固まっていた。足下で、エンジェがボクを見ていた。

 

◆◇ 

 

「………で、何で普通に人様の家の風呂に入ってるのさ…」

 

シーフィの反対側に座り、ボクはそう切り出した。

 

彼女は依然としてアイスに夢中。こちらの声に気付いてはいない。彼女の幸せそうな顔を見ていると「もういいや」と思ってしまう。  

 

ボクの視線に気付いたシーフィが、ボクとアイスを交互に見た。そして、一言。  

 

「…お前も食べたいのか?」「いるかぁあぁっ?!」

 

シーフィのボケに、いまだかつて無い速度で突っ込みを入れる。彼女は、何故ボクが叫んでいるのか分からない。そんな表情だ。

 

「…もしかして……」

 

シーフィが何かに気付いたような表情をした。ようやくボクの言葉の意味を理解したのだろうか。

 

彼女は真剣な眼差しでボクを見る。

 

鋭い眼光に、ボクは生唾を呑み込む。

 

彼女は口を開いた。

 

「お前……一緒に入りたかったのか?…風呂…」

 

ガンッ…… 

 

ボクはテーブルに突っ伏した。額を強く打ち付けたが、余りに阿呆らしく、痛みをあまり感じなかった。

 

と言うか、シーフィのこの発言は天然なのだろうか。いや、そうとしか考えられない。

 

「だが、残念だったな。私はそんなに軽い女ではないぞ」

 

話を続けているシーフィ。ボクは手をヒラヒラと振り、取り敢えず否定する。

 

 

「じゃあ、何だと言うんだ」 

 

本気で分からないのか、彼女は眉間に皺を寄せる。

 

「いや、普通他人の家の風呂に断り無く入るのはどうかと…」

 

そう言って、ボクはテーブルの端にあったコップを取り、お茶を注いで口に含んだ。

 

「お前こそ、女を家に連れ込むのはどうかと思うぞ?」

 

「ぶっ!」

 

吹き出した。お茶を。

 

「なっ!人聞きの悪い事を言わないでくれっ!それに、あれはキミを助けるためじゃないか!」

 

「別に頼んでないし、お前の家へ連れてけなんて、一言も言ってない」

 

「……」

 

いや、確かにそうだけど。ボクは反論出来なかった。 

「それに、服が脱がされていたな。…お前、何する気だった?」

 

シーフィの言葉に、ボクは彼女の白い肌を思い出してしまった。

 

顔が熱くなる。何かを言おうとするが、上手く言葉に出来ない。

 

「…ぷっ」

 

そんなボクを見て、シーフィが吹き出す。笑いは次第に大きくなり、ついには腹を抱えて笑いだした。

 

「かっ、からかったな!?」  

 

ボクは腰を上げ、前のめりになりながら怒りを顕にするが、シーフィは気にせず笑い続けた。

 

足下でエンジェがボクの真似をしている。何がしたいんだ、コイツは……

 

結局。彼女の笑いが収まるまで数分かかった。

 

◇◆ 

 

「……聞かないんだな」

 

「何を?」

 

笑いが収まったシーフィはそう言った。 

 

今日は平日だが、この状態では仕方ない。ボクは、彼女の笑いが収まるまでの間に学校に風邪を引いたと電話を掛け、椅子に腰を降ろした所だった。 

 

シーフィの目は打って変わって真剣な物だった。

 

「見たんだろ?…傷口」

 

「…」

 

ボクは無言で頷いた。シーフィは目を伏せる。

 

「…それなら、何で聞かないんだ…」

 

先程までの勢いは無く、とても小さな声だ。ボクは静かに、最大限優しく言った。 

 

「話したくないなら、話さなくていいよ」

 

「え…?」

 

シーフィが息を呑んだ。ポカンと、間の抜けた顔をしている。

 

「キミが話したくなったら話せばいい。ボクは…その…」

 

小っ恥ずかしくて頭を掻く。顔も熱い。でも言いたい。

 

「信用してるから…キミの事…」

 

彼女がどういった人物なのかは気になる。だが、シーフィは恩人で、ボクは彼女を信用している。だから、彼女が話したくないなら無理に聞く必要はない。そう思った。

 

