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5. 忠義の士、赤穂藩士たちの顛末

隠れている炭焼き小屋の外からは怒号と激しい足音が聞こえてくる。ここもそのうち見つかるだろう。

 

「だ、だいじょうぶです。それがしがついております。それに騒ぎを聞きつけて助けもまいりましょう」

 

 殿のおわす城下町で襲撃など奉行所がだまっちゃいないはずだ。しかし、吉良様はゆるゆるとかぶりを振った。

 

「いや、おそらくこないだろう。文が届いてすぐに報告はしたのだ。しかし、『主君の仇討ちは武士の誉れ』と言って断られた」

 

「では、盗賊改がすぐにかけつけるでしょう。屋敷に押入る不届きものどもをひっとらえてくれるです」

 

「そちらも『忠義の行い』といってのう」

 

「正義はないのか……」

 

 江戸城下で堂々と起こる襲撃事件が見逃されるのか。

 そもそも松の廊下での事件の後、呉服橋にあった屋敷から江戸郊外の本所松坂町にうつされたがこの場所は襲ってくれといっているようなものだ。

 官憲は役に立たない。自力でなんとかせねばならぬらしい。

 

「孫の義周に家督も譲った。あとやることがあるとすればお篠のことだったのう。できれば良縁をつなげたかったのだが、このようなことに巻き込んでしもうた」

 

「身の回りのものまで暇を出しまって、どうされるつもりだったのですか。私は覚悟の上です」

 

 吉良様はすき好んでこの無愛想な侍女を残したわけではないらしい。

 

「そうだ、おぬし、お篠を連れて逃げてはくれぬか。ここまで助けに参ったのだ。おぬしにも覚悟はあろう」

 

「え?」

 

「そ、そうなのですか、安藤様」

 

「え……?」

 

 なぜかお篠は感極まったように頬を赤くしている。吉良様はまるで孫をみる祖父のような顔つきをなさっている。

 よくわからないが、とにかくこの場を切り抜けるための状況を整理する。

 

「あきらめるのはまだ早いです。一つお聞きしますが、吉良様は腕に覚えはございますか?」

 

「幼少に手ほどきを受けたっきり刀を抜いたことはないのう」

 

 それがしも刀に触るよりも箒を握っている時間の方が長い。

 万事休す。

 せめて、あの箒だけでも守りたい。部屋の中を見回すと積まれた薪や雑多な道具に混じって、それは壁に立てかけてあった。

 

「おお、無事であったか」

 

 感極まりながらその箒を手にとり触り心地をたしかめた。できるなら、これで掃除をしてみたかった。感激にひたっていると、お篠がじっとこちらを見ている。

 

「最初にお会いしたときから妙にその箒を気にかけていましたけど、どうしてでしょうか?」

 

「無論、この箒の美しさに見とれていたからだ」

 

「そんな!?」

 

「まさか、おぬしのことを思ってのことと勘違いしたのか?」

 

「そ、そんなわけ、ありませんよ」

 

「おもしろいやつだな、はっはっは」

 

 そっぽをむいたお篠の表情を覗き込もうとするが見せないように逃げ回る。いやあ愉快だ。

 

「これこれ、笑いすぎだ。あんまり笑うと」

 

「笑うと……?」

 

 激しい足音が複数近づいてきた。

 

「吉良ぁぁぁぁぁ!」

 

 扉が打ち破られた。

 

「見つかっただと!?」

 

「あなたアホですか!」

 

 

 扉の外で刀を構えるのは二人の赤穂藩士。

 

「磯貝十郎左である」

「片岡源五である」

 

 一人は美男子。もうひとりは浅野様と歳が同じぐらいの男だった。

 

「おぬしが吉良義央であるか」

 

「いかにも、わしが吉良義央である」

 

 吉良様は脇差をぬいて構えた。それがしも応戦せねばと使えそうなものを探した。おっ、雑巾を見つけたぞ。

 そうしているうちにお篠が吉良様をかばうように前に出た。

 

「主をかばうか。おなごにしては勇ましいものよ」

 

「あなたたちはどうして吉良様を狙うのですか」

 

「知れたこと。送られてきた殿からの文、あの内容を見て我らは確信した。……おそらく、殿はもうすでに腹を召されてこの世から旅立たれたのだろう」

 

「えっ?」

 

 それがし達は顔を見合わせる。代表してそれがしが前に出る。

 

「待て、おぬしらは誤解しておる。浅野様はご存命である」

 

「信じられるものか。事件の日、何度か殿への目通りを田村邸の家臣たちに懇願した。しかし、大目付の庄田が取り合おうとしなかったのだ。我らに隠しているに違いない! なれば、我らは殿にご遺志に順ずるのみ!」

 

 ほんとにこいつらは話を聞かないなぁ。しかし、なぜか吉良様の心は動かされたようだった。

 

「その気性の激しさ、浅野と変わらぬのう」

 

 ずいと一歩前にでて脇差を構える。

 

 えぇ!? それがしにはわからなかった。おかしいなぁ、ちょっと待って。なんでこうなるのだろうか。ねえ、本当にやるの?

