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第二章〜過去・現在〜

次の日、ボクはまた廃ビルの屋上を訪れていた。

 

降り積もる雪が夕日で染まり輝く。 

 

周囲を見回せば、同じようなビルの頭が見える。ここだけが地上から隔離された世界。 

 

雪が嫌いなボクも、この風景は好きになれた。無骨なビルの群れも、この一時のみは素晴らしく、掛け替えの無いものに姿を変える。  

ボクは隣に座る少女に視線を移す。 

 

少女は金髪を弄りながら何かを考えていた。

 

少女の名前はシーフィ。

 

 

その独特な、まるでどこかの民族衣裳の様な服に身を包む、名前以外は全てが謎の少女。歳はパッと見、十五、六といったところか。  

他人嫌いのボクが、どうしてこの少女に会いたいと思ったのか、それはボク自身分からない。 

 

だが、彼女から感じる雰囲気は、ボクの心を落ち着かせた。それが、自己紹介以降一つの会話もしていないのに、今日ボクがここに来た理由だ。

 

「ねぇ…シーフィ」

 

意を決し、シーフィに声を掛けてみる。

 

彼女は数秒遅れてから。

 

「………何だ?」

 

と答えた。

 

話題を考えていなかったボクは慌て、咄嗟に疑問をぶつけていた。

 

「どうして、ここにいるの?」

 

「………………」

 

言った後に、ボクは地雷を踏んだと確信した。彼女が息を呑むのが分かったからだ。

 

「………お前もそうだろ?」  

「…あ、あはは、そうだね」 

シーフィが発した言葉に相づちを打つ。

 

どうにかして会話をしようと、必死に考えていると。 

「…なぁ、神夜」

 

意外にもシーフィが沈黙を破り、初めてボクの名前を呼んだ。 

「……いや、何でもない」

 

だが、シーフィ自ら会話を切ってしまった。でも、ボクは嬉しかった。今日の収穫は、会話こそ出来なかったが名前を呼んでもらえた。という事だろう。

 

ちらりと空を見る。幻想的な時間は終わりを告げ、漆黒の闇が迫ってきている。 

暗くなるまで居ては危険だろう。冬の陽の長さを恨みながらボクは帰路につくことにする。

 

「シーフィは家どこなの?」  

自然と言葉が出ていた。普通は聞けない事が何故かさらりと口から滑り落ちていた。 

 

「…………ない」

 

シーフィは呟く。確かに彼女は今『ない』と言った。 

「…じゃあ、昨日も…ずっとここに?」

 

「……あぁ」

 

ボクの問いを、彼女は肯定した。 

 

耳を疑った。信じられなかった。寒空の下、こんな所で寝泊りなんて普通じゃない。それに、不憫過ぎる。 

「……お前が気にする事じゃない」

 

表情に出ていたのだろうか。シーフィは少し表情を和らげ、ボクを心配させないように微笑む。

 

「…いや、でも…」

 

後の言葉は出てこない。会ったばかりの男が家に呼ぶなんてもっての他だ。

 

「もう帰れ、暗くなるとこの辺りは危険だ」

 

「……うん」

 

彼女に促され、ボクは帰路に着いた。何も出来ない自分に腹が立った。

 

帰り道は漆黒の闇に包まれていた。 

 

◇◆◇ 

無言で家のなかに入る。鍵が開いていたから、姉が帰宅しているのだろう。

 

みゃあ… 

 

エンジェが足元にいた。

 

エンジェは甘えた様な声を出しながら、ボクの足に擦り寄ってきた。その姿が愛らしい。

 

姉に気付かれるのも嫌なので、エンジェを抱え上げ、ボクは二階へと上がった。 

◇◆◇ 

 

自室に入っても、特にする事はない。溜め息を吐きながら、ベッドに身を横たえた。

 

寝返りを打ち、仰向けになる。 

 

天井を見上げ、シーフィの事を思い出した。

 