「……とう」

 

シーフィが何か呟いた。良くは聞き取れなかったが、その後に彼女が見せた笑顔を見たらそれもどうでも良くなった。

 

「…じゃあ、そろそろ」

 

シーフィは立ち上がり、帰ろうとした。ボクはそれを止めた。

 

「ちょっと待って」

 

玄関まで歩いていたシーフィが振り返る。

 

「何だ?」

 

素で気付いていないのだろうか。仕方なくボクは指摘した。

 

「それ…姉さんのパジャマなんだけど」

 

服を確認したシーフィが、顔を真っ赤にした。

 

◇◆◇

 

シーフィを送り出し、ボクは欠伸をしながら時計を見た。

 

十一時。そろそろ姉が帰ってくる時間帯だ。

 

「…?」

 

どういう言い訳をしようか。そう考えていると、妙に頭が痛い事に気付いた。

 

正確には、気付いてはいたのだが、テーブルにぶつけた所為だろうと思っていたのだ。 

 

体温計で計ってみる事にする。数分後、小気味の良い音が体温計から聞こえた。 

 

「…八度六分」

 

…どうやら、嘘が誠になってしまったらしい。

 

◇◆◇ 

 


空は赤く染まり、時間がそれだけ流れた事を教えてくれた。時計を見れば、針が四時を指していた。

 

昼頃に姉は一度帰ってきたが、すぐにまた出ていってしまった。相当忙しいようだ。

 

結果、風邪薬を飲んだ後ずっと眠り、現在に至る。

 

「……はぁ」

 

溜め息を一つ吐く。暇過ぎる。

 

だが、一人で居ることを暇だと感じるのは不思議だった。ついこの間までのボクでは有り得ない考えだ。

 

みゃあっ!

 

ボクの脇でエンジェが鳴く。まるで、自分が居ると主張しているようだった。

 

エンジェの頭を撫でてやる。すると嬉しそうに擦り寄ってきた。

 

その時、インターホンが鳴った。誰かが来たらしい。 

 

ボクはゆっくりと立ち上がり、玄関へ向かった。

 

そして、扉を開くとそこには。

 

「こんにちは、聖原君」

 

「お見舞い来たで〜」

 

大方の予想通り、空と学が立っていた。

 

取り敢えず中へ招き入れる。 

自室へ移動し、学校での出来事等を話した。

 

「そう言えば、神ちゃんはしっとるか?」

 

二人が来て三十分が経とうとした時、思い出したように学がそう切り出した。

 

「何を?」

 

ボクがそう返すと、学がニヤリと笑った。空は呆れたように溜め息を吐く。

 

「最近、この辺りで話題になっとる事件。知っとるやろ?」

 

「あぁ、あのニュースでやってるヤツ?」

 

十日前程から起こっている騒ぎ。ニュースでも何回か目にしている。先日も姉が現場へ向かっているのをテレビで見たばかりだ。

 

「何でも、建物が原因不明の倒壊をしてるって」

 

「そうそう、ソレだよソレ」 

ピンと人差し指を立てる学。空が学を睨む。

 

「聖原君、聞き流していいですよ。学はふざけて言ってるだけなんだから」

 

学が空を無視して続けた。 

「あの事件、悪魔の仕業やって噂されとるんや」

 

「悪魔?」

 

普通に考えれば、学は阿呆らしい話をしている。小学生でも馬鹿にするような話だ。

 

でも、ボクはその話に惹き付けられた。何故かは分からない。不思議と興味が湧いたのだ。

 

「そんでな?全ての事件に共通する事が、一つあるんや」

 

「何だよ、その共通する事って」

 

学の口元に笑みが浮かぶ。空は完全にボク等を無視してエンジェと遊んでいた。  



 

「黒装束を着た、金髪の美少女が目撃されとるんや」  

 

◇◆◇ 

「さようなら、聖原君」

 

「ほな、さいなら」

 

五時半を過ぎた頃。二人は帰っていった。辺りはすでに暗い。ボクはすぐに自室へ戻った。

 

「…」

 

学の話がボクの頭から離れない。気になって仕方ないのだ。

 

『黒装束を着た、金髪の美少女が目撃されとるんや』 

 

そのフレーズが強く残っていた。そして、ボクが思い浮かべたのは。

 

「シーフィ…」

 

別に彼女を疑っているわけでわない。

 

今朝、ボクは彼女に「話したくなったら話せばいい」と言った。

 

だが、それなら彼女はいつになったら話してくれる? 

