3. 解決?
再び出向いた田村邸にて。浅野様と牢ごしに対面する。
「また貴様か。話すことなどなにもない」
「いいえ、今回の目的は違います。今のそれがしは掃除之者としてまいりました」
目の前に箒を持ち上げてみせる。田村邸で借りたものだ。オレは賢いフリはやめた。説得だの懐柔だの、そんなのは性にあわない。
「なんのつもりだ?」
「まあまあ、焦りは禁物。まずはそれがしの話を聞いてください」
それとそんなにこっちを睨まないでください。視線の圧に耐えながらコホンと咳払いをひとつ。
「それがしは掃除之者を拝命しておりますが、掃除というものについてひとつお話させていただきます」
諸説あるが、古くは飛鳥時代から根付いたもので、それは宗教的な意味合いが強く『穢れ』をはらうというものだった。箒は神事の儀式に使われるものでもあった。
「つまり、掃除というのは『良きものを招き悪きものを吐き出す』という儀式でもあるわけです。ここには悪いものがたまっております。さあさ掃除と参りましょう」
座敷牢の部屋はあわてて用意されたようで、掃除が十分で行き届いてないのが気になっていた。座敷牢の格子って掃除しがいがありそうだな。雑巾も借りてこなければ。
と、ここまで語って浅野様の様子をチラリと見る。とにかく話のとっかかりを作ろうとしたが、無理があっただろうか。
「……おぬし、奇妙なやつだな」
おかしそうに笑っている。初めて怒り以外の表情を見た。
「浅野様も、それがしの話を途中でさえぎらずに聞いてくれる方など初めてです」
こうして話していると普通の人間であった。このままどうやって踏み込もうかと考えると、向こうから歩み寄ってくれた。
「……少し話を聞いてくれるか」
ポツリとつぶやくように口を開く浅野様に頷いてみせる。とたんにその表情が急に変わった。
「オレはなぁ!」
口調まで変わった。
「饗応役などやりとうなかった。知ってるか饗応役って」
「は、はぁ、江戸にいらした使者を接待する役職でございますか?」
「うん、そう。接待だ。あいつらが来る場所の見た目をよくして、そこで話し相手もしたりする。しかも、失礼があっちゃならねえって、やることなすこといちいち指示されるんだ。まあ、いやだったよ。でも外様大名の務めだって仕方がなく江戸までくんだりきた」
使者の饗応には莫大な予算がかかる。参勤交代と同様に外様大名に余計な蓄財をさせない意味もあるそうだ。
「赤穂から江戸までの道中はいやでしかたがなかった。着いてからもつらい毎日だった。だけど、指南役として吉良義央に会ってなにもかもが変わった。オレは初めて江戸にきてよかったと思った。右も左もわからぬオレに熱心で丁寧な指導をしてくれたんだ。オレは反省した。覚えるたびに褒めてくれることに喜びを感じるようにもなって、オレはがんばった。あの人に喜んでもらうために」
なんだ、二人とも仲良かったんじゃないか。
「でも勘違いするな!」
急な大声にびくりと体が反応する。
「オレはやましい気持ちなんて一切なかった! 一切だ! だが、吉良は……吉良は……オレを拒絶したぁぁ!!」
うおおおおと吠え出す浅野様に、それがしは子犬のようにちぢこまり身を震わせた。やだ、こわい。
ひとしきり話すと急にしずかになった。もう大丈夫かな。大丈夫だよね。
「実は……先ほど吉良様と話をしてまいりました。そのとき、浅野様のこともおっしゃっていました」
「どうせ、オレのことなど」
「『実はまんざらでもなかった』だそうです」
「本当なのか……?」
さっきまでの狂態はどこへやら顔つきが平時に戻っている。
「自分の不精は生まれつきで、そのうえカッとする持病があるのだ。物事を冷静に取り静めることができなかった。松之廊下ではとんでもないことをしたと思っておる」
「は、はあ。心中お察しいたします」
「城下で待っている供の者も不審に思うだろう。おぬし、文を届けてはくれぬか。多門殿の助言にしたがって、弟の長廣に藩主を譲る話もせねばならぬからな」
筆がさらさらと紙の上を運ばれていく。その文面をちらりとのぞいた。
『このたびの吉良上野介との確執はかねて家来たちへ知らせるはずではあったがその機会がなかった。本日のことは実にやむを得ざることであることを承知してくれ』
「よし、これを城下で待つ供のものたちに届けてくれ」
文を受け取り、座敷牢を後にする足取りは軽かった。田村邸の者に文を頼み、通りにでて大きく伸びをした。ため息をはくと、ようやく肩の力がぬけた。