第一章〜二人の出会い〜
雪が降っていた……
ただ静かに、ゆっくりと…
手に乗るとすぐに形を変えてしまう。
今年も冬が訪れていた……
雪が降るなか、傘もささず。
蟻のような集団があった…
父親が死んだ。
ボクは何も感じなかった。
ただ時間が過ぎるのを待っていた。
姉が話をしていた……
親戚から励まされていた。
会話の途中、親戚達がボクに視線を送る。
奇異、嫌悪の眼差し……
だが、そんな物どうでもよかった……
父が死に、母も昔に亡くなった。
だが、両親の死など些末な事でしかない。
蟻共を見つめ、ボクは時間が過ぎるのを待った。
その瞳に純粋な殺意を湛えながら………
◇◆◇
「…ちっ」
舌打ちをしながらボクは身を起こした。
自室には何もない。ベッドとタンス、そして小さな机があるだけだ。
目覚めは最悪。だが、再び寝れそうにもなかった。
暦は十二月。ボクは閉めきっていたカーテンを開いた。
空から舞い降りる白い綿。
雪だった……
「8年前…か」
恐らく、雪が降っていたからだろう。
あんな夢を見たのは……
「……ちっ」
もう一度舌打ち。
仕方なくボクは部屋を出た。
◇◆◇
階段を下りて洗面所へ向かう。顔を洗いたかった。
鏡の前に辿り着く。
鏡に映る自分を見る。
適当に肩口で切られた黒い髪、前髪は目にかかる程。 男のくせに女のように大きな目。
眉間には皺を寄せ、鏡の向こうからこちらを睨んでいた。
背も大きくない、まるで女の子だった。
「滑稽だな。聖原神夜」
自分を睨みつける自分に悪態を吐いた。
歯を磨き、顔を洗う。
そして今更ながら時計を見た。
7時半……
休日の朝に、何故こんな早くに……
全てはあの夢の所為だ。
両親の葬式。今日のように雪の降る朝だった。
ガシャン
苛立ちを、近くにあったゴミ箱にぶつけ、ボクは居間へ向かった。
◇◆◇◆
居間に入ると机に書き置きがあるのが目に入った。
二人暮しにも関わらず、数人が一度に使える机。
姉曰く、ボクの友達が来た時のためらしい。
ふとその事を思い出してしまい、ボクは殴るように書き置きを取った。
苛ついている。全部あの夢の所為。
ボクは書き置きに視線を落とす。
そこには、『仕事が入った。昼は冷蔵庫』と書かれていた。
どうやらボクが朝を食べないのは決定事項らしい。
冷蔵庫を開き、中を確認する。……昼食以外何もない。
そう分かると急に腹が減ってきた。
「何か、買いに行くか」
誰に言うでもなく、ボクは呟いた。
◆◇◆◇
まだ雪が降っていた。
ボクの頬に落ち、水滴に変わる。
ボクはそれを拭おうとはしない。
しばらくしてボクは歩きだした。
近くのコンビニにいこう。何かあるはずだ。
休日の朝に外を出歩くやつは少ないだろう。いるのは犬の散歩をしている人ぐらいだ。
「あっ、聖原くんっ」
後ろから明るい少女の声が聞こえた。
ボクは溜め息をつきながら振り返る。きっと眉間には皺が寄っているだろう。
「何?桜花空」
振り返った先にいた少女。桜花空。
同じ中学に通い、偶々同じクラスなだけの女子だ。 ボクも背は低いがコイツはさらに低い。
大きな小動物のような目でこっちを見上げてくる。 栗色の髪は肩口で揃えられていた。
何故かコイツは最近よく話し掛けてくる。ボクからしたらうざったいだけなのだが。
「なっ、何でフルネームなんですかぁ……」
しゅんと俯く空。その行為が更にボクを苛つかせる。
「用が無いなら良いですか?早く行きたいんですけど」
「えっ、あ、私も行きますっ」
何でだよ……、ボクは聞こえないように舌を打った。
「寒く……ないんですか?」
空がボクの格好を見て言う。確かに寒い。
ボクは適当に引っ張りだした服を着ている。それに対し空は、いかにも暖かそうなコートを着て、手には手袋を着けていた。
「関係ないだろ」
「関係あります、私達は友達です」
いつからだよ。
そう口にしようとした時。
「んなぁっ?!神ちゃんやないかぁ!!……ついでに空も」
