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SAND DUST STORYS【外伝】

作者: 夢乃モグラ

これはルシファーリンクが、絶望し、囚われた過去の物語。

彼の相方、ニジェの回想によって、話は進んで行く。

彼女は、如何にして始末人となり、如何にしてリョウと出会い、運命を共にして行くことになったのか?

その経緯が、淡々と語られる。

 自らを省みて、過去を回想する気になったのは、平凡な日常に慣れて、心に余裕が出来たからだと思いたい。人は皆、生きている限り、事の軽重に差は在れ、何らかの問題に直面している。

『昔は物を思わざりけり』とか『時が癒す』とか言うが、確かに、時が過ぎて、新たに情報を得、客観的に、多角的にモノが見れる様になると、当時の自分達が妄執し、感情をむき出しにして、暴走していたのだと思い知らされる事もある。

 もう一度冷静に、当事者である私が、あの時に起こった事、あの前に起こっていた事、あの後に起こった事を考え直してみたいと思って筆を執ることにした。

 こうする事で、完全に自分の過去を、自分の歴史に出来るのではないかと期待して・・・。


         ☆


 先ずは在り来りに自己紹介から始めよう。

 私の名はニジェ。職業は殺し屋。最近は主に、相方が、表向き店主をやっている古物店で、宿六の店主の代りに、店番と、家事全般しかやっていないから、職業は『元殺し屋』と言った方が妥当なのかも知れない。表沙汰に、誇れる仕事でもない訳だし。

 私が十一歳の時、自分が生まれ育った国が、戦火に包まれて滅んだ。

 滅ぼしたのは、私の母の姉の息子なのだが、今更、そんな事はどうでも良い。

 住む場所を失い、焼け出された私達家族は、親しい親戚を頼って『ルルカ』の街に転がり込んだ。

 しかし、故国で色々と怪しげな工作活動に従事していた父は、当局の追及から逃げ切れず、逃亡の途上、捕縛され、父の身を案じた母は、父と共にその場に残り、結局、無事逃げ切って、『ルルカ』の入国管理局の門を、通り抜けることが出来たのは、私一人だけだった。

 私は、予め言い含められていた通りに、『ルルカ』の街に住む親しい親戚に、身元の保証を頼んだが、親しい親戚は既に亡く。見知らぬ親戚は、私の引き取りをアッサリと拒絶した。

 そして同時期、難民の収容所で、私は両親の死を知らされた。

 経緯は知らない。結果だけだ。真面な死に方はしていないだろうから、知りたいとも思わない。

 幼少期から背が高く、年齢不相応に大人びていると言われ続けて来た自分だが、これがショックで無かったと言えば嘘になる。

 生き残る事を優先し、気丈に耐え忍びはしたが・・・。

『ルルカ』の入管当局に、故国への強制送還か、孤児の収容施設への収監か、選択を迫られた私は、迷わず『ルルカ』の街に残る事を選択したのだった。

 これでも私は、運が良かった方だ。

『ルルカ』の街に奴隷市場があり、人身売買が盛んに行われていたのは一昔前の事だったから。

 都市規模とは言え、『ルルカ』にも国家としての体裁がある。

 私の亡命申請は、彼等にも無碍に出来ない程、法的手続きに則った公式なものだ。

 両親が逃げ切れなかったのは、主に父の職歴に問題があったからだと思う。

新共和勢力(リリパブリカント)』の工作要員(セル)として、父が、故国や親類縁者に対して何をして来たか、私は既に、その経緯を知っていた。だから、覚悟は済ませていた。

「正しい政治信条(イデオロギー)の為だったとは言え、自分がやって来た事を考えれば、旧知は、自分等親子の受入れを快く思わないかも知れない」とは、生前の父の弁だ。

 切り替え、切り捨て、薄汚いのは、人間誰しもか・・・。

『新共和勢力』は、『西方』でシオンが台頭して来る頃までは勢いがあったが、その後は見る影も無く、国力は見る見る内に他国に潜入させていた構成員を平気で切り捨てる程にまで衰退した。

 それは人生を賭け、信じていたモノに裏切られた父の最期の愚痴だったに違いない。

 とは言え、両親が、亡命前に色々と、その手の機関に手を回してくれていたお陰で、私は難なく、身に迫る危機から逃げ切る事が出来たのだった。

 程無くして、私の身柄は、入管から『ルルカ』の執政府直轄の難民孤児収容所に移される事になった。

 そして、その孤児収容所で、私は『ルルカ』の街での身元の引受人を募る事になった。

 結果、私の身元を引き受けても良いという希望者は複数、存外簡単に現れた。

 その内の一人が、『反公儀処刑人』組織の頭領『親父さん』だったと言う訳だ。

 私はそれぞれの人物と面接して、話を聞き、受け入れ先を決めた。

 私の容姿に興味のある方、過去に同情する方、意味不明な家族愛を強調する方は遠慮させてもらった。

『親父さん』の私への接触は、身元引受と言うより人材獲得(スカウト)と言った方がよかった。

『親父さん』は、私に、私を必要とする理由を語る事を躊躇ったり、偽ったりはしなかった。

 それ故に信用に値する気がした。話を受諾すれば、私が所属する事になる『反公儀処刑人』と言う、彼が立ち上げた非正規特務機関の存在に関してまで、かなり踏み込んで事前に説明を受けた。

 私が孤児院に居た頃、『親父さん』は、正体を隠して各地の擁護施設を慰問し、密かに子供達と接触して才能の有無を確認していたらしい。そして、私の中に特別な才能を見出していた。

 そう、私は最初から『殺し屋』として引き抜かれたのだ。

 だが、彼等に必要とされたのは、必ずしも『殺し』の才能ではなかった。

 私には先天的に、精神感応物質『コア・メタル』を自由に操る稀有な才能があった。

『コア・メタル』を加工して創った武器を『精神感応兵器(サイキック・ウェポン)』と言い。

 それを使いこなす者達は、総称して『手綱引く者(レイズナー)』と呼ばれた。

精神感応兵器(サイキック・ウェポン)』は前人類文明が最後に残した白兵戦兵器の到達点。

手綱引く者(レイズナー)』は、それ故に最強の戦士に成り得る。

 使いこなせれば、規格外に無敵状態な存在に、直ぐにでも成れる。

 治安維持の実績と、治安維持の理想から懸け離れた現実は、所詮、その副産物に過ぎない。

 あまり気に成ら無かった。

 当時の私はあまり気にしなかった。

「生き抜く為の力が欲しいなら、私の元に来るが良い。私は君に力を与えてやれる」

『親父さん』の、この言葉が決定打となり、私は『親父さん』の元に行く事を決めた。

 それまで、私は、激動する世の中に翻弄されて生きて来た。その中で私は常に、一人の弱者に過ぎず。父の失敗と、家の没落を目の当たりにして、世の中に振り回されない強い力を欲っしていた。

