「泣くことすらも許されない」
~~~フルカワ・ヒロ~~~
ベラさんの体が黒い塵となって消えた瞬間、アールの動きが止まった。
手の平からこぼれていくベラさんの残滓を見つめるその目から急速に光が失われていくのが、遠くからでもよくわかった。
「……ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょうっ」
心の底から、俺は悔いた。
ベラさんを助けてやれなかったことを。
今すぐアールを抱きしめに行ってやれないことを。
そもそもの問題としての、己の弱さを。
「どうした、動きが止まっているぞ?」
相変わらずの冷酷な目で、カーラは俺を見つめてきた。
「いつものように走らないのか? そんなところにいると──」
長剣を鞘の中に納めたまま無造作に間合いを詰め、そして──
「──危ないぞ?」
──キ、キ、キ!
長剣の柄に手が触れた──と思った瞬間、ガラスの板を金属で引っかいたような音が連続した。
縦に二つ、横に一つ。超高速の斬線が走った。
「──っとおおお!?」
考えて躱したわけではない。
見て躱したわけでもない。
ただの反射だ。
反射だけでバックステップを踏み、難を逃れた。
ジャカの槍にパヴァリアの鎖鎌、シャルロットの長弓にレインの風啼剣。
今までの戦いで得た経験が活きた。
「うえ……っ、ぺっぺっぺっ……」
剣圧によって巻き上げられた泥を顔から払っているところへ、「待たせたね! 勇者様!」とレインが声をかけながら走り寄って来た。
「……ほう、今のを避けるか」
自らの長剣をしげしげと眺めたカーラは、遅れて駆け付けたレインに気づくと、くるり切っ先を返して長剣を鞘に納め、わずかに身を沈めた。
一旦休止──ではない。
湾曲した刃と鞘の構造を利用した、得意の超高速抜剣術の構えに入ったのだ。
「ひゃー……実際に相手してみると、これはおっかないねえー……」
おどけたように言うレインの目は、わずかに赤くなっている。
涙を拭おうとして返って汚してしまったのだろう、白皙の頬に泥の跡が残っている。
そりゃあそうだろう。
七星の一角にいたとは言っても、彼女はまだ子供だ。
わずか十六歳の、心揺れ動く年頃の女の子に違いない。
そんなことを考えていたら、なんだかムカムカしてきた。
「敵である俺が言うこっちゃないのかもしんないけどさあ! カーラ! あんた、仲間がやられたのにちょっとも動揺しねえのかよ!? それでも人間かよ!」
七星の中で、最古参はカーラ。
その次はミトで、ふたりは同郷の幼なじみだと聞いている。
いつもカーラにべったりなミトの態度からしても、その関係が浅くないことはわかる。
そのミトがやられたのだから、泣きわめけとは言わないまでも、少しは辛そうな顔をすればいいのに……。
「本当に、貴様の言う台詞ではないな」
「……そ、そりゃそうだけど!」
「それに、悔やんだところでどうなるものでもあるまい? 弱者が弱いが故に死んだ。それだけのことだ」
「別にミトは弱くは……」
「結果がすべてだ。ミトが本当に強いならば、今もなお生きているはずだ」
カーラは淡々と告げた。
本気で、心が鉄で出来てるんじゃないかってぐらいのひどい言い草だ。
「──その通りだ、カーラ。初めて意見があったな」
意外なことに、アールはこれに同意を示した。
え──アール?
「アール、おまえ大丈夫なのかよ……?」
俺とレインの間に、戦鎚を構えたアールが並び立った。
「心配してくれたのか。優しいな、勇者殿は」
アールはにっこり微笑みながら礼を述べた。
その顔に涙の跡は無く、瞳にもいつも通りの鮮紅色の輝きが戻っている。
「だが、無用な心配だ。なあ、わかっているのか? 我がここに至るまでの道程を。トーコやドナだけではないぞ。その他にも多くの大切な者たちの死を乗り越えながらやって来たのだ。その我が、この最終局面において、怨敵を前にして膝を屈し無様に泣いて過ごすなぞ、許されるものか」
「アール……」
俺は堪らず、唾を呑み込んだ。
血が出るほどに強く、拳を握った。
そうだ。
アールの肩には、このわずか十六歳の少女の双肩には、無数の人の想いが、無念が乗っている。
自らが言ったように、泣くことすらも許されない。
「カーラよ」
アールはカーラに向き直ると、戦鎚を突きつけるようにして言った。
「貴様の言う通りでな、強さというのは厳然たるものだ。武力に踏みにじられたくなければ強くなる他無く、それが出来ぬのであれば死ぬしかない。ミトが死んだのも、その他の七星が死んだのもまた、すべては弱いからだ。なあ、そうであろう?」
「……ほう」
煽るようなアールの言葉に、カーラは珍しく、表情に笑みを浮かべた。
「驕るな、カーラよ。リディア王国最強の精鋭部隊『七星』、その内六星はすでに欠けた。残るは貴様のみ。輝星の墜ちる日は、今日なるぞ」




