218X年 1月
日本では年末年始の大雪が収まり始めたとはいえ、まだまだ雪が生垣を白く染めている。融氷剤のお陰で道で滑るなんて事はないが、吐く息が凍る程度には気温が低いままだった。
「お疲れーッス。ハァーッンー寒ッ?! やっぱ冷えるねぇ」
ホテルの裏口から表通りへ出たのは、皿洗いのバイト終わりのアーサーだ。独り言が口に出るほどにご機嫌なのは、今日が月に一度の給料日であるからだった。
明細の確認はスマホ端末からでも可能だが、空調の効いた暖かいコンビニのATMで確認をするつもりで寒空の下を歩く。その道中、信号待ちをする目の前を通過したトラックに描かれたCBBの広告が目に入ってしまう。
「………チッ」
隠そうともしない不機嫌な舌打ちに、偶々横に居たサラリーマンが距離を開けた。そんなに大きな音を出したつもりは無かったのだが、青に変わると足早に横断歩道を渡ってすぐのコンビニに入店した。
「………んだよコレ?!! どーなってんだよ!?」
人目も憚らずATMに齧り付いて画面を食い入るアーサー。店員が死角防止の鏡越しに様子を伺うのが見えたので、一度呼吸を整えてスマホで引き落とし履歴を確認した。
「……煙草、マッチ、換気扇? ハァ?! S&W、16万?! 嘘だろ……また煙草一本で次が……1カートン? それ俺にくれよ!!!」ガンッ!
「あ……あのぅ、ど、どうかされまし…たか?」
「ああ?! 関係ないだろ! ……あ、申し訳ありません、もう帰ります」
流石に暴れた後に長居すると通報されると思ったアーサーは、煙草と熱い缶コーヒーを買って近所の公園に行き頭を冷やす事にした。
シュッゴォォォー、スゥッ(゜Д゜)ハァ……
公園のベンチに座って紙煙草を吸いながら、スマホの履歴と睨めっこしていた。
(今月から"CBB"をしなくなった分、バイトも増やしたのにコレじゃあ赤字じゃねーか。つーかどっから請求飛んでんだよコレ)タタタタン
請求元を確認する為にスクショやコピペをしていると、数人の若者が近付いてくるのを感じ取った。無視して操作を続けていると、若者達の一人が正面に立って声を掛けて来たのだった。
「ちょっと良いかなぁ、おっさん?」
「……ツゥ〜、………ハァ〜」タタタン
「オイ、お前だよおっさん、無視すんなよ。なあ!」
声を掛けて来た若者の一人の手が伸びる。その手の平にアーサーは咄嗟に火のついた煙草を押し付ける。
「あ゛ッつ?!」
「ビュッ!」
「うわっ?! 何だコレ?! 目に入っ、クッセェ……?!」イライラ
若者が怯んだ隙に口に溜まった唾を顔面に吐きつけた。ヤニを含んだ唾液はさぞ沁みることだろう。
「今忙しいから放っとけ、遊びたいなら駅前か繁華街に行けよな」
ここで初めて目視で確認した人数は目の前で狼狽る若者を含めて男のみの6人。
離れてアーサー達2人を眺める5人はニヤニヤと笑って余裕綽々だ。その内の一人、チェックのシャツにファー付き合成革ジャケットを羽織ったガチムチのツーブロック野郎が声を張り上げる。
「おぅ! おっさん! 俺らの友達に何すんだぁ? コレ、失明しちゃったら責任取れるの!? 手もやべーしコレ、慰謝料と治療費もらわないと出るとこ出ちゃうよ?」
「ハァー…鬱陶しい」スクッ
「おい勝手に立つな、どこにも行かせねーよ?」
ベンチから立ったアーサーの進路を塞ぐようにツーブロック野郎も横へ移動する。しかし歩幅の違いで2〜3歩進むと大きく離された野郎は、焦って小走りに近づいて肩を掴むと同時にドクロ付き指輪を嵌めた拳で後頭部を殴り付けた。
アーサーは前のめりに倒れると、そのままうずくまってしまう。
「あーしゃーねぇ、フクロにして身ぐるみ剥ぐか。オーイ、コイツでサッカーしようぜ!」
「あーあ、かぁいそ」
「クソッ、ツバ吐きやがって〜! ぶっ殺す」
4人が周囲に立ち、寄って集ってアーサーを傷めつける。一人が疲れれば交代し、4人同時が3人同時になったり、1人ずつ助走をつけて思い切り蹴ったりしての遊び感覚だった。
ドン! ガスッ! ボゴ! ズン! ブゥン!
