会談
軍規の件が解決したと思ったら、次はユミルベク領主のアークランド男爵から会談の打診が来た。会談と言えば聞こえはいいが、手紙は降伏を勧める内容だった以上実質は降伏勧告なのだろう。
しかし、ただでさえ強大な辺境伯軍と戦うには周辺領主との友好は不可欠である。仮に援軍を出してくれないとしても、最低限中立を保っては欲しかった。会談場所は両者の領地の中間でいいということだったので、私はそれに応ずる旨を返信する。相手がどんな意図だろうと、説得の機会がある以上利用しなければならなかった。
私はイリアの部屋に行くと書状を見せる。イリアも書状を読んで唸る。
「罠の可能性は否定出来ないけど……アリシアを殺しても反乱が収まる訳でもないし、こっちが向こうを殺す可能性もある以上低いとは思う」
「そうだね。もっとも、罠の可能性が高いとしても、男爵と直接会談する機会があれば出向かざるを得ない。この期に彼を説得しようと思う」
私の言葉にイリアも頷く。
「分かった。それだったら私も連れてって欲しい」
実はイリアには私の留守を任せようと思ったのだが、確かにイリアは私よりもこの地方の情勢に詳しい。街を空けるのは不安だけど、会談なら往復を含めても日帰りで終わるだろう。
「分かった」
その二日後、私はイリアの他五人の兵士を連れてユミルベクへ向かう細い街道を進んだ。ハルウェイから伸びる街道はフォルトを経由してレオブルグへ伸びる道がメインであり、こちらはあまり利用されていなかった。
とはいえ、ハルウェイの方に反乱に加わろうとする柄の悪そうな者たちが歩いていくのを見ると、複雑な気持ちになる。彼らが反乱に乗じて住民からの略奪を行おうとする者でないことを祈るばかりだ。
昼頃、街道の向こうから進んでくる私たちと同じぐらいの人数の一団と出くわした。向こうは重装鎧で武装した騎士を護衛に連れているが、アークランド男爵だった。
男爵はすでに五十を過ぎており、この地の統治に苦労しているのだろう、髪は真っ白だった。彼は騎乗しており、少し羨ましい。クロノア―ル家の令嬢であれば騎乗は不要だが、この地を治めるのであれば馬に乗れないのは不便だし格好もつかない。
私たちはお互いの姿を認識すると、数メートルのぎりぎり声が届く距離で動きを止める。
「私がアリシア・クロノア―ルだ」
「わしはユミルベク領主のオリバー・アークランドだ。会談に応じていただき感謝する」
見た目の割に彼の声は力強く、離れていてもよく通った。
「早速だが、先日いただいた書状を拝見した。この地の治安が悪いのはわしとてよく分かっている。とはいえ、いたずらに辺境伯と戦えば余計に死者が増える。しかも戦いになればその機に乗じて不法を働く者も出るだろう」
それについてはその通りとしか言いようがない。
「今反乱軍はおぬしを頭にとりあえずまとまっているのだろう。ならばおぬしが軍勢をまとめて降伏すれば反乱を収束させたということで罪を軽くするよう嘆願しよう」
確かに私が何もしなければ、不満がある者たちが勝手に蜂起して収拾がつかなくなっていただろうとは思う。とはいえ、そのような嘆願が通るとは思えない。それに、もはや私の罪はどうでもいい。
「だが、それで問題が解決するとは思えない。私が投降したところで再び元の治世に戻るのではないか」
「そのようなことはない。実際、辺境伯様はすでに魔女狩りに手を染めた神官ゼールの上司にあたる人物を投獄している」
正直、それは少し意外だった。イリアから聞いた話では辺境伯がそのような対処をする人物には思えなかったのだが、思いのほか乱が大きくなり焦っているのだろうか。
私がすぐに反論出来ないでいると、それまで話を聞いているだけだったイリアが一歩進み出た。
「失礼いたします。発言してもよろしいでしょうか」
「構わぬ」
