テスカリル教
会談の翌日のことだった。私の元に一人の来客があった。報告に来た兵士によると、この街から少し西に進んだところにあるハヌマーンという街からの者だという。
フォルトの街にいる辺境伯軍と戦うには、ハヌマーンを占領・通過しなければならない。ならばそこの者とも会っておくべきだろう。そう思った私は仕事は山ほどあったけど会うことにした。書類仕事に飽きていたという面もなくはなかったけど。
「通して」
「分かりました」
少しして私の部屋に通されてきたのは、黒いローブを纏い、杖を持った女である。年は私より少し上に見える。顔はややうつむき気味であったが、視線はしっかりと私を捉えており、こちらをじっと見つめていた。背は少し高いが、ローブの仲の体は少し華奢な印象を受ける。
「私はテスカリル教徒の司祭の娘、ミラと申します」
「私はアリシア・クロノア―ル。この周辺の領主をしているけど、テスカリル教徒というのは?」
少なくとも私は聞いたことがない。一応主要な宗教については勉強させられたはずなんだけど。この辺のマイナーな教えだろうか。
「はい、テスカリル教ではいわゆるセレスティア教における神のような存在はいません。我らの教えでは大地テスカリルが全ての祖です」
「精霊信仰のようなもの?」
精霊信仰というのは万物はそれぞれを担当する精霊が生み出したという信仰である。圧倒的な力を持つ神のような存在はいない。
「そうですね。精霊信仰における精霊を大地に置き換えたようなものかと思います」
「その大地というのは神とは違うの?」
「はい。神は人格や思想を持ちますが、大地はただそこにあるだけです。常に新しい生命や植物を生み出し続けますが、それだけです」
精霊信仰における精霊も何か意図があって生き物を生み出している訳ではないと聞く。例えて言うなら穏健な無神論者のようなものかもしれない。
「つまり大地というのは人格ではなく、機能に近いと」
「言ってみればそうですね。私たちは神聖な機能と思っていますが」
「それでテスカリル教徒は普段何しているの?」
「特には。普通に農業をして、時々豊穣祈願や感謝のお供え物や祭りをしているぐらいです」
何となく想像はついた。極限まで信仰を薄くしたセレスティア教徒も似たような感じだろう。
「セレスティア神のことはどう思っている?」
「存在しないと思っているので、憎しみや恨みはありません」
「どうだろう、実在はすると思うけど……それは今はいいけど」
王国は実際に神託や豊穣などの形で、セレスティア神の恩恵を受けているため、実在自体は私は否定しない。もっとも、加護をもたらしている存在が本当に人間を創造したのかは確かめようがないけど。
「それでなぜ私のところへ?」
「おそらく辺境伯軍が信仰して来て私たちの存在が明るみに出れば、何等かの咎を受けるでしょう。あなたはセレスティア神に反逆したと聞きました。そのため、私たちを保護して欲しいのです」
ミラは淡々と述べた。彼女らの信仰は明確にセレスティア神の存在を否定しており、見つかれば弾圧される可能性は高い。
しかし味方になってくれるのは嬉しいが、一つだけ言っておかなければならないことがある。
「あの、私は別にセレスティア神に反逆してないから。王国にも一応反逆してないという体裁になってるし」
「そうなのですか? 兵を挙げたのに反逆してないなどというのは、政治は難しいですね」
ミラは首をかしげる。
「私も反逆してるとは思うけど、反逆してるということを認めるとそこで話が終わってしまうから」
「それは困りましたね。セレスティア神に反逆した以上、私たちのことも認めてもらえると思ったのですが」
だめだ、田舎で細々と異教徒しているだけあって政治の機微がまるで分かっていない。為政者たる者、思っていることをそのまま言葉に出来ないのだ。
それはさておき、私は悩んでいた。今は辺境伯を倒すことを考えると一兵でも多く味方が欲しい時期だ。
しかしここで下手に異教徒を味方に組み入れると、私の存在が王国から承認される可能性はいよいよもってなくなり、果てなき戦いの道へと踏み出すことになる。
とはいえ、そもそもそのような可能性など元からないという考え方もある。また、仮に王国と戦い続けるにしてもセレスティア教徒を味方につけるには、彼らはいらないとも言える。つまり、受け入れるにはメリットもデメリットもありすぎるということだ。
「ちなみにあなた方はどのくらいの勢力を持っているの?」
「ハヌマーンと周辺の村に数十人ほど。ですが父上は村の長でもあるので、我々を保護していただけるのであれば村はまるごと味方につくことを約束します」
「戦力はどのくらいある?」
「戦える若者は数十人いますし、私や一部の者は魔法の扱いにも長けています」
言われてみれば私たちの集団は荒くれ者ばかりで魔法に長けている者はあまりいない。
「いかがでしょう。それに他の街にもテスカリル教徒はいますので損はないと思いますが」
「分かった。じゃあ魔法の腕を見せて」
「はい、でしたら外に出ましょう」
「うん」
確かにこの部屋には書類が山ほどあるのでこんなところで大魔法を使われては困る。そんな訳で、私たちは政庁の裏庭に出た。ついこの間戦いが起こったばかりなので、建物のがれきや燃えカスなどが残っており、痛々しい。
「大地テスカリルが生み出した水の精霊よ……その力を示したまえ」
ミラが唱えると、突然ミラの前に巨大な水の球が現れる。これは大気中の水が集まっているのだろうか、何となく私の周りがからっとしたような気もする。
十分な大きさになった水の球はミラが杖を振るとすごい勢いで飛んでいき、地面に命中する。すると地面はぼごっ、という鈍い音ともにえぐれ、そこに大きな水たまり(?)が出来た。
「おおおおお」
私は思わず感嘆する。が、ミラはまるで本気など出していない、とでも言うかのように平常通りのテンションを保っていた。
「炎を使えばもっとすごいこともできますが、どうしましょう?」
「それはやめて」
というか、この水たまりどうするんだろう、と私は密かに途方に暮れる。
「私たちの中にはこの程度の者は数人いるので、是非考えてみてください」
「分かった、ちょっと考えさせて」
そう言って私はミラを別室に案内して少し待ってもらうことにする。
仕方ない、こういう時はイリアに相談しよう。イリアは忙しそうにしていたが、事情を話すとすぐに部屋に来てくれた。そして私はミラのことをかいつまんで説明する。
それを聞いたイリアの答えは思いのほか単純だった。
「いいわ、とりあえず味方にしましょう」
「ええ!? そんな簡単に決めていいの!?」
思わず私は聞き返してしまう。
「本当は良くないけど、今は時間が惜しいし、一人でも多くの味方が欲しい。敵にも魔術師は何人かいるらしいし、戦力として必要不可欠じゃない?」
「でも、今後まずいことにならないかな?」
私の不安はそこだった。ミラは話が分かる人物だったが、他の信者までそうなのかは分からないし、王国の横暴には不満があるがセレスティア神を敬虔に信仰している味方もいる。
するとイリアは少し真面目な顔をした。
「私は人種や宗教で差別される国を作りたくない」
「じゃあ、それらの人をどうやって一つにまとめるの?」
「法律」
イリアは短く答えた。この時私はイリアの言いたかったことをぼんやりとしか理解していなかったが、「人種や宗教で差別されない」という言葉の響きに釣られてイリアの言葉に同意してしまった。
もちろん、それ以外の諸々のことを考えても味方を増やしておくという選択は正しいと言えるのだが。