悪役令嬢の顛末
久しぶりに学園の寮から屋敷に帰ったわたくしを出迎えたのは執事だった。
「お父様はいらっしゃる?」
そう尋ねると執事は申し訳なさそうな顔をした。
「別邸にお泊まりになるそうです」
「そう」
別邸にはお父様の愛人がいる。
「お母様は?」
「観劇に」
「そう」
役者に入れあげているのは聞いている。朝まで帰らないかもしれない。
わたくしは何でもないように笑顔を浮かべる。
「夕食はいらないわ」
いつも通りだ。
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「伝統ある侯爵家の令嬢、さらには王太子の婚約者ともあろう方がこのような成績では、示しがつきません。学園の指導も疑問視されてしまいます」
「申し訳ごさいません」
成績が十位以下になってしまったため、わたくしは教師に呼び出されていた。
「先日の試験は少し体調が悪く……」
「体調管理もできないのですか」
ため息をつく教師に、わたくしは「申し訳ごさいません」と再び頭を下げた。
そこで、扉が叩かれる。返事を待たずに開けたのはフェリカ嬢だ。彼女は魔力の多さを買われて平民から男爵の養子になった編入生だ。
「あ、申し訳ありません」
勢いよく頭を下げたフェリカ嬢に、教師は苦笑した。それから、わたくしに厳しい顔を向け、
「ブランジュヴェローブ侯爵令嬢はもうよろしい。次回は努力するように」
「はい」
今回だって努力したわ。
わたくしは言いたい言葉を心にしまいこみ、退出する。
扉が閉まる前、
「特待生で編入したのに下から数えた方が早いのでは困りますよ」
話す内容に比べ教師の口調はずいぶん優しげだった。
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フェリカ嬢の席はいつも誰かが取り囲んでいた。元平民などと蔑む者は学園にはいない。天真爛漫な彼女はあっという間にクラスの中心になっていた。
休日に皆でどこに出かけただの、寮で勉強会をしただの、楽しげな話を、わたくしは隣で聞くともなく聞いていた。
ずっとお腹が痛い。
誰か何かおもしろいことを言ったのか、わっと笑い声が上がる。
わたくしは思わず立ち上がった。椅子が、がたんと大きな音を立てる。
「少し声を落としてくださらない?」
腹痛のせいか魔力制御がきかず、風魔法が発動してしまった。小さな空気砲だ。小石が当たるくらいの規模だけれど、当たればそれなりに痛いだろう。それが、フェリカ嬢の方に飛んでいく。
「あ、だめ」
わたくしが何かするまでもなく、フェリカ嬢は一瞬でわたくしの風魔法を相殺した。わたくしはほっと息を吐く。
彼女は「大丈夫ですか」とわたくしを気づかう言葉を口にした。
教室は静まり返っている。
「失礼いたしました」
わたくしはそれだけ言って、椅子に座り直した。
「うるさくしてごめんなさい」
フェリカ嬢の謝罪の声。
わたくしは机の上の教科書を見つめた。
教室のそこここでひそひそと声を潜めたやりとりが続いた。
お腹が痛い。
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「最近、どうかしたのか」
わたくしの婚約者である王太子殿下が、そう聞いた。
月に一度の定例のお茶会だ。殿下も同じ学年のため、在学中のお茶会は学園のカフェテラスで行われている。
教室でフェリカ嬢に注意した一件は、大きく歪んで広まり、今ではわたくしがフェリカ嬢をいじめたことになっていた。噂によると、常日頃から嫌味を言い、嫌がらせをして、魔法で攻撃することもあるらしい。実際には、わたくしはあれ以来フェリカ嬢と話してもいないし、近づいてもいない。
おもしろみのない性格のせいで気軽に話しかける人もなく、侯爵令嬢の恩恵を受けたくて近づいてきた人もうまみがないと悟ったらしくさっさと離れていき、入学当初からわたくしには友人がいない。身分のせいか直接何かを言ってくる人もいないため弁解の余地もなく、ただひたすらにわたくしは孤立していた。
噂は生徒から親に伝わっているのか、父から叱責の手紙が届いた。
次に屋敷に帰るときのことを考えるとお腹が痛い。
「昨日、ブランジュヴェローブ侯爵が会いに来た」
「父が殿下のところにも? 申し訳ごさいません」
「いや、大げさに謝っていただけだ」
殿下は大きなため息をついた。
婚約の見直しを求める声が出るのは、わたくしだけが原因ではないのではないかしら。
「……侯爵は、娘が何かやらかしたら鞭で打ち据えても構わないなどと言っていたが、もしかして……」
殿下が痛ましげにわたくしを見る。わたくしは首を振った。
「いいえ。お気づかいありがとうございます」
