第6章 -敗北-
「しっかりしろ、燿子。くたばるにはまだ早いぞ」
傷口を押さえてくれる焔の手を精一杯握り返す。
「焔…ゲホッ!まだ、死ねない…。死にだぐない…」
「ああ、死なせないさ」
『いってえチクショウ‼︎』
ガラガラと破片を押し退けて影士が立ち上がる。
鎧には所々ヒビが入っており、足もふらふらとしていた。
『この雷…ぐっ!鬼城おおお‼︎やっぱりテエメか‼︎』
「影士、元気そうじゃないか」
『相変わらずふざけやがって‼︎今度こそぶった切ってやる‼︎』
影の刃を振りかぶるが、
「京」
「はい」
焔の後ろから伸びてきた影が影士の影を粉砕する。
『なっ!』
「緋々神影士。7件の殺人容疑と殺人未遂の現行犯で逮捕します」
『政府の犬か!』
「俺は燿子の応急処置だ。奴を仕留めろ」
「了解しました」
『ハハアッ!好き勝手言ってくれるじゃねえか!テメエはともかく、その女は役に立つのか?」
「相変わらず、人を見る目がないな」
京が自分の影に手を翳すと、影の中からズブズブと一本の剣が出てきた。
竹刀のようなそれは鞘に収められているものではなく、刀身そのものが棘の生えた背骨のような形をしている。
『くたばれ!』
影士が影を引いて京に斬りかかるが、京はそれを全て一刀でいなす。
『ぐっ…』
影士の速度についてくるどころか、表情ひとつ変えない京に影士は段々と押されていく。
『んのっ!』
飛びのいた影士が奈落を地面に刺すと、京の四方八方から影が襲いかかる。
しかし、カチッという音と共に京が剣のギミックを発動させる。
すると剣はまるで蛇のようにその刀身を伸ばし、鞭のようになったそれを京が振るうと、周囲の影は全て抉り取られるように消滅していく。
そして、その勢いで影士の二刀を弾き、身体を鞭で拘束する。
『しまった!』
京は容赦なく剣を引き、ギャギャギャギャ‼︎という音と共に、ホロンの鎧が削り、砕かれ、抉られた。
『ぎぃやああああああ‼︎』
絶叫と共に魔装が解け、影士は倒れてのたうちまわる。
「燿子、気をしっかり持てよ」
京に影士を任せた焔は、左腕で燿子を支え、右手を傷口に添えて魔力を流しはじめた。
【治癒魔法】
治癒魔法とは、魔力を直接細胞に流して活性化させ、細胞分裂による治癒を行う魔法である。
厳密には魔法ではなくただの魔力操作であり、再生や癒しの固有魔法を持つ魔装は多々存在する。
治癒魔法は傷口を塞ぐことはできるが、人から人へ直接魔力を流すには相当の技術が必要であり、他人の魔力同士が体内で混ざることになるので治癒される側には激痛が生じる。
本来はこれを防ぐため医療カプセルに入った状態で、魔力を機械で調節しながら時間をかけて再生させるのが一般的であり、直接の治癒魔法は気絶覚悟の応急処置になる。
「うっ……ん?」
焔が治癒魔法を使うことを察した燿子は激痛を覚悟したが、焔の身体から流れる魔力は燿子を傷つけることはなく、むしろ心地よさを感じる。
「これは…?」
「無理矢理魔力を流すと痛いからな。この前の模擬戦でお前の魔装が解けたのを覚えてるか」
「うむ」
「あれとやってることは同じだ。あのときは白刃取りした魔刀を伝って燿子の魔力に干渉し、魔力操作で魔装を強制解除したんだ」
「まさか、そんなことが?」
「できるんだよ。魔力は体内にも空気中にも動植物にも、一部の絶縁体を除いてほとんどのものの中に存在する。それと共鳴し、意のままに操れば魔法を使う必要もない」
「だが、学校では魔力を直接流し込むのは危険だと教わる。自分にも相手にもな。簡単じゃあないだろう?」
「ま、使いこなすまでにはそれなりに苦労はしたさ。さ、身体を起こせるか?」
「む、ん…」
「ゆっくりだ。傷は塞いだが、失った血と魔力は時間をかけて回復するしかない」
「焔、あの女性は…?」
「京は俺の仲間だ。後で紹介するよ」
「すごい、あの影士を一方的に…。魔装もしてないのに」
「京は国内でもトップレベルの魔法使いだ。そう簡単には勝てん」
焔に支えられながら戦いを見守る。
自分では手も足も出なかった影士を京は歪な形の剣一本で圧倒し、更に鞭のように変化させたそれで影士を魔装ごと引き裂いた。