屋上に一人の不思議な少女。ボクは何故彼女に惹かれたのだろう。

 

あの独特な雰囲気に?−いや、違う。

 

あの美しい容姿に?−それも違う。

 

ボクが彼女に惹かれたのは、もっと深く、根本にある気がした。

 

みゃっ

 

エンジェがベッドに上り、ボクに戯れついてきた。

 

頭を撫でてやる。するとエンジェは嬉しそうな声を出し、目を細めた。

 

ここ数日。大嫌いな雪が降り続き、例年なら苛立ちが一層激しくなるところだが、今年は殆ど無い。

 

それもエンジェやシーフィとの出会いのお陰だろうか。ボクは幸せそうなエンジェに。

 

「ありがとう」

 

そう呟いていた。

 

みゃ?

 

 

エンジェは不思議そうにボクの目を覗き込んだ。

 

 

明日もあのビルへ行こう。ボクはそう思った。

 

◇◆◇ 

 

 

「……」

 

朝、玄関から外へ出た時、ボクは言葉を失っていた。 

 

ボクを唖然とさせた主は、出てきたボクに笑顔で手を振った。

 

主、桜花空はボクの目の前まで小走りでやってきた。  

「おはよう、聖原君」

 

「………」

 

 

無視をして隣を通り過ぎる。空が焦ってボクの服の袖を掴んだ。

 

「何だよ」

 

乱暴に振り払う。空はムッとした表情で見上げてきた。

 

「良いじゃないですか、友達なんですから」

 

「いつなったんだよ」

 

空の中でボクは既に友達になっているらしい。信じられない程能天気だと思う。 

 

「友達は気付かぬうちになってる物ですよ」

 

どこかで聞いたようなクサイ台詞を言う空。ボクは唖然呆然。ポカンとしているボクの腕に、空は自身の腕を絡ませてきた。

 

「なっ……」

 

「学校、遅れますよ?」

 

自分の顔が赤くなるのが分かる。突き離そうにも、女に暴力するわけにはいかない。

 

「早くっ!」

 

空はボクの腕を引き、ボクはされるがままについていく事になってしまった。

 

◇◆◇ 

 

 

教室に到着し、ボク達はそれぞれの席に座る。

 

その途中、学の席を見る。 

「九条君、大丈夫かしら」

「心配だわ……」

 

そんな女子の声が聞こえた。

 

学は容姿が良好なため、校内で学に好意を寄せる女子は少なくない。最も、ボクにとってはどうでもいい事なのだが。

 

学は昨日学校へ来なかった。その事で女子は不安感を募らせているようだ。

 

ガラッ… 

 

不意に教室の扉が開く。学だった。

 

「お早う、皆さん」

 

中途半端な関西弁を聞き、数名の女子が学へと駆け寄る。そして、学の身を按じる言葉を掛ける。

 

「九条君…その怪我は…」

 

一人の女子が学の怪我に気付いた。 

 

学ランの上からで良くは見えないが、胸の辺りを包帯で固定しているように見える。そうだ、あの位置は…… 

 

「いやぁ、参った。風呂場ですっ転んで胸強打したんやからなぁ」

 

完全な嘘。ボクには分かった。

 

学は笑顔をこちらに向け。 

「お早よう!神ちゃん!」

 

そう言った。

 

何故、どうしてそのような笑顔を向けられるのか分からない。

 

ボクは返事をせず、ずっと窓の外を眺めていた……

 

◇◆◇ 

 

 

「神ちゃん一緒に食おう」

 

給食の時間、別の班の学が机を寄せてきた。

 

「あ、私も」

 

空までもが机を寄せてくる。 

 

この二人はクラスの人気者だ。男子、女子両陣営の視線が刺さる。

 

「断る」

 

ボクは短く答え、二人と距離をとった。それでも二人は構わずその距離を詰めてくる。 

 

何度距離を開いても詰めてくる。最終的にはボクが折れる形になってしまった。 

「………」

「………」

「………」

 