急なことに驚いたが、男爵が許可したのでほっとする。
「私は以前辺境伯閣下に仕えていたユンゲルという学者に恩を受けたイリアと申します。ユンゲルを通じて辺境伯閣下の人となりを聞いてはおりますが、私としては彼が今後の治世で心を改めるとは思えません。ユンゲルは辺境の治安や内政についていくつか提言しましたが、結局それらは取り入れられずに問題は今に至っています。また、辺境伯閣下は教会との結びつきを重視しており、神官を投獄したのも形だけのものではないかと思われますが」
「しかしこのような乱が起こればお考えも変わるだろう」
そこで再び私が口を開く。
「辺境伯は今何歳か」
「確か五十二だったと思うが」
男爵は怪訝な表情で答える。それが何か、と言いたげだ。
「今まで五十二年生きてきて変わらなかった考えが、この程度の乱で変わるだろうか。ここで私が降伏すれば、辺境伯は大したことない乱だったと思うだけではないか。実際、辺境伯軍が占領したフォルトでは、徹底した弾圧が行われていると聞く」
とはいえ、聞いたのはあくまで噂であるし、殺されているのが無実の者なのか反乱に加わっていた者なのかまでは分からない。だが、私の言葉に心当たりがあるのか男爵は苦い顔をする。やはり辺境伯の評判はあまり良くないらしい。
「とはいえ、それでもこのまま反乱を続けることがいい結果に繋がるとは思えない。仮に辺境伯の治世が変わらないとしても、負ければ同じことだし、勝つ限り戦いはなくならない」
やはり男爵は手柄や保身だけではなく真面目にこの地の治安を案じているようであった。それならばこちらも正面から説得するしかない。
「だがこちらはすでに厳しい軍規を定め、軍の住民への暴行を禁じている。仮に戦いになるとしても、こちらが住民に危害を加えることはないだろう」
昨日定めたばかりではあるが、やっておいて良かったと胸を撫で下ろす。これで一応こちらの正当性を主張することは出来る。
「だが、反乱軍の軍紀が維持できるとは思えぬ」
「それについては辺境伯軍の行いと我が軍の行いを見比べてもらえれば分かるかと」
とはいえ、これは賭けだった。ゲオルグがあの軍勢をまとめきれるかも未知数だし、辺境伯軍の軍紀も未知数だった。あくまでハルウェイはホールトン男爵領であり、辺境伯の直轄領ではなかったからだ。
「だが、そちらにはおぬし以外に統治が出来る者はいるのか」
「それについてはこちらのイリアが」
「お許しが出れば、今後我らの領地で実行しようとしている政策を述べようかと思いますが」
とはいえ、イリア一人だけではあるが。
しばしの間私たちの間に沈黙が流れる。
しかし、私たちの固い意志を感じ取った男爵はやがて降伏勧告を諦めたようだった。
「分かった。だがわしにとって一番大事なのはユミルベクの民を守ることだ。また、おぬしらの軍勢の様子次第では容赦なく剣を向ける。良いな?」
「分かった」
要するに辺境伯が優勢であれば辺境伯に着かざるを得ないし、私たちの評判次第ではやはり敵対するということである。とはいえすぐに攻撃を仕掛けてくることはなさそうではある。
「願わくば、両軍をよく見比べた上で判断いただけるとありがたい」
こうして会談は終了した。
「男爵、どう動くのかな」
帰り道、イリアはぽつりとつぶやく。
「どうだろう。でも、私たちが早めに戦いに向かえば初戦から参戦するということはないんじゃないかな」
とはいえ、それも希望的観測だ。辺境伯の参戦命令に逆らえば男爵の地位を失うことになりかねず、そうすればユミルベクの民を守ることも出来なくなる。
「男爵が参戦せずにいるうちに、辺境伯軍に一勝して、私たちの戦術的有利と、軍紀の良さを見せるしかない」
依然として厳しい状況ではあったが、背後から襲われる可能性が減っただけましであった。