「うお?!」スカッ
ツバを吐かれた若者が横腹を蹴ろうとして空振りをする。それを見た仲間達は笑っていた。
「ギャハハハハ! ダッセェ〜!」
「つーかコイツまだ亀のまんまだぜ? 頑丈過ぎ」
「ハァハァ、まー良い汗かいたし、そろそろもらうもん貰うか」
「ん? 終わった?」スクッ
「「「!?」」」
ボコボコに蹴られまくっていたアーサーは、何事もなかったかの様に立ち上がった。
足蹴にされていたアーサーは頑なに丸くうずくまっていたので背中と尻はズタズタ、背面も泥だらけ、しかし正面から見ると服装の乱れ以外は至って綺麗だった。
「んー痛いな。まーこんだけ貰えば正当防衛も成り立つか?」
「んだよおっさん、格闘技でも何か習ってんのか?」
「ガキの頃にクラシックバレエして、今は友人に付き合ってボクシングでエクササイズかな」パンッパンッ
「なんだ護身術とかそういうのじゃねーんだ。まーいいや、有り金出せよ。それで許してやr」
ズゴン!!! ベキッ
「ウギy…!!!?」ガシィ! ドッ!
『許してやる』と言いかけた若者の膝をアーサーは前蹴りで潰し、叫び声を上げる前に口を塞いで喉に中指一本拳を突いて潰した。
「コヒュッ!!? ヒュッ! カフゥゥゥゥヴ!」ゴロゴロゴロ
膝と喉を押さえてのたうち回る若者を無視して、5人に向き直る。その時すでに3人が同時に殴り掛かってくる最中だった。
ズカ゛゛゛!!!!!!
だが3人の顎が同時に上に跳ね上がり、仰向けの大の字になって仲良く沈黙した。
「あ、しまった。仕事用の安全靴、履いたままだったー(棒」
「………おっさん、ボクシング以外にも何かやってんな?」
「リアルじゃやってないって。んな事より、コイツらのー膝とか顎とかぶっ潰れてると思うから、さっさと病院に運んでやったらー…」
ビタ!
アーサーは顔面に飛んで来た物体を手袋を嵌めた親指と人差し指で挟み取る。それは鋭利なナイフだった。
「オイオイオイオイ……、やり過ぎだろコレは」
「あー、ちょっと確かめたかっただけだけど、確信した。アンタ"CBB"やってただろ?」
「だったらどーした?」
これに応えたのはツーブロック野郎の後ろに居た金髪ロン毛で髷を結った、アーサー並みのガタイを持つイケメン。
「どーもこーも、いきなりサ終した所為でオレ達、フラストレーション溜まってんだよ」ペキポキ
「………んー、気持ちは分かるけど、それこそ格闘ジムとかで発散しとけよ」
「一応オレ等その集まりなんだよ。物足りねェっつー訳でヨ、チョットつき合ってヨ」
少し話を聞いた限りでは"CBB"のサ終で暴れる機会を失ったので相手をして欲しいと言う事らしい。
"CBB"の醍醐味は完全没入型ならではの暴力のリアリティ、現実では許されざる行為の体験がそれを好む危険人物達の欲求を満たす場として大変重宝されていたのだった。
事実、たった今アーサーが直面しているこの状況は、サービス終了後から今日に至るまでで全世界に数百件以上の報告が上がっていて、今後更に増え続ける見込みである。
「逃げようナンテ思うなよ? お前の顔は覚えたからな」ジャリ…
「まー仲間ヤられて逃がす訳ねーけどな」スッ
「遊びで済むから面白いのに、現実にまで持ち込んでんじゃねーよクソガキ共。面倒な事になるのは承知の上だろーな? 俺、もう容赦しねーぞ?」
「だったらこんなカメラの無い古い公園に来るなっつー話だろが!」ダダダ!