無言の食事。ボクからしたらそれで一向に構わないのだが、二人は何やら落ち着かない様子だ。

 

「ね、ねぇ…」

 

空が口を開く。ボクは給食の味噌汁を飲む。

 

「え、え〜っと…」

 

いい加減、見ていて苛立ってきた。コイツはボクと話す時だけこのようになる。 

話しにくいなら最初から声を掛けるなと思う。

 

 

「何だよ」

 

ボクが睨むと、空は肩をびくつかせ、小動物の様にこちらを見た。瞳は潤んでいる。

 

「その…ごめんなさい…」

 

空が謝る横で、学が劇場の芸人ように転けた。

 

何をやってるんだ、コイツ等は…… 

 

「……あ…」

 

空がボクの顔を見て、小さく声を上げた。

 

「今、聖原君……一瞬だったけど…」

 

言葉の一つ一つを確かめるように、空は言う。そして、最後の言葉は満面の笑みで言った。

 

「……笑いました……」

 

笑った?ボクが? 

 

自分の口元に手を当てる。……いつもと変わらない。 

空は嬉しそうに笑う。学はようやく起き上がり、何が起こったのか分からない様子で、ボクと空を交互に見ている。

 

「…………っ!」

 

無意識にボクは立ち上がり、教室を飛び出していた。 

後ろから空と学の声が聞こえる。 

 

声は次第に遠く、聞こえなくなる。それでもボクは走った。 

 

『一瞬だったけど……笑いました……』

 

信じられないその言葉が、耳から離れるまで……

 

◇◆◇ 

「はぁっ…はぁっ…」

 

息が切れる。足が重い。胸が熱い。 

 

そしてボクは…… 

 

「何だ…今日は早いな」

 

またシーフィのいるビルへと来ていた。

 

シーフィが少し面食らった顔をした。 

「ボクは今、笑ってる?」

 

気付くとボクはそんな事を口走っていた。訳が分からない。

 

「いや、死にそうな顔だが」  

シーフィは冷静に答える。彼女の声を聞き、ボクは不思議と安心した。

 

足から力が抜け、ボクはその場に膝をついた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

ボクの様子がおかしいことに気付いたシーフィが、ボクの傍へ来て、優しく肩に手を置いた。 

 

何故だろう。やっぱり彼女と居ると心が安まる。そして嬉しくなる。

 

言い様の無い不思議な感覚…… 

 

ボクはシーフィに出会う事を望んでいた。そんな気がした。

 

 

「………実は」

 

彼女には自分の胸中を全て話しても大丈夫。そう思ったボクは、先程の事だけではなく、『全て』を話していた……… 

 

◇◆◇ 

ボクが物心ついた頃。既に親族はボクを奇異の目で見ていた。 

 

まるでドブ鼠を見るかの様な、冷たい瞳。

 

ボクはそんな視線に囲まれて生活していた。

 

とある秋の夕暮れ時。ボクは父と一緒に、川原を歩いていた。仲良く手を繋いで。

 

すぐ近くにある川。水音が優しい音色を奏でている。すっと心が安まるのを感じながら、ボクは父を見上げる。

 

今ではもう、思い出せない父の顔を…… 

 

「……お父さん……」

 

消えそうなボクの声。それは小さな水音にも消されてしまいかねない、小さな小さな声。

 

それでも父は、聞き逃すことなく答えてくれた。

 

「…なんだい?…神夜…」

  

ボクが口にするのは残酷な言葉。…そう、ボクは分かっていた。

 

何故親族は、ボクをあのように見るのかを…… 

 

「……ボクは…」

 

気付いていたのだ。ボクは…… 

 

「ほんとに…お母さんの子なの?」

 

自分が父と母の、本当の子ではない事を……

 

「………………」

 

父は無言でボクの手を強く握った。凄く暖かい、父の大きな手。

 

もし、父が本当の父で無くても、ボクが世界で唯一信じた人は…… 

 

