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12/12

12.始まりに向けて

 花火を全て終え、旅立ちの儀式が進んでいくのに比例して、僕の中の不安も大きくなっていった。この不安は友菜に向かうものではなくて、僕自身に向かうものだった。今まで、ずっと僕はこんな不安を胸に抱いていた。それは、胸がきゅんと痛いとかいう種類の感情ではなかった。


 ああ、好きなんだろうな。


 そんな風に他人行儀な感情を押し殺したのはいつからだったろう。素直に後先を考えずに友菜に関わろうとするには、僕は少しだけ大人だった。でも、上手く接することが出来ずに、結局無関心を装うことしか出来ないほどには、子供だった。


 この不安を胸に抱いたまま、僕は友菜の答えを待っている。その答えが僕に及ぼす影響は想像もつかない。加速していく不安に、ただ不安を募らせることしか、僕には出来なかった。


 花火がきれると、友菜はあらかじめ決められた行動に従うように、ベンチに置かれたナップサックの中からあるものを取り出した。それを見て、僕はこれから友菜がしようとしていることを察した。それが答えに直通しているのかは、友菜の顔からは読み取れなかった。


 表紙を無数のハートマークに彩られた日記帳。それは、僕たちが家族になって初めて、父さんが友菜の誕生日に送ったものだ。思春期に入ったばかりの女の子に間違って気を遣った僕と父さんは、とにかく書店に並んでいる中で一番派手で可愛い日記帳を選んだ。今思えば、それは友菜の嗜好からはかけ離れていた。それでも、友菜は父さんからの贈り物をありがとう、と言って受け取り、それからずっとその日記帳を愛用しているらしかった。その誕生日プレゼントを、僕も一緒に選んだことを友菜は知らない。知られるのが照れくさくて、僕は父さんに口止めをしておいた。


 あれから時間を重ねた分だけ溜まった日記帳を、友菜は胸に抱いて僕の方へ歩いてきた。数えると、その日記帳は五冊。その中に詰め込まれた友菜の気持ちを汲み取ることは出来なかったけど、直視することは出来なかった。視線を逸らすと、その拍子に友菜と目が合った。


「全部、燃やすから」


 自分に言い聞かせるように友菜は言った。僕は「そう」と返事を返すことしか出来なかった。自分の気持ちに立ち向かっていく女の子を前にして、僕はその肩を抱いてやることも出来ずに、その行為を見守ることしか出来ない。その事実に痛む胸を、僕は心の中でなにを今更、と一人ごちてやり過ごした。


 地面にしゃがみこんだ友菜は、日記帳を地面に重ねて置いてから、マッチを擦った。少しの間、友菜は指で摘んだ火種をじっと見つめた。僕は、友菜の後ろに立って、そんな友菜の頼りない背中を見つめた。


 ぽとりと日記帳の上に落ちた火種は、徐々に徐々に大きくなって、日記帳の上を踊っていく。膝を抱いた友菜はじっとその光景を見守っていた。


「笑っちゃうよね」


 じっと身じろぎもせずに、唐突に友菜の声が響いた。


「なにそれって感じ。耳を疑うって、多分こんな時に使うんだろうなって意味ないこと考えてたし。ってか、あんなふうに笑われたら、文句の一つも言えないでしょ。そんな筋合いなんてないんだろうけどさ」


 じっと動かない細い背中を、僕は黙って眺めた。


「実は私……今、妊娠してるの」


 まるで恋人に祝福を求めるように、綾菜さんが顔を赤くしながらその事実を僕に告げたのは今朝だった。驚きよりも、祝福よりも先に、僕はその事実を友菜が知ってしまうことを懸念した。恐る恐るその話を友菜にしたのかと聞く僕に、綾菜さんは無邪気な笑顔で「ええ」と肯いた。


「駄目なんだって分かってたけどさ。こんなオチはないでしょ。笑い話にしたって出来悪すぎだよね。とっくに、諦めるつもりでいたのにさ」


 火が音を立てて日記帳を飲み込んでいく。そこに残された気持ちは、こんなにもアッサリと飲み込まれていく。


「ねえ。あんたは、あの人のこと恨んでないの」


「え?」


「知ってるよ。あんたの母親がおかしくなったきっかけ」


 僕は、少し間を置いてから「別に恨んでないよ」と友菜の背中に声を返した。


 僕も祖母から聞かされた話なので、詳しくは知らないし、当時のことはよく憶えてはいない。ただ確かなのは、父さんと綾菜さんの付き合いが不倫から始まって、そこから結婚に至るまで、様々な人が傷ついたという事実だけだ。もちろん、きっかけはそうだったのだろうけど、僕の母親がおかしくなった責任を綾菜さんと父さんに全て押し付ける気はなかった。その事実を誰かに責任として押しつけられるほど、僕の中でそれはまだ消化されてはいない。もし、消化されていたとしても、今更グレる気にもなれなかった。


