「命懸けの罠」
~~~ベラ・ローチ~~~
「魔法付与されていない武器で打てば武器が! 鎧なら鎧そのものが腐り落ちるぞ、気をつけろ!」
そう皆に忠告すると、『獄炎武器化』の魔法をかけたアールが戦鎚で打ちかかった。
「……あら、よくご存じね。あなた、若いのに素晴らしいわ。では、これはどうかしら? 『滅びの呪装』は全身を鎧い、触れたものを腐らせるだけではなく……」
漆黒の鎧で全身を固めたミトは、魔杖を捨てると両腕を交差させてアールの打ち下ろしを受け止めた。
「なっ……!?」
「全身の筋力、敏捷性をも底上げするって……ねっ!」
不敵に笑うと、ミトは動揺したアールを力で押し返した。
そのままくるり体を回転させると、アールのどてっ腹にバックスピンキックを蹴り込んだ。
「アール様……!」
「『閃光』!」
「『曲走』!」
叫ぶベラの両脇を、凄まじい速度でふたりが駆け抜けた。
光のような速さで走ったレインが風啼剣を思い切り突き込み──
横からアールに跳び付いたヒロが、抱きしめながら地面を転がった──
結果、ミトは両腕を下ろしてレインの攻撃を防がざるを得ず、蹴り足はぎりぎりのところで空を切った──
「大丈夫かアール!?」
「まさか触られてないだろうね!?」
「う、うむ……大丈夫だ。その、ありがとうレイン……勇者殿……」
すんでのところで救われたアールは、顔を赤らめながら礼を言った。
「こらあああーっ! 助たらすぐに離れろおおおーっ!」
両手に構えた風啼剣でミトに猛攻をしかけながらも、しっかり苦情だけは言うレイン。
「行くぞレイン! 前後で挟んで圧し潰すのだ!」
一方アールはすぐに気を取り直すと、ミトの背後に回り込むように走った。
「……なかなか連携とれているじゃない!」
こちらのコンビネーションの緊密さに驚きながらも、ミトは素早く動いた。
斜め後方へ、ヒュドラの死体を背負うような動き──アールに背後をとられるのを防ぐつもりだ。
「ちょっと残念だけど、白馬の騎士様の助けを待つことにするわ!」
ミトの命令を受けたのだろう、スケルトン部隊がこちらに向かってガシャガシャと進軍を始め──
ヒュドラの陰から、いよいよカーラの姿が覗いた──
『…………っ!!!?』
そうと知ったみんなは、それぞれの動きを加速させた。
「……ふたりはミトを! こっちは俺に任せろ!」
──意外なことに、四人の中で真っ先に動いたのはヒロだった。
小剣を構えながら、カーラに向かってダッシュをかけた。
ひとりで立ちはだかり、時間稼ぎをしようというのだろう。
その策自体は悪くない。
向こうもさすがにヒロを殺すことは出来ないし、せいぜいが無力化されるぐらい。
即死しなければどうとでもなる肉体だし、レインとアールのふたりが自由に行動出来たほうが、全体としての利に繋がる。
だが──
彼はまだわかっていない──
「勇者様!?」
「勇者殿!?」
自身を盾とするようなヒロの行動に、ふたりに明らかな動揺が走った。
時間にしたら一秒にも満たないような、わずかな隙。
だがその隙を、百戦錬磨のミトが見逃してくれるはずもない。
「……もらった!」
ミトは片手でレインの風啼剣を弾くと、もう片手で鋭く突き込んだ。
狙いは胴体中央。的が大きく、最も躱しづらい位置──
「……くっそ!?」
レインは驚異の反射神経でこれを躱したが、勢い余ってその場に尻もちをついてしまった。
そこへ──
「終わりよ! レイン!」
ミトは足を踏み替えると、冷静に手刀を打ち下ろしたが──
それをベラが、間一髪のところで大鎌を突き出して受け止めた──
「ちいぃぃっ!? 後から後から湧いて来る……!」
さすがに苛立ったのだろう。
ミトは標的をベラに定めて襲いかかって来た。
「まずは一番弱いところからって!? そうね、今なら大いにわかるわ! あなたたちの気持ち!」
一歩踏み込んで手刀。
もう一歩踏み込んで、さらに手刀。
ベラはなんとか大鎌でこれを捌くが、触れた部分が端から腐り落ちてゆく。
最初二メートルほどもあった大鎌が、瞬く間に一メートル弱にまで縮んでしまった。
「そらそら! もう後が無いわよ!」
一気呵成に攻め立ててくるミト。
「この……調子に乗るな!」
後ろからレインが仕掛けるが、これはミトに読まれていた。
「小娘が! 吼えるんじゃない!」
振り向きざま、勢いをつけたバックスピンキックを飛ばすミト。
レインはこれを風啼剣でなんとか受け止めたが、体重の軽さが災いして後ろへ吹っ飛ばされてしまった。
「…………っ」
その瞬間、ベラはいくつかのことを考えた。
武器を失い、どうやらこれ以上は役に立てそうにないこと。
背後から迫るスケルトン部隊のことを考えれば、むしろ足手まといになってしまうだろうこと。
極限と言ってもいい戦いの中で、そんな存在は許されないということ。
「ベラ……今助ける!」
戦鎚を構えたアールが駆け寄って来るのに対し、ベラは叫んだ。
「アール様! どうか……!」
叫びながら前に出た。
ミトとの間にあった数歩の距離を、一気に詰めた。
残りわずかになった大鎌の柄を投げ捨てて──
両腕を、まるで罪人を許す聖女のように広げた──
「……素人が! 組み付いてどうにか出来るつもり!?」