「帰ろうか…」

 

この人だけだった……

 

「……うんっ」

 

無邪気な笑みを浮かべ、ボクは歩いた。

 

 

◇◆◇ 

母は既に他界。事の真相を知るのは父だけだ。

 

だが父は、ボクが誰の子だと、何度聞かれても口を閉ざし続けた。 

だからだろうか、ボクは愛人との間に生まれた、汚れた子だと言われた。

 

家に居てもする事が無い。 

ボクは広い床に、仰向けになったり、うつ伏せになったり。忙しなく体勢を変え続けた。

 

とっとっとっ…

 

小気味の良い足音。その足音だけで分かる。…姉だ。 

 

近所の高校に通う姉。今まで特に会話らしい会話をした記憶が無い。互いに距離を置き、牽制しあっている。

 

居間の扉が開き、姉が入ってくる。 

 

一度目が合う。

 

だが、すぐに視線を外し、足早にテレビの電源を点け、ソファーに腰を落ち着けた。

 

 

きっと、コイツもボクを嫌っているんだ。そうだ、そうに違いない。

 

早く父が帰ってくることを、毎日願っていた……

 

◇◆◇

 

 

秋が終わり、冬がやってくる。

 

父が帰ってきて、ボクは満面の笑みを浮かべていた。  

金曜日。父はボクに言った。

 

「週末は遊びにいこうな…」  

それを聞いたボクは、嬉しくて、楽しみで……

 

その夜はいくら目を閉じても眠ることが出来なかった。

 

明け方。変な音がして、居間に向かった……

 

そこからは記憶が無い…… 

◇◆◇  

 

気付くと雪に埋もれていた…… 

 

家の中に居た筈なのに…… 

隣が……赤い……

 

何が起こった?何があった?これは何?

 

隣に誰かいる……

 

それが誰かボクは知っている。それは……

 

「…お父……さん?」

 

間違いない。父だった…… 

身を起こし、父を見る。

 

腹が裂け、中身をぶちまけて、四肢は変な方向に曲がっている。それなのに、顔は綺麗なまま……

 

空を見る。屋根がなくなって、雪が降っていた。今年の、初雪……

 

姉が遠くで震えているのが見えた。今はそんなのどうでもいい……

 

ボクは失ったんだ……

 

その日、突然……

 

世界で唯一の……

 

大切な味方を……

 

◇◆◇ 

葬儀が執り行われた。その間、親族目に晒され続け、ボクは荒んだ。

 

姉は高校を中退して働き始めた。

 

ボクは何がどのようになったのか、全く知らなかった。全て、姉が一人で決めていた。

 

ボクは一人でずっと引き籠もっていた。肩を震わせていた。恐怖に…怯えていた。 

電話が鳴り、それを取る。 

『愛人の子が』

 

それだけで電話は切れる。  

また鳴る。取る。切れる。鳴る。鳴る。鳴る。鳴る…… 

 

「……何で居ないんだ……アイツは…」

 

……そうだ。

 

アイツが居ないのは当たり前なんだ。

 

電話が鳴る。だがもう聞こえなかった。

 

「っくく…あはは……」

 

笑いが漏れた。 

 

「ミンナ死ンジマエ…」

 

アイツは助けに来ない、来る理由が無い。でも来ない理由は有る。

 

呪いの言葉を漏らして、ボクは笑った。

 

「アァ、デモアイツハ駄目ダ。」

 

アイツが死んだら生活が出来なくなる。なら、願おう……

 

ボクを傷つける奴の死を…… 

 

◇◆◇ 

 

「叔母さんが亡くなったらしいよ……」

 

姉が心痛な面持ちで目を伏せる。

 

ボクはそれを聞いて、無言で自室へ移動する。

 

「ははっ…あははははははははっ!!」

 

笑いが木霊した。

 

◇◆◇ 

 

