結衣のアルバイト
夜の女子会は終わり、次の日の朝になったその場には、もうカスカとユキネはいなくなった後だった。
サクラは朝ご飯の用意をするために、キッチンに縁と二人で話しながら楽しそうに料理をしている。雪たちは楽しそうにおしゃべりをしていたが、イツキは少し不満そうに口を尖らせている。
「あはは、昨日は楽しかったかい?」
「うん! ずっとお話ししてた!」
「そうだね、たまにはいいかも……」
「うー、イツキもお話ししたかったのに……。なんで誰も起こしてくれなかったの?」
イツキはみんなとの会話に参加できなかったのがさみしかったらしく、不満になっていたみたいだ。そんなイツキに近寄った雪は笑顔で頭を撫で始める。
「えへへー、イツキちゃん。今度みんなで集まったときはいっぱいお話ししようね?」
「むー、分かった。約束だからね! 雪おねえちゃん!」
「うん! あ、その時は頑張って起きとこうね?」
「う、頑張る」
雪はイツキの頭を撫でながら朝ご飯を待っていた。イツキも頭を撫でられるのはうれしいのか、ニコニコしながら雪の膝の上に座っていた。
「イツキちゃん、私のところにも来ていいんだよ?」
「うーん、うん! えへへー」
「あ、むー、結衣……」
「い、いいじゃんか……。私はまだしたことなかったし」
結衣はイツキが雪の上に座っているのを見て、自分もしたくなったのか自分の膝を指さしてイツキを呼ぶと、少し悩むそぶりを見せたが、すぐに笑顔になると雪の膝の上からぴょこんと降りて、結衣の膝の上によじ登ってきた。
その様子を見て雪が不満そうな顔で見つめてくる。結衣もまさかそこまで不満そうな顔をするとは思っていなかったのか、雪の様子にたじろいだ様子を見せていたが、イツキが膝の上に乗った瞬間ホワンと弛緩した雰囲気を漂わせた。
「はふー、イツキちゃんはかわいいなー」
結衣はイツキを膝の上に乗せることができて嬉しいのか、ニコニコしながら頭を撫でまわしていた。
「むー……、結衣おねえちゃん。ちょっと力が強いよー」
「あ、ごめんごめん。痛かった?」
結衣はイツキが痛がっていることに気が付いたのか、軽い様子で謝りながら撫でる力を弱めた。
その力加減が気に入ったのか、機嫌がよくなったイツキは鼻歌を歌いながら、膝の上で足をぶらぶらさせていた。
「えへへー、さっきよりも痛くなくなった!」
「にへへー、良かったー。……って雪姉。涙目でこっちにらまないでよ……」
「だ、だって……、私も撫でたかったんだもん」
雪は結衣に頭を撫でられている、イツキの嬉しそうな顔を見て羨ましそうに結衣の顔を見ていた。それに気が付いた結衣は、イツキの頭を撫でる手を止めて、雪の顔をあきれた目で見ていた。
「だもんって。雪姉……、もう少しだけイツキちゃんを堪能させてよ」
「むー? たんのうってなーに?」
「えっとね、このまま頭を撫でさせてほしいなーってこと」
「えへへー、気持ちよかったからもっとなでてー?」
イツキは言葉の意味が分かっていない様子だったが、結衣の説明を信じたのか、結衣の手を頭の上にのせて自分から頭をぐりぐりと押し付けてきた。
「にへへー、そんなにしなくてもするから、イツキちゃんよしよし」
「ゆ、結衣、私も一緒に撫でていい?」
「もう、雪姉は……。私はいいけどイツキちゃんはいい?」
「え? 雪おねえちゃんも撫でてくれるの? えへへ、お願いします」
「うん! イツキちゃんよしよし」
雪はやっと頭を撫でることができて嬉しいのか、終始にやけた顔で撫でていた。
「あらあら、雪も結衣もイツキちゃんに骨抜きにされてるのね。私も混ぜて」
「あ、お母さん」
「縁さん。そっちに行くんだったら、朝食も持って行ってくださいよ」
「あははー、ごめんごめん。サクラさん」
サクラの言葉に縁は笑いながらとてとてと近づいていくと、並べられていた朝食をもって雪たちのところにやってきた。
「全くもう……、さてと、朝食ができたから食べましょうか。雪ちゃんも結衣ちゃんもイツキを離してあげてね?」
「「はーい」」
「えへへー、ご飯だー」
