プロローグ ~巡り巡る青い春~
どうも初めまして、作者のFALSEです。
取り敢えずプロローグだけ投稿します。これは「この作品を書いていくぞ~!!」
という作者のやる気の現われだと思って下さい。
不定期で更新する予定です。よろしくお願いします
日本には四季が存在する。春夏秋冬と一度に表されるそれは、大人にとっては現在時間を計る基準であったり、仕事の基準であったり、また何か新しい事を始める基準であったりと、十人十色の意味をもたらす一つの概念として存在している。
ただ、それらはあくまでも社会という統一された体系に身を置く大人達の意見であり考えであって、全ての人に該当する訳ではない。子供達────特に、大人と子供のちょうど狭間に位置する中学生・高校生にとって、四季というのは彼らにしか体験できない貴重な”何か”を生み出す存在なのである。それは学校行事であり、受験であり、長期の休みであり……そして”青春”の二文字に集約される全てである。
十九世紀のフランス哲学者ポール・ジャネーが紹介した『ジャネーの法則』にあるように、大人と子供の間には心理的に時間的感覚のズレというものが生じている。端的に言葉にするなら、「子供の時間感覚は大人の時間感覚より長く感じている」というものである。
つまり、だ。学生の時間というのは大人が思うよりずっと長く、そして長い分だけ多くの経験が記憶として存在するのである。大人になってから一度はした事があるであろう”昔語り”は、それこそ飲み会でハシゴをしても足りないぐらいに語れるのに、ここ数年の自分の出来事はあまり多く語れない、という訳である。
学生の時間感覚は大人より長いというのは重要な事で、恐らくだがこの時間感覚の長さは”青春”に還元してほしい、という神からのお告げなのではないだろうか。少し飛躍している推論ではあるが、もしそんな物好きな神によってこの時間を貰えているのであれば、正しく”青春”を送らなければ、それは最早罰当たりな事をしている事になる。
無神論者なら「関係ない」と突っ撥ねられても文句は言えないが、もしそうだとしても少し考えて欲しい。この学生時代に与えられる体感時間を、何もせずに浪費してしまうのは勿体なくはないだろうか。
一度使った時間は返って来ない。時間は有限であり、更にはこの学生時代にしか感じれない時間が存在する。その事を考えられるのであれば、今こうしてベッドの上で寝そべってただ天井を眺めている自分を叱咤するべきだろう。何でもいい、後の自分が宴会の席で長々と語れるような”何か”を今すぐにでも行動するべきだろう────
────それが、”青春”なのだから。
まだプロローグなので何も触れてませんが、最初の内は出せるだけ投稿するつもりです。
良かったらブクマしていってくれると嬉しいです。
コメント、意見、誤字脱字等あればお待ちしております。