「願ったら皆死んだよ。偶然かもしれないけど、変な電話は無くなった」

 

「………………」

 

狂った話だ。内容が支離滅裂。もしかしたら、狂ったボクの見た妄想かもしれない。

 

「なぁ、お前は何が許せないんだ?」 

シーフィがじっとボクを見て、いや、睨んで言った。 

「……え?」

 

ボクは言われた意味が分からず、言葉を詰まらせた。  

 

「…私にはお前が…」

 

彼女は一言。ボクに言った…… 

 

◇◆◇ 

 

自室に籠もり、膝を抱え、ボクは震えていた。

 

シーフィはボクにこう言ったのだ。 

 

『お前は寂しがっているだけだ』と…… 

 

「ボクが……?」

 

そんな筈がない。しかし、彼女の言葉が、頭から離れない。

 

「寂しいのか?ボクは…」

 

分からない。自分の感情が…分からない… 

 

みゃあ? 

 

エンジェが心配そうにボクを見上げていた。

 

だが、エンジェに構っていられる状態ではない。

 

『後は自分で確かめろ』

 

彼女はそうも言った。

 

……そうだ。考えているだけじゃ埒が開かない。

 

自分で確かめるしかない。 

ボクは腰を上げた……

 

◇◆◇ 

 

居間に入ると姉が酒を飲み、夜食を摂っていた。

 

ボクに気付いていないのか、ずっと独り言を言っている。

 

「…………………え…」

 

聞こえた姉の声。信じられない言葉…… 

 

次はよりはっきりと、鮮明に…… 

 

「神夜……ゴメン……」

 

涙混じりの声。静かにだが、姉は泣いていた。

 

「姉…さん…」

 

今まで、一度も姉と呼んだことはなかった。でも今は、自然と言えた。

 

言葉にした時、心が暖かくなった。

 

ボクの声に、姉は髪を乱しながら振り向いた。

 

「神夜…」

 

姉は驚いた顔をしながらボクの顔を見つめ、呟いた。  

「…泣いて…いるのか?」

 

「えっ……」

 

顔を触る。目から大粒の涙が…零れていた…

 

膝から力が抜けた。その場にぺたりとへたり込む。

 

「ごめんなさい……」

 

何に対する謝罪なのか、ボク自身分からない。それでも、ボクは謝り続けた。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…」

 

思えば、父が死んでから初めての涙かもしれない。

 

八年間分の涙。それは際限無しに溢れだした。

 

「大丈夫……私も…ごめんなさい…」

 

いつの間にか傍に来ていた姉がボクの肩を抱き、謝罪の言葉を口にしていた。

 

「私こそ…神夜が一番辛い時に、傍に居てやれなかった……」

 

そこまで言って、姉は泣きだした。

 

そこからはもう、会話にならなかった。

 

二人でずっと、夜が明けるまでずっと…… 

 

泣き続けた……… 

 

◇◆◇ 

「行ってきます」


「行ってらっしゃい」

 

姉とこうやって挨拶するのは初めてだ。 

 

互いに目を腫らしている。 

あれだけ泣けば当たり前だ。頭は痛いし、目は痛いし、それに眠い。 

 

でも、気分はとても晴れやかだ。

 

これからの生活が楽しみになってきた。そして今日、もう一つやらなければいけない事がある。

 

「おはよう、聖原君」

 

昨日同様、空が家の前で待っていた。

 

「……と、お姉さん?」

 

空が姉を見ておずおずと聞いた。

 

「あぁ、聖原神流だ。よろしく」

 

姉は満面の笑みを浮かべた。こんな顔の姉を見るのは初めてかもしれない。いかに自分が時間を無駄にしていたか、それを痛感した。 

姉の笑顔を見て、何故か空は固まっていた。

 

「……です…」

 

「…え?」

「…え?」

 

空が口をパクパクと、まるで金魚のように動かしながら、何かを必死に言おうとしている。

 

ややあって、ダムが決壊したかのような勢いで… 

 