煩いのが来た。
「今日は厄日だ」
ボクが肩を落とす隣で。
「ちょっとぉ!何で私はついでなのよ?!」
空が目くじらを立てていた。
「お前なんかついでで十分や、このドチビ」
「誰がドチビよ!この……」
空はそこで詰まる。相手の容姿に欠点が見当たらなかったからからだ。
空が話している相手。
パッと見180程はあるだろう。すらりとした体躯、所謂八頭身だ。
防寒具は手袋のみ。流石に寒そうだが、本人のテンションからは関係ないという事が分かる。
切れ長の目、ライオンのような金髪。
それがこの男、九条学。空と並んでボクに必要以上に絡む奴だ。
ゆっくりと近づいてきて、膝を曲げ、整った顔でボクの顔を覗いてきた。
「遊びに行こうぜ?神ちゃん」
関西訛りで喋る学。おそらく、関西出身なのだろう。
だが、遊びなどボクは興味が無い。
いや、他人すらどうでもいい。親戚も、肉親も……
「何が友達だ」
無視して歩きだす。
「し、神ちゃん?!」
「友達?ふざけるな……」
ボクは吐き捨てる。
そして、二人を見る。
「ちっ、死ねよ」
簡単に口から出た呪いの言葉。でも、これがボクの本心。
「もうボクに構うな」
住宅街の細い道。雪の舞う地に、ボクの声が残響した。
◇◆◇◆
「やっぱダメかぁ…」
取り残された学は、肩を落としながら溜め息をついた。
「はぁ……」
横にいた空も溜め息をつく。
ここ二ヵ月、誘い続けているのだが全く脈が無い。
「また明日、頑張ってみっか」
「そうね」
諦めの悪い二人だった。
◆◇◆
コンビニを出る。雪は止んでいた。
「……」
空を見上げてみる。晴れ間が覗き、日の光が差し込んでいた。
自然と自分の顔が綻ぶのを感じた。
雪が嫌い。それはあの日の記憶が起因しているのだが、何故かそれだけでは無いように感じる。
「なんだって言うんだ?」
日差しが眩しい。積もった雪にも反射し、目が眩む。
みゃあ……
「あ?」
猫の声だろうか。
「あっちか?」
声がしたのはコンビニの角の方だ。ボクの足は自然とそちらにむかっていた。
みゃあ……
近くなっている。
ボクはコンビニと民家の隙間を覗いた。
はたして、そこにいた。
「何やってんだよ…」
猫は足に怪我をし、寒さに耐えるように身を縮めている。野良猫のようだ。
手を伸ばす。猫は警戒して毛を逆立てる。
「大丈夫」
自分の物とは思えない程に優しい声だった。
人は嫌いだが、動物は好きだ。劣等感も、恨みも持たない。穢れの無い純粋さがあるだけだ。
「ほら、ここに」
手を開く。猫は人差し指に噛み付いた。
「大丈夫だよ」
痛みを堪えながら笑みを作る。心配させないように…
猫の警戒もとけたようで、噛むのをやめてくれた。
そして手に乗ってくれたので、そのままゆっくりと出してやる。
「大丈夫か?寒かっただろ」
みゃあ…
小さい声で答えた猫は、想像よりも一回り小さかった。
優しく抱いてやる。すると、身を丸めてまた一つ鳴いた。
「…………」
純粋にいとおしいと感じた。だが、この感情は人には一生感じないだろう。
猫は傷を舐めた。その行動一つがまたいとおしい。
ボクは似合わない笑みを浮かべながら帰路についた。
◆◇◆◇
家について、ボクは居間にパンを置き、猫を風呂場へ連れていく。
猫を温めるためのお湯を用意する。
用意したお湯で猫を洗ってやる。すると先程までは分からなかったが、猫はとても綺麗な白猫だった。
「綺麗だな」
にゃあっ
誉められたことが分かるかのように猫は鳴いた。
不思議とこの猫は水を嫌がらない。ボクのことを信頼しているというのなら、それはとても嬉しい事だ。
タオルで水を拭き取ってやる。嬉しそうに猫は鳴いた。
「名前が無いのは不憫だよな……」
みゃあ…
本当にこの猫は言葉が分かる。そんな気がしてきた。
「んぅ……」
頭を捻る。だが思いつかない。
みゃっ
期待に満ちた目でボクを見上げる猫。
ボクは一つ思いついた。
「エンジェ……」
みゃ?
