イリアの思い
「私は元々レオブルクで学問をしていたわ」
「レオブルク……確か辺境伯の本拠地だっけ」
「そうよ」
この周辺で一番大きな権力を持っているのがエジンバラ辺境伯だという人物で、彼は周辺貴族に対する軍事的指揮権を有しており、有事の際は王の事前承認なく軍を起こして魔物討伐などを行う権利が与えられていた。実質国の中に小さい国があるようなものだが、危険な魔物が出た際にいちいち国王の裁可を得てから兵を出していては遅きに失するためである。
その辺境伯の本拠地がレオブルクという街で、私も昨日宿泊した。王都ほどではないが、なかなか大きな街で、辺境伯の威勢を物語っているようでもある。
「何を勉強していたの?」
「法と政治。一応この国にも法律はあるけど、神託とか神殿の横槍だらけでまともに機能していない。だからあるべき国を作るにはどうしたらいいのかを勉強していた。例えば信仰心がある者が重用されるとかではなく、重要な役職は家柄と能力だけで決めるべきだと思うし、職務に関係ないことに口を出してはいけないとか、そういうことをきっちり決めるべきだと思う」
「なるほど……それはそうだね」
イリアの言葉に私は感心する。まだ若いのに国の在り方を真剣に考えているというのもすごいし、まさかこんな辺境に私と同じことを考えている人がいるとは。いや、むしろ同じことを考えているからこそこんなところにいるのかもしれないけど。
一応補足すると神殿が選び出した聖女が神に祈ることで国の豊穣と魔物を弱める加護が得られており、神殿の説明によると祈りを捧げるには聖女だけでなく国全体の信仰というものが必要らしいという主張で神殿は発言力を得ている。
とはいえ、実際に信仰が失われれば神の加護は消えるのかとか、国の要職に一時的に信仰心が薄い者がつくだけでもだめなのかというようなことがきちんと検証された訳ではない。そんなことしてもし加護が失われたら困ると言われたらそれには一理ある。
また、昔は信仰心と政治力を併せ持った有能な人物が国を治めていたため、気が付くと政教一致体制が根付いていたという。昔はたまたまうまくいっていた体制が今も続いていると考えると分からなくもない。
そしてそんな私の反応にイリアは喜色を露にした。
まるで千年来の知己に会ったかのようで、彼女があまり考えを同じくする人に巡り合えてこなかったことを物語っている。
「本当に!? あんまり分かってくれる人いないから驚いたわ。あなたなかなか見所あるじゃない!」
「うん、私も実は同じことを考えている人に会ったのはほぼ初めてかも」
「本当に私もそうなんだ。でも私にも昔は先生がいたの。その人はユンゲルっていうんだけど王国の歴史にも詳しくて、辺境伯にも時々意見を訊かれるようなすごい人だったんだけど、ある日辺境伯に人事で意見したんだよ」
側近やブレーンのような感じの人物だったのだろう。
貴族社会は家柄第一とはいえ、有能な人物は役職にはつかないまでもご意見役として側に置かれることはある。
「今辺境伯軍の将軍を務めている人は神殿の横槍でなった人物なんだけど、その人よりも政治の才能があるコルリッタという人物を家宰につけてはどうかと。コルリッタ様は辺境伯が登用した下級貴族で、兵士の人望が篤く、武勇に優れ忠誠心も高いという申し分ない人物だった。ただ、それを知った神殿の横槍が入って、気が付くと先生は謀叛の罪を着せられて処刑されていた」
「でも辺境伯は助けてくれなかったの?」
「私はその時政治には関わっていなかったから何でかは分からない。ただ、結局先生よりも神殿との関係を選んだということなんだろうね。とにかく、そのとき先生の弟子だった私もこの地に追い出されたって訳」
「そうなんだ……じゃあ私と同じ、あ」
言ってしまってから私は思わず口を塞ぐ。が、当然ながらイリアは私の言葉を聞き逃さなかった。
「え、じゃああなたも追放された訳?」
「実はそう」
