辺境は治安が悪い
父の怒りは凄まじく、私は絶縁状を書かされた後に最低限の荷物だけ持って手配された馬車に乗せられた。
私はこの十六年間自分で何かしていた訳ではないから、ほとんどがクロノア―ル家のもので私の物はあまりない。服を除けば私が黙って持ち出した宝石ぐらいだった。服もセシリアが好んで着るドレスと見分けがつかないような服ではなく、普段街中にお忍びで出かける時に着る地味なものだった。
それでも特に物足りなさはなかったのだから、やはり今までの人生に未練はなかったのだろう。そもそもここまでの人生は私にとって借り物のようなものだったのかもしれない。
一週間ほどの旅を経て私はセレスティア神聖王国内でも東の果てであるホールトン男爵領というところで馬車を降ろされた。周囲を見渡しても王都と違い、粗末な家や建物が多く、王都の繁栄した街並みしか見ていなかった私は自分が辺鄙な地に追放されたということをひしひしと実感した。
一応領地の中心にある役所のようなところの前に降ろされたのだが、王都の豪商の家の方がはるかに立派である。
ちなみに御者の言葉によれば、男爵は自領には代官だけを送って自身はもっと繁栄している辺境伯の都市に住んでいるという。領主でさえ住みたくない領地というのはいかほどのものなのだろうか。
「では私はここで」
私が馬車を降りると、御者は事務的に会釈した。
「わざわざありがとう」
「いえ。お元気で」
御者は馬車に乗ると去っていった。
後に残された私はとりあえず住むところを見つけるところから始めようと決意する。当然住むところを探したことなど今までの人生一度もないが。
とりあえず衣類を詰めたバッグの底には金貨数枚相当の宝石が数個入っている。これを換金すれば家を買うか借りることも出来るだろうし、しばらくは職がなくても経済的に困ることはないだろう。そう考えた私はとりあえず宝石屋を探すことにした。
街の中は王都と違って人通りは少なく、しかも歩いている者は兵士や冒険者などと思われる目つきが悪い者たちばかりだ。
この辺りは王国内では東方の辺境に当たり、さらに東に進むと無毛の荒野が広がっており、そこには魔物たちが跋扈するという。王国内にはセレスティア神の加護があるため、領内に入った魔物は力を削がれるし、国外の地よりも作物の実りはいいとされる。
だから王国が国を挙げて神を信仰するのは当然と思われるかもしれないが、神の加護というのも戦争で奪い取った隣国の領地には及ぶのに無毛の荒野には及ばないなど胡散臭いところがある。
そんな訳でこの地には必然的に魔物と戦うために荒くれ者が集まっており、治安も悪そうである。大通りっぽい通りを歩いているはずなのに、私以外に女一人で出歩いている姿を見かけない。
そんな中に『宝石・骨董品・魔道具』と書かれた店を見つける。質素な木造家屋だったが、中をのぞくと武装した兵士が二人ほど立っており、治安の悪さを物語っている。正直怖かったが、宝石を金に換えないと暮らしていけない。
「おや、こんなお嬢ちゃんが何の用だい?」
私が中に入るとカウンターの向こうに座る痩せた老人が声をかけてきた。店内は薄暗く、商品の現物は置いていない。代わりに、壁には在庫の目録が書いた札が大量に掛けてあった。
「宝石を買って欲しい」
「ほう。訳有なのかな?」
まあ私のような娘が現れて突然宝石を売れば嫌でも目に付くか。
「詳しいことは言えないけど、家出してきて」
クロノア―ル家を絶縁されたという肩書はおそらくではあるが言わない方がいいだろう。うちに恨みがある者もない者もどちらもよく思わない気がする。
とりあえず私は一つだけ宝石を取り出して老人の前に置く。
「ふむ……」
老人はルーペのようなものを出して宝石を観察したり、ランプの光を当てたりしている。そして数分後に老人は呟いた。
「これは金貨一枚だな」
「は?」
話にならない。これは少なくとも金貨五枚ほどの価値はあるはずだ。私を侮ってぼったくろうとしているのではないか。
私は憤然と宝石をひったくるようにして取り返す。
「もういいです、よそに行きます」
「そうかい」
そう言った老人はニヤリ、と笑った気がした。
店を出た私は他の宝石屋を探して街をうろうろする。しかし大通りには他にそれらしい店はない。嫌な予感がしつつ私は路地に入る。そもそもこうなったきっかけがあの路地に入ったことなのでいい思いはない。