雪と結衣は満足そうな顔でイツキを離すと、イツキはプラプラさせていた足を床につけ空いている席に座った。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
皆で手を合わせて朝食を食べ始める。イツキは自分のお母さんの作ったご飯だからかとてもおいしそうに食べている。サクラはその光景をニコニコしながら嬉しそうに見ていた。
「ふふふ、みんなもちゃんと食べましょうね?」
「えへへ、おいしいです。サクラさん」
「あら、ありがとう雪ちゃん」
「うん! おいしい! この味噌汁はお母さんが作ったの?」
「あら、良く分かったわね? 結衣はさすがね! 雪は気が付かなかったの?」
「気が付かなかったも何も、まだ食べてない……」
「あらあら、早く食べなさいな。お味噌汁はあったかいうちに食べるのが美味しいんだから」
「うん! いただきます。あ、おいしい……」
雪は縁にすすめられるままにお味噌汁をすすると、ほっとしたように息をついて笑顔を見せていた。
「うふふ、それは良かった」
「あ、そういえばお母さん」
「うん? どうしたの?」
それを見ていた縁はうれしそうな顔を見せながら自分のご飯を食べていると、雪が思い出したような声を上げた。雪の言葉に縁は不思議そうに首を傾げる。
「お父さんにはちゃんと謝ったの?」
「うふふ、ちゃんと謝ったわよ? すぐに許してくれたわ」
「うん? 縁。もしかして、昨日、何かあったのかい?」
雪の言葉に、誇らしそうな顔をしながら頷いた縁の表情を見て、雪はほっとした表情を浮かべた。その雪の様子を見て、おじいさんが呆れたような顔で不思議そうに尋ねてくる。
「あ、あははー」
「あははじゃない……、あの子は優しいから許してくれるけど、不満っていうのは少しずつたまっていくものなんだから、そういうところは治していこうね?」
雪のお父さんのことをあの子というおじいさんは、雪のお父さんのことを大切に思っているのか諭すように縁に話しかけた。
「むぅ……、分かってるわよ。ちゃんと今度からは気を付けます!」
「ならいいのだが、あ、今度からここに来るときは、家のことをちゃんと終わらせてから来るように。いいね?」
「はーい」
縁はおじいさんの言葉に敬礼のポーズをとりながら反省の言葉を述べるが、おじいさんはそこまで信用していないのか、再度、確認をしていた。そんなとき時計が鳴り響く。
「おっと、もうそろそろ時間だね。それじゃ、雪ちゃん今日もよろしくね? 結衣ちゃんは今日からよろしくね?」
「あ、うん! 今日も頑張るよ! それじゃ、結衣も着替えてね?」
「え? あ、そうか今日からお手伝いだったっけ?」
「うん! 頑張ろうね? あ、結衣の分の制服は私の部屋にあるからついてきて!」
「分かったから引っ張らないでよー」
そういうと雪は結衣と一緒に働けるのが嬉しいのか、笑顔で結衣の手を引っ張って二階の自分の部屋まで連れて行った。
「えっと、あった! はいこれ結衣の分。制服の替えも一緒に入れてあるから無くさないようにね?」
「家の中に置いとくから大丈夫だよ。心配性だなぁ、雪姉は」
結衣は雪の言葉に肩をすくめながら笑っていると、雪がずいっと前に出てくる。
「結衣? この前はそういって私の洋服を無くしてたでしょ?」
「あ、あれは……うん。ごめんなさい」
結衣はその時のことを思い出したのかバツが悪そうな顔をして謝った。
「えへへ、よろしい! ……本当に無くさないでね?」
それを見た雪は真剣な顔をくしゃっとした笑顔に変えた。それでも心配なのか念を押すようにもう一度言い含めた。
「大丈夫! それに無くしたらお母さんが泣きそうだし」
「えへへ、そうだね。って、もうこんな時間? 早く着替えないと!」
雪は時計を見て慌てたように着替えだす。それを見た結衣は呆れたような顔で雪の様子を見ていた。
「雪姉? 慌てたら転んじゃうよ?」
「着替えるだけでこけるわけが、っとと」
「雪姉?」
