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7.なぞなぞの答え

 その日、珍しく日付が変わる前に帰ってきた友菜は、珍しく僕の部屋に無遠慮に踏み込んできて、珍しく僕に「話がある」と言い出した。部屋で文庫本を読んで時間を潰していた僕は、ノックもせずに部屋の中に踏み込んできた友菜にプライバシーの侵害を訴えようか考えてみてから、部屋のドアを開け放している時点でそんなものはないに等しいことだと気づいて、文庫本から顔を上げた。


 僕と目が合うと、友菜は無表情のまま僕から目を逸らして、僕の返事を聞かないまま、自分の部屋へと引き上げた。どうやら、僕に選択権はないようだった。


 考えてみると、僕が友菜の部屋に入るのはこれが初めてだった。同じ屋根の下で暮らしながら、友菜の部屋のドアは本人がいてもいなくても常に閉ざされていた。小学五年生だった僕に、いきなり妹になった見知らぬ女の子の部屋のドアをノックする勇気はとてもなかった。そのうち自然に仲良くなれるだろうと楽観していた僕が、ついに目の前のドアをノックすることは一度もなかった。


「入るよ」


 閉ざされた部屋のドアを慎重に二回ノックしてから、僕は開かずの扉を開けた。中には、もちろん不思議の国も、未知の生物も用意されておらず、何の変哲もない部屋の真ん中に友菜が僕に背を向けて立っていた。


 友菜の頼りない細い背中を少しの間眺めてから、僕は「えっと」と声を出した。


「入って」


 僕に背中を向けたまま、友菜はチラッとだけ僕を振り返ってからそう言った。僕は「入るよ」と言いながら、一歩も部屋に足を踏み入れていなかったことに気づいて、慌てて部屋の中に足を踏み入れた。


「話ってなに?」


 あまりにも白々しい台詞だったけど、他に聞きようもなかったので仕方ない。振り返って僕と向かい合った友菜は、まず開け放たれた部屋のドアを気にした後に、僕を見てため息をついた。


「話の間中、ドアは開けてないと駄目なわけ」


「ごめん。開けてないと落ち着かないんだ」


「面倒な体質ね。そんなんじゃ女の子も部屋に連れ込めない」


「そういう女の子が出来てから具体的にリハビリしようと思ってる」


「あっそ」


 僕の冗談をさもつまらなそうにその一言で一蹴してから、友菜は「で、話なんだけど」と仕切り直した。


「今日、とある喫茶店に私の義兄と名乗る男が来店したって耳にしたんだけど、何か心当たりはない?」


 それは質問というよりは、小学生レベルのなぞなぞだった。なぞなぞの出題者は当然答えを知りながら、回答者の答えをただ待つだけだ。そして、だとするなら友菜はどこまでなぞなぞの答えを掴んでいるのだろう。


 質問に答えないでいると、友菜はじゃあヒントでもあげましょうとでも言いたげに、勉強机の上を顎で示した。そこには、表紙をハートマークで埋め尽くされた、見覚えのある日記帳が置かれていた。


「私、いつも日記帳は表紙を下側に向けてしまうようにしてるの。なのに、昨日見たとき、日記帳は表紙が上になって引き出しの中にしまわれてたわ。そして、次の日、とある喫茶店に私の義兄が尋ねてきた。これって、ただの偶然なの」


 そう言って僕を睨む友菜に、僕は「分かったよ」と言って、息をついた。


「全部話すよ」


「当然でしょ」


「でも、どこから話せばいいか分からない」


「初めからよ。決まってるでしょ」


 友菜のその言葉に、僕の戦意は完全に挫かれた。


「やっぱり、そんなことだと思った」


 全ての事情を話し終えた後、心底面倒くさそうに友菜はため息をついた。


「綾菜さんは君のこと心配してるんだよ。別に悪気があるわけじゃない」


 僕がそう言うと、友菜は黙って僕を見返した。反論をするわけでもなく、何かを伺おうとするわけでもなく、ただ僕を観察でもするように見つめる友菜の瞳に、僕は一体どんな風に映っているのだろう。やがて、友菜はつまらなそうに息をついた。


「分かってたくせに」


 友菜の口から漏れた言葉に、僕は友菜がなぞなぞの全ての答えを理解していたことを知った。もちろん、友菜がどの時点でその答えにたどり着いたのかは分からない。ただ、昔から友菜は物事について残酷なほど察しがよかった。


「もしほんとに自分が店に来たことを知られたくなかったら、わざわざ自分の素性明かす必要なんてないでしょ。あんたの目にウチのマスターが口の堅いタイプの人間にでも見えたんなら、眼科に行くことをお勧めするわ」


 躊躇なく友菜は僕の行動の真意をさらけ出す。


「マスターの口から、あんたがウチの喫茶店に来たことが私に漏れることは分かってた。そうなれば、当然私はあんたに追及する。あんたは仕方なく自分が頼まれてそうしたんだと白状する。綾菜さんは悪気があったわけじゃない。綾菜さんは心配してるんだ。なあ、よかったら話してくれないか。綾菜さん、心配してるんだ」


 ほんと。


 そう呟いて、友菜は吐き捨てた。


「あんたって、つまんないね」


 僕は何も言わず友菜を見返した。


 その通りだった。僕は自分の意思で取った行動を綾菜さんのせいにしていた。そうすれば、自分が傷つく心配なんてしなくて済む。どんな答えが用意されていたとしても、人のせいにしてしまえば、やり過ごすことだってできる。


