お祭りの少し前
富さんのところでご飯を食べ終わった後、雪たちは家に戻りお祭りまでの間に準備をすることにした。もちろん一番張り切っているのは縁である。場所は一階の一番端である。
「ふふふ、イツキちゃん。浴衣を持ってきたのだけど着てみない?」
「うーん。動きにくそうだからヤダ!」
「あらら、そうなの? 残念ねー、雪と結衣は着るって言ってたからお揃いになると思ってたのに」
「雪おねえちゃんたちも着るの!? それなら着る! イツキも着る!」
「うふふ、それならあっちで一回着てみましょうか。サイズはばっちりだと思うけど、着せてみるまで分からないし合わなかったらいったん家に帰って持ってこないといけないし」
「うん! 分かった! ありがとう縁さん!」
「うふふ、いいのよー。あ、カスカさんもこっちにいらっしゃいな。カスカさんの分も用意してあるから」
「え!? あ、ありがとうございます」
「カスカさんの分はこれね。イツキちゃんは着方が分からないと思うからイツキちゃんのほうに行くけど、カスカさんは着たこととかはある?」
「えっと、多分大丈夫だと思います」
「それならよかった。私たちはこっちの部屋に行くから、カスカさんはそっちの部屋ね?」
そういって手渡された紙袋を大事そうに受け取ったカスカはこくんと頷くと部屋に入ってドアを閉めた。入ったのを確認してから縁はイツキと共にもう一つの部屋に入っていった。
「そういえば、雪たちは大丈夫かしら。一応教えたけど……」
「どうしたの、縁さん? なにかあったの?」
「うふふ、何でもないわよ。それじゃあ、まずは……」
縁は不安がよぎったが、大丈夫だろうと判断して紙袋からイツキ用に持ってきた浴衣を着せるために準備を始めた。そのころ男たちはリビングでゆっくりとしていた。
「旦那、このパンケーキおいしいっすね。お代わりとか無いですか?」
「あるよ。多分あちらは祭りが始まるまではおしゃれを楽しむだろうし、なんなら今から作ろうか?」
「おー、確かに長くなりそうだし。それまで何もやることないでしょうし旦那さえよければお願いしたいです」
「あはは、いいよ。僕も暇だからねしばらくの間デザートタイムと行こうか」
アオキは目をキラキラさせながらおじいさんの作ったパンケーキを食べていた。
「なんというか、味覚は子供のころのままだねー」
「どうかしたんすか? 旦那」
「なんでもないよ。パンケーキだけじゃなくて飲み物はいらないかい?」
「うーん。甘いから旦那のコーヒーが飲みたいすね」
「砂糖とミルクは?」
「少しずつほしいです」
「分かった」
おじいさんは、やっぱり変わらないと少しおかしな気持ちになりながらコーヒーを入れてアオキの前に出すとパンケーキ作りの作業に戻っていった。そんな甘い匂いをさせているリビングの上にある二階の部屋で雪と結衣が昨日一生懸命選んだ浴衣を着ていた。
「うーん。やっぱりこの飾り結び難しいね。ちょっとバランスがおかしくなっちゃう。もう少し練習させて?」
「雪姉、私は別にいいけど。雪姉のは普通に結ぶからね? 結び方見てるだけで頭痛くなりそうだし」
「うん、いいよ。ちょっと結び方を見てやりたくなっただけだから」
「雪姉がいいならいいけど。……いつになったら終わるかなぁ」
雪がスマホを見ながら飾り結びを、結衣の浴衣で練習をすること三十分。結衣は動けないまま雪に飾られているのだった。もはや止めることはせずじっと動かないまま遠い目をしている。
「うん。練習もばっちりだし本番でもしっかり結べそう」
「それは良かったよ……、クンクン。雪姉、舌から何かいい匂いがしない?」
「クンクンって、犬じゃないんだから。あ、でも確かにいい匂いがするね。これはおじいちゃんのパンケーキの匂いかな。お腹空いたしお祭りまで時間もあるから食べに行こうかな」
「あ、雪姉だけずるい! 私も食べる! この格好だと食べづらいだろうからさっきの格好に戻って下にいこう!」
