1.悪夢
現在連載中の「半熟果実」とは全くジャンルの違う恋愛物です。恋愛というより成長という要素が多いと思います。なお、勝手ながら「半熟果実」の方は少し更新頻度が遅れると思いますが、必ず完結させますので温かい目で見守ってやってください。
自分の中で一番古い記憶を辿ると、あの薄暗くてかび臭い部屋に行き当たる。おそらく、その頃の僕はまだ三歳か四歳かそんなところで、その頃の僕がそこをかび臭いと認識できたかどうかは分からないけど、今思えば、そこはかび臭かったように思う。
それほど暗くはないけど、狭い部屋で、僕は泣いていた。悲しいとか、辛いとかそういう感情はまだよく分からなかったけど、あの時僕を支配していた不安感は十数年後の今も覚えているほど強烈なものだった。
薄暗い部屋の片隅で、僕は不安に怯えていた。そこから逃げ出す術も分からず、自分の中で広がる気味の悪い感情の意味も分からず、ただ、ひたすらに泣き叫ぶことしかできなかった。
硬く閉ざされた襖の向こう側からは、ピィーと耳を裂く甲高い音が鳴り響いていた。その耳障りな音に負けないぐらい大声で泣いていると、不意に襖が開き、母親が部屋に入ってきた。憮然とした表情で僕を見下ろす母親が目に映ると、僕の中で気味の悪い感情はほんの少しだけ和らいだ。それでも、その直後に顔を歪める母親を見た瞬間、その光景は耳を劈く高音のように、加速度的に気味の悪い感情を押し上げ、僕は今までより一層大声を出し、涙を流し、めちゃくちゃに泣き叫んだ。
目を見開き、唇をきつく噛んだ母親が、僕の体を何かにとりつかれたように何度も何度も叩きつける。母親の手のひらが僕の体を叩く度、パン、パンと嫌な音が鳴り響き、痛みを通り越した僕の体は、やがて何も感じなくなった。
まるで、その行為に飽きたように、僕が泣き止んで動かなくなると、母親は奥の部屋へ姿を消した。少しして、部屋の中を走り回っている甲高い音が唐突に鳴り止んで、部屋の中は気味の悪いほどの静寂に包まれた。
感覚のない世界の中で、僕は虚ろに揺れる視界の真ん中あたりで、再び僕を見下ろして立っている母親の姿を認識する。口から湯気の立ち上るヤカンを手にした母親が、自分の顔の辺りの高さまでそれを持ち上げ、なんの躊躇もなくそれを下に傾ける。
わけが分からず、僕はただ黙ってその行為を見守った。
母親の笑い顔がひどく歪んで見えたのは、僕の意識が朦朧としていたからだろうか。
あはあはあはあはあは。人間味のない笑い声は、今も僕の脳裏の底の底にこびりついていた。