イリアが身の上話をしてくれたのに私の出身を変に隠すのも失礼か、と思い私は話してしまうことにした。それにイリアは私と同じようなことを考えの人物だ。打ち明けたからといって危害を加えたり密告したりすることはないだろう。
「今は違うんだけど、実は私はクロノア―ル家の令嬢だった」
「え!?」
その言葉を聞いた瞬間、イリアは素っ頓狂な声を上げた。ここまで知的に話していた彼女の表情が間の抜けた物になり、少し可愛い。とはいえ驚くのも無理はない。なぜならクロノア―ル家はイリアが敵視する「特に能力はないけど国の重要職に就いている」典型なのだから。
「それ本当?」
ややあってイリアは疑わし気にこちらを見てくる。なんせ今の私は地味な格好をして辺境の治安の悪い都市でうろうろしているただの少女である。
「本当だけどもう絶縁されたから今は違う。でもあえて証拠を挙げるとするなら、さっきドラゴニュートを出したことかな」
ガーディアンというのは誰にでもいる物ではなく、王族や貴族など血統のある者にしか召喚することが出来ない。また、本人の資質によるところもあるが、名家ほど強いガーディアンを召喚出来る傾向にあると言われている。
ドラゴニュートもさっきは負けてしまったけど、私がちゃんと魔法で援護しながら戦えば、兵士にも勝てたかもしれない。
「言われてみれば確かに……あれガーディアンだったんだね」
イリアはさすがに驚いたようだった。
「でも何で追放されて……あ、そうか」
訊き返そうとしてイリアも察したらしかった。クロノア―ル家の令嬢がドラゴニュートを召喚していることの意味を。
イリアはしばらく呆然とこちらを見ていたが、やがて少しずつ頬を紅潮させた。もしかしたら何かすごいことが出来るのではないか。そんな期待と意気込みが感じられて、私は少し気圧される。
「ねえ、この辺にはあなたが知らないだろうけどもっと不条理なことはたくさん転がっている。それを変えるのを手伝って欲しい」
そして真剣な瞳でこちらを見つめた。
でも、これまでずっとそういうことを考え続けてきた彼女と違って、私は今日初めて現実を見たばかりだ。それに私の家柄に期待しているのなら筋違いもいいところだ。
「え、でも私は今はただの一人の人間でしかないから」
「そんなことはない。自分の意志を貫いて恵まれた生まれを捨てるなんてことは誰にでも出来ることじゃない。それにさっきは見捨てても困らないのにわざわざ私を助けてくれた」
「それはそうだけど……」
思うに彼女は私を買い被っているのではないか。確かに私はイリアと似た考えを持っているし、実際彼女を助けたし多少は魔法が使えるけど、でもそれだけだ。
「それに、あなたは多分お人好しだからここで暮らしていたらすぐに耐えられなくなるよ」
「……」
が、今度はイリアの言葉を否定出来なかった。もしも今日みたいなことが日常的に起こるのであれば。今日はたまたま助けることが出来たが、今後もうまくいくとは思えない。近いうちに兵士に捕まってしまうだろう。そうなるぐらいなら、彼女と協力した方がいいのではないか。
私はもうあんな光景を見たくないなという思いで頷いてしまう。
「……分かった。それで私は一体何をしたらいいの?」
私の答えにイリアは安心したように息を吐いた。
「良かった。実は私はあなたに助けられたけど、似たような者たちが大勢兵士に捕まっている。私の場合は多分、私の主張を知った信徒の告げ口とかだと思うけど、他にも無実の罪で捕まっている人は大勢いる。彼らを助けたい」
「分かった」
そりゃそうだ。私はたまたまイリアを助けたが、私が来る前から同じようなことは行われていたはずだ。となればすでに犠牲になっている人がいるのも当然だ。
私は一瞬そのことを聞かなければよかった、と思ってしまう。知らなければこの街で穏やかに暮らしていけたかもしれないのに。でも、それを知って放っておけないと思ったのは本当にお人おしなんだな、と私は思った。