波紋
「今の話もっと詳しく聞かせて?」
私は宿の食堂で噂話に興じている人たちに話しかける。噂話などするぐらいなどだから他人に話したくて話したくて仕方なかったのだろう、いかにも気のいいおばさんと言った雰囲気の女が待ってましたとばかりに話し出す。
「昨日うちの旦那が教会に行ったんだけど、そこで男爵領から逃げて来た人たちが偉い神官の人と話していたの。あそこの神官は極悪非道で、ちょっとでも異端の疑いがあれば片っ端から捕まえて拷問にかけているんですってねえ」
「え、そうなの!?」
私が知っている話と大分ニュアンスが変わっていたので素で驚いてしまう。片っ端からというのは二人でも使える表現なのだろうか。こんな感じで噂には尾ひれがついて行くのだろう。隣ではイリアが「それはひどいですね!」と話を合わせている。
「あんまり大きな声じゃ言えないけど、最近税も高いしやっぱり今の辺境伯様はだめそうだな」
そこへうだつの上がらなさそうな表情の中年男も話に入ってくる。それとこれとはあまり関係ないような気もするが、どうも民からすると上の人は全部“上の人”という認識でいっしょくたにされているらしい。私からすると神殿と王と領主はそれぞれ別物なので一緒にされるのは心外だ。
「そうねえ、うちの子ももうそろそろ成人するけどこんな世の中じゃ心配だわ」
「まじかよ、そんなことが起こっているならもう辺境に行くのやめようかな」
朝食を食べていた者たちは集まって来てそれぞれの感想を述べる。
「何か話を聞いている限り辺境伯はどうもあまり人気がないみたいだけど」
私は小声でイリアに尋ねてみる。本当に人気がないのか、それともただ愚痴の種にされているだけなのか。
「言われてみればそうかも。そもそも私が飛び出して来た時の事件も民衆受けは悪かったし。基本は偉い人同士の争いだけど、それでも『やっぱり何か良くないことが起こっているような気がする』ていう漠然とした不安は抱かせたと思う」
「特にこれが嫌だ、ていうほどのものはないけど何かしっくりこないな、みたいな?」
「多分そんな感じ」
私も家にいたころは王宮で誰かが粛清されたという話を聞くたびに不安になったものである。やはりどこの世界でも空気感というものは伝わっていくものなのか。もっとも、父はどちらかというと粛清する側にいることが多かったが。
結局その日は折り返しの連絡が宿に来るかもしれないということと、昨日まで一週間ほど歩き通しで疲れていたこともあって、私たちは宿で休養をとった。私はついこの前まで箱入り娘だったし、イリアも一日中本と睨めっこしているような日々が常だったからだ。
が、翌朝になるとさらに情勢は動いていた。私たちが今日こそは情報収集でもするかと思っていると、宿の食堂では昨日にも増して賑やかに噂話が飛び交っていた。
「例の話ってよくよく聞いて見ると魔女狩りに耐えかねた男爵領で傭兵団が反乱を起こしたらしいな」
「確かにあそこ男爵も領地にいないし、反乱起こすにはうってつけだもんな」
「まあ怖いわ。しばらくこの街からは一歩も出ない方がいいかもしれないわ」
「おい聞いたか、向こうで一旗揚げようってやつらがここを出発したらしいぜ!」
「あの男爵は自分がレオブルグで優雅な暮らしをしているからって領地は代官任せらしいぜ? やっちまえ」
何というか、昨日よりも話が物騒になっていた。そしてよくよく聞いたとか言っている割に情報はそんなに正確ではない。私は急に不安になってきた。自分がしたことが変な伝わり方をして思わぬことを引き起こそうとしているのではないかと。
「向こうで一旗揚げるってどういうこと?」
私が尋ねると冒険者風の男が得意げに答える。
「そりゃ本当の意味で一旗揚げるってことに決まってるだろ?」
要するに反乱を起こすということだろう。いや、彼らの気持ち的にはすでに起こっている反乱に加わるということだろう。
「あの、それは……」
「待って」
私が口を出そうとした時だった。傍らのイリアが私を止める。
「ん、どうしたの?」
「ちょっと部屋で話そう」
イリアが意味ありげにこちらを見るので、私は頷いて部屋に戻ることにする。