「あ、うん。気を付けます、ごめんなさい。……えへへ、さっきと逆になっちゃったね?」
「そういえばそうだね。にへへ、お互い頑張ろう!」
「うん! 頑張ろう!」
結衣はこけそうになった雪を抱きとめたあと、結衣がジト目で見つめると素直に謝った。
雪が結衣に謝った後さっきのやり取りを思い出したのか、くすくす笑い出した。結衣もそれにつられたのか笑い出した。ひとしきり二人で笑った後、やる気を出しながら着替えて降りて行った。
「おじいちゃん、遅れてごめんなさい! もう掃除終わっちゃった?」
「おじいちゃんお待たせ! 何かやることある!?」
「ふふふ、二人ともやる気十分だね? 掃除は先に終わらせちゃったし、今はもうやることもないんだ。ごめんね?」
「そ、そっか。あ、そうだ。おじいちゃん! 私の制服を見ての感想をどうぞ!」
「あ、あはは、まいったね。そういうのは得意じゃないのを知ってるだろうに。でも、そうだね。とてもかわいいよ?」
「にへへー、ありがとうおじいちゃん!」
結衣はおじいちゃんに可愛いと褒められてうれしいのか、体をくねらせながら照れ笑いをしていた。
「えへへー、結衣はかわいいねー」
「こ、こら! 雪姉はなんで頭を撫でるの」
「だめなの? 昨日も撫でさせてくれたしいいかなと思ったんだけど」
「う、嫌なわけじゃないけど……」
撫でられるのが嫌なわけではないらしく、答えがしどろもどろになっていた。そんな結衣の表情を見て雪も気が付いたらしい。嬉しそうに顔をほころばせていた。
「さてと、それじゃあもうそろそろ店を開けようか」
「うん! 頑張るよ!」
「にへへ、うん! 私も頑張る!」
そして、結衣の初めてのアルバイトが始まった。
「えっとね、今日は挨拶だけなんだよね? おじいちゃん」
「うん? うーん、そうだね。結衣ちゃんはとりあえず常連さんのところに挨拶に行こうか、雪ちゃんはいつも通りお願いね? カスカさんはあと少ししたら来るからそれまで頑張って」
「分かった! 頑張る!」
「わ、私も頑張るよ! じゃ、じゃあえっと、ど、どうすればいいの?」
「あはは、とりあえず深呼吸して。最初はユキネさんからかな。もう会ったことあるけどね」
「それじゃ、結衣はいつも通りにしていれば大丈夫だから頑張って!」
結衣は初めての接客業だからか、緊張しているらしくおどおどした表情を見せている。
そんな結衣の表情を見て雪は微笑ましそうな表情を見せたあと、心配そうな顔をする結衣に安心するような声で話しかけた後、お客さんのところに走っていった。
「あ、雪姉……。よし、がんばるぞ!」
「あはは、結衣ちゃん。大きな声を出すとお客さんがびっくりしちゃうよ?」
「え、あ、ごめんなさい」
結衣が雪の言葉に力をもらったからか、自分に気合を入れるために大きな声を出したら、おじいさんがニコニコした笑みを浮かべながらやってくる。
結衣は慌てた様子で周りのお客さんを見ると周りの人は微笑ましいものを見るような目で見ている。結衣は恥ずかしそうに顔を赤くしながら周りの人のところに行って謝っていると、そのなかのおばあちゃんが頭を撫でながら結衣の手の中に飴玉を渡してきた。
元気を出しなさいということらしい。そんなおばあちゃんに顔を赤くしたままの結衣は嬉しそうに、でも恥ずかしそうにありがとうございますと言って頭を下げていた。
「おや、富さん。今日も来てくれたんだね。この子は今日から少しの間働くことになった孫の結衣ちゃん。ふふふ、かわいいだろう? あっちで働いてるのがこの子の姉の雪ちゃんだ」
「ふふ、どっちも可愛いね。うちの店のやつもこのくらいかわいらしさがあると良いんだけどねぇ」
富さんと呼ばれたおばあさんはこの店の常連らしい。富さんのしみじみと呟かれた言葉に、おじいさんは笑みを浮かべながら注文を聞いて結衣と一緒に厨房に入った。
「おじいちゃん、さっきのおばあちゃんも常連さんなの?」
「富さんのことかい? そうだね、常連さんというかこの店の近くにある喫茶店の店長さんだよ。時々遊びに来るんだ。いつもお孫さんが一緒なんだけど今日は来てなかったね」
