「美味しそうに見えたもんで」
~~~フルカワ・ヒロ~~~
レインとのやり取りのせいで興奮してしまってなかなか寝つけなくなった俺は、夜中にひとりで宿の中を歩き回っていた。
──おい、知ってるか? あの勇者とかって奴。あいつは実は、食用として召喚されたんだってよ。
1階の酒場に着いた瞬間に聞こえて来た声に、ぎょっとして足を止めた。
──なんだそれ意味がわかんねえんだけど……。勇者ってのはあれだろ? 最近3階に逗留してて、七星を護衛に付けて巻き狩りなんぞしてる贅沢なガキ。男どもはともかくとして、女は綺麗どころばっかりでうらやましいよなっておまえが昨日言ってた奴。
──そうそう。そいつなんだけどよ。どうもうらやましいだけじゃないようなんだわ。聞いた話によるとだな、あいつは魔王討伐用じゃなく食用で召喚されたんだとよ。
──だからそれがわかんねえって……あ? 喰うってこと? 本気で? 勇者を? 肉として? いやいやいや、あり得ねえだろーっ。
中年のおっさんばかりで構成された冒険者の一行が、端っこのテーブルでひそひそと話をしている。
──バッカ、声がでけえよっ。あのな、勇者ってのはなんでも死ぬほど美味いらしいんだわ。しかも肉を喰えば不老になり、血を飲めばあらゆる傷や病が治り、臓腑を喰えば不死になるとかでな。国中の貴族どもが金を積んで、喰う権利を争ってるんだと。
──美味いだけじゃなく薬にもなるって? いやあでも……じゃあなんだってあいつ、こんなとこでのんびりレベル上げなんてしてんだよ? 呼び出してすぐ喰っちまえばいいだろうが。
──そりゃあおまえ、家畜と一緒だろ。買うにゃ当然金が必要だし、食べるにしても適度に育てててからのほうが断然美味い。召喚の儀式にゃ100人からの術士が必要だって話だからな、それに見合う分育てなきゃってことだろ。
………………なるほど、たしかに筋は通ってる。
俺の住んでいた世界にも八百比丘尼の伝説なんてのがあったように、中世ファンタジー世界観なパラブルムの人たちがそんな話を信じていたとしても、おかしくはない。
実際問題そういった薬効があるかどうかはともかくとして、だ。
「いやいやいや、何を納得してんだ俺はっ」
俺は思い切りかぶりを振った。
「あんな酔っ払いのたわごとなんか信じてどうするよっ」
階段を上り2階へ。
日々鍛えた走力で、一気に3階へと駆け上がった。
「そうだよ。何より信頼出来るのは仲間じゃないか。なんだったら明日レインに聞いてみればいい。そしたらあいつのことだ。きっと、『何言ってんの勇者様!?』って驚いて、『やっぱ成長バランスがおかしいんだよっ、どんどん魔法を使って知力を育てなきゃっ』って教育ママ的使命感を発揮して……」
「ふぁ~あ……。あれー、何やってんの勇者様?」
「っておわああああああー!?」
突然横合いから声をかけられて、俺は思いきり飛び退いた。
「ってレインか、びっくりしたあーっ! びっくりしたあーっ!」
いかにも眠そうにあくびをしているのはレインだ。
こんな夜中に廊下に出ているということは、こいつも眠れなかったのだろうか? それともトイレか何か?
「何をそんなにびっくりしてんのさ。変なのー」
くすくすと笑うレインは、深夜なのにも関わらず鎖帷子を着込んでいる。
鉄頭巾こそ被っていないものの、剣帯には短剣を二本きっちりぶら下げている。
ああそうか。
俺に万が一が無いようにと毎晩置かれている不寝番が、今夜はレインの係なのだろう。他のみんなが寝るまで仮眠をとっていて、ちょうど今起き出してきたところなのだ。きっとそうだ。
心底ほっとした俺は、飛び退いた拍子に掴んだ柱から手を離した。
「いやあー、それがさあー。さっき変な話を聞いちゃってさあー」
さあ説明しようと口を開いたところで、人差し指の先から流れ落ちる鮮血に気がついた。
「勇者様……それって……?」
「え? ああ……ささくれのせいかな?」
柱を掴んだ時に裂いたのだろう。
思ったより深い傷だが……。
「大丈夫大丈夫、こんなの俺ならすぐ治せるよ。伊達に再生持ちじゃないんだぜって…………レイン?」
「……」
「おい、レイン?」
そこで俺は、レインの様子がおかしいことに気がついた。
目を大きく開き、俺の指先を見つめている。
しゅわしゅわと泡立つように再生を始めた傷口を、食い入るように。
興奮しているのだろうか、頬が紅潮し、口元がわずかに開いている。
ハアハアと息づかいまで荒い。
「おい、レイ……ってうええええっ!?」
思わず変な声を出してしまったのは、レインが俺の腕に飛びついたからだ。
華奢な身体に似合わぬ怪力で俺の腕を抱え込んで、指先を口に含んだからだ。
「ちょちょちょちょちょ……おまえ何やって……っ!?」
肩を押して引き剥がそうとするも、レインは咥え込んだ指を離そうとしない。
傷を唾で癒そうとしてくれてるのか?
いやだけど……普通の人間ならともかく俺は再生能力持ちだし……。
「おまえ……」
傷が塞がった後も、レインは名残り惜しそうに指に舌を這わせている。
目をトロンと潤ませて、なんだかちょっとエッチな感じだが……。
「おまえ……まさか……っ?」
俺はハッとした。
これこそさっき酔っ払いの冒険者たちが言っていたことなんじゃないか?
勇者ってのは死ぬほど美味くて、薬効も魅力的で、だからレインは耐えられずに飛びついたんじゃないか?
「……あっ」
レインもまた、我に返ったようだった。
俺の腕を解放すると、わたわたと慌てた。
「ご、ごめんっ。寝起きで不意打ちで……あまりにもその……」
顔中をペタペタ触って、目をキョロキョロさせて……。
「美味しそうに見えたもんで……」
それは果たして、冗談だったのだろうか。
それとも単純な失言か。
わからない。
わからないが、俺は逃げ出していた。
「うう……っ、うわああああー……っ!?」
「──ちょ、ちょっと待ってよ勇者様!?」
レインの変貌ぶりが、年齢に似合わない淫靡さすら感じさせるその表情が怖かったから。
制止の声を振り切り宿を飛び出て、夜の街へと駆け出していた──