Angelic(無垢)をいじった名前だ。この白猫には丁度いい名前に感じた。
「お前は今日からエンジェだ」
みゃあっ
ボクの言葉に、エンジェは喜びを体で表現する。
ボクの肩に登り、顔を舐めてくる。
「くすぐったいよ」
みゃっ
舐めるのをやめても、肩からは降りようとはしない。 小さな猫だからいいのだけど……
居間へ移動する。
椅子に座ると、エンジェが膝にちょこんと乗った。
パンの袋を開けると、エンジェはじぃっとそれを見つめる。
「…ちょっと待ってな」
エンジェを膝から降ろし、冷蔵庫の扉を調べに行く。
中を物色すると、鯖缶を見つけた。
「ほら」
開封してエンジェの前に置く。
みゃあ
目を輝かせながら鯖を頬張るエンジェ。相当腹が減っていたようだ。
ボクも椅子に座り、パンを頬張る。
いつもとは違う、面白い食卓だった。
◇◆◇◆
二階の自室に移動し、課題を広げた。
エンジェはベッドでとぐろを巻き、静かに眠っている。
課題は数学、ボクの得意科目だ。これに関しては誰にも負ける気がしない。
程なくして課題は終了する。
エンジェに占領されたベッドを見る。
相も変わらず、エンジェは眠っている。
ボクは床に転がる。
眠ってしまおうとも思ったが、イマイチ眠気もない。
時計を見る。針は11時を指していた。
「……昼、食べようかな」
少し早いが、昼食を摂ることにする。
ボクの声に反応して、エンジェがむくりと起き上がる。……食い意地のはった奴め。
階下に下り居間に向かうと、姉が椅子に腰掛けていた。
聖原神流。ボクの姉だ。
背はボクより少し高い程度。ボク同様の黒髪は腰の辺りまで伸びている。
切れ長の目は、どちらかと言えば男性的な雰囲気がする。
顔自体は整っていると、誰かが言っていた気がする。本人だったか……
掛けてあるコートが濡れているのを見れば、今さっき帰って来たのだろう。
外を確認する。案の定、雪がまた降っていた。
それだけで、ボクは嫌な気持ちになる。
「お、神夜。ただいま」
こちらに気付いた姉がボクに声を掛けた。
「…………あぁ」
短く答え、冷蔵庫から昼食を取り出す。そして、敢えて正面にならないように一つずらして座る。
代わりにエンジェが姉の向かいに座る。
姉はエンジェを見て、笑顔を浮かべた。
「何だ?捨て猫か?」
エンジェから視線を外さず、姉はどこか嬉しそうに言った。
「…………違う」
ポテトサラダを口に運びながら答える。
「じゃあ、どうしたんだ?この子」
「関係ないだろ」
うざったい………
「関係ないって事はないだろ?」
「………………」
煩い……
人と話しているだけで気分が悪くなる。それは親族も一緒だ。
いや、親族だからこそ……
「なぁ、神夜?」
「うるせぇっ!!ボクに話しかけんなって、いつになったら分かるんだよっ!!」
ダンッッ
「話しているだけで反吐が出る!!どうせテメェもボクが殺ったと思ってんだろ!!」
隣でエンジェが跳ね上がるのが分かった。ボクは激情を抑えることなく吐き出し続ける。
「わ、私は…そんな事っ」
「喋んな!!テメェも一緒だ!!アイツ等と!!!」
食べ掛けの料理を残し、ボクは居間を出た。エンジェもボクを追い、居間から出てきた。
「神夜っ!!」
姉が叫んでいたが無視し、階段を駆け上がる。自室に入り、鍵を掛ける。そしてそのままベッドに倒れこんだ。
畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ッッッ!!