が、いくらも歩かないうちに前と後ろを塞がれる。現れたのはナイフを持ったチンピラであった。私も迂闊であったが、そんなチンピラがうろうろしていても全く目立たないこの街にも問題があると思う。やはり宝石店から出たところを見られたのだろうか。
「なあ、さっきの店で売らなかった宝石あるだろ? あれを渡してもらおうか」
その言葉を聞いた私は確信した。こいつらはさっきの店主と繋がっている、と。
正直治安の悪さレベルを舐めていた節がある。私は自分の世間知らずさを呪った。
「サモン・ガーディアンズ」
私が呪文を唱えると、私の前後にドラゴニュートが出現する。ただし二体に分けたため、前回と比べると身長は六割ぐらいの小さい個体になってしまうが。
それを見たチンピラはぎょっとする。
「げっ、魔法使いか」
「そうじゃなかったらこんな恐ろしい街を一人で出歩く訳ないでしょ」
「くそがっ、やるしかねえ!」
チンピラは決死の形相で飛び掛かってくる。しかし小さいと言えどもドラゴニュートの動きは変わらない。長剣を持つドラゴニュートはチンピラの攻撃を避けずに剣を突き出す。ナイフがドラゴニュートに届くよりも先に剣がチンピラの胸を斬り裂く。
「ぎゃああっ!」
悲鳴を上げて前方のチンピラが倒れる。振り向くと、後ろでもナイフを持ったチンピラが腕を掴まれてドラゴニュートの蹴りを腹に受け、その場に崩れ落ちていた。
とりあえずは倒しはしたのでドラゴニュートを消すが、正直精神的にかなり疲れた。宝石一つ売るだけでこんなに苦労するのに今後やっていけるのだろうか。無事に宝石を売っても、今度は金貨目当ての賊に襲われ、家を買っても寝込みを襲われないだろうか、と今後が心配になる。
とりあえず今日は疲れたし、いったん宿にでも泊まろうか。幸い一泊するのに足りるぐらいの銀貨は宝石を売らずとも手元にある。この路地をうろうろしていたら無限に事件に遭遇しそうだ。サモン・ガーディアンも無限に使えるという訳でもない。
早速心が折れた私は先ほどの通りに戻る。先ほど歩いていた時に宿はいくつか見つけていた。
が、通りに出た私は遠くに人だかりが出来ているのを見つけた。先ほど歩いていた時はこんな人だかりはなかったのに、と思った私は興味本位でそちらに歩いていく。そして私は野次馬たちの間に体を滑り込ませるようにして、前で行われている光景を見ようとする。
そこでは一人の少女が兵士数人に囲まれて立っていた。先のチンピラや私が王都で倒した兵士崩れとは違い、正規武装に身を包んだ兵士である。
一方の少女はこの街の人にしては身なりが悪い訳ではなく、きっちりした学者のような格好で、気の強そうな目で兵士を睨みつけている。
「この私のどこが……異端者なのよ」
「細かいことは牢でゆっくり神官様に聞いてくれ」
兵士の一人が言うと、その後ろからセレスティア神官の白いローブを纏った男が現れる。やや小太りの中年の男で、顔にはこの状況を前にして薄ら寒い笑みを浮かべている。
「残念ですがあなたはセレスティア神を貶める発言をしました。そのためあなたが異端の神を信仰していないか調べる必要はあります」
「ぜ、ゼール様!」
どうもこの神官はゼールというらしい。兵士の反応を見る限りそこそこは偉い立場なのだろう。
「大丈夫です、もしあなたの心に一点の曇りもなければそのことはすぐに明らかになるでしょう。それとも同行を拒むということはやましいことでもあるのでしょうか?」
神官が嫌な笑みを浮かべ、兵士たちも槍を構えるが、少女は負けじと言い返す。
「は? そう言って連れ去られた人が今まで帰って来た試しなんてな……ぐはっ」
が、最後まで言い終わらぬうちにしゃべっている少女の腹を兵士の一人が蹴りつけた。
「おいガキ、口に気をつけろ」
「げほっ、げほっ」
「それは今までの方は皆邪悪な心を持っていたからですよ。悲しいことです」
苦しんでいる少女を見た野次馬は同情の視線を送る。中には「また新しい犠牲者か」「俺も気に入らないやつを異端者として通報するか」などといったひそひそ話も聞こえてくる。それを聞いて私は大体の状況を察した。
最初馬車の中で領主が不在で代官に統治を任せきりになっているという話を聞いたときはここは無法地帯ではないかという予感がしたが、その予感は正しかったようだ。
それも単に治安が悪いだけではない。
治安を守る側も悪いのだと。