 だから、私は、その人の養女になって庇護下に入り、その才能を開花させる道を選んだ。

 それが例え、違法行為に繋がるものだとしても・・・。

 身勝手な言い分だが、『殺し屋』になるつもりは毛頭無かった。

 だが、私は確かに優秀な戦士には成りたかった。

 他人の命がゴミの様に消えて行く。

 逃げ出した動乱期の故郷の惨状は、治安が悪い『ルルカ』の現状と大差が無かった。

 組織に入る為に、私に洗脳なんて必要無い。

 亡命期の過酷な環境が、身体は未成熟でも、私の心を既に一人の戦士に鍛え上げていた。

 その証拠に、組織に身を寄せて以後の私に、他人を殺せなくて困った記憶はないから、私には、暗殺者としての才能も、神経の図太さも、既に、十二分に備わっていたに違いない。

 そして、『親父さん』の言葉に偽りは無かった。

 気分は一人前のつもりでいても、私には、戦士としての技能と経験値が圧倒的に不足していた。

 仕事を終える毎に、自分が目に見えて成長したような爽快な気分に浸れた。

 罪悪感より、遣り遂げた充実感を強く噛み締める事が出来た。

 究極の戦士として完成されて行く。

 その頃の私は、歪な自尊心とか、自己中心的と言われても、その優越感に酔い痴れていた。

 喩え、それを極めても、成れるモノは殺人兵器でしかない。

 それが判っていても、『生き残る事』が何よりも優先される、…それが最高の価値観であるこの街では、処刑人として卓越し完成されて行く達成感は、私達が直接触れ実感し得る唯一最大の歓びでもあった。

 私がリョウ達と決定的に違うのは、この部分だ、私は志願して『処刑人』になった。

 自分の意志と無関係に強要された訳では無い。


 組織で技能を磨き、仕事の実績を重ねて行く内に、私は、仲間内で『血塗られた操り人形(ラブラディアドール)のニジェ』の二つ名で呼ばれるようになって行った。

 正式な闇名は『赤い血に塗れた(カバーリングルージュ)』なのだが、どちらにしても私が持つ、血に(まみ)れた印象(イメージ)だけは誰が見ても一緒らしい。

 それには、私の血の様に紅い長い赤毛の髪の毛が一役かっているに違い無い。

 私の人生は、この業界に足を突っ込む以前から、血に(まみ)れていたとも言える。

 異様な環境に何事も無く順応し、反社会的な仕事に何の罪悪感も違和感も感じない自分は、印象だけでなく、確かに以前から、どこかが壊れていたに違い無い。

 一種の才能と言い換えても良い。しかし、そんな事はどうでも良い。

 戦国期の『西方』の武官貴族の家に生まれ落ちたら、多かれ少なかれ、これは宿命の様なものだ。

 悩んでも、悔やんでも誰も助けてはくれない。そのまま捨て置かれるだけ。それは死に直結する。

 同情されても、慰められても、不満が溜るだけ、私の心が満たされる事は無い。

 当時の『ルルカ』の現状は、過剰な罪悪感に苛まれていては生きて行けない状態だった。

 温情を殺し、互いに尊重し合うのは最低限の仲間とだけ。

 皆、環境に適応して、生きる為の障害に成るモノは、巻き添えになる前に切り捨てていかなければ、どうする事も出来なかった。…それが、賢い選択と言えた。


『親父さん』の元に引き取られると直ぐに、私は性別だけを判断基準に、街で同じ様な生業に手を染める一人の先輩暗殺者の元に師事し、共同生活を送る事になった。

 師の名はラジェ・ディスクエイド・アリア。

 二つ名は『背徳の旋律』。

 黒い瞳に、黒い髪、にも拘らず絹の様にきめ細やかな白い肌、小柄で艶っぽい容姿の女性で、人体比率は黄金律。子供の目から見ても、異性が放って置かない、かなりの美女だと判る。

 だが、自分達が街の暗部だとしたら彼女は街の恥部だ。

 師とは名ばかり、正直、彼女に師事して私が得た物は何もない。

 彼女は、確かに『反公儀処刑人』の構成員の一人だが『レイズナー』ではない。

 彼女が得意とする手口は、むしろ、女性暗殺者の常道とも言える、『房中術』だ。

『房中術』などと言えば耳障りが良い気もするが、彼女の特技は、平たく言えば『男タラシ』、有史以来、女なら誰にでも出来る色仕掛けに過ぎない。

 マア、それ故に効果絶大とも言えるが・・・。

 目的の為なら、どんな男の前でも裸になり、股を開いて、媚びを売り、相手を受け入れる事が出来る。

 それでいて、自分の性的快楽をも満たし、自己を満足させる事も出来る生粋の売春婦。

 だが、身体を交しても情を交す事は無い。事後、眉も動かさず相手の命を摘み取る事が出来る。

 ある意味、究極に完成された殺し屋。それが彼女…。

 男を身体で誘惑して、事前に殺すか、事後で殺すか。前者であれば、もう少し評価も変わるが、彼女が、情事の前に仕事を優先していたと言う話は聞かない。

 更に、仕事以外でも、快楽を求めて男を漁る様な下卑た女だ。

 生粋の男好きな癖に、一度は身体を交した男を、行為が終われば平然と殺してしまえる。

 まるで蟷螂(カマキリ)だ。イヤ、蟷螂のメスのオス殺しは、子孫繁栄の為、遺伝子に組み込まれた本能なのだから、カマキリの生殖行為を、この女の所業と同列に扱うのはカマキリに失礼だ。

 思い出してみても、彼女に良い感情が思い抱けた事は一度も無い。

 貞操観念が、私とは掛け離れていて絶望的に共感が出来ない。

 確かに、私の側にも問題はあったかも知れない。捨て去ったつもりでいても、西方王家に連なる貴族の出身であるという過去の誇りから、私は逃れ切れずにいたからだ。

 思い起こせば、私も自分の才能を鼻にかけ、組織の中で悪目立ちをしていたきらいがある。

 この街では、身体を売る女なんて珍しくもない。

 むしろ、彼女が純粋にそんな職業の人間なら、もっと気軽に和解出来ていた様な気がする。

 ラジェは、『房中術』以外にも、毒物、爆発物の知識に広く通じていた。

 その上で仕事もキッチリとこなす。

 暗殺者としての腕前は一流だったと言える。

 最後まで、彼女と相容れなかったのは、私の方が勝手に『暗殺』という仕事の中に、奇妙で、歪な、美意識を構築してしまっていたからだ。

『レイズナー』となるには、数万人に一人の特殊な才能が必要だけど、男を悦ばせるのに、特殊な才能は要らない。ぶっちゃけ、容姿に恵まれた女であれば、誰にだって、そこそこ出来る気がする。

 その優越感から私は逃れられずに居た。人殺しに貴賤なんてある筈無いのに…。

 彼女の存在は、私が勝手に作り上げていた理想の自画像を虚構にするものだった。

 身勝手な理想に彼女を嵌め込んで、勝手に毛嫌いしている私は、嫌な女だと思う。

 後は、愛に殉じて死を選択する事が出来た、彼女に対する嫉妬だろうか?