「ふふふ、分かったから」
結衣は早く食べたいのかすぐに浴衣を脱ぎ捨てるとご飯を食べに行った時の服装に戻っていた。
「ほら行こう。すぐ行こう」
「そんなに急かさなくても」
「早く食べたいもん」
結衣に急かされ一階に降りた雪が見たものは、リビングでがつがつと無言でパンケーキを食べるアオキと、無心でパンケーキを作り続けるおじいさんの姿であった。
「私達も食べたいって言える感じじゃない……」
雪はその光景を見て圧倒されたのかリビングに入るのをためらっていたが、結衣はそんな異様な雰囲気の場所に気圧された様子もなくおじいさんのもとに行く。なぜか、その背中はとても大きなものに見えた。そんな結衣の背中を追いかけながらリビングに入る。
「おじいちゃん! 私もパンケーキたべたい!」
「おじいちゃん。なんでそんなにパンケーキ作ってるの?」
「え? あ……、あはは。アオキ君がすごい勢いで食べていくから負けられないと思って……」
結衣はおじいさんの近くで大きな声で話しかけると、おじいさんは頬をかきながら苦笑いを浮かべる。
「アオキさんもなんでそんなに食べてるんですか……」
「いや、旦那がどんどん出してくるから、残したら怒られると思って……」
「まぁいいですけど。おじいちゃん、私の分もパンケーキ作って。一枚だけでいいから。雪姉も一枚でいい?」
「うん。小さめのを一枚で」
「分かった。今から作るから待っててね。飲み物はどうする?」
「私は自分で入れるから大丈夫だよ。結衣はどうする?」
「雪姉が入れてくれるなら入れてもらいたい」
「分かった。えっと、私はコーヒーだけど結衣は?」
「あ、私は牛乳がいい! 冷たいの! あ、フォーク雪姉のも持っていくね」
「うん、ありがとう。それじゃあ入れてくるから座って待ってて」
「はーい」
結衣は雪の分のフォークを食器棚から取りテーブルに向かう。雪は同じ食器棚からコップを取りだして冷蔵庫の牛乳をコップに注いで先に結衣のほうにもっていく。持って行った後に自分の分のコーヒーを作り始めた。インスタントのコーヒーなのですぐに出来上がる。
「うん。いい匂い」
「パンケーキはもう少ししたら出来上がるから待っててね?」
「うん。お祭りまでまだ時間あるし大丈夫だよ」
「そういえば今回は僕が作ったけど今度は雪ちゃんが作ってみたらどうだい?」
「え? 雪姉ってパンケーキ作れるの?」
「この前作ったけど一回しか作ったことないしおじいちゃんよりも下手だよ?」
「ふふふ、雪ちゃんのパンケーキはユキネさんが太鼓判を押すほどおいしいから、そんなに自分を卑下することないよ」
「そんなにおいしいの!? おじいちゃんのよりかも?」
「そうだね、おじいちゃんのよりかもおいしいかもしれないね。雪ちゃんは料理が上手だからね」
「えへへ、ありがとうおじいちゃん。でも私はまだまだだからもっと頑張るよ」
「むー、今度雪姉に作ってもらおうかな……。今度作ってね!」
「もちろんいいよ。その時は結衣も一緒に作ろうか」
「え!? だ、大丈夫爆発したりしない?」
「いったいどんな料理をしたら爆発するの」
呆れた目で見ていた雪だったが、結衣は真剣な表情で呆れている雪を見つめ返す。
「だって小麦粉で爆発してる動画見たことあるよ!」
「そんなの見たことないんだけど……、どういう動画だったの?」
「倉庫の中で小麦粉が充満しててそこに火をつけたら倉庫が爆発してた」
近くで聞いてたおじいさんは結衣の説明を聞いて理解したのかパンケーキを出しながら会話に入ってくる。
「あー、それは粉じん爆発の動画だね。というかそんな動画見る機会よくあったね」
「粉じん爆発っていうの? なんか適当に動画見てたらその動画に行きついたの」
「粉じん爆発は普通に料理してれば起こることはないから大丈夫だよ。倉庫の中みたいに密閉されてないと起こることはないから」
