5.胸のつっかえ
部屋に戻ると、僕は綾菜さんに渡されたメモ用紙を片手に、ベッドの上に倒れこんだ。仰向けに転がり、電灯に向けてメモ用紙を透かしてみると、ボールペンで書かれた神経質に丁寧な文字が光の中に少しだけ溶け込んだ。
そのメモ用紙に書かれた住所をもちろん僕は知らない。それを僕に渡した綾菜さんもそれを知らないと言い、多分友菜なら知っているはずだという素晴らしく明快なヒントとともに、綾菜さんはそれを僕に押し付けた。
なんでも、読むつもりはなかったのだが、日記の一端が偶然にも綾菜さんの目に入ってしまったらしかった。部屋から持ち出す際にうっかり日記帳を落としてしまった。その際開いたページを偶然見てしまった。一瞬だけ目に留まったその住所らしき文字を、恐ろしく高い記憶力を発揮して憶え、忘れてしまわないうちにメモに取っておいた。
それ以上綾菜さんの苦しい説明を思い出しても気が滅入るだけだったので、僕は気分転換にテレビの電源を入れた。
さして大きくも小さくもないテレビ画面の向こう側に、さっき見たお笑い芸人の姿を探す。でも、すでに番組は終わったらしく、同じチャンネルではすでに歌番組が始まっていた。
今日初めて目にしたお笑い芸人のことを気にかけながら、僕は華やかなアーティスト達の登場シーンをぼんやりと眺めた。三番目に登場したグループの名前が、今朝僕に絡んできた女子グループの話題に上がったアイドルグループと同じだった途端、僕は反射的にテレビの電源を消した。どうやら、ついてないときはとことんついてないらしい。
テレビの電源を消すと、すぐに追ってきた静寂が部屋の中を包み込んだ。途方もない倦怠感の中で僕はベッドに埋もれ、全てを忘れ去ろうとした。が、そんなときに限って、頭に浮かんでくるのはパンパンに膨らんだ醜悪な顔の持ち主だった。
別に、と僕は心の中で呟いた。
友菜とあのグループが接触する機会は、今後一度だって訪れることはないだろうし、綾菜さんの友菜に対する心配が行動に移されることだって、まだまだ気が遠くなるほどの時間が必要だろう。
そう。別に、僕が律儀に彼女たちとの約束を守る必要はどこにもないのだ。
あのグループには、適当に彼女たちの満足しそうな作り話を聞かせてやれば済むことだし、綾菜さんには、すいませんやっぱり駄目でした、と適当に謝っておけば済むことだ。月並みだが、後は時間が解決してくれる。今僕が無意味に奔走するよりは友菜が自然と大人になるのをじっと待っていたほうが、よっぽど無難だ。
分かってはいる。それなのに、あの時、風船顔の女子に耳打ちされた言葉が、妙に僕の胸の奥につっかえていた。
「あの子さ、中年のオヤジと仲良くラブホテル入ってったんだよね」
この苛立ちは、それを楽しそうに語った風船顔の女子に対してのものだろうか。それとも、友菜に対してのものだろうか。
僕は左手に持ったメモ用紙をぐしゃぐしゃに丸めてから、それを勉強机の上に放り投げた。歪に丸まったメモ用紙は、頼りない放物線を描きながら、勉強机の上に着地を決めた。
「……バカだろ」
それは、誰にでもなく自分に向けて呟いたものだった。