矛盾した感情がボクを包む。彼女の意志を尊重したい。だが、知りたい。

 

そして、彼女が無関係で、彼女の身が安全である事を確認したい。

 

これも不思議だ。会って間もない相手の身を、どうしてボクは、ここまで心配しているのだろうか。

 

「姉さんに…相談してみようかな…」

 

ベッドの上。ボクは窓の外、遥か上空にある薄い雲のかかった月を眺めていた。 

 

◇◆◇ 

 

 

姉が帰ってきたのは夜の九時過ぎだった。ボクは玄関まで迎えに行く。だが、姉は。


「しぃ〜んやぁ〜?かえっらよぉ〜」

 

異常なまでに酔っ払っていた… 

 

「あの姉さ…」

 

「しぃ〜んやぁ〜っ」

 

ガバァッと、思い切り抱き締められた。女性とは思えない力。身動きは疎か、呼吸すら上手く出来ない。

 

初めて知った。姉は酒癖が悪い。

 

姉の新たな一面を見れて、嬉しいのか悲しいのか。ひとまず、渾身の力で姉を突き放す。

 

「姉さんっ、いい加減…に…って、えぇっ?!」

 

「うぅっ…ぐすっ…」

 

今度は愚図りだした。そして。

 

「うわあぁぁぁあぁぁぁんっ!!」

 

大声で泣きだした。声が響き渡る。ペタンとその場に崩れる姉。

 

 

「はぁ…」

 

溜め息が漏れ、体から力が抜けた。

 

◇◆

 

 

「いやぁ、申し訳ない」

 

あっけらかんとした口調で姉はそう言った。まだ顔は赤い。

 

「いいけどさぁ…」

 

居間のテーブルに突っ伏して、ボクは呻く。姉は反対側に座り、鼻歌を歌っている。

 

結局、姉が泣き止むのに一時間かかった。(最後は水をぶっかけた)その所為で、時刻は十時を回っていた。

 

「神夜、夕飯は食べたのか?」

 

そう言えば食べていなかった。昼も食欲が無く、軽くしか食べていなかった。

 

熱も落ち着いていたため、その事を思い出すと、急に空腹がボクを襲った。

 

「いや、まだだけど…」

 

ボクがそう答えると、姉は親指を立て、笑顔でボクを見せた。

 

いつまでこのテンションは続くのだろうか…

 

姉は手に持っていたビニール袋から『寿司』と書かれた箱を取り出した。

 

 

「アンタはおっさんか……何げに高そうだし…」

 

と言うか、風邪で寝込んでる弟を一人残して、何故外食に行ける……

 

「まっ、食いな食いなっ!」 

 

姉は自分の分を取り出す。まだ食うのか… 

 

だが、指摘してまた泣かれても堪らない。渋々、高級寿司に箸をつけた。……うん、美味い。

 

姉も寿司を頬張る。本当に機嫌が良さそうだ。ボクは一つ聞いてみる。

 

「機嫌が良いみたいだけど、どうしたの?」

 

「ん?」

 

ボクの問いに、満面の笑みを向ける姉。そして勢い良く立ち上がり、箸を天に向けた。

 

「何とっ!一週間のお休みを頂いてしまいましたぁっ!!」

 

「…ふ〜ん…」

 

呆然と見つめるボクに、姉はビシィィッと箸を突き付ける。

 

「つまり!神夜との親睦を深める事が出来るのです!!」

 

サッとボクの後ろに移動する姉。そして、ボクの事を優しく抱き締めた。

 

「ねぇ神夜?明日どこ行きたい?」

 

明日は土曜日。なら遊びに行くのも良いかもしれない。

 

……遊ぶ?