部屋に戻るとイリアは周囲を確認すると、神妙な表情になり、小声で言った。
「今回の件、思ったより尾ひれがついて噂になっているんだけど、それは訂正しない方がいい」
「え、どうして?」
「この噂は元々、何となく辺境伯のやり方が嫌だとか先行きが怪しいとか税が重いとか人々が思っていたから多分広がっているんだと思う。言うなれば、人々は辺境伯に不満をぶつけるきっかけを待っていたんだと思う」
「それはそうだけど、だったら余計に止めた方がいいんじゃ」
我慢できなくはないほどの不満の人々が噂を真に受けて蜂起した結果、討伐されるのはあまりに悲惨だ。
「そんなことはない」
が、イリアは真剣な表情で言った。
「今なら世の中を変えるチャンスだよ。だってせっかく人々は今の体制がおかしいっていうことに気づいたんだから。それに噂とはいえ、すでに一部の人は旗揚げに向かっているらしいし」
「それは……もしかして尾ひれがついた噂で人々を煽って反乱を起こそうってこと?」
私は思わず真顔になってしまう。そしてイリアの瞳をじっと見つめる。
イリアは私を見ると真剣な目で頷く。
「そんな!」
「でも、アリシアもあの街を見たでしょ? あの街全部を何とかするにはそれが一番いい方法なんだよ」
イリアの口調にはいつになく熱が籠っていた。先ほど食堂での噂話を聞いて考えた即席の案には思えない真面目なものだ。……そこでふと私は違和感を覚える。
何でイリアはさっき聞いた話に対してここまで真面目に語れるのだろう。
「……もしかして、ずっとこうなることを予想していた?」
そうとも考えなければイリアのこの熱の入れようは私には納得いかなかった。
彼女があまりに真剣なので、彼女が私を利用しようとしたことすら忘れてしまう。
「うん。でも正確に言うと、私の予想よりももっと勢いがあるかな。それもこれも、アリシアがあの惨状をここの教会に報告するよう言ってくれたおかげだと思う」
それは確かにそうだ。でも、私はただ人々の意識を変えたかっただけで、別に反乱を起こしたかった訳ではない。しかしイリアの言い方には遠回しに私が遠因であるかのような響きがあった。
「でも、反乱なんて起こしても辺境伯や王国を相手にして勝てるとも思えない。この前の作戦だって何人も怪我したのに、反乱ともなればその比じゃない」
「うん。じゃあどうする? 私たちに出来ることは多分大きく分けて三通りある。一つは反乱に参加すること。もう一つはやめるよう説得すること。最後は見なかったことにしてどこかに立ち去ること」
「見なかったことにするって……」
そこで私はイリアの術中にはまったような気がした。私はそう言われてしまえば見なかったことにしようとは言えない性格だし、イリアもそれを知っているだろう。かといって、これから参加する人に「反乱はやめよう」と説得して回るのは無理がある。それでやめる人はそもそも反乱を起こすことはしない。
「でも、まだ平和的に解決するかもしれない。例えば、辺境伯が私たちにこの後会ってくれる可能性もある」
「それはそうだね。じゃあこうしない? もし五日以内に辺境伯が会ってくれそうなら私も一緒に説得する。でももし会ってくれなさそうなら、やはり辺境伯に期待するのは無理だったということにしよう」
「それはそうだけど……」
正直なところ、この賭けはイリアの方が有利に思えてしまい、私は逡巡する。
が、そんな私をダメ押すように彼女は言った。
「それに、もし反乱で出る被害を減らしたいならあなたのような人が一人は参加した方がいいわ」
「……」
それは確かにその通りだった。もし本当に傭兵やヤクザのような者たちだけで反乱が起こるのであれば、それこそ大惨事になりかねない。
「あなたがいれば、ほどほどのところで交渉することも出来る」
それはそうだけど、なかなか決められることじゃない。
「ごめん、ちょっと街の様子を見てくる。それで決めてもいい?」
私はイリアの答えを聞くことなく部屋を出た。とりあえず街の空気がどうなっているのか。それを把握して考えようと私は思った。