 あの頃は私も、彼女と同様、程よく壊れていたのだと思うしかない。

 自分自身を俯瞰して、達観出来る様になったのは、随分後になってからの事だった。

 閑話休題…。

 彼女との共同生活は、組織に女性構成員の数が、圧倒的に少ないという理由だけで、同室の相手が事務的に選ばれて始まり、そして終わるまで続いた。

 それ以上でも、それ以下でも無い、終始、希薄で便宜的な関係として継続された。

 彼女の方が、十歳近く年上だから、表向き彼女が師匠と言う立場になっているが、前述した通り、彼女と私とでは仕事のスタイルが全く違う。

 私が彼女から学ばなければならない事など何一つ無かった。

 出来れば、関わり合いにすら成りたくなかった。

 互いに共通する価値観も無く。

 幸いな事に、彼女もまた女の私には、さして興味が無いらしく。

 会話が成立する事も稀だった。

(…彼女の事を思い出そうとすると、こうしてまた、いつの間にか愚痴になる。)

 任務に就くと、事前に何も断る事無くフラリと出て行き、互いに音信不通になる事も頻繁にあった。まあ、隠密行動が基本の仕事だから、これは仕方が無いとして・・・。

 仕事をしくじって、そのまま、どちらかが消えていても何も感じる事は無かっただろう。

 お互いが、互いに好印象を持て無いまま、彼女との共同生活は二年以上続いた。

 彼女の絶望的に悪い男癖は、時に私を巻き込みもした。

 ラジェは、嫌がらせのつもりか、究極的に私に無関心なのか、私に無断で、街で漁って来た知らない男を、平気で家の中にまで連れ込むのだ。そして、私が居るにも構わず、平気で男と交わり、嗜みの無い下卑た嬌声を張り上げる。その耳障りな声が、私には我慢出来ない程、不快で、その都度、別の場所にある訓練室に逃げ込み、そこで夜を明かしていた。

 一度、ラジェが連れ込んだ男に不愉快な目にも合わされ掛けて、二度とそんな気を起さないように、その男を、その場で徹底的に締め上げてやったこともある。しかし、それでラジェが反省する訳でも無く、その男に抗議する訳でも無く、逆に私を非難する訳でも無かった。

 徹底的な無関心。…好意から最も離れた感情。

 そんな経緯を得て後も、私達の表向きの師弟関係は継続され、私は順調に『反公儀処刑人』としての技能(スキル)を磨き、経歴(キャリア)を重ねて行った。

 極力、お互いの生き方に干渉せず、細心の注意を払って無関心を貫く。

 それが、この生活を続ける秘訣だと信じて疑わなかった。。

 だから、二年ばかり、彼女との共同生活が続いていたにも関わらず、私は、彼女に無頓着になり過ぎていて、事件前の彼女の変化に、その兆候に、全く気付く事が出来なかった。

 後にラジェは、『若長』タケルを誘い、二人で組織を裏切り脱走する。

 この事件は、組織内に激震を齎し、私の人生にも大きな影響を及ぼすことに成った。

 なぜ、私達の暗殺集団の将来の首領候補筆頭だったタケルが、あんな、下卑た女に心を囚われてしまったのか・・・。原因らしい事態は、解明出来ても、未だに私には理解が追い付かない。

 確かに、彼女は、素行が圧倒的に悪かった。

 街で彼女と関係を持った事の無い男を、捜す方が難しいと思える程の、まさしく街の恥部。

 しかし、小柄で、均整がとれたスタイル。濡れた様なつぶらな瞳と唇に、艶っぽい黒髪。

『背徳の蜜』を体現したかの様な容姿の女…、大抵の男なら放って置けない。

 同性から見ても、類稀なる美貌と、容姿の持ち主であった事は肯定するしか他にない。

 人の情愛に方程式は無い。化学反応の様に予測は付かない。

 何が原因で、何の拍子に燃え上がるかなんて法則が、在るのか無いのかさえ判らない。

 過去にどんな瑕疵(いたみ)があったとしても、今は、この目に映るままの君で良い。

 で、成り立ってしまえるのが恋愛感情と言うものなのだ。

 感情の暴走とは言ったものである。

 今なら少しは判る気がするが、その頃の私にして見れば、二人の好意は、破滅に向って突き進む、愚行にしか思えなかった。いわば暴走列車。

 だが、それも仕方が無い。その頃の私は幼過ぎた。

 誰にもまだ、恋慕の情を抱いた事がない未熟者だった。

 そんな私に何を判れと言うのか…。


 私が、もう一人の当事者であるタケル達と、初めて顔を合わせる機会があったのは、私が、『ルルカ』の二十三番街に流れて来て、『反公儀処刑人』に加わった後の事、その年の年末の街の慰労会(イベント)に出席した時だったと思う。

 タケルの第一印象は、暗殺集団の幹部とは、とても思えない程、社交的で饒舌、紳士的で清潔、優しく上品な上にイケメンという、非の打ち処がない好青年という高評価だった。…と、記憶する。

 私達『処刑人』は、弱い街の人間に代って汚れ仕事を引き受け、それで生活の糧を得ると同時に、街の安全を守る者として、皆から、それなりに尊敬され、優遇もされていた。

 タケルの様な立場にあれば尚の事、街の娘には【入れ食い】状態でモテてた筈だ。

 異性の遊び相手に、不自由する事は無かった筈だ。にも拘らず…。

 因みに、同じ時に、初めて接触(ニアミス)したリョウの印象は、タケルとは対照的なものだった。

 タケルの闇名は『善悪の調律師』。

 だが、その頃には皆、彼のことを『若長』と呼んでいた。

 そして、彼の傍に影の様に控えるリョウは、その頃には既に『悪魔に憑かれし者(ルシファー・リンク)』の異名で呼ばれ、街の皆からでさえ、絶対的な恐怖と畏怖の対象と見做されていた。

 余談だが、彼はその頃、この通り名で呼ばれることを嫌ってはいなかった。

 むしろ、誇りに感じているかの様にさえ私には見えた。

 その名に、期待に、応えるかの様に、彼は、常に周囲に尋常ならざる殺気を漲らせ、街に(あだ)を成す者も、成さざる者も、無差別に震え上がらせていた。

 容姿や、風貌はともかく、あの殺気では、女性は興味はあっても怯えて誰も近付いて行かない。…と、言うより誰も近付けない。

 加えて、タケルが行く所には、いつも、傍に影の様に控えて付き従っているので、女性に興味の無い種類の人間だと囁やく者さえいた。

 それは、それで、それを好む腐った女の子達が居るには居たが、そんな存在は、彼を遠巻きにして(さわ)いでいるだけで、自ら近寄っては行かない。

 普通であれば、忌避されて当然の存在だと思う。

 その頃には既に、幾度かの実戦に手を染め、場数を踏んで来ている筈の私でさえ、最初にリョウに感じたのは、背筋が寒くなる程の殺気と、近寄る事も躊躇われる程の『危険な香り』だった。…とにかく、この私でさえ恐怖心を制御する事が出来ず、異常に警戒したことだけは良く覚えている。 