「ファンですっ!サイン下さいっ!」

 

そう言って、紙とペンを突き出していた。

 

◇◆◇ 

 

「あぁ…まさか本当に姉弟だったなんて…」

 

「まさか……ボクに近づいたのはそれが目的?」

 

姉のサインに、恍惚とした表情で頬擦りしている空に、ボクはそう聞いた。

 

姉のサインに頬擦りをしている人を見ると、弟としては気味が悪い。 

 

「いえっ、聖原君に近づいたのは、純粋に聖原君の事がす………」

 

ボンッ 

 

空の顔が林檎になった。

 

わけが分からない。

 

こうも変なテンションでいられると、こちらも話を切り出すタイミングがない。  

「あれ?今日は仲ええな」

 

通学路の辻路に差し掛かった時、いつもの中途半端な関西弁が聞こえた。

 

学が電柱に寄り掛かっていた。どうやら待ち伏せしていたらしい。

 

「お早う、神ちゃん」

 

「あぁ、おはよう」

 

学の顔が、笑顔のまま凝固する。そして、その顔のまま空を、路の脇まで引っ張っていった。

 

しばらくして、二人は戻ってきた。そして、声を揃え。

 

「お早う、神ちゃん」

「おはよう、聖原君」

 

「あぁ、おはよう」

 

同じ事を言われたので、同じように返した。

 

数秒の沈黙の後、学が…

 

「神ちゃぁ〜〜ん」

 

何故か泣き付いてきた。コイツのテンションもおかしかった。

 

「は、放してくれ」

 

取り敢えず引き剥がす。学に抱きつかれると、ボクは完璧に潰される形になる。 

そうでなくても引き剥がすと思うが…… 

 

 

「空……キミがそんな顔するのはどうかと思う。さっき、姉さんのサインに頬擦りしてたくせに」

 

呆然と立ち尽くして、口を開けてボーッとしている空。ボクは細やかな指摘をする。

 

「あ、いや、さっきは挨拶してくれなかったから……って、あれ?」

 

空が新しく違和感を感じたようだ。その違和感の正体に気付き、また唖然とした。 

 

「どうしたんや?空」

 

ボクに引っ付くのを諦めた学が、空の様子に気付いた。 

「聖原君…もう一度、名前呼んでもらえますか?」

 

「……?」

 

空に言われた通り口にする。 

 

「……空」

 

空と学が顔を見合わせる。 

「神ちゃん、俺の名前も呼んでみてくれんか?」

 

「……学」

 

もう一度互いに顔を見合わせる空と学。次にこちらを向いた時、二人の目が少し潤んでいた。

 

 

「名前…初めて呼び捨てにしてくれましたね」

 

「空はええよ、俺なんか初めて名前呼ばれたんやから」

 

二人が口々に言う。

 

ボクも無意識だったから気付かなかった。自然と二人の名を呼んでいた。

 

その時、学校から予鈴が響いてきた。かなり長い時間が経っていたようだ。

 

「やばっ、いくで!二人とも!」

 

学が駆け出し、ボクと空はそれに続いた。

 

◇◆◇ 

 

 

放課後。ボクと学、そして空の三人は教室に残っていた。 

 

ボクが二人に話があると言って残ってもらったからだ。 

 

「ごめん、二人とも忙しいのに…」

 

ボクは素直に謝罪する。ボク等は中学三年生だ。それぞれに受験が迫っている。だからこの教室にも、ボク等以外は誰もいない。

 

「いんや、ええよ?どうせ神ちゃん、遊びに誘うつもりやったし」

 

「そうだね」

 

屈託の無い笑みをボクに向けてくれる。昨日までは嫌悪していた笑顔。それが今は無償に嬉しい。

 

ボクは自分の殻に閉じ籠もっていただけ。それで人に当たってしまった。悪いのはボク。これは言い訳できない事実。

 

だから、しなくてはいけない事がある…… 

 