「そうなんだ。それじゃあ、頑張ってみようかな」
「あはは、頑張ってね。その時はお店の厨房を使っていいからね。頼まれてたパンケーキできたからゆっくり食べてね」
「ありがとうおじいちゃん。おー、おいしそう! いただきます」
「おじいちゃんありがとう。うん、やっぱりおじいちゃんのパンケーキのほうが美味しい気がする。私も頑張っておじいちゃんを超えないと」
「うんうん、その時はおじいちゃんにも食べさせてね」
「もちろん! その時はおじいちゃんに食べてもらって意見を聞きたい」
「分かった。でもおじいちゃんもそんなに語彙が多いほうではないからねあまり期待しないでね?」
おじいさんは雪に笑いかけながら自分が入れたコーヒーを飲みながら雪たちとの話を楽しんでいた。そんなとき奥の部屋から近づいてくる女性の声が聞こえてくる。
「やっぱりいい匂いがすると思ってたのよ。ひどいじゃない私たちを置いて四人だけでおやつを楽しむなんて」
「パンケーキ! イツキも食べる!」
「わ、私は別に……、その」
「カスカさん、遠慮したらダメよ。あ、それはそうと私が持ってきた浴衣はどうだった?」
「え、えっと、普通に浴衣でびっくりしました」
「そりゃ浴衣だもの、気に入ってくれたならうれしいんだけど」
「はい、すごく綺麗で嬉しかったです」
「それならよかったわ。それじゃあおじいちゃんパンケーキ追加で!」
「まったく、それなら今から作るからテーブルで待ってて。これから祭りに行くんだし一枚ずつでいいよね?」
縁はおじいさんの言葉に軽く頷くと椅子を持ってきて他の人を座らせる。カスカはしっかりとアオキの横に座らされていた。
「アオキさんその置いてあるパンケーキ一枚貰っていいですか? 大きすぎるのは食べきれないので半分ぐらいでいいんですけど」
「おう、いいぜ。それじゃあ半分こで食うか」
アオキは特に気にしていないのかカスカが持ってきた食器に手を付けてないパンケーキを一枚置いて、カスカのフォークを使って半分に切り分けて残りを自分の皿に移した。
「ありがとうごさいます。おいしいですね」
「旦那の手作りだからな。他のもうまいぜ」
「そうですね、また今度お店にお客さんとして入って食べてみます」
カスカはアオキが美味しそうに食べるのを見て決意したような顔で返事していた。
「私の分はないんですか?」
「あ、サクラさん。おじいちゃんサクラさんも食べたいっていってるよ」
「もうそろそろ来る頃だと思ってたからサクラさんの分も用意してあるよ」
「ありがとう、マスター。いただきます」
祭りに行くメンバーが揃ったところで少しだけ騒がしくなったが楽しそうにみんなでしゃべっていた。そんなとき外が暗くなってきてるのを確認したおじいさんは時計を見る。
「おや、もうそろそろいい時間だね。みんな準備をしようか」
「ホントだ! 結衣、ほら着替えに行くよ」
「あ、待ってよ雪姉!」
「落着きがないわねぇ。いったい誰に似たのかしら」
「縁さんでは?」
「え!? そんなに落ち着きないように見える?」
サクラは縁から目を背けるとイツキのほうに向かった。
「ほら、イツキも準備しないと」
「うん! お祭り楽しみ!」
「ねぇ、サクラさんこっち見てお話ししましょう?」
「縁さんもイツキの着替え手伝ってください。あなたが持ってきたんですから」
「はーい! じゃなくてあとで話しましょうね?」
「はい、あとでですね」
最後まで目を合わさずに縁とサクラはイツキを連れて奥の部屋に入っていった。カスカもそのあとを追うように部屋を後にする。
「また、旦那と二人だけになりましたね」
「あはは、たまにはこういう日も悪くないさ」
おじいさんは急に静かになった部屋でアオキと共に笑いあっていた。
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