軍規
その翌日のことである。相変わらず政務に謀殺している私の元に深刻な顔をしたイリアが現れた。
「どうしたの?」
「ちょっと深刻なことがあって」
重たい声でそう言ってイリアは話を始めた。兵士だけでなく文官も雇おうという話はあったが、彼女はそもそも今の役人たちの仕事ぶりがどのようなものか気になり、抜き打ちで調査に赴いた。
そこでたまたま役人が陳情に来た市民を追い返している現場を見てしまった。現状、先の戦いで討死や逃亡が相次いだうえに補充が間に合っておらず、しかも主君が変わってごたごたしていることもあって人手不足気味ではあった。
「それに、これまでは住民の意見を聴くのは手が空いた時だけでしたし」
役人は何がまずいのか、と言わんばかりの態度だった。イリアは衝撃を受けたものの、忙しいのは事実だし、彼らが忙しいのは乱が起こったせいなのでそれに対しては強く言えなかった。
問題はその先である。この分では住民の声は全て封殺されているのだろうと思ったイリアが役人が追い返した住民の話を聞いたところ、一部の兵士が街で住民から金や食料をゆすっているという。一応イリアは他の住民にも話を聞いてみたが、そういうことが起こっているのは事実であるようだった。
「と言う訳で、この件については早めに対処した方がいいと思う。そうしないとそれがどんどん当たり前になっていくから」
「分かった」
役人の人手不足の方も問題ではあったが、住民に直接害が出ている以上こちらの問題も放ってはおけない。放っておけば他の兵士たちも同じことをするかもしれないし、住民が自衛しようとすれば戦闘になる。私はすぐにゲオルグを呼んだ。
ゲオルグはゲオルグで五百人の兵士の統率に追われて忙しいようだったが、至急と伝えると、夕方ごろに慌てて駆けつけてくる。
「一体何があったのか」
「実は街中で住民にゆすりを行っている兵士がいると聞いた」
私の言葉にゲオルグは渋い表情になる。
「知っていたの?」
「いや、知っていた訳ではなかったが、恐らくそのようなことが行われているのだろうとは思ってはいた。分かった、このようなことがないように改めて指示を徹底しておこう」
「それはもちろんそうだけど、該当者を赦す訳にはいかない」
「それは分かるが、わしも身内ならともかく、最近加わったばかりの者たちまでの監視は行き届かぬ」
ゲオルグは少しではあるが不満そうな表情を浮かべる。確かに突然五百もの兵士を与えられて統率に苦慮しているのだろう。
「だけど、私たちは元々王国の圧政に耐え兼ねて兵を挙げた。その私たちが住民に手を出すのを許す訳にはいかない」
「ああ。だが現実問題としてどうすると言うのだ」
「ゆすりは奪った金品に応じてそれに対応する期間牢に入れる」
「だが、わしは彼らの長ではない」
それを聞いて私は何となくゲオルグとの間に感じていた意識の差のようなものを感じた。私としてはゲオルグに軍事の全てを司る地位を与えたつもりだったし、そう言ったけどゲオルグとしてはあくまで指揮官ぐらいのつもりだったのだろう。
言い換えれば、上官は上官でも傭兵や兵士を雇っているのと同じぐらいの存在に過ぎないと思っていたのだろう。例えば、傭兵の雇い主は傭兵団の長に依頼をするだけで、個別の兵士に好きに命令出来る訳ではない。また、雇った傭兵が何か不始末を起こしたからといって彼らを処分する権限もないだろう。せいぜい契約を破棄するぐらいではないか。
いくら歴戦の戦士とはいえ役職的には傭兵団長でしかなかったゲオルグにそのような役割を期待するのは荷が重いだろうか。
しかし他に任せられるような者はおらず、私もそこまでは手が回らない。もし私が武人であったならば手ずからそいつらを処分するという方法もあったかもしれないが。
「私としては、兵士全員がゲオルグ直属の部下になった気持ちで指揮をとって欲しい」
「何と……」
それを聞いてゲオルグは絶句する。それは彼にとって想像の外だったのだろうし、彼がそう思っているなら他の者もそこまでの意識はなかったのだろう。つまり、当然ゲオルグが彼ら全員の主になったつもりで命令を出し始めれば、強い反発が起こる可能性がある。
「その結果、多少人数が減ってもいいし、彼らを処罰する権限も与える」
「そのようなことは、わしには荷が重い」
思わずゲオルグが反論する。
「お願い。あなた以外にこれを任せられる人はいないし、今の状態で今後さらに人数が増えていけば、ますます無法地帯になっていくばかりだから」
私はじっとゲオルグの目を見つめる。それでもゲオルグは腕組みして悩んでいた。そうしたいのは山々だが、出来るかどうか、という様子だった。
「もし引き受けてくれなければこの軍勢はそのままならず者集団になってしまうし、それでは私たちのやっていることは何の意味もなくなる。横暴な代官が横暴な軍勢に代わっただけで終わってしまう」
「……分かった」
どうやら私の思いが伝わったようでゲオルグは不安げに頷く。
私が命令したとしても、実際にそれで反発を受けるのはゲオルグになるので正直申し訳ない気持ちの方が大きかった。
それでも私はゲオルグに兵士の処罰に至るまで全てを委任する旨を記した証書を作って渡す。
その後、ゲオルグはとりわけ行いが酷かった者二名を見つけて投獄。それに不満を抱いた兵士が十数名ほどいなくなるという事件は起きたが、どうにか事態は解決した。ゲオルグも対応を苦慮したのか、投獄したのは元から人望が薄い者と、元王国兵士という他の者の反発が少なそうな者を選んだようだった。
本当は全員処罰しなければならないのだろうが、とりあえず勝手なことをすれば相応の処罰が行われるという例が出来たので今回はこれで満足することにする。
二人だけの処罰とはいえ兵士からは不評だったが、住民からは好評だった。お礼の手紙まで届いてしまったので、私はそれをゲオルグに渡した。ゲオルグは憔悴していたようだったが、それでも手紙を読んで少しだけ救われたようだった。