雪も、姉も、ボクを乱す。
「畜生っ……」
エンジェはちょこんとベッドの下に座っている。
次第にボクは、深い眠りへと落ちていった……
◆◇◆◇
雪が降っている。
冷たい、とても冷たい雪が……
地に積もる雪。
それは不自然な赤だった。
ボクの衣服も深紅。
自宅の天井に不自然な穴。
舞い降りる雪。
前に倒れる不自然な物。
先程まで、父と呼称していた『物』。
震える姉。吹き飛んだ屋根。深紅の父……
今日は不自然な物ばかりだ。
「父さん。どうしたの?」
触れる。揺する。触れる。揺する。揺する。揺する。
手には父の赤。
服にも父の赤。
ボクの全身が赤。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤……
それでも……
ボクは父を揺すり続ける…
◇◆◇◆
「うわああぁっ!!」
ボクは跳ね起きた。身体中、嫌な汗をかいている。
エンジェが何事かと、部屋中を走り回っている。
「はぁっ…はぁっ…」
息が荒い。呼吸が乱れている。
エンジェが隣へ来てくれた。そのお陰で、幾分か落ち着く。
「あの夢か……」
父が死んだ時の、殺された時の夢……
今尚、脳裏から離れない光景……
「っ!」
激しく頭を掻いた。
エンジェがボクの膝に乗る。小首を傾げ、ボクの顔を覗き込む。
「あ、あぁ……ゴメン。心配かけたね」
みゃあ……
エンジェの頭を撫でる。だが、エンジェは悲しそうな声を出した。
時計を見る。
6時……
意外と長い時間眠っていたようだ。
昼食が中途半端だったため、腹が減っていた。
気が進まないが、居間へ向かうことにする。
◆◇◆
居間に行くと、またテーブルの上に一枚の書き置きがあった。
『仕事に行ってくる。今日は帰れない』
ありがたい。ボクは冷蔵庫から昼食の残りを取出し、机の上に置いた。
エンジェが食品を食い入るように見つめている。……ったく、この猫は。
「ほら」
昼には手を付けなかった鮭を、エンジェの目の前に置いてやる。
みゃっ
短く鳴き、勢いよく鮭を頬張る。見ているこちらも嬉しくなってくる程だった。
料理を作る人の気持ちはコレよりも大きいのだろうか……
アレを許すつもりはないが、胸に小さな針が刺さるように感じた。
ほんの少し後悔。
足元で鮭を貪るエンジェを見る。依然、その表情は変わらない。
「本当に幸せそうだな。エンジェ」
みゃ?
エンジェはボクを見上げる。……少し癒された。
食事を終え、食器を片付ける。
テレビを点ける。丁度、夕方のニュースがやっていた。
『た、只今入って来ましたニュースです』
キャスターが慌てた様子で、手渡せられた原稿に目を落とした。
ボクはぼーっと画面を見つめている。アレが『緊急の仕事』で出たから、ニュースの内容が変更になるのは分かっていた。
『現場の聖原さん?聖原さん?』
テレビの画面に先程までここにいたアイツがマイクを持ち、崩れたビルの前に立っている。
これがアイツの仕事なのだ。
高校を二年で中退し、就職。学歴のハンデを持ち前の行動力、判断力で補っている出世頭……と、誰かが言っていたような気がする。
ちなみに、報道以外にも編集等もしているらしい。
過労死しないか不安を感じる者も多い……と、これも誰かが言っていたような……
「……………」
誰だったか……
「まぁいいか」
重要性はないだろう。
アイツが立っていたのは近所なビルだ。改めてよく見てみる。
「……………?」
見間違いだろうか、ビルの中に誰かがいたような気がした。
「気のせい…か?」
そう思ったが、この事が頭から離れることはなかった。
◆◇◆◇
プルルルルルッ…
電話が鳴っている。
震える手で、ボクは受話器を手に取る。
「はい……聖原です……」
受話器の向こうから聞こえる声。
「本当の子じゃないくせに」
ガチャッツー…ツー…ツー
受話器を置けばまた鳴り響く。
ボクは震える手でまたそれを手に取った。
◆◇◆
「また……」
またあの頃の夢だ。
やはり外は雪が降っていた。
大きな溜め息を一つ、身を起こし、時計を見る。
6時。
「起きるか…」
エンジェは足元でまだ気持ち良さそうに眠っている。
起こさないように気を付けながらベッドから下りる。
制服を取出し、それに着替える。
いつもと変わらない、変化のない朝。無味乾燥な日々。
親戚からは後ろ指を指され、他人を嫌い、遠ざける。
それもあの日から、父が死んだあの日から。
ボクは誰も必要としていないし、誰もボクを必要としていない。
「はぁ……」
着替え終わり、また一つ大きな溜め息が出た。
「所詮他人なんて信用できない」
そうだ、他人は所詮他人。
唯一信用した父も死に、世界に味方がいなくなったあの日から……
分かっていた事だ……
◆◇◆
退屈な時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。と言っても、ボクに楽しい時間などないのだが。