 

「あっ!」

 

ボクは閃いた。思わず立ち上がってしまい、後ろにいた姉が尻餅をついてしまう。

 

「どっどうしたの?!」

 

姉が目を白黒させている。 

「ごめん姉さん。明日は無理!」

 

そう言ってボクは自室へ向かった。まずは体調を整えなければいけない。

 

居間で姉が駄々を捏ねているのが分かる。ボクは。

 

「ごめんっ!でも、ありがとうっ!姉さん!!」

 

それだけを言って、自室に入った。

 

◆◇◆ 

 

 

居間に取り残され、神流は椅子に座り、呆然と神夜の残した寿司を見つめていた。

 

「……はぁ…」

 

神流の吐いた溜め息には、悲しみが籠もっていた。

 

みゃあ 

 

足下でエンジェが鳴いていた。神流はエンジェを抱え、自分の脚のうえに移動させた。

 

「ほら、食いたいなら食いな?」

 

エンジェは嬉しそうに寿司のネタを頬張る。神流はエンジェを撫でながら、もう一度溜め息を吐いた。

 

「…やっぱり『姉さん』……か…」

 

神夜の駆けていった廊下を見る。寂しいと、その表情が語っていた。

 

「さあ…夜は長い。…もう一度飲み直すか」

 

ビニール袋から缶ビールを取り出す。蓋を開け、中身を口に含んだ。

 

◆◇◆

 

 

翌朝、体温を計ると熱は下がっていた。でも念の為に薬を飲んでおく。

 

服装を確認する。私服は少ないので自信はない。ジーパンに厚手の白いTシャツ。その上に黒い革のジャンパーを羽織った。

 

まぁ、特に問題は無いだろう。

 

財布の中身を確認。八千円弱。おそらくは大丈夫だろう。

 

 

あとは、シーフィがいつもの場所に居るかどうかだが。…多分大丈夫だろう。

 

「…不確定要素、多過ぎるな…」

 

明日にしようとも思ったが、可能なら最大限早くしたかった。

 

時計の針は午前十時を指している。いい頃合いだ。

 

玄関へ向かう。靴紐をしっかりと結ぶ。結んでいると、今更ながら緊張してきた。

 

「…落ち着け…落ち着け…」 

自分に暗示を掛ける。必死にやっていると、背後から。

 

「何言ってるんだ?」

 

姉が声を掛けてきた。表情は見えないが、絶対眉間に皺を寄せている。

 

「いや、ちょっと…」

 

 

何も言えない。恥ずかし過ぎる。

 

「…いってらっしゃい」

 

小さな声で姉はそう言った。どこか寂しそうな声に、ボクは驚いた。

 

「私の誘いを断って行くんだから、楽しんでこい。…でないと、怒るぞ?」

 

その姉の言葉に何かが引っ掛かったが、ボクには分からなかった。

 

だが、姉の言う通りだ。楽しもう。思う存分。

 

そう考えると、体から力がすっと抜けたような気がした。

 

「…ありがとう、姉さん。…行ってきますっ!」

 

ボクは外へ飛び出した。

 

◆◇◆ 

 

雪が固まり、滑りやすくなっている道を、転ばないように走る。

 

だが、気を付けても何度か転びそうになる。しかし、足が止まる事はなかった。

 

速く、速く。もっと速く! 

そう思いながら走っていた。とにかく、とにかく速く。

 

しばらくして、いつものビルに辿り着く。階段を駆け上がる。いつも通りだ。

 

彼女、シーフィの事が知りたいなら、仲良くなればいい。そう思った。

 

つまり、友達になるのだ。 

 

階段を駆け上がった勢いそのままに、ボクは屋上の扉を開け放った。

 

いつもの場所に……いた。 

 

今日は傷がない。元気なシーフィだ。

 

それを見て、ボクはほっと胸を撫で下ろす。

 

 

シーフィは振り向いて、ボクを見た。驚いた顔をしている。

 

そんな彼女に、ボクは少し息を整え、言った。

 





 

「遊びに行こうっ!今から!!」 

積もった雪が、朝日で輝く。 

 

それは… 

 

楽しい一日を予感させる物のように感じた……

えーっと、活動報告に色々書いてあります。気になる方は御覧ください。

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