 

 彼は、常に周囲に細心の注意を払い、タケルに対して僅かな不心得でも感知すれば、その相手を、手段を選ばず、即座に制圧し、無力化し、断罪した。

 実際、私も、タケルに馴れ馴れしく話し掛け、近付いただけの男が、リョウに床に叩き付けられ、即座に制圧された瞬間を目の当たりにした事がある。

 全く手際が良いのか雑なのか・・・。

 極端に口数が少ないので、彼との会話が成立する筈も無く。

 とても仲間に対するとは思えない態度から、それ以前に、真面な人間とさえ思えなかった。

 こんな奴とは、出来れば一生関わり合いに成りたくないと、その時は本気で思った。

 リョウに対する、私の第一印象は最悪だったと言っても過言ではない。

 当然、特別な感情は一切、湧か無かった。

 それは、自信を持って言える。

 当時は、彼もまた、私には一切、目もくれ無かったが・・・。

 彼が後に、自分の【腐れ縁】の相手になるなんて思いも寄らなかった。

 リョウの話はともかく、問題は、なぜタケルが、ラジェの元に走ったのか、と言う事だ。

 性懲りも無く男遍歴を繰り返す、救いようの無い悪女。

 タケルだって、あの女の正体を知らない筈は無いのに、なぜ、ああなってしまったのか?

 私は未だに、(そそのか)した彼女が一番悪いと思っている。

 その考えに変わりはない。・・・頑なに、そう思いたかった。

 事件の起こる直前まで、二人に、何等かの接点があったとさえ思えないでいた。

 しかし、実際に調べてみると、比較的早い段階で、それが誤りであるという事実が判明した。

 そして、この事件の経緯の裏には、『反公儀処刑人』の首領。…我々の組織の元締めである『親父さん』が、深く関わっていることも判って来た。

 次々と明るみになる情報を、精査するとこうだ。

 孤児だったラジェは、『蜜の罠(ハニートラップ)』で、組織内外の要人の失墜・暗殺・情報収集を担う工作員になる為に、年端もいかない幼い内に『親父さん』の元に引き取られ養育された。

 工作員としての術を教え込まれる前、『親父さん』の元に引き取られて間もない無垢な幼少時に、彼女は、タケルと同じ屋根の下に暮していた時期があり、その時期に、既に二人は、後の流転して行く人生に、考えが及ぶ筈も無く、幼くも純粋な愛情を培ってしまっていたのだ。

 その後、二人は、互いに課せられた運命に翻弄され、己らの意志に反して、引き離され、そして見る陰もも無く無残に汚されて行く。…取り分け、ラジェの転落振りは筆舌に尽くし難い。

 組織に大いに期待され、それなりの時間と労力が費やされた後、ラジェは身も心も、女を武器に仕事をこなす、暗殺要員として大成して行った。しかし、それは常識的な視点から見れば、普通の女性の夢からは、最も駆け離れた醜悪な『淫売』が誕生した瞬間でしかなかった。

 彼女が相手をするのは、暗殺対象だけでは無い。

 街の男達を楽しませる事も、彼女の重要な任務だった。街の男達は、そうやって、幹部に至るまで、互いに弱味を晒して、握らせて、組織の結束を高めていたのだ。

『親父さん』は、その黒幕か? それとも、共に蜜を舐め合った者の一人に過ぎないのか?

 それは判らない。当時の街の裏では『闇の会』や『大導師』といった、私には、触れる事さえ許されない程の不可解な存在が蠢いていた。

 引き離されてから数十年、同じ街に住みながら、再び合見える事がなかった二人が、或いは意図的に引き離されていたのかも知れないが…。何の因果か、偶然か、必然か、再開を果たしてしまった時、彼等の運命の歯車は、最悪な状態で噛み合い、壊れんばかりに激しく回り始めてしまったと言う訳だ。

 タケルは自分の父の所業と、自分の存在意義に至ってまで絶望を繰り返し、ラジェと謀って、街での全てを捨てる覚悟のもと組織からの脱走を決意したのだった。

 彼は甘ちゃんだったのか。儚き理想主義者だったのか。脱走に際して、逃走資金に流用する為に、組織の金を、相当額、持ち出しているのだから、それなりに計画的で現実的とも言える。

 組織の掟は、組織と『親父さん』に、血も、命も、純潔も捧げること・・・。

 ラジェの女としての幸せを奪い去った組織の掟と、『親父さん』の所業を断罪出来ないのは、私もまた、彼女と同じ様な境遇にあるからだろうか? 私もまた、壊れているからだろうか?

 タケルとラジェの組織抜けが発覚した日の夜。

『親父さん』は、私とリョウを、自分の部屋に呼び寄せた。

 そして、私達に、二人の処分を言い渡した。

 師の不祥事に対して、弟子としての責務を果たせと言う訳だ。

 連帯責任と云うヤツだ。

「可能であれば連れ戻せ! 出来ないならば確実に止めを刺せ!」

 そう言った『親父さん』は、いつもの威厳に満ちた彼では無かった。

 側近達の手前とは言え、絞り出す様な、その声は明らかに怒りに満ち、同時に動揺していた。

 自らが積み上げて来た所業に、後ろめたさが無いとは言い切れない様子が見て取れた。

『理想』も『正義』も人の数だけ存在する。

 自己の欲求が満たされる事を、公の理想に掏り返る者も実在する。

 何が正義で、何が悪だなんて、我々には、軽々に判断は出来ない。

 少なくとも『親父さん』に救い上げてもらえなければ、生きる術を教えてもらえなければ、私達に、野垂れ死にする以外の未来なんて無かったのだ。それが例え人殺しの技だったとしても…。

「承知・・・」

 何の抑揚も無く、その命令を承諾する言葉を口にしたリョウの方に、私は驚いた。

 覗いたその目には静かな狂喜すら浮かんでいるかの様に思えた。

 まだ、説得して二人を連れ帰る余地も、(シャクではあるが)、過去の経緯を水に流して、二人が共に歩める幸せな未来を模索し得る余地も残されていると思っていたのに、彼の言葉の中には、殺害処分以外に、他の道は残されていない、既に断定しているかの様な印象が含まれていたからだ。