「そうなんだ、お孫さんっていくつくらい?」
「えっと、確か雪ちゃんと同じくらいだったと思うよ。よし、完成。これを持っていこうか。もてるかい?」
さっき富さんから聞いた注文の品を作ったおじいさんは、結衣に持たせるかどうか悩んでいた。
「大丈夫! さっきのおばあちゃんのところだよね?」
「ふふ、そうだよ。今日は一緒に行こうか」
結衣の元気な返事を聞いて安心したおじいさんは、品を乗せたトレイを渡して一緒に富さんのところまでついていく
「富さんお待たせしました。今日はお孫さんは一緒じゃないですけど何かあったんですか?」
「おや、ありがとう。結衣ちゃんもありがとね。今日はお店でまだ働いてもらっとるよ。また今度連れてくるさ。というかあんたたちもたまにはうちの店にお客としてきなさいな」
「あはは、そういえば最近いってなかったね。分かった今度行ってみよう。ここの店員みんなでね」
「かかか、約束だからね? さてと、私は帰ろうかね。会計を頼むよ」
富さんはいつの間にか頼んだものを食べ終えていたらしく帰る準備を始めた。
「はーい! 今から行きます!」
今日は今までよりも忙しい日だったが、いつもよりも笑顔が三割り増しぐらいになっている。
「ねえ、おじいちゃん。雪姉って、いつもあんな感じなの?」
「雪ちゃんはいつもおっちょこちょいな感じだけど、今日はキリキリ動いてるね」
「お、おじいちゃん! いつもキリキリ動いてるよ!?」
「え、そうだね。ははは……」
「雪姉、おじいちゃんが困ってるよ?」
「あ、う……、ほ、本当に頑張ってるんだよ? キリキリ動いてるんだよ?」
「あはは、分かってるって」
「そう言いながらこっち向いてくれないじゃない……」
「かかか、じゃれ合うのはいいがお客さんを放っておいたらいけないよ?」
富さんは雪と結衣のじゃれ合ってる姿を見て、笑みを浮かべながらレジで待っていた。
「あ、すみません! お待たせしました」
雪は慌てた様子でレジのほうに謝りながら向かっていった。結衣はそんな雪を不安な表情で見ていたが、富さんの顔が怒っていないのを見て安心したのかほっと一息ついていた。
「かかか、いいよ。でも、次からは気を付けたほうがいいよ?」
「えへへ、はい! ありがとうございます」
雪は富さんに言われて最初キョトンとした表情を見せたが、すぐに笑顔になると頷きながら礼を言った。
「かかか、注意されてお礼が言えるのはなかなか難しいからね。これからもそういう風に育っていってくれるといいんだけどね」
「は、はい! 頑張ります!」
「……頑張らなくてもできそうだねこの子なら」
富さんは雪の笑顔を見て納得したような顔を見せた。その様子を見て雪は不思議そうな顔をしていた。そんなときお店の扉が静かに開いていく。
「え、えっとお疲れ様です……。あ、雪さんおはようございます」
「あ、カスカさん。おはようございます。早かったですね?」
「あはは、いてもたってもいられなくなりまして」
静かに扉を開けて出てきたのは私服姿のカスカだった。お客さんが入ってるときに来るのは初めてだったからか、最初きょろきょろとしていたが、雪の姿が見えて安心したのか小走りで近づいてきた。
「さてと、それじゃあまた来るよ。マスター! 私の店にもちゃんと顔を出すようにね!」
「あはは、分かっていますよ。それじゃあまた今度」
「あ、ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
「あ、私着替えてきますね」
「あ、はい! えっと、そんなに急いで着替えなくて大丈夫ですからね?」
「ふふふ、はい。ありがとうございます」
カスカは雪の言葉に嬉しそうな顔をした後お礼を言って裏に向かった。
雪はそんなカスカを見送った後仕事に戻ろうとしたとき、奥の部屋からカスカの悲鳴が聞こえてきた。雪はその悲鳴を聞いて何かがあったのか心配になり、奥の部屋に向かっていった。
そこには着替えに使っている休憩室の前でペタンと座り込んでいるカスカの姿があった。