「う、なんて技だ…」
「まだまだあんなもんじゃないさ。だが、影士はもう終わりだ」
勝敗は誰の目にも明らかだった。
「遊びはここまでです。逮捕します」
京が手錠を取り出して近づこうとした瞬間、何かの気配を察してバッ!と後ろに飛びのいた。
次の瞬間、京が立っていた場所にどこからか飛んできた氷の槍が突き刺さり、その槍を中心に辺りが凍っていく。
「「「‼︎」」」
「全く、困るんですよ緋々神さん。貴方は今はウチの預かりなんですから」
暗闇の向こうから、銀縁眼鏡の男が現れた。
右手が冷気に包まれていることから、恐らく槍を投げたのはこの男だろう。
「誰だ!」
「名乗る必要はありません。彼は回収していきます」
「ぐっ、てめえ、何故ここに…」
「あの方の戯れで妹さんはここへ来たようですが、節度も引き際も弁えていないおかげで私が迎えにきたのです。おかげで向こうの種蒔きはできましたが…」
だから私は反対したのです、と独りごちするこの男は、どうやら第三者を通じて影士と関わりがあるらしい。
(そう言えば、燿子がこの場所を特定できた理由がわかっていなかったな…)
今の言葉から察するに、誰かに教えられて来たのだろう。
「手負いの貴方を連れて彼らの相手をするのは分が悪い。さっさと引きますよ」
「そうは行くか」
「ぶっ‼︎」
瞬時に肉薄した焔の蹴りが男の顔面に炸裂し、眼鏡を粉砕して暗闇に蹴り飛ばす。
「な、いつの間に!」
「なんだよ役に立たねえな!」
「俺からそう簡単に逃げられると思うなよ?優しくしてる内に投降するんだな」
「がっ、ぺっ、ひゃ、ひゃながあ!」
さっきまでのクールな態度はどこへやら、鼻は折れ曲り歯も砕けている。
「こにょっ、くしょガキぎゃあ!」
男はキレたように懐から何かを投げつける。
「んっ」
投擲された円盤状の何かを軽く躱すが、それは焔を狙ったわけではなく地面に張り付いた。
そして、表面の模様が輝き出す。
「魔力バッテリーに魔方陣⁉︎京!」
焔が叫んだ瞬間、魔方陣から溢れるように魔獣が湧き出してきた。
『ギイイイイイ‼︎』
身体は人間に近い形をしているが胴も手足も長細く、先が槍のように尖った長い尾を持っている。
口には肉食魚のような鋭い牙があり、目も耳も鼻もない。
額から頭にかけては蜥蜴の尻尾のように後ろへ長く伸びており、よく見ると手足の指は4本ずつだ。
「レプトルタイプか!いよいよ聞きたいこと満載だな!」
この前のグリード事件を思い出す。
恐らく、この男と影士がいる組織というのは、この前の事件のときにスミスたちの裏で手を引いていた組織だろう。
焔は地面の円盤に向けて雷を放ち破壊するが、工場内には20体ほどが召喚されてしまった。
「燿子!」
燿子に迫る2体を雷で焼き殺しながら後退し、燿子を守るように立ち塞がる。
「オラ、行くぞ!ったくどっちが助けに来たんだか!」
影士は男と互いに肩を支え合い、なけなしの魔力を振り絞って影に消えていく。
「京、追え!」
「了解です」
京が足下の影に消えると、焔は燿子を立たせて後ろの機械に座らせた。
幸い、先程の氷の槍で周囲は鎮火している。
「魔装!」
ジルニトラの鎧を召喚すると、襲い来る魔獣の群れを物ともせず屠っていく。
『ギイイイイイ‼︎』
『ギジャアアアアア‼︎』
燿子を背にその場からは動かないが、動く必要もない。
壁や天井を這い回る個体は雷で焼かれ、それを抜けてなんとか迫ってくる個体は全て竜の鱗に包まれた拳で屠られ、あるいは力任せに頭を胴体から引き抜く。
あっという間に15体ほどを倒し、逃げようとした2匹も雷に撃たれて絶命した。
「あ、相変わらずなんて無茶苦茶な…」
「ふぅ」
魔装を解除し、全く疲れた様子もない焔は燿子に向き直る。
「焔、あの、本当にすま…」
「燿子」
泣きそうな顔で謝ろうとした燿子を遮る。
「無事でよかったよ。きっとミラたちも喜ぶ」
焔は怒ることも悲しむこともせず、ただ優しく燿子に微笑んだ。
「あぅ…」
その笑顔に燿子は顔を赤くし、なんとなくそっぽを向いてしまう。
「さぁ、さっきも言ったが傷を塞いだだけだ。ちゃんと治療しよう」