会話を無理矢理切り上げてツーブロック野郎が駆け出した。その両手には大きなサバイバルナイフを握り締めていて、一切の躊躇なくアーサーを切り殺しに掛かった。
§ 10分後
「お前ら結構粘るじゃん。中々良い線イってたと思うぜ? これに懲りたらスポーツで我慢して真面目に取り組むんだな」
「ぅ、ぅぅぅ……」ダラダラダラ
勝利したのはアーサーだった。
先に蹴り回されていた分以上の怪我はしていなかったものの、代わりに返り血で服が汚れてしまっている。仕方がないので体格の合うイケメンの服を奪い取って着替え、汚れた衣服はコンビニで貰った袋に詰め込んだ。
「………コレ俺の趣味じゃねーや」
文句を言いながら立ち去るアーサーの後ろ姿を、一番最初にヤられていた若者が息を殺して見つめていた。
踏み潰された膝は暫く使い物にならなさそうだし声も出ない、しかし痛みは慣れというかマシになっただけに、慎重に慎重を重ねてゆっくりと動ける程度には回復していた。
そんな若者が取った行動は懐から取り出した拳銃で、アーサーの背中にしっかりと狙いを定める事だった。
頭に血が昇っていたとて、引き鉄を引くのはやはり勇気がいる。この若者は"CBB"でも現実でも大した事は出来ず、友人から下っ端の様に扱われるストレスもあって限界に来ていた。
パァン!
若者の持つ拳銃の銃口から煙が上がる。拳銃を握る手がブルブルと震え、もう片方の手は引き鉄をも握り締めたままの手を引き離そうと掻き毟っていた。
「ハァ! ハァ! ハァ!?」
若者が手元から視線を上げると、アーサーはまだ立っていた。立っているどころか無傷だ。
「ハァ……外し…た?」
「テメーこの野郎ォ……」
「?! ひぃッ!?」ゴロン
若者に向かってアーサーが引き返して来る。街灯の光を浴びたアーサーの右手に何かキラリと光る物を持っているのを見た若者は、驚きと恐怖で上半身の力だけで仰向けにひっくり返る。
若者の目の前に立ったアーサーは、右手を振りかぶって彼の頬面に叩き付けた。
「殺す気かバカ野郎!!?」
ビチィ!!!
「ギャブ!?………」ショワァァァ……
コロン
痛恨の平手打ちを喰らった若者は、真っ赤に頬を腫らして失神・失禁してしまった。その顔のすぐ側には潰れた弾丸が転がっていたという。
翌未明、警察はこの騒動を調査した結果、ただの喧嘩であるとしてこれ以上の捜査を取り止めた。ただし、現場に落ちていた"弾丸のような潰れた金属片"については持ち主を含めて出所を捜査する方針に落ち着いた。
この"弾丸のような潰れた金属片"は、拳銃から発射された弾丸のような金属片が厚手の手袋を嵌めた3本の指で摘んだように変形している、というのが鑑識の見解である。
この様な物理的に不可解な物証の例はここ十数年の間で徐々に増加傾向に有り、特に今年に入ってからのたった数週間で爆発的に増加している事も報告が上げられている。
この事実に関しては報道規制で封じ込めているものの、以下のような都市伝説として実しやかに噂されてしまっているのが現状だ。
『CBBの怨霊が暴れている件』
_(;3 」∠)_痛い…