 リョウにとって『若長』タケルの存在は、何者にも代え難い筈なのに…。

 或いは、自分が捨てられた事に対する怒りの感情の発露なのか…。

 リョウやタケルも、甘い蜜を吸った者の一人なのか…。

 後にリョウは述懐する。

「その頃の自分は本当に、自分の力に陶酔していたと、何よりも自分がどれ程強いのか? その答えが知りたかった。それ以外になかった。恩や愛と言った感情以前に、自分よりも上位ランクと目される実力の持ち主と、公然と闘える事の方が嬉しかった」と…。

『本気で言っているのだとしたら、私と同じで、こいつも本当にイカれている。』

 私は思いながらも、元より私達に『親父さん』の意向を覆す様な選択肢が選べる筈もなく。

 結局、私はリョウと共に『小型高速艇』を駆り、逃げ出した二人の足取りを追って、『ルルカ』の街を後にしたのだった。…その間、リョウは憮然として、殆ど口を開かなかった。


          ☆

 

『冷静さを欠いている『親父さん』を、説得すべきだったのではないか?』とか…。

『私達の本当の仕事は、双方の弟子として、(こじ)れてしまった『親父さん』と、『若長』との関係の間を取り持つ事ではないのか?』とか…。

 色々と考える事が出来るようになったのは、大分、後になってからの事だ。

 その時の私達は、命令と掟に忠実に従う事に懸命で、そっちの方に全く考えが及ばなかった。

『若長』とラジェの関係を認めるのは癪だが、互いに妥協出来る余地は、まだ充分にあったと思う。

『親父さん』も『若長』も、或いはそれを望んでいたのかも知れないのに…。

 組織の調査能力の優劣以前に、彼等の逃亡経路は直ぐに特定された。

 足取りをたぐって、二人の元に迫って行く内に、彼等が、逃げる事に消極的である事が、私達には直ぐに判った。逃げ切れないと悟ったのか、最初から逃げる気など無かったのか、彼等の行動には、当初から逃亡者としての自覚が欠けていた。

 全く、逃亡の足取りを隠す気配が見受けられ無かったからだ。

『若長』は組織の内情を良く知る人間(もの)だ。

 組織の追跡から逃れる為には、何を、どうすれば良いのかを熟知している人間(もの)だ。

 安易な行動も意図的だと判断した方が良い。

 組織から逃げ切る事を諦めた訳では無い。

 最初から、逃げ切る為の最も効果的な手段として、最初にして最悪の追跡者、リョウとの対決を視野に入れながら、行動していたに違い無かった。

 当時、二人の戦闘能力は組織内で群を抜いており、実力は、既に伯仲していた。

 タケルを止める事が出来るのはリョウだけであり、リョウを倒す事が出来る実力の持ち主はタケルの他に思い浮かばなかった。

 追って来るリョウを倒す事が出来れば、誰を送ってもタケルを止める事は出来ない。

 必然的にそれは、リョウを倒せば、組織の追尾を逃れる事が出来る。…と成る。

 彼等の望む未来は、その先にしか存在しない。

 案の定、『北方』の地まで逃げた彼等は、私達を迎え討つ戦法に切り替えた。

 人里離れた森の中に、逃げ込み姿を隠した。しかし、私達の追跡を躱す事は出来なかった。

『ロココ』教徒には、何処に居ても同胞の存在を感知出来る『血の霊感』という特殊能力があると聞くが、私達『手綱引く者(レイズナー)』同士の間にも似た様な傾向がある。

 我々は、これを『力の共鳴』とか、もっと単純に『気を読む』とか言っている。

 特にリョウとタケルの間には、長い時間を共に過して来たこともあり、強い繋がりが在る。

 近付けば近付く程に、それは顕著に、更に強力に明確になる。

 因みに私が初めてそれを体感したと自覚したのは前述したタケルとリョウに初めて出会ったあの時だ。

 まるで【臭い】を辿る猟犬の様に、リョウは正確に確実にタケルの後を追い、追い詰めて行った。

 途中、(トラップ)が仕込まれている場所もあったが、互いの手を知り尽くしている両者には、大した障害にも、足止めにも成らなかった。

 棒切れ一本、石ころ一個あれば、リョウは器用に罠を誤発動させて無力化する。

 私とリョウの二人が、タケルとラジェに追い付いた時、二人は逃げるのを止めて、森の木々の開けた場所で、焚き火を挟んで向かい合い、静かに彼等の到着を待っていた。

 案の定、そこに追い詰められた者が醸し出す、特有の悲壮感は感じられ無かった。

 リョウは、黙ってタケルの前に歩み出した。

 殺意を漲らせて・・・。

 タケルもそれを、静かにだが真正面から受けた。

 逃げる気は無い。

 一体、どこから取り出したのか、気付けばリョウの左手には、一振りの太刀が握られていた。

 当時の私は、リョウの『次元収納』なんて、特殊技能を知らない。

 同様に、タケルの左手にも太刀が握らていた。

 リョウの太刀の名は『名無し』 タケルの太刀の名は確か『明鏡止水』

 ラジェと、場所を入れ替わる様に、太刀の石突で地面を突いてリョウはタケルの前に座った。

 剣呑とした雰囲気の二人の間で問答が始まる。

 これは『ブレード・マスター』同士が一騎討を執り行うに際して行われる儀式の様なものだ。

 彼等の実力は、攻守に於いて卓越している。

 通常な方法では、如何なる攻撃も、妨害も、無為に終わる可能性が高い。

 だからか、彼等は余計な事をしたがらない。

 古式に則り、互いに口上を述べ合って自己の正統性を主張する。

 主張が述べ尽くされた処で、いざ尋常に勝負となる。

 自己の正統性に迷いが無ければ、相手を気迫で圧倒する事が出来る。

 だが、そこから二人の間で、どんなやり取りがあったのかを、私は知らない。

「ここから先は、至高の戦士の領域。私達、常人が足を踏み入れて良い場所では無いわ。私達は、少し離れた場所で待ちましょう、闘いが始まれば直ぐに判るから…」

 歩み寄って来たラジェに誘われて、その場を後にしたから。

 ラジェには、言ってやりたい事が沢山あった。

 彼女も恐らくは、同じ様に、そう思って私を誘い出したに違い無い。

 それに、『ブレード・マスター』同士の突発的な、戦闘に巻き込まれては堪らない。

 私達に逃れる術は無い。だから私は、そのまま彼女の後を追った。 

「二人を引き止めなくてもいいの?」

 暫く歩いて、その場を後にしたところで、私はラジェの後姿に問った。

「良い。…これを乗り越えなければ、どうせ私達に明日は無い」

 ラジェも淡々と応え始める。

「どうして、タケルを巻き込んだの? 逃げたければ、貴女一人で逃げれば良いのに!」

「二人で決めたの、愛し合うという事は、そう言う事なのよ…」

「聞いた様な台詞を、汚れた女の癖に!」

「男を知らなければ、人を殺していても貴女は清純なの?」

 私は俄かに憤った。その言葉にはこちらを見下す感情が込められていたから…。

「誰彼構わず発情する貴女に言われたくない! タケルも貴女にとっては、その他大勢の中の一人でしょう!? 自らを汚し尽くした貴女に、特定の異性が愛せるとは思えない! 二人の間に、本当に愛があると言うのなら、貴女はむしろタケルに関わるべきでは無なかった!」