「ひゃう⁉︎」
さも当たり前のように焔にお姫様だっこをされた燿子は、抵抗しようとするがもう力が入らない。
(し、仕方ない。今回だけだ。甘えるのは今回だけ…)
そう自分に言い訳しながら、満更でもない顔で焔に身を任せた。
あの後燿子は星宙学園都市内で学園にほど近い私立病院に搬送された。
事の顛末を聞いたミラは大慌てで駆けつけると、病室で安堵と怒りから大声で泣き出し、焔は注意しにきたナースに謝りセリーナが使っていたものと同じ防音壁を張るのだった。
その後、ミラは燿子にもたれたまま泣き疲れて眠ってしまい、仕方ないのでそのまま毛布をかけて寝かせておいた。
焔は燿子からの希望もあり、ハークたちには事の概要と燿子の容態を知らせるメールを送っておいた。
そして、日付けが変わってしばらくした頃、京が病室へやってきた。
「失礼します」
「京、ご苦労だったな」
「申し訳ありません。奴らを逃しました」
「まだそんな余力が?」
「いえ、あの眼鏡の男は工場で使ったのと同じ円盤をもう1枚持っていて、それを住宅街に向けて放ったのでそちらを優先しました」
「なんと卑劣な…!」
「わかった。引き続き行方を追おう」
「はい。既に公安には連絡済です」
京は今度は燿子の側にやってくる。
「現場からこれを回収してきました」
「これは…」
父から受け継いだ魔刀・司炫だ。
半ばから折れ、無惨な姿になっている。
「緋々神燿子さん。今回の事件でホテル一棟と6つの工場が被害を受け、1人が死亡しました」
「…はい」
「ですが、我々は貴女を被害者とみなします」
「そんな!私のせいで人が…」
「気持ちはわかりますが、そもそもあの殺人鬼が事の発端であり、国外にいた筈の奴の入国を許したのは我々政府側の落ち度です。責任の所在を未成年の貴女に押し付けるわけにはいきません」
「ですが……」
何かを言いかけるが、言葉が出てこない。
力不足なのは剣の腕だけではない。こうして自分で起こした事の責任すら取れないのだ。
燿子は唇を強く噛んで悔しさを噛み締める。
「…これは私の個人的な感想ですが」
京は俯く燿子にそう前置きしてから、なんとなく恥ずかしげに話す。
「貴女が自分を責めるほど、貴女は無力ではないかと。私が影士と戦った時点で奴の鎧はあちこちヒビが入っていましまし、魔力残量も僅かでした」
「‼︎」
「私にも経験があるからわかります。自分の無力さを呪う気持ちが。でも、彼に救われました」
そう言って焔に視線を移す。
焔は大袈裟だ、という風に苦笑する。
「過去はどうでも、今の貴女には素敵な友人と恵まれた環境があるようです。その失敗と悔しさは、きっと敗北の印なんかではありませんよ」
燿子はポカンとしたように京を見つめ、やがてその言葉を受け止めるように静かに涙を流した。
「…柄にもなく喋りすぎました。私はこれで失礼します」
京は一礼して病室から去っていった。
「さて、俺もそろそろ行くかな。一週間は入院だ。大人しくしてろよ?」
立ち上がる焔を燿子は呼び止める。
「焔、私には、まだ戦う資格があるのだろうか?」
「ん?そうだな…」
焔は振り返って顎を撫でる。
「お前の刀が折れたように、俺も昔自分の腕を失った」
義手である左腕を持ち上げてみせる。
「でも、新調して、今度はやり方を変えて戦いはじめたら、けっこう上手くいってるよ」
燿子は折れた刀を見つめる。
「残念ながら燿子の仇は逃げも隠れもするし、お前だけが狙っているわけじゃない。でも、譲れないものがあるなら立ち上がるべきだ。資格や義務じゃない。お前自身のためにな」
上手く言えないけどな、と笑う。
「そうか……。ありがとう」
燿子も微かに笑顔を浮かべた。
「あぁ。じゃあな」
「おやすみ、焔」
「おやすみ、燿子」
2人が去った病室で、燿子は傍らに刀を置くと、そっと親友の頭を撫でた。
「私自身のために、か」
今までは死んだ両親たちの怨みを晴らすつもりで戦っていたが、彼らが遺したものは怨みではないのかもしれない。
「次は、乗り越えよう。そうすれば、もっと素直に向き合えるかな」
目の前の親友にも、助けてくれた恩人にも。
燿子はそっと目を閉じた。