タイムトンネル
再び洞窟の中を歩き出した。
辺りの空気が穏やかになり邪魔する障害物の危険を感じさせてはいないが、暫く歩くと2人の道は閉ざされてしまい、目の前に真っ暗な穴が現れた。やっと2人が入れる程度の小さな穴だが、中から吸い込むような強い空気の流れが、何処までも続きそうで、この穴の向こうに元の世界があると予感させるような不気味な力を感じさせる穴である。
2人は穴の入り口で立ち止まったが、直ぐにその入り口が動き出したことを2人は目撃した。
急がなくてはいけないと2人は暗黙に了解し、私はゆりの腕を片手で掴み、ゆりの両手は私の腰をぎゅっと掴んだ。ゆりを下にして2人は穴に入った。
穴の中の吸い込まれるような物凄い重力に2人が引き裂かれるような勢いだ。次第にゆりの両手が私の腰から力を失くし始めた。ゆりの左腕を掴んでいる私の手もゆりの腕から滑り始めた。ゆりの両手は私から滑っていき、私の右手とゆりの左腕が辛うじて繋がれている。もう限界なのか。
「パパ、離さないで!」
ゆりが叫ぶと、私の手に力が蘇った。ゆりがしていた腕時計が丁度つっかえ棒の役をし、滑り出した手に力を増してくれた。
2人は手だけで結ばれながら転げ落ちるようにして地に落ちた。
腕時計はゆりの手から離れその役目を終えたかのように消えて失くなっていた。
無事で良かったと溜息を一つつきながら辺りを注意深く見回した。洞窟を抜けてほのかに明るさが増しているが、まだ辺りを囲まれているような感じがする。
ふとゆりの腕を見たら、腕時計の痕が赤く腫れている。
「痛くないか。」
ゆりを労ったがゆりは首を振り、逆に嬉しそうに私に答えた。
「痛くない。でもここ何か違うね。もう直ぐママに会えるよね、きっと。」
ゆりには間違いなく確かな何かを体で感じているのだろう。
もう何も起きそうにない穏やかな空間を感じながら2人はまた歩き出した。暫くしてまた同じような穴に遭遇した。穴の中は穏やかな感じである。
「ここだな。ここを抜ければきっと戻れる筈だ。」
そう言ってゆりを見たら、ポニーテールに結わいた輪ゴムが消えかかり、やがて消えた。
その輪ゴムはここには存在出来ない異次元の物であるのだと直ぐに頭が理解した。それはこの向こうに元の世界があることを意味してくれている。
私はゆりから貰ったママの輪ゴムを腕から外した。
「これで髪の毛をきつく結わきなさい。何があってもママの輪ゴムがゆりをママがいる所に帰してくれるから。」
そう言ってゆりに輪ゴムを手渡した。
ゆりだけは何としても帰したい。でもゆりにしてやれる精一杯のことはそれだけで、それしか私には何も持ち合わがなかった。
ゆりは器用な手付きで輪ゴムを髪に締め上げ、綺麗なポニーテールに仕上げた。
さあ、