「イヤ・・・」

 ラジェは、歩みを止めて、ニジェに振り返る、そしてキッパリと拒絶していた。

「ナッ・・・」

 思い掛けない言葉に、私はそのまま絶句した。

「ならば、死になさい!」

 先に手を出したのは私…。

 一気に激昂した私は、腰の革のシースから、私専用の『精神感応兵器(サイコウェポン)』である十字ナイフ『飛燕(ひえん)』をラジェに向って解き放っていた。近接戦闘が得意な私と、搦め手専門の彼女。後腐れ無く、勝負は一瞬で着くと思っていた。しかし、私は彼女を少し侮り過ぎていた。

 私のを予期していたのか、ラジェは、私が攻撃に移る僅か前に動いていた。

 身を翻すと同時、私に向って手榴弾らしき物を、投げ付けて来たのだ。

 咄嗟に、『飛燕』で手榴弾を弾くのが精一杯だった。

 爆発に巻き込まれない様に、暗い茂みの中に身を翻す。

 爆音、地面に伏せて衝撃を遣り過ごす。しかし、同時に自分の迂闊さを呪った。

「動かない方がいいわよ。貴女を迎え討つのに、私が何も用意していないと思う?」

 見透かした様に、闇からラジェの声が聞こえる。

 しかし、その通りだ。私は、無様に地面に這い付くばって、動けなくなっていた。

「最初に合った時から、私は貴女の事が嫌いだった。年下のくせに、生意気で、上から目線で、私を毛嫌いしていて、いつも綺麗事ばかり…」

「私も貴女が大嫌い。今でも嫌い!」

 私も負けじと叫ぶ、声で敵の位置を捕捉するつもりでいた。

 相手が動けば、反撃の糸口が見い出せる

「…運にも才能にも恵まれた貴女に、私達の気持ちは判らないでしょうね。…私は、これまで、顔も体も、男のヒトを喜ばせる為にイジリ尽くして来た。貴女の言う通り、請われれば何処にでも行き、求められれば誰にでも体を許した。呪われた人生だと卑下して、自分の為に生るなんて諦めていた。生み親と擦れ違っても気付かれ無い程、過去は捨て去って来たもりだったのに、タケルは一目で私がアリアだと見抜いた。何も変わらないと言ってくれた。私の穢れた人生なんて捨てても構わないと思った。結局のところ、貴女は何も判っていない。私の事も、タケルの事も、貴女自身の事も。タケルは貴女とは違う。志願して処刑人になった貴女とは…」

 何時に無く、饒舌に語るラジェ、挑発して罠に誘い込もうとしているのか? それとも単なる虚実か? 発声源が特定出来ない。何らかの仕掛けで誤魔化している?

 闇に潜んで、冷静に相手の出方を見る。

 否応なく耳に入って来るラジェの言葉が心を抉る。

 自分の狭い視野で物事を捉え過ぎていた事を思い知らせる。

 判っているつもりでいた。だから私は暫し自嘲する。しかし、自嘲しても犯した罪は免れ無い。

 自嘲していれば、正常なんて、それも私の身勝手な思い込みだ。

 闇の中で、自分自身の歪な本性を、見せ付けられた様な気がした。

 タケルの事が特別好きな訳では無い、けど、ラジェの事が特別嫌いだって事は判る。

 だって、こいつは、別の部分の箍が外れた私自身の投影だから、過去の選択によっては、在り得たかも知れない、もう一人の私の姿なのだから…。

 このままでは埒が開かない。見下していた相手に何時迄も後れを取っている訳には行かない。

 しかし、私達二人の闘いは、ここで唐突に中断した。

 私が反撃に転じようとした矢先、タケルとリョウを残して、私達が立ち去った森の奥で、あからさまな異変が発生していたからだ。

 眩い光が交錯し、木々が薙ぎ倒され、轟音が津波の様に、私達の元に押し寄せる。

 中に、時として獣の様な咆哮が混じる。まるで雷獣でも落ちて来たかの様…。

 私は即座に、二人の『ブレード・マスター』同士の闘いが始まった事を察した。

 或いは、私達二人の争いが、彼等二人の闘いを、触発してしまったのかも知れない。

 気を取られたのは一瞬、しかし、その間に、饒舌に私の神経を逆撫でしていたラジェの声が止まった。そして、気配が消えて行った。恐らくは彼等の元に向ったのだ。

『ブレード・マスター』同士の真剣勝負は、長くは続かないのが普通だ。

 通常は数秒、遅くとも数分で決着(ケリ)が付く。

 余程特殊な事情が無い限り、引き分けなんて事は先ず無い。

 後年、私が立ち会う事になったリョウと、シオン、二人の一騎討が引き分けに終わったのは、その場にサラサが居たからだ。常人であれば、あの間に割り込むなんて事は不可能、それが出来たのは、彼女が『ロココ』の姫巫女だからだ。…特殊事情が、そこにはあった。

 急いで私も動く。『飛燕』を発動させて、四方の茂みの中で飛び交わせる。

 罠があれば、誘発させる。

 何も変化が無い。最初から、ラジェの騙し(ブラフ)だった可能性が高い。

「チッ!」

 舌打ちしながら、元来た道を辿り、私も彼等の元に急いだ。

 リョウ達の闘いに巻き揉まれない様に、細心の注意を払いながら…。

 目的地に辿り着く直前、唐突に、激しく鳴り響いていた音が止み、周囲が闇と静寂に満たされた。

 灯りをともして、先を急ぐ。

 先行したラジェの後姿に追い付いた。…彼女は既に足を止めていた。

 追い越す時、振り返って見た彼女の表情は、一点を凝視して凍り付いていた。

 視線を追って見ると、二人の剣士の闘いが、終焉の時を迎えていた。

 リョウが、タケルの上に覆い被さる様に、馬乗りになり、リョウの太刀の刀身が、タケルの胸板を貫き、切先は身体を貫いて背中に抜け、深々と、その先の地面にまで食い込んでいた。

