3.憂鬱(ゆううつ)
これは一体なんの罰ゲームなんだ、と誰にでもいいから聞いてみたい気分だった。思わず出てしまった舌打ちにも気づかず「でさ、でさあ」と畳み掛けるように話続ける、ぶくぶくと風船のように膨れた顔をしたこのクラスメイトは、なんていう名前だったろう。女の子全てがゴシップ好きだなんていう気はないけど、僕の席を取り囲んだ六人のクラスメイトはみんながみんな頭の悪そうな女子だった。
「そのとき私たち、カラオケ行ってたわけ」
「そうそう。亜由美なんか同じ曲何回もぶっ続けてマイク独り占めしてさあ」
「あー、なによお。私あのバンドすっごい好きなんだもん。ってか、他の歌なんてマジ眼中ないし」
「いや、いや、あり得ないからー。あれってさあ」
教室に入ると、途端にいつも一塊で行動している女子グループに捕まって、僕は今日初めてのため息をついた。その後、席につくまで付きまとわれて二度目のため息をつき、席についてからは爛々と輝く彼女たちの好奇心に、思わず舌打ちをついていた。
教室の外では、蝉がいたるところで自分の命を力の限り燃焼させていた。炎天下の中、そこまでして彼らが訴えたいものがなんなのか僕には想像もつかなかったし、このクソ暑い中、彼女たちが額に脂汗を浮かべながら、一体なにを僕に求めているのかも想像もつかなかった。
とりあえず、さっきから、逸れ続けて迷路の中に迷い込んだ話題の修正は、やはり、僕がしなければならないのだろうか。地図とコンパスでもなければ、とてもそこから抜け出す自信はなかったけど、これ以上彼女たちの話に付き合いきれるほど、僕も根気強くはなかった。
「えっと。つまり、用件は一体なんなの」
どこかで聞いたことのあるアイドルグループについて盛り上がっている彼女たちに、僕はとりあえず来た道を引き返す旨を伝えた。そんな僕に、彼女たちは話の腰を折られてあからさまに「なに、こいつ。ウザッ」と言いたそうな顔を向けてきた。勝手に迷路に連れ込んできておいてなにを勝手な、とは思ったが、彼女たちに道理が通用するとはとても思えなかった。とりあえず、リーダー格の風船顔をした女子の視線だけを受け止めていると、彼女は不満気ながらも諦めたようにため息をついた。
「だからさ、私たち昨日見たわけよ」
だから、そこのところをもったいぶってないでさっさと話せデブ。と心の中で毒づきながら、僕は「うん」と相槌を打った。
「工藤友菜をさ」
友菜の名前が出た途端、僕は随分間抜けな顔をしていたらしい。僕を見て、風船顔の女子はニヤリと口元に笑みを浮かべて続けた。
「そのとき、私たちみんなで街に遊びに来てたんだけどさ。カラオケ行って、喫茶店で時間潰して、そろそろ帰ろうって時にたまたま見かけたのよ。あれ、絶対工藤友菜だったわよ。ねえ?」
風船顔の女子がそう言うと、取り巻きの連中は「うん、そうだよ」「間違いないよ」と各々相槌を打った。それを見て、僕はなんだか友菜に同情した。
「で、工藤さんを見たからって、それが君たちになんの関係があるの」
「そこよ、そこ。私たちだって別にあんな子のことなんか構ってるほど暇じゃないわよ。でもさ、あんなとこ見ちゃったら、話は別よ」
どうやら、風船顔の女子はいちいち物事をもったいぶって話すクセがあるらしい。そのクセは確かに風船顔の女子にあつらえたように似合ってはいたけど、似合うもの全てが必ずしも相手に対して好感を与えるとは限らない。
「あんなところって?」
「男とね。連れ立って歩いてるとこ見ちゃったのよ」
「……ああ。男ね」
「それが、ただの男じゃないわけよ」
「世界一背の高いノッポとか、テカテカのスキンヘッド頭の持ち主とか?」
まるでソーセージのような肉の詰まった人差し指を立てて見せて、風船顔の女子は、チッチッチ、と僕の顔の前で人差し指を左右に振った。知恵をつけた豚が、見栄を張って同じことをしたほうが、まだ可愛く見えたかもしれない。彼女の場合、見栄を張るどころか、そのキザっぽい仕草が本気で似合っていると思い込んでいそうだから、たちが悪い。
「ちょっと、耳貸して」
そう言って、承諾もしていないのに、風船顔の女子は僕の耳元に無遠慮に暑苦しい顔を近づけてきた。
「実はね――」
風船顔の女子が全てを言い終えて、満足そうに僕から顔を離す。僕は「それで?」と、できるだけ関心がなさそうに聞こえるよう声を返した。
僕のそっけないリアクションが気に入らなかったのか、風船顔の女子が「それでって」と不機嫌そうな声を出して、腕組みをした。取り巻きの連中も一緒になって腕組みをしだしたものだから、僕は仕方なく「僕にどうしろっていうの」と付け足した。
「だから、君、工藤さんと義兄妹でしょ。あの子、ちっとも学校来ないしさ、君の方からそれとなく情報聞き出しといてよ」
「わざわざそんな回りくどいことしなくても、放っておけばいいんじゃないの」
「そういうわけにはいかないわよ。一応、あの子まだウチの生徒でしょ。勝手なことされて私たちまでとばっちり受けるなんてごめんだわ」
風船顔の女子の言うとばっちりとは、自分たちの評価が下がることを指しているのだろうか。しかし、体裁を気にしているというなら、まずダイエットを始めるのが先じゃないのか。どっちにしろ、教師にではなく真っ先に僕に相談してくる時点で、彼女たちの魂胆は目に見えていた。要は、これは彼女たちの娯楽に過ぎないのだ。そして、僕はそれを満たすための道具でしかない。
二年に上がって三ヶ月近くも経てば、このクラスを仕切っているのが、今僕を取り囲んでいる連中であることは嫌でも分かる。ここで僕が彼女たちの頼みを断れば、今後僕が高校生活を送る上でどういう扱いを受けることになるのかも、何日か前から不登校になったクラスメイトを見ていれば簡単に想像がつく。
あんたってさ。ほんと、つまんないね。
今の僕を見ていれば、友菜はまたそう言って、呆れたように大きく息を吐くのだろうか。いや、学校生活にしがみついている僕のこんな姿も、友菜にはとっくに見えていたのではないだろうか。蔑みだけでなく、あの時、友菜が僕に向けた瞳には同情の念も込められていたような気がする。なんて思うのは、僕の勝手な思い込みに過ぎないだろうか。
黙って首を縦に振ると、風船顔の女子は満足そうに僕の肩を叩いてから「じゃ、よろしくね」と言って、取り巻きを連れて僕の席から離れていった。
鼻につく香水のブレンド臭が遠のいていき、やっと息苦しさから開放されて、僕は息をついた。トイレの芳香剤のほうがよほど品のある香りを纏っていることに彼女たちが気づく日は来るのだろうか。ふと、そんなどうでもいいことを思うと、僕の気分はさらに重くなった。