「私も機会があれば君の噂を否定しているが、とにかく言動には気を付けてくれ。周りの目があり気が休まらないのは理解できる」
殿下はわたくしのことを父以上に疎ましく思っていると考えていたため、予想外の言葉に目を見開く。
「殿下はそんなときどうされますか?」
普段なら決して口にしないことを聞いてしまった。
殿下は視線を横に滑らせた。わたくしもそちらに目を向ける。
離れた席にフェリカ嬢がいた。友人と談笑している。屈託なく笑う様子に、自然と声が漏れる。
「楽しそう」
それが聞こえたのか、殿下がこちらを向いた。ばつが悪そうに咳払いをする。おそらく無意識だったのだ。
殿下がフェリカ嬢と親しくしている噂は、わたくしも知っている。実際に二人が一緒にいる場面に出くわしたこともある。
彼女が殿下の癒しになっているのだと思った。
ああ、そうだわ。
名案を思いついたわたくしは、久しぶりに微笑みを浮かべた。
「殿下、婚約破棄してくださいませんか」
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卒業までの半年、放課後、空き教室でわたくしはフェリカ嬢に礼儀作法を教えた。わたくしが幼い頃から習ってきたことに比べたら微々たるものだけれど、今後を考えたらやらないよりはよい。
これは殿下とフェリカ嬢の希望だ。元平民を考慮しなくても、男爵令嬢では王太子妃には不十分だ。反発は出るだろう。しかし、二人はその困難を乗り越える心を決めたそうだ。
二人はわたくしに謝罪してくれた。わたくしはそれを受け入れ、密かに二人に協力している。
フェリカ嬢は意外にもわたくしに悪感情は持っていなかった。
「問題ございませんわ」
舞踏会用のドレス捌きに合格を出すと、フェリカ嬢は弾けるような笑顔を見せた。
「ありがとうございます。イライザ様のおかげです!」
「フェリカさんの努力の成果ですわ」
本当によくがんばったと思う。
「いよいよ来週ですわね」
卒業式のあとの記念パーティで婚約破棄が皆に告げられる予定だ。
わたくしが微笑むと、フェリカ嬢は逆に笑顔を消した。
「イライザ様、私は反対です。あんな方法やめてください」
わたくしは悪評を消す努力をしないどころか、表立ってはフェリカ嬢を無視し続けた。
「お話したでしょう? わたくしが悪者になって退場しない限り、父はまたわたくしを利用します」
「でも……」
「殿下は賛成してくださってますわ」
「そんなの、仕方なくです! イライザ様がどうしてもと言うから!」
フェリカ嬢は涙を浮かべていた。
人を思って流す涙はきれいだ。
わたくしはそれをそっと拭う。
「あなたと殿下がわかってくださっているだけで、わたくしには十分ですわ」
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卒業記念パーティの会場には一人で入った。まだ一応王太子殿下の婚約者なのだから、殿下がエスコートしないなどありえない。不躾な視線とひそひそ話が、わたくしにつきまとった。しかし、それも今日で終わりだ。
殿下がフェリカ嬢を伴って会場に入ってきた。一瞬、しんと会場が静まり返った。
「イライザ」
殿下がわたくしを呼ぶ。わたくしは殿下とフェリカ嬢の前に跪いた。ここで殿下は私の悪行を断罪する予定だ。
「そなたの父、ブランジュヴェローブ侯爵が横領の罪で捕縛された」
「え?」
思わず顔を上げてしまう。事前の打ち合わせではそんな話はなかった。
こんな嘘をつくはずがない。ということは、本当に父は捕縛されたのだ。
「横領……」
知らなかった。
「よって、そなたと私の婚約は破棄される」
「え、わたくしの所業は……?」
「何のことだ? そなたはフェリカ嬢の令嬢教育に尽力してくれた」
「イライザ様、ありがとうございます」
フェリカ嬢がわたくしの手を取って立ち上がらせる。
「私のために、わざと自分の評判を落としてまで、身を引いてくれたのですよね」
「いえ。あの」
フェリカ嬢の明るい声はよく通った。わたくしが戸惑っているうちに、そういうことになってしまった。実際のところそれは事実であるため、「なるほど、あれは」などと納得する者が何人も出たのだ。フェリカ嬢と殿下がわたくしに笑顔を向けているのも大きい。
そのままパーティが始まって、わたくしは途方に暮れた。
父が捕縛されたのだから、わたくしの今後は予定通りに修道院送りだろうと思ったのに、「君にはフェリカの侍女になってほしい」と殿下に打診された。フェリカ嬢からも頼まれてしまう。
わたくしはどうしたらいいのかしら。
フェリカ嬢と踊った殿下がわたくしに手を差し出す。フェリカ嬢はわたくしの背を押した。
わたくしは二人を見比べて、微笑んだ。
終わらないなんて考えてもいなかったのだ。
ああ、胸が痛い。
終わり