 タケルは身体は、地面に串刺しにされていた。

 決着は付いた。どう見ても致命傷だ。この勝負リョウの勝ちだ。

 だが、歓びは無い。あるのは罪悪感だけ。

 最期を悟ったタケルの手が、ユックリと伸びて、リョウの頬を撫でて、優しく囁いた。

「これでいい。俺は死んで自由になれるが、お前は生きて、この地獄に留まれ・・・」

 タケルが死に際に残したそれは、呪いの言葉と言ってもよかった。

 刹那、リョウは、剣を引き抜いて、跳ね上がる様に彼の傍から飛び退き。

 自分が、仕出かした事の重大さに気付いて、俄かに動揺し、そして、号泣した。

 リョウに気を取られている内に、アリアが、無言で絶命したタケルの傍に歩みより、骸の前に跪いていた。あまりにも自然な歩み寄りだったので、止める気にもならなかった。

「タケル・・・。約束した通り、あの世で共に添い遂げよう」

 静かに呟く様に言うと、彼女は、その場で隠し持っていたナイフで胸を突いて果てた。

 アリアの身体は、そのまま、タケルの骸の上に重なる様に倒れ込んだ。

 刹那、今にも泣き出しそうな分厚い雲が垂れ込めた空から、雨の雫が滴り始めた。

 眼前にそれを見たリョウは更に激しく号泣し、その場に膝から崩れ落ちた。

 哀れな男だと思った。彼の傍には、もう誰もいない。

 でも、それは私も同じ、雨の中、濡れるに任せて、リョウと一緒に私も咽び泣いた。

 顔で笑って、心で泣いて、それが男の美学とも言う。

 人生は不幸と敗北に満ち溢れ、ままならぬからこそ、大願が成就した時の喜びがある。

 一体、何時になったら私達に、そんな時が訪れるのだろう。

 これは一時的な困惑? それとも永遠の渇望? 

 いづれにしても死を切望したくなる程の絶望・・・。

 どれだけ、泣き続けていたか、覚えていない。

 一頻り泣いた後、僅かな冷静さを取り戻すと、私達は、取り憑かれた様に、その場に穴を掘って、タケルとアリアの亡骸を、寄り添う様に埋めて埋葬した。

 幸せそうに微笑むアリアが、救いであると同時に、ムカついた。

 リョウは、タケルの愛刀を『親父さん』に持ち帰って、任務完了の証とすることにした。

 

           ☆彡


 ザァーーーーーーーーーーー・・・ッ

 脳裏に、あの時の雨音が還元して来るのが判った。

 帰り路、終わらない雨の中、雨に打たれながら、ぬかるんだ道を二人でトボトボと歩いた。

 堪え切れない不快感…。

 後味の悪い仕事…。

 そしてやがて来る、自らが生きる事を否定したくなる程の、やるせない絶望。

 悔しくて、悲しくて、情けなくて、現場を後にしてからも、リョウは泣きながら歩き続けていた。

 なかなか消えない雨の音が、頭の中で反響していた。

 後ろに付いて歩く私の事なんて、忘れてしまったかの様に、リョウは遠い目をしていた。

 放って置いたら、このまま倒れるまで、歩き続けそうだった。

 私も同じ様な心境だったけど、彼よりも少しは冷静だった。

 真っ暗な夜の森、茂みの影に集落を見つけて、彼を誘った。

 流石に、雨具を装備していても、下着までビショビショで、身体は冷え、低体温症になると、冷静な判断力も無くなる。このまま、この闇の中を闇雲に歩き続けるのは自殺行為に等しいと思えた。

 入口の鍵を開錠して、転がり込んだ、家屋の中は無人だった。

 周辺の設備から推測するに、炭焼き小屋らしい。

 近隣の村の住人が、春から夏にかけて、この家屋に籠り、木炭を生産する。

 雪が降る前に村に戻る。我々が訪れた時期的に、引き揚げたばかりか・・・。

 家の中は殆ど(から)だが、暖炉もある。毛布もある。何よりも雨風を凌げる壁も屋根もある。

 雨を避けて、一時的な避難先とするには充分な装備が揃っていた。

 小屋は、位置的に、ここに来る前に寄った村の所有物だろうと思える。

 順番は前後するが、事後承諾という事で、部屋を拝借する事にした。

 暖炉に火を灯し、ケトルで湯を沸かし、持っていた水と携帯食料で、喉と潤わせ、胃の腑を満たす。私が細々と動く間、リョウは濡れたままで、暖炉の前で蹲っていた。

「…リョウも、何か食べた方がいいよ」

 私は、リョウに、珈琲と携帯食料を勧めた。

 思い出す限り、これが私が彼を、リョウと呼んだ最初だったと思う。

 リョウは頭を下げると、私から食べ物を受け取って頬張り始めた。

 私は微笑んだ。そこには、凶悪な『悪魔憑き』の面影は無かった。

 むしろ、純真な少年の様な、弱々しさがあった。

 寒さを感じて濡れた服を脱ぎたいと思った。しかし、リョウの存在を意識して行動を躊躇った。

 狭い小屋、密室に若い男女が二人、何が起っても不思議ではない。

「風邪ひくから、リョウも脱いだ方が良い・・・」

 リョウにも勧めて言いながら、同時に、医学的に命に係わる緊急時だと自分に言い聞かせて、身体を見えない様に毛布で包み、下着だけ残して服を脱いだ。

 医療行為だからリョウも不埒な事はしないだろうと言う私の目論見は、アッサリと覆された。

 唐突に、私は彼に押し倒されて、唇を塞がれていたから・・・。

 何が起っているのか、直ぐに理解出来なかった。

 抱き合って、冷えた身体を温め合う、低体温症の対処療法ではない事は、直ぐに判った。

 リョウに求められている。抵抗しようか、それとも、受け入れてしまおうか…。

 拒絶するよりも早く、不思議と私は迷っていた。

 心も身体も、早熟と自覚しているとは言え、実年齢は、何と言ってもまだ十四歳だ。

 大人の愛し合い方なんて判らなかった。

 けど、最後まで、アリアを理解し切れなかったのは、自分が『女』では無かったからだという、想いが私にはあった。

 私はそれに、何処かで引け目を感じ続けていた。

 それに、今回の出来事を通じる内に、私の中で、彼を癒して上げたいという想いが、育まれつつあったのも事実だ。

 彼の心の傷は、いずれ、私の心の傷になる思えたから、他人事とは思えなかったから…。

 私は、私が、彼の立場ならこうして欲しいと思う事を、自ら、躊躇う事無く実践した。

 それが、例え、自らを汚すことであったとしても構わないと思った…。

 但し、葛藤はあった。この部屋に誘った時から、こうなるかも知れないとは、微かに予想していたけど、実際そうなってしまうと、私は、俄かに怖気づいた。

 頭の中で、複雑な感情が交錯した。

 正直、相手や状況がイヤと言うより、何日も風呂にも入らず、洗いもせずにいる、自分の身体は、今、物理的にかなり汚いのでは無いかという懸念が、羞恥心が一番に頭をもたげた。