ボク以外の奴等はさっさと帰路につく。
一応、ボクも三年だ。今年は受験がある。
「神ちゃ〜んっ」
背中に何かがボクに覆い被さった。
「離せよ」
乱暴に振り払う。
学だった。相変わらずコイツは……
「絡むな。ボクは誰とも遊ばないし、友達もいらないんだよ」
「………………」
黙った学を置き去りにして、ボクは教室を出ようとした。
「なぁ、神ちゃん」
学がボクを呼び止めた。
無視すればよかったのだが、何故か足を止めてしまった。
「何だよ」
ボクの言葉に学は口を開く。
「神ちゃん、無理してないか?」
独特の関西訛りで学は言った。
「無理?ボクが?」
「ああ、そうや」
ボクの問いに、学は真面目な顔をして頷いた。
「無理なんかしていない。ボクは一人が良いから一人でいるだけだ」
突き放す。だが、学は気にした様子もなく答える。
「それが無理しとるいうんや」
静かに、ただ静かに言った。小さな声だったが、誰もいない教室にはよく通った。
「そうやって突き放して、ホントは友達が欲しいんちゃうんか?だから……」
「……うるせぇよ」
学の言葉を遮る。
結局、コイツは何も分かっていない。話していても無駄だった。
「誰が無理してるって?勝手な口上たれてんじゃねぇよ。友達が欲しい?ふざけんな。そんなもん、欲しいと思ったことはない」
静かだが、自分でも分かるぐらい殺気立った声だ。
「所詮他人。誰もボクの事は理解できない。だから…」
呆然としている学の前に立つ。そして、学の胸に手を当て。
「これ以上話し掛けるな」
手に軽く力を込める。学が倒れて床に転がった。
ボクは踵を返し、教室を出た。
◆◇◆
夕暮れの街。ビルは赤く染まり、地に積もる雪も同様に染まっていた。
赤く染まる雪を見ると、記憶が蘇る。
早く帰りたかった。だが、ここは通学路ではない。
それでも来たのは昨日のニュースの所為だった。
崩れたビルの中に見えた人影。見間違いでなければ女性のように見えた。
立ち並ぶビル。普段から然程人気は多くはない道だが、昨日の一件があった所為で出歩く人は全くいない。
閑散とした道。まるで、ここ一帯が廃墟となったようだった。
崩れたビルを探す。この辺りの筈だ。
ボクは暫らくの間、休むことなく歩き続けた。
◆◇◆
私はやることもなく、ただただ空を仰いでいた。
私の身勝手で、一体どれだけの人が被害に遭っただろうか。
そればかりを考えていた。
私はどうすれば償える?
私はどうすれば許される?
私は……どうすれば……
眼下には、崩れたビルが見えていた……
◆◇◆
「ここ……だよな」
探し始めて約一時間。ようやく件のビルを発見した。
警官が大勢警備していると思ったが、調査が終了したらしく、極少数の警官しか見当たらなかった。
改めてみると、損壊は中々に酷く、一部のみが不思議と削り取られているようにも見えた。
人影が見えたのはビルの入り口。侵入禁止のテープが張られていた。
そこを見ていても仕方がない。ボクは周囲を見回す。
何故、いるかも分からない、もしかしたら見間違いかもしれない人物をここまで必死に探しているのか、ボク自身さっぱり解らなかった。
それでもボクは必死に探した。そして。
「……いた…」
見つけた。向かいのビルの屋上。女性の影……
「………っ!」
その影を見た瞬間。ボクは駆け出していた。
あの人に、どうしても会わなければいけない。そう思った。
入ったビルは、使用されていなかった。エレベーターも動かず、階段で必死に上を目指す。
階数は多くはないが、それでも息がすぐに上がり、冬の冷たい空気が肺を刺した。
「はぁっ…はぁっ…」
呼吸が荒れ、脚が疲れる。だが、足の動きを止めない。いや、止められなかった。
二分程駆け上り、屋上への扉に辿り着いた。
呼吸を整える。そして、ゆっくりと扉を開いた。
◇◆◇
扉の先。そこは地上から見る街、世界とは異なる場所だった。
広く、何もない殺風景な空間に……少女は立っていた。
雪の積もるコンクリート。地上と同じように赤く染まっていた。だが、その光の反射が少女を綺麗に映えさせていた。
少女がこっちに気付き振り向いた。
金色に輝く、若干雑に肩口で揃えられた髪。
この世の物とは思えない程整った顔。
強気な性格が伺える吊り上がった目尻。瞳は赤く、見る者全てが吸い込まれるようだ。
身体は、見たことの無い、黒い服に包まれていた。
少女から醸し出される不思議な雰囲気に……いや、美しさに、ボクは言葉を失っていた。
ボクが呆然としていると、少女が口を開いた。
「………誰だ」
凛として、透き通った声。
その声にボクはまた、言葉を失った。
「……誰だと聞いている」
返事をしないボクに、少女は先程よりも語気を強めて聞いてきた。
ボクは、乾いた喉から無理矢理声を絞りだした。
「…はじめ、まして…」
「ああ、初めまして」
少女は答え、優しく微笑んだ。
ボクの運命の歯車が……
静かに、回り始めた……