襲撃
「さっき私のこと担いだでしょう」
ゲオルグとの飲みも終え、私はイリアと一緒に帰路についていた。
帰路といっても、向かう先は例の隠れ家だけど。そのために協力したという訳ではないけど、安心して眠れる場所が確保出来たのは嬉しいことだった。
夕方は大勢の人々が行き交っていた通りだったが、夜になるとうって変わって静かになった。代わりに私たちのようにフードで顔を隠した集団がこそこそと歩いているのを見かける。おそらく何か非合法なことをする集団なのだろう。
私の質問にイリアは少し考えてから答える。
「事前にでも言っていたら断られたかもしれないでしょ?」
私が言おうとしていたのは、元公爵令嬢という地位を利用してゲオルグに私が辺境伯を説得できる余地があるかのように言ったことである。
「やっぱり分かっていてやったんだ」
もしかしたらその場で思いついたから、とか私もそれを了承していると思っていた、とかそういう言い訳をするのかとも思っていたが、やはり意図してやったらしい。
「うん、ごめん」
「そんなに素直に謝られると責めづらいな」
夜の闇に隠れて表情は見えないが、イリアは少し俯いており少なくとも声色は申し訳なさそうだった。もし必要だった、とか仕方なかった、とか言い訳をしてきたら文句を言おうと思っていたが私は毒気を抜かれてしまう。
私には悪いと思いつつも、自分の思いを実現させるためにそういう手段をとってしまったのだろう。
「……でも、実は今のはどちらかというと未来についての謝罪なんだけど」
イリアは小声で何かを呟いた。
うまく聞き取れない。
「今何か言った?」
「いや、別に。ただ、アリシアは辺境伯を説得出来るって思ってないんだよね?」
「うん」
彼女の言葉に私は頷く。ただ、それは辺境伯に先生を殺された彼女も同じではないか、と思う。
「それを分かっていて参加しているならいい」
この時は単にイリアは私の覚悟がきちんと出来ているのかを心配しているだけだと思っていたが、後にそれだけではなかったことが明らかになる。
いくら向こうが悪いとはいえ、街の牢獄を襲撃して囚人を逃がし、その後政治的に許される道筋がないというのはどういうことになるのか。その時の私は漠然と、どこかに逃げるのだろう、というぐらいにしか考えていなかったが、イリアはそうではなかった。
その後私たちは隠れ家に身を潜めつつ、投獄された人々の奪還作戦を立てた。牢自体はただ捕まえて来た人々を放り込んでいるだけの建物であるが、すぐ隣に兵士の宿舎や政庁があり、その区画は一応塀で囲まれている。下手に牢を襲撃すれば一旦は脱出に成功してもすぐに兵士たちに追いかけられる可能性もある。
そうなれば気が立った兵士たちは逃亡者を殺す可能性すらあり、被害が出てしまう可能性がある。とはいえ、兵士の注意を別の方向に惹きつけようとすれば、今度はそちらに被害が出る可能性がある。そんな訳で主にゲオルグが中心となって作戦の立案が進められた。
数日後、私たちは街の中心にある政庁や兵士の宿舎がある区画の周辺に潜んでいた。時刻はお昼ごろ。これは昼には兵士たちは魔物討伐のために街の外に外出しているからである。また、街にいる冒険者や傭兵たちも仕事で外出していることが多い。
この街には常時三百人ほどの兵士が滞在しているらしいが、非番や遠征に出ている兵士を除けば二百五十ほど。さらにそのうちの半数が昼間は街を離れているため、街の中には合計百二十人ほどの兵士がいることになる。おそらくそのうち半分ほどが宿舎におり、残りは街に出ているのだろうが、牢に捕まっている人全員を逃がすような騒ぎを起こせば戻ってくるだろう。
街の人口は多く見ても千人ほどであることを考えると、兵士数は過多のような気がした。もしかしたらそのせいで給料が少なく、不満を持った兵士たちは脅迫まがいのことをしているという負のスパイラルなのかもしれない。
宿舎は木造の平屋だが、三百ほどの兵士たちを収容するため小さい学校の校舎ほどの大きさはある。さらにその周辺の武器庫や代官所などの建物を合わせた広い長方形の区画が塀で囲まれており、中央区画などと呼ばれている。
牢の建物は脱走を防ぐためにその区画の中でも特に中心の方に建っている。今私はその区画の裏口が見える場所にイリアと、傭兵団の二人の戦士とともに潜んでいる。ここからでも牢の中心に立つ囚人を監視する塔はよく見えた。
ちなみに南にある正門側にはゲオルグが傭兵団の中でもとりわけ腕の立つ者を率いて潜んでいる。とりあえず準備段階までは問題なく進んでいるようで、特に不測の事態が起こったという連絡はない。
家を追い出されてこの地に来てからあれよあれよという間に計画が進んだこともあって、私はいまだに現実感が湧かなかった。
「大丈夫? 行けそう?」
イリアが少しだけ心配そうにこちらを見る。
そんな私の動揺が顔に出ていたのかと思うと少し恥ずかしい。
「うん。イリアこそ大丈夫? イリアはあまり戦えないでしょう?」
イリアは腰に剣こそ差しているものの、あまり強い訳ではない。魔法によりある程度の護身が出来る私と違い、彼女は丸腰も同然だった。
が、丸腰のはずなのに彼女の表情は私よりも覚悟に満ちていた。思えば最初会った時も大勢の兵士に物怖じしていなかったし、イリアのそういうところが少し羨ましい。
「大丈夫。元々私が言い出したことだから。それに私はこれを第一歩にしてこの街を変えたいわ」
「そう言えばちょくちょくこの街を変えるって言ってるけどこの後どうするの?」
正直牢獄に捕まっている人を解放するだけで街が変わるとは思えなかった。おそらく脱出した人はどこかこの街とは関係ないところに逃亡するだろうし。
イリアは私をじっと見つめ、少し考えた後に口を開こうとした。
が、ちょうどそこで街の東側から風が吹き始めた。今日を決行日に選んでいたのはこの風が吹くという予想があったからである。
風を合図に、中央区画の東側に建つ民家から火のついた矢が次々と塀を越えて放たれ、それと同時に油をしみこませた藁の束が大量に投げ込まれる。
区画の東側はちょうど兵士の宿舎がある。突然の襲撃にすぐに区画内は騒然となった。兵士たちが大騒ぎしながら東側に向かっていき、政庁にいた役人たちは脅えて反対側の建物へと引きこもる。
さらにそれを外から見ていた街の人々も火事か襲撃かと騒ぎ立てながら集まってきて、一気に周辺は騒がしくなる。
そのうち投げ込まれた藁の束の一つに火がついたのだろう、やがて火の手が一つ上がると風にあおられて燃え広がっていく。
これが作戦開始の合図である。