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9.人はそんなに強くないんだよ

 近くの公園に入った僕たちは、木陰のベンチを見つけてそこに並んで腰を下ろした。昼下がりの気だるい空気を、太陽の熱が膨張させていた。青々と茂った芝生の上で、何人かの小学生がチームに別れて、必死になってサッカーボールを追い掛けていた。


「工藤君って、もっと器用な人だと思ってた」


 彼女に倣ってサッカーボールを追いかけている小学生を眺めていた僕は、彼女の横顔に目を移した。待ってみても彼女がこっちに目を向けてくる気配はなかった。僕は、また彼女に倣い視線を遠くで走り回る小学生に戻した。


「別に自分のことを取り立てて不器用だとは思わないけど、もちろん器用だとも思わないよ。あくまで、主観的な意見だから信憑性も薄いしね。客観的な意見のほうがよっぽど信憑性がある」


「少なくとも、私から見た工藤君は、嫌がらせの的になるようなヘマはしない人だよ。他人が嫌がらせされてるのを、見て見ぬ振りをするぐらいの器用さは持ち合わせてる」


 にこりとも笑わずにそう言われては「別に責めてるわけじゃないよ」なんて言われても、説得力はなかった。それでも、彼女は本当にどうでもよさそうに「そんなこと、どうだっていいことだから」と言った。


 僕は、無口で大人しいという印象しかないクラスメイトの横顔を何も言わずに眺めた。僕の知っている綾瀬さやかと、今隣に座っている綾瀬さやかは本当に同一人物だろうか。少なくとも、僕の知っている綾瀬さやかは、大して親しくもないクラスメイトと道端で出くわしても、声をかけたりはしない。でも、教室にいるとき、確かに彼女はいつもこんな顔をして窓の外を眺めていた。


「どうして?」


 そう言って、やっと彼女は僕を見た。僕は不意に彼女と目が合って少し戸惑いながら「どうして?」と聞き返した。


「どうして、嫌がらせされることになったの?」


 面と向かってそんなことを聞いてくる彼女が納得しそうな嘘を考えてみてから、僕は諦めた。本当のことを話したほうが、考えないで済むだけはるかに楽だった。


「ある日、風船顔の女子のグループが僕に相談を持ちかけてきた。彼女たちは、街で遊んだ帰りに友菜が中年のオヤジとラブホテルに入っていくところを目撃した。同じ高校に通う自分たちの体裁を気にした彼女たちは、僕に友菜に直接その件に関して聞き出してくるよう頼んだ。僕はそれを引き受けたけど、結局何も聞きだせずに、僕は彼女たちの機嫌を損ねてしまった」


 彼女は困ったように笑って「だから、それがどうして?」と聞き返してきた。まるで僕の心中を推し量ったような優しい声に、僕は彼女が全てを知っていることを知った。彼女が友菜の友達であるなら、ここで僕たちがこうしていることも偶然ではなかったのかもしれない。


「なんとなく、嫌だったから」


「それは、彼女たちに作り話をでっち上げて聞かせること? それとも、本当のことを話すこと?」


「さあ。多分、どっちも」


「そういうのを、不器用って言うんだと思う」


「そうかな」


「そうだよ」


 そう言って、彼女は僕から目を逸らした。


「自分が傷ついてどうしようもないとき、きっと人は二通りのうちのどちらかしか選べないから」


 彼女の横顔を僕は眺めた。いつも教室から窓の外を見つめている彼女がそこにいた。孤独の中で、その行為の中で、彼女は一体なにを見出そうとしているのだろう。


「自分を傷つけるか、他人を傷つけるか」


 彼女の言葉を聞きながら、僕は左手の火傷の跡に触れた。嫉妬と執着が生み出した、醜い傷跡。そのとき、僕の母親はどんな形であっても僕に自分を残しておきたかったのだろうか。その猟奇的な願いは、今も僕の心と体に刻まれている。


「友菜も自分を傷つけるしかなかったんだと思う。あの子、不器用だから」


「でも」


 そう言って、僕は火傷の跡から手を離した。


「傷で傷は埋められないよね」


「分かってる。それでもね」


 自分に言い聞かせるように、彼女は言った。


「人はそんなに強くないんだよ」


 僕は、何も言えずに彼女の横顔から目を逸らした。芝生の広場で、小学生はまだサッカーボールを無邪気に追いかけていた。僕たちが失ってしまったものを、彼らはその意味も知らずにはしゃいでいた。僕たちは、木陰の中から、遠くで浮かぶその光景をただ眺めることしかできなかった。


「工藤君、左手に火傷の痕があるよね」


 不意に彼女はそう言って、僕の左手に目を落とした。僕は「ああ、うん」と返事を返して、反射的に左手を右手で覆った。


「そのこともね、友菜は気にしてる」


 そう言って、曖昧に微笑む彼女を僕は黙って見守った。彼女が、どこまで友菜から事情を聞いているのか知らないけど、その微笑みは全てを知ってなお向けられているような気がした。返事に困っている僕を見て、彼女は微笑んだまま言った。


「最後にひとつ質問してもいい?」


「うん」


「工藤君は友菜のことが好き?」


「好き?」


 思わず僕は聞き返した。彼女は、微笑んだまま少し首をかしげた。


「黙秘権」


 僕がそう言うと、彼女はくすっと笑った。


「あなたたちが義理でも兄妹だってことは知ってる。でも、私はそれがおかしいとは少しも思わないよ。問題ではあるけどね」


「それは頼もしいね。どうもありがとう」


「どういたしまして」


 そう言って、彼女はベンチから腰を上げた。顔を上げると、彼女に降り注いだ木漏れ日が目に入って、僕はとっさに顔をしかめた。僕の顔を見て、彼女はまたくすっと笑ってから「じゃあね」と言って、ベンチから離れていった。


 弁解する間もないまま、彼女は公園を出ていった。









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