 

「ここにきて妙な潔さを。くっ、そうやって殿の気持ちを惑わせたのだな」

 

 このときの二人の表情は忠臣というより、べつの感情を感じさせるものだった。

 たしか、この二人は浅野様の恋人という話を聞いていた。

 

「饗応役をおおせつかり、苦労なさっている殿のことを心配していたというのに、まさか他の男に目移りしようとは。許せぬ。吉良を切り、我らはこの場で腹を切る!」

 

 やっぱりと確信するが、そんなことよりも向けられた刀の鈍い輝きを前につばを飲み込む。覚悟を決めて箒を構えようとしたときだった。

 

「待て待て待てい!」

 

 新手かと思ったが、割って入った声に聞き覚えがあった。塀の上から降り立った人影に注目が集まる。

 

「なんだおぬしは」

 

「それがしは掃除之者、本田伝衛門でござる」

 

「ほう、吉良の血縁のものか?」

 

「いいや、此度の件にはまったく関わりなどない」

 

「では、なぜ」

 

「掃除をしにきたのだ。貴様らのやっていることはすべてお見通しだ。此度の襲撃、忠義によるものにあらず!! それがしが真の武士というものをみせてくれようぞ。さあさあかかってこい赤穂の芋侍ども」

 

 助太刀を感謝するところであるが、登場の仕方がえらく都合が良かった。そのいきいきした表情に機をうかがっていたのではないかと疑いたくなる。

 しかし、そんな疑いにかまけているひまはない。片岡源五は本田殿に向かって行ったが、残る磯貝十郎左がこちらに刀を向けている。

 

「では、それがしがお相手つかまつろう」

 

「その格好でいわれてもなぁ」

 

 呆れたように視線を向ける先はそれがしの手元。右手に箒、左手に雑巾が握られているのみ。

 

「だが、機会は逃さぬ。おぬしを斬り、吉良を討つ。覚悟!」

 

 上段に構えた磯貝を前に箒を小脇に挟んで、両手で雑巾を絞るように構えた。

 たかが掃除用具。されど掃除用具。

 ご存知だろうか。濡れた雑巾というのは広げれば銃弾も防ぐ盾となり、絞れば刃を通さぬ鋼鉄の棒となる。

 

「なにぃ!?」

 

 しぼった雑巾は相手の刀をしっかりと受け止めた。そのまま相手の刀に巻きつけて絡めとる。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 相手は驚いたように自分の手から消えた刀を見る。

 

「掃除でそれがしに勝てるものなどいない!」

 

 雑巾から持ち替えた箒を突き出す。柄の先端がみぞちへと吸い込まれるように打ち込まれた。

 

 勝った。

 

 箒を握る手には金属質の硬い手ごたえが返ってきた。さすがに鎖帷子はつらぬけぬ。磯貝は残った脇差を抜いて近づいてくるものだから、それがしも箒の穂先でいやがらせしながら後退する。

 

「そろそろだな」

 

「何がだ?」

 

 意味ありげな本田殿の呟きを不審に思っていると、それは唐突に現れた。

 

「ええい、控えい控えい、ものども」

 

 そこにいたのは浅野様だった。隣には多門様がいる。

 

「これは殿! 生きておられたのか」

 

 磯貝と片岡は驚きながらもうれしそうな笑みを浮かべる。

 

「文で知らせたはずであろう」

 

「えっと、それは、殿が理不尽な目に会っているとばかり……」

 

 拘留中の浅野様から彼らに渡された文の内容、それを思い出す。

 

 『―――このたびの吉良上野介との確執はかねて家来たちへ知らせるはずではあったがその機会がなかった。本日のことは実にやむを得ざることであることを承知してくれ』

 

「あれはただの近況を知らせるためのものであったはずだ。おぬしらは何を勘違いしたのだ」

 

 赤穂藩士の二人は顔を見合わせたあと浅野様の顔を見る。

 

「それは、なんとややこしい」

 

「ややこしくなどありますか! あなたたち赤穂藩は普段から気が短いからそんな間違いを犯すのですよ」

 

 お篠がそれがしの手から箒をひったくって打ちかかろうとするので後ろから羽交い絞めにして必至に止める。

 

「こらえてくだされ、お篠殿。戦いは終わり申した」

 

 主君である浅野様の登場によって藩士たちは刀を納める。そして、気まずそうにこちらに話しかけてきた。

 

「あの、今日のことはなかったことに」

 

「そんなことできるわけないでしょ! どうするんですか、屋敷のこの惨状を!」

 

 *

 

 赤穂藩士による吉良邸討ち入りを聞き、とうとう起きたかと物見高い江戸の民が吉良邸に向かった。

 

 騒ぎの中で野次馬は、最初に屋敷の門の惨状を目の当たりにする。その戦いの激しさに身を震わせた。

 続いて中をのぞくと、動き回る赤穂藩士と彼らに命令を下す侍女の姿を見る。

 

「ほら、あなたたちが汚した畳です。きっちり綺麗にしてください」

 

 建物への被害はあったが死人も怪我人もいない。そこにあるのは疲れた顔の赤穂藩士と、心底うれしそうに箒を使う一人の掃除之者の姿だけだった。

 

「最高の掃き心地でござる。お篠殿、ぜひこれをそれがしにお譲りくだされ!」

 

 今は昔、これが忠義に順じた赤穂藩士たちの事件の顛末であった。

 

 

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