「六星は欠けず」
~~~ミト・ブラウズマ~~~
宿の中には、地獄のような光景が広がっていた。
至るところにどす黒い血だまりが出来、肉片が飛び散っていた。
行われた戦闘の激しさを表すかのように、テーブルや椅子の破片があちこちに散らばっていた。
シャルロットの死体はカウンターの手前にあった。
死因は鈍器による頭部の殴打。
鼻が潰れ目が腫れ、ハイエルフ特有の幽玄な美貌が台無しになっている。
凶器は傍に転がっている酒瓶だろう。
底部が赤黒く染まり、シャルロットの肉片や歯、髪の毛などがこびりついている。
不思議なのは、シャルロットが身にナイフの一本も帯びていないことだ。
傍らには弦の切れた神弓と、一本も使われていない矢筒が落ちているのみ。
「武装を解除したところを襲われたか。食事の痕跡があるところを見ると、食事中に不意を突かれたと見るのが妥当だろうな」
カーラは感情に流されることなく、冷静な目でかつての仲間の死体を検分していく。
「こっちがパヴァリアか」
パヴァリアの死体は壁を背にして座り込んでいた。
傍に鎖鎌が落ちているところを見るに、シャルロットとは違い、こちらは愛用の武器を使って戦闘を行ったようだ。
死体の損傷は激しかった。
鎖帷子のあちこちに、刃物で突かれたような傷がある。
大きなダメージとなったのは右膝そして両手首の深い裂傷。
首が斜めに裂かれているのが致命傷だが、右膝を深く斬りつけ動きを殺してからとどめを刺したのだろう。
「このキレ、そして技の運び……。パヴァリアほどの使い手を、たとえ不利な地形であったとしても、正面から倒すことの出来る者はレインしかいるまいな」
ミトはホウとため息をついた。
決して感情に流されることのないカーラの振る舞いに。
幼少の頃に志して以来決して変わることのない、騎士としての使命感に。
「パヴァリアは武器を構えることが出来て、シャルロットには出来なかった……。ということは最初にやられたのがシャルロット……いや、単純に位置の問題か?」
ミトの熱視線など意にも介さず、カーラは検分を続ける。
「この壁の穴も気になるな。大型の鈍器による一撃だろうが、パヴァリアの鎖鎌のものでも、レインの風啼剣のものでもない。シャルロットの神弓や酒瓶は論外で……だとしたら、ヒロに加担している何者かの武器だろうか? その者がこの宿を提供した? いずれにしろ、相当大きな組織か個人が後ろにいると見るべきだろうな」
「さらなる増員を求めたほうがいいかしら?」
──勇者ヒロとレインが乱心し逃亡した。
各都市の衛兵は検問を強化、巡回騎士を増員し、速やかな発見に務めよ。
敵は精鋭、ふたりでなく複数の集団になっている可能性もある。
可能な限り戦闘を避け、七星へ即時連絡を送れ。
なおこの件は極秘であり、他へ漏らすことを厳に禁ずる──
ジャカ、ベックリンガーの死を覚知した直後にカーラが発した伝令だ。
各都市の常備軍を活用して補足、包囲して討ち取ることを目的としているのだが、もしヒロたちの戦力がそれ以上のものであるならば、包囲を食い破られる可能性がある。
「いや、それは出来ん」
カーラは首を横に振った。
「これ以上の兵をとならば、臨時の徴兵が必要となるだろう。七星の権限を持ってすれば出来ないこともないが、そのためにはそれこそ戦争規模の必然が必要となる」
「……そう」
勇者喰いの秘密の露呈を考えるならば必然であると言えなくもないが、それを各都市の代官に伝えること自体がそもそも禁に触れる。
国のお偉方も、それは許すまい。
「総力はともかく、現段階ではそれほどの勢力を伴ってはいないだろう。馬蹄の数から考えても、四人か、多くて五人程度の集団で逃げているはずだ。そしてこれを見よ。シャルロットのものでもパヴァリアのものでも、ヒロやレインのものでもない赤毛と、大量の血痕。ここで構成員のうちの誰かが死んだか、そうでなくとも相当な深手を負っているはずだ。ならば今こそ、速やかに追撃をかけるべきだ。ミト」
カーラはバッと手を振りかざした。
「儀式をすぐに開始せよ。二刻(二時間)以内だ、出来るな?」
「もちろんよ」
アイスブルーの瞳で見つめられたミトは、さっとその場に跪いた。
ゾクゾクと身を震わせながら拝命すると、古の森の黒木の魔杖を横に振った。
ギィと床を軋ませながら姿を現したのは、ジャカとベックリンガーだ。
彼らは奇跡的に生きていたのか?
いや、ふたりは事実として死んでいる。
ジャカの首には深々とした傷があり、ベックリンガーは頭の半分が無惨に潰れたまま。
長いつき合いであるカーラ以外に知る者のない、『死霊術師』としてのミトの秘術により、『亡霊騎士』と化しているのだ。
「知能を失ったとはいえ、生前の力と技は持ったまま。さらに斬っても叩いても痛みを感じぬ身となれば、レインとてこれを倒すのは容易ではないはず。ましてやここにこのふたりも加わるとなれば、敵にどれほどの戦力があろうと恐るるに足らないわ」
カーラはうなずくと、壁の血文字を見やった。
リディア西方域の古語で、『残るは2人』と書かれているが……。
「ならばこれは、訂正すべきだろうな」
カーラは長剣を抜くと、目にも止まらぬ早業で文字を刻んだ。
リディア語で数語。
──六星は欠けず。