ボクは二人を見つめる。

 

「その……」


口が渇く。喉まで出かかっているのに、出てこない。 

二人は急かすことはしない。黙ってボクの言葉を待っている。

 

ゆっくり、ボクはそれを口にした。

  

「今まで…ずっとごめん」

 

先程の謝罪とは別の謝罪。 

これが、ボクのしなくてはいけない事だ。

 

「二人は…今までボクを気遣ってくれていた。…それなのに、ボクは二人に酷い事を言ってしまった…」

 

二人は無言でボクを見る。決して茶化す事はない。

 

「それに、学には怪我をさせてしまった。…本当に……ごめん……」

 

後半は声が擦れ、小さくなっていた。それでも、最後まで言い切った。

 

許されなくていい。ただ、謝りたかった。

 

「確かに俺は、神ちゃんに怪我を負わされた…」

 

「…………」

 

学が口を開く。空は黙って学の言葉を聞いている。

 

ボクは心臓が止まりそうになる。仕方ない。それは真実だから… 

 

学は言葉を続ける。それは、ボクは耳を疑った……

 

「…でも、俺は風呂で転けたと言った。……それで、ええんちゃうんか?」

 

「………えっ…」

 

信じられなかった。あり得ない。 

「いいわけないだろっ?!ボクは許されなくて当然なんだっ!何でそんな事を言えるんだよっ!」

 

叫んでいた。許された筈なのに、それをボクが許せなかった。 

 

何が許せなかったのか、やっと分かった。 

 

ボクは…ボク自身が許せないんだ… 

 

肩に暖かい感触。学がボクの肩に手を置いていた。

 

優しい笑顔を浮かべていた。

 

「神ちゃんは気付いとらんけど、神ちゃんは優しいんや。…昔、何があったかは知らん。だから、それは神ちゃんの問題や…」

 

一度言葉を切り、呼吸を置いてから学は続ける。

 

「…でも、寂しいんやったら、一緒に居てやれる。…素直に謝った奴を、無条件で許してやれる。…それが…」

 

いつの間にか、空もボクの肩に手を置いていた。

 

空も学の言葉に耳を傾けていた。

 

 「……友達やろ?……」

 

学の言葉を聞いたとき、ボクの目から涙が流れていた。夜、あれ程泣いたのに、また沢山流れてきた。

 

「私達が許すから、自分を許して上げて?」

 

空が言う。

 

どうしてこの二人が、ボクの友達になろうとしたのかは分からない。でも、二人の言葉は暖かい。今、ボクはそれだけで良かった。   

自分が満たされていく。口からは、言葉が漏れていた。

 

  「…ありがとう」

 

あぁ…本当に…


友達はいつの間にか出来ている物だったんだ…… 

◇◆◇ 

 

二人は一緒に帰ろうと言ってくれたが、ボクは断った。

 

今一番に、感謝の気持ちを伝えたい人がいたから。

 

相変わらず、雪を見ると悲しくなる。それは仕方ない。 

 

でも、これからは楽しい思い出を作ろう。今はそう思えた。

 

走る足も、昨日とは違い軽快だ。ボクの心は弾んでいる。 

 

この気持ちを思い出させてくれた彼女に、感謝の気持ちを伝えたい。

 

ボクは走り続け、いつの間にか、いつもの屋上の扉の前に立っていた。

 

勢い良く扉を開く。

 

「シーフィ!キミのお陰……で…」

 

いつも通りの彼女が居るはず。そう思って扉を開いたボクは言葉を失った。

 

いつもは夕日の赤に染まる屋上の雪。

 

でも今日は…… 

 

「シーフィっ?!」

 

ボクはいつもの場所に居た、いつもとは違う少女に駆け寄った。

 

彼女はいつもの場所に倒れていた。

 

雪を染める赤…… 

 

今日の赤は…… 

 


 

彼女の鮮血だった……

指摘や分からないところがあれば、是非お聞かせ下さい。

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