 この前と同じように友菜は大して期待してなさそうな顔で僕の返答を待っていた。多分「そう」とだけ頷けば、僕は傷つかずに済んだだろうし、友菜だって傷つかずに済んだだろう。でも、傷つくことよりも、僕は一人で不安に立ち向かうことにいい加減疲れていた。友菜もそうだ。一人で不安に立ち向かえるだけ大人なら、初めから友菜がなぞなぞを仕掛けてくることもなかった。友菜も、この状況を僕のせいにしてやり過ごそうとしている。それが卑怯だなんて、僕に言う資格はなかった。


「君に言われたくないよ」


 僕は本心を口にした。友菜は「言うわね」と言って愉快そうに短く笑う。


 僕はいつか見た、舞台演劇を思い出した。あらかじめ用意された台本どおりに進んでいく物語。舞台の上で役者は役になりきり脚本の意図を忠実に再現する。


 僕の本心を利用して、友菜は一体何をさらけ出そうとしているのだろう。


「私に聞きたいことがあるんじゃないの」


 そう言って、友菜はベッドの上に座り乗った。僕と目が合って、友菜はイタズラっぽく口元に笑みを浮かべた。きっと、うまく笑えていないことに友菜は気づいていないのだろう。


「クラスの女子に聞いたんだ」


 そう言って、僕は友菜から目を逸らした。部屋の壁に垂れ下がったカレンダーは、二月前の五月の日付を意味もなく表していた。その隣に吊るされたフォトボードには、いくつもの写真が隙間なく画鋲がびょうで貼り付けられている。


「君が中年のオヤジと仲良くラブホテルに入っていくところを見たって」


 視線を戻すと友菜と目が合った。友菜は僕と目が合うと「はあ」と息を吐いてから目を閉じて、静かに息を吸った。


「さっき」


 そう言って、友菜は僕を見た。


「あんた言ったよね。綾菜さんは君のこと心配してるって」


「うん」


「違うよ」


「違う?」


「そう。あの人が心配してるのは私じゃないよ」


 否定することが無意味なことは分かっていたけど、僕は「そんなことないだろ」と言って、その事実を否定した。諦めたようにため息をついて「やめてよ」と友菜の声が弱弱しく響いた。


「あの人が心配してるのは私じゃなくて、自分の居場所よ。私が問題を起こして、自分の居場所がなくなってしまうことがあの人は怖いだけ。誰かにしがみついてないと、あの人は生きていけない。例え誰かを傷つけても、誰かの大切なものを奪っても、あの人は雅之さんにしがみついて離れない。私は、そんな人の娘なの」


 僕は、初めて友菜が父さんのことを雅之さんと呼んだ日のことを思い出した。そのときの友菜は、単に見知らぬ男の人を父さんと呼ぶことに抵抗を感じて、そうしただけだろうか。そのとき、友菜は僕たちと家族になる代わりに、なにを失ったのだろう。


「平気でいられると思う?」


 そう言って、友菜は笑った。あの日、まだ今より幼い友菜もこんな風に笑っていた。どうしようもなくて、それでもそうしなければならないとき、人はこんな顔をして笑うのだろうか。僕は、ただ馬鹿みたいに黙って友菜を見ていた。


「好きな人がすぐそこにいるのに、気持ちをずっと隠さなきゃ駄目。雅之さんは私の父親だから。あの人のものだから。私はずっと、雅之さんの娘を演じ続けなきゃいけない」


 馬鹿みたい。そう言って、友菜はうつむいた。


「だからって」


 それは、満たされない心を埋めるための行為でしかないのかもしれない。でも、本当にそれを埋めるための手段はそれしかなかったのだろうか。僕には、あえて友菜が自分を傷つけているようにしか見えなかった。


「そんなの間違ってる」


「間違ってたっていい」


 何かを信じるように、友菜は言った。


「忘れられるなら、それでいい」


 その言葉を僕に否定することはできなかった。それでも、それを認めたくなかった。気がついたら、僕は友菜をベッドの上に押し倒していた。


 タンクトップの下から覗く無防備な両肩を掴んで、僕は友菜を見下ろしたまま動けなかった。無表情のまま僕を見つめる友菜の瞳は、物怖じせずに僕を見つめていた。僕は、このあまりに近い距離感に戸惑いながら、手の内に広がる頼りない友菜の感触にうろたえることしかできなかった。


「……いいよ」


 僕から目を逸らさず、友菜は呟いた。


「別に、あんたでもいいよ」


 初めから、僕がそうしないことを分かっていたわけじゃない。本当に友菜は別に僕でもよかったのだろう。真近で見た友菜は、悲しみに暮れているわけではなくて、ただ、諦めていた。それが喪失の先にたどり着いた答えだというなら、寂しすぎる。僕は、友菜から離れて、彼女に背中を向けた。


「分かってるよ」


 背後で友菜の声が響いた。


「このままじゃ駄目だってことぐらい、そんなのとっくに分かってる」


 フォトボードに張りつけられた写真の中に、父さんと綾菜さん、僕と友菜の映っている写真を見つけた。今より若い父さんと綾菜さん、そして今より幼い僕と友菜は、その写真の中で幸せそうに笑っていた。その笑顔がただの作り物に過ぎなかったとしても、心の底で僕たちが望んでいたことは、決して作り物ではなくて、みんな同じであったと信じたかった。


 失ったものを切り取って貼り付けたフォトボードの横で、時間の止まったままのカレンダーが所在投げにぶら下がっていた。


 無意味だと知りながら、僕はカレンダーの表紙を二枚破って友菜の部屋を出た。


 部屋に戻って、手の中でぐしゃぐしゃに丸めた紙屑をゴミ箱に捨てる。少しして、友菜の部屋のドアが閉まる音が、控えめに僕の部屋の中に流れ込んできた。








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