ミトは鼻で笑うと、思い切り手刀を打ち込んで来た。
まったくの無防備になったベラのどてっ腹に、それはずぶりと深く突き刺さった。
『………………!!!?』
ヒロが、レインが、アールが、一斉に息を呑んだ。
滅びの呪いを解くことは出来ない。
これほど深く打ち込まれては患部を抉ることも出来ないし、ヒロの再生スキルを分け与えられたとしても、ただの気休めにしかならない──つまり、ベラはもう助からない。
「ベラ!」
アールが叫びながら駆け寄って来るのが見えた──
「ベラさん!」
ヒロがカーラと対峙しながら叫ぶのが見えた──
「ベラさん!」
レインが起き上がり、風啼剣を構えるのが見えた──
そんな中、ベラは笑った。
口の端を緩ませながら、懐から革袋を取り出した。
ヒロの血を摂取しようとするかのように、震える手で紐をほどき、口を開けた。
しかし──
「……あら、いいもの持ってるじゃない」
目ざとく見つけたミトに、それはあっさりと取り上げられた。
「これってヒロの血でしょ? あなたたちの力の源。少ない勝ち筋のひとつ……それを敵であるわたしに飲まれたら、さぞや業腹でしょうねえ?」
にやり悪魔のように微笑むと、ミトはそれをひと息に飲み干した。
「はっはっは……あっはっはっは……」
しかし、それに対するベラの答えは嘲笑だった。
顔に手を当て、身を折るようにして、ベラは全力で嘲笑った。
「ああーっはっはっは! リディア王国最強の一角が、七星ともあろう者が、ずいぶんと悪食ねえーっ!?」
ベラの嘲笑の意味──それはすぐに明らかになった。
「うっ……ぐっ……?」
ミトが口元に手を当てた──次の瞬間、まるで噴出するかのような勢いで、赤黒い血を吐き出したのだ。
「はあ……? なんでよ……だってさっき、たしかにヒロの血を入れていたのに……」
全身を震わせ、目を真っ赤に充血させながら、ミトはベラに訊ねる。
「説明したってあなたにはわからないでしょうけどねえ、わたしたちは双子だったのよ! 小さい時からなんでも一緒! 衣服も、馬も、大鎌も、革袋だってふたつずつあったのよ! そのすべてを持って来ることは出来なかったけどね! 一部は持って来れっ……たのよっ……」
口の端に血の泡を浮かべながら、ベラは凄絶に微笑んだ。
「わたしたちが生きるために使っていた、即効性の毒も一緒にね」
「毒……ですって……!?」
ようやく得心がいったミトは、しかし苦しさに耐えられなくなり、うずくまり、血が出るほどに強く胸をかきむしった。
「あっ……がっ……!」
「コツはね? いかにもなんでもない風に、日常の風景やしぐさに紛れこませること。あるいはあなたのお仲間の、パヴァリアあたりなら気づけたかもしれないけどね?」
「カー……ラ……っ」
伸ばした手は、むなしく空を切った。
ミトはうつぶせに倒れ、二度と立ち上がることはなかった。
最期の声がカーラに届くことはなく、『不死のミト』の生命活動はここに停止した。
──やった……。
勝利を確信したベラは、口元を緩ませた。
その場に崩れ落ちると、全身から力を抜いて横たわった。
清潔感とは程遠い、じめじめとした泥の上──多幸感の中でしかしそれは、まるでふかふかの絨毯のように感じられた。
──やったわ、ドナ。
もちろん、戦いはまだ終わっていない。
ミトこそ倒したが、カーラはまだ残っている。
最強の敵が、厳然としてそこにある。
でも、たぶん。
──大丈夫、アール様ならきっと勝てる。
そう、信じている。
──ふふ……そっちへ行ったら話したいことが山ほどあるの。ねえ、見たことある? アール様のあんな表情、あんなしぐさ。
ヒロに対してのそれ、レインに対してのそれ。
──あんなの、トーコ様がご存命の時にすら見たことない。
「……ラ!」
誰かが何かを叫んでいる。
「……ベラ!」
切羽詰まったような声で、何度も、何度も。
だけどそれは、ベラには聞こえなかった。
腹部から始まった彼女の体の腐食は、すでに全身に及んでいた。
神経系を冒し、ものを見ることも、聞くことすらも正しくは出来なくなっていた。
だけどたぶん、アールだろうと思った。
この場で、この状況で、彼女のことをここまで気にかけてくれるのはアールしかいない。
「アール様……ああ、アール様……」
「なんだベラ……!? 我はここにおるぞ……!?」
何かに手を持ち上げられたような気がする。
誰かが自分に話しかけているような気がする。
朧げな、ともすると消えてしまいそうなあやふやな感覚の中で、ベラは懸命に言葉を紡いだ。
「どうか……お幸せになられますよう……。あなた様はもう……何ものにも縛られなくていいのです……。自由な鳥のように……どこかへ……愛する方と共に……」
「ベラ! もう喋るな!」
束の間、彼女は過去を回想した。
ぐるぐると回る視界の中で、ぐにゃりとぼやける感覚の中で。
何度も何度も、幼い頃より今までの、すべてを。
「ああ……楽しかった……ねえ、ドナ? わたしたち、けっこう楽しんだわよね……?」
「ベラ!」
「トーコ様に会えて……アール様に会えて……ホントに……ホント……」
言葉の途中で、ベラの生命活動は停止した。
黒い塵のようになって、風に吹き散らされるように消えた。
何も残さず、ただ消えた。