 そして、その迷いが『飛燕』に伝わり、発動した。

 こんな事が発端で、私とリョウは、知り合って以来、初めて鋭く対立する事になった。

 発動した『飛燕』がリョウに向って飛来するが、リョウとしても、ここまで来て、今さら止める事など出来ない。恐らく、男の人はみんなそうだろう。

 結果として、勝敗は、私の抵抗虚しく、リョウには、まったく歯が立たなかった。

 私の『飛燕』への指令は、指一つ動かさずアッサリと、リョウに妨害(インターセプト)されてしまったのだ。『手綱引く者(レイズナー)』として能力に格段の差があった。

 無力化されてしまった私は抗うのを止め、彼を受け入れた。

 事前に同意は無かったが、追認したと判断されても仕様がない。

 最悪、彼が私に欲情していても、好意を抱いていない事は覚悟している。上手く行かなかった今回の仕事の不快感を、私にブツけて解消しようとしているだけなのかも知れないと云う事も…。

 けど、その時は、それでも良いと思った。

…だって私も咎人だから。これは私に与えられた罰なのだから…。

 良く判ったのは、私はド素人だけど、彼もまた手馴れているとは言い難いと云う事、不器用な者同士、何とか行為を遣り遂げた…。

 思っていた程の満足感も、達成感も、罪悪感も無かった。

 だが、こうして私達の腐れ縁は始まった。

 翌日、小屋を後にした私は、何も変わった気がしなかった。

 ただ、リョウの私に対する態度だけは、少しだけ変わった気がした。

 リョウが振り返りもせず、私を置いて先に歩いて行く事は無くなった。

 距離が離れると、彼は振り返って、私を待っていてくれた。

 それから私達は自然と二人で手を繋いで『ルルカ』街の闇の中に戻って行ったのだった。


          ☆彡 

 

 この事件の結末を経て、『ルルカ』の二十三番街に帰った後、私達を取巻く環境は徐々にだが、確実に変化して行った。

 限られた空間の中で、個人、諸団体が、生き残りを賭けて殺し合いをすれば、必ず誰かが勝ち残り、後は死ぬか、勝者に糾合されるか、戦意を失って逃亡する。

 ハッキリ言えるのは、殺る側に居なければ、殺られる側になるという事…。

 リョウには、自分がどれ程強いか、強さに対する執着はあっても、相手を死に至らしめるまでの過程を楽しむ様な、歪んだ性癖は無い。

 街の異常環境を鑑みずとも、組織から命令を、完遂して持ち帰ったリョウの処遇は、褒められさえすれ、罪に咎められる様な案件では無い。

 反省する気も、同情する余地も無い。実の息子の死に際して、感情的な蟠りは、完全に払拭出来ないにしても、『親父さん』にも、それは良く判っていたようだった。

 しかし、騒動の結果を素直に受け入れた『親父さん』は、これまでの仕事への意欲を如実に失い。それに比例するかの様に、私達が仕事に臨む件数も、急速に減っていった。

 だが、リョウは、干されたと言っていたが、それが正解とも思えない。

 そもそも、社会情勢の変化により、組織の業態を転換する時期に来ていたとも言える。

『反公儀処刑人』集団の名は『ルルカ』の暗黒街に轟き捲くり敵対を望むものは既に存在しない。

『ルルカ』の街の無法者(アウトロウ)達が、その名を聞くだけで、震え上るという状態が、強ち嘘では無くなっていた。それは即ち、街に統制が戻り、組織の恐怖による支配構造が行き付く処にまで、行き付いた事を意味する。決勝戦の決着が付いたのだ。

 そうなれば自ずと、リョウ達が赴かなければならない様な際どい案件は減って行く。

 リョウ達に、求められる仕事の種類も内容も、徐々に変わって来る。

 そう考えると『親父さん』がリョウを見捨てたと考えるのは早計だ。

 タケルが居なくなった以上、『親父さん』の後継者はリョウ以外に在り得ない。

『親父さん』は、むしろそれに固執し、執着していた節がある。

 これまではタケルが、担って来た表向きの仕事が、彼に分担される様になったに過ぎない。

 何時までも気軽な現場から離れず、末端構成員でいたい。

 リョウの考えの方が、我が侭と言うモノだ。

 ただ、『親父さん』が、『萬荒事承り〼』から始めたこの仕事から足を洗いたいと考えているのは確かな様だった。

 その後、二年で仕事の依頼は殆ど無くなり、街の治安は自警団が担う様になって行った。

『親父さん』は『ルルカ』の街を出て、商業の盛んな『フロレラ』の街に移り、事業を興すと言い始め、実際『反公儀処刑人』の仲間達を多く引き連れて、『ルルカ』の拠点、骨董屋『夢小路』を留守にする回数が増えていった。

 リョウは『親父さん』に反発して、『ルルカ』の街に残り、暗殺業以外に、自分が出来る仕事を、模索し始めた。『親父さん』はリョウに、早急な転身を強要する事は無く、寛大に、気長に、時間を掛けて彼の説得を試みるつもりの様だった。

 タケルの時と、同じ轍を踏みたくは無かったのだろう。

 口のには出さないが、リョウに人並みの幸福を掴んで欲しいと考えている様にも、私には見えた。『親父さん』にも、人としての情愛が在った事が判って、私は、むしろホッとしていた。

 斯くしてリョウは、自分探しに没頭する宿六となり、私は、彼の元に転がり込み、彼を陰から支える女になった。

 私達には、殺した人達の数以上に、誰かを助け、守り続けて来たという自負がある。

 結局、人は更生なんかしない、償いなんて出来ない。

 ケツの穴から、手を突っ込まれて、内臓を引き摺り出されて、目の前で切り刻まれて、苦しみ藻掻いて殺されたとしても、私達の過去が清算されるなんて事は無い。

 それ程、私達の手は血で汚れている。しかし、もう、それを卑下する気にはなれない。

 道を逸れたつもりもない。

 人間愛を尊重していたら、我々に生き残る未来は存在しなかった。

 死ねば全てが無に帰すだけ。

 同じ環境に放り込まれたら、同じ様な事をまた始める自信が私にはある。

 だが、それで良い。誰かに必要とされている限りは、私は自己を肯定し続ける。

 

 時代は移り変わっても、物事には、明確な始まりも無ければ、終焉も無い。

 自分の過去と折り合いが取れた時が、自分探しを終える時だ。

 私の自分探しは、普通の女性としての、細やかな幸せを追い求める事だろうか?

 私には、一番縁遠い、儚い夢を追い求めているとも言える。

 相手として、リョウを選んでしまった処から誤っているとも言える。

 でも、それはお互い様、リョウを更生させる事に、意義を感じて、彼に付き従っているのだから、私達の関係は、既に共依存とも言える。

 でも、それで良い。

 タケルとアリアの最期の生き様が、唯一私に教えをくれた。

 それは、恋慕とは、そも制御出来ない感情なのだと云うこと。

 少しずつ、前に向って歩いて行けば良い、何れ何処かに辿り着く筈だ。

 そして私は今日も生きる。 


        ☆ミ

本作は、本編12部『旅立ちの前の静けさ』の、僅かな回想部分を掘り下げた回顧録なので、合わせて本編を、読んで頂けると、より楽しめるかと思います。

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