 奪われたことに恨みを抱くほど、母親に愛された記憶も、僕にはなかった。


 僕の言葉に、友菜は何も言葉を返してこなかった。僕の答えがどちらに傾いていたとしても、初めから肯定も否定もする気はなかったのだろう。友菜がどういう経緯で事実を知ったのかは、少し気になったけど、とても聞く気にはなれなかった。


「一つ、聞いてもいいかな」


 火は日記帳の半分ほどを飲み込んでいた。更に日記を侵食していく火が、全てを飲み込んでしまう前に、僕は友菜の背中に言った。


 いいよ、なんて返事は返ってこなかったけど、僕は構わずに声を出した。


「父さんとは、寝たの」


 抑揚のない友菜の声は、まるであらかじめ答えを用意されていたみたいに、すぐに返ってきた。


「誘惑はしたけど、寝てない」


「そう」


 言葉の意味は理解できたけど、実感は伴わなかった。どちらにしろ、それを知ったからと言って僕の気持ちが軽くなることはなかった。


 それから、僕たちは一言も言葉を交わさずに、日記帳が燃え尽きるのを待った。どこかから、ぐえ、と蛙の鳴き声が聞こえた。空を見上げると、それなりにロマンチックな夜空があった。


 日記帳が灰になっても、友菜はじっとそこにしゃがみこんだまま、動かなかった。この行為の先に、全てを忘れられると思うほど友菜がセンチメンタルな性分じゃないことは知っていた。でも、友菜の背中を眺めていると、その条理にささやかな抵抗をしているその気持ちは、察することは出来た。


 灰になった日記帳を、友菜はナップサックの中から取り出したスコップで掬い、全てをナイロン袋の中に収めた。僕は、その行為を何も言わずに見守った。


「ねえ。もう少し付き合ってくれる」


 思い出を詰め込んだナイロン袋を大事そうにナップサックにしまいながら、友菜は言った。


「最後まで付き合うよ」


「じゃあ、場所変えるから」


「ここじゃ駄目なの」


「論外」


「じゃあ、どこに行くの」


「海」


「海?」


「うん」


 アッサリと頷く友菜を見ながら、僕は今から駅に向かって、電車に乗り込む僕たちを想像した。ここから一番近場の海を目指したとしても、僕たちがそこにつく頃には、終電の時間はとっくに過ぎてしまうだろう。でも、躊躇のない友菜を目の前にすると、なんだかそんな心配をするのも馬鹿馬鹿しく感じた。


 馬鹿じゃないの、と言われる前に、僕は「いいよ」と友菜に言って見せた。


 友菜は「よし」と言って笑った。


 バケツは後から取りに帰ることにして、僕たちは駅を目指して歩いた。その間に、僕は考える。


 旅立ちの儀式の最後に、友菜が海を選んだわけ。この行為の先に、友菜がどこに旅立とうとしているのか。その答えは、友菜になにをもたらして、僕にどう影響するのか。


「そういえば、一つ聞きそびれてたことがあるんだ」


 少し前を歩く友菜の背中を眺めながら、僕は言った。


「あの喫茶店の店名」


「残念」


 友菜は振り返らずに声を返した。


「私も、聞きそびれてたの」


「そうなの」


「うん。でも、今更知ろうとは思わないけどね」


 確かに、思い出の中に一つぐらい、名前の知らない喫茶店があってもいいかもしれない。そんな気になって僕はその話を止めた。


「ねえ」


「なに?」


「うん。ありがとね。色々」


 友菜の抑揚のない声に、僕は「うん」とだけ声を返した。


「それとね。分かんないけど、今のうちに頼んどく。全部終わったら、私泣くかもしれないから。そのときはよろしく」


「うん」


 僕は少し前を歩く友菜の足元を見ながら、返事を返した。


 友菜が泣くのが先か、僕の不安が表に出るのが先か、考えてみてから、僕は意味もなく空を見上げた。


 終わりではなくて、始まりに向けて僕たちは歩いている。


 痛みが伴うにしても、そうすれば、きっと今より少しだけ変われると信じて。


 駆け足で通り抜けていく僕たちの夏は、そんな風に始まって、何かを残して終わっていくのだろう。


 視線を前に戻すと、急ぎ足で歩く友菜の背中が思ったよりもずっと遠くにあった。試しに、立ち止まってみると、友菜は一人でさきさき前に進んでいったけど、僕がついてきていないことに気付いてすぐに足を止めた。


 振り返った友菜が、首をかしげて、僕のことを待っていた。僕は不安が胸によぎるのを感じながら、もう一度足を踏み出した。









 

 






                                    了



最後までお付き合いくださりありがとうございました。この物語を読んで、少しでも胸に残るものがあれば、一言でもいいので是非感想を残してください。

 率直な感想を今後の作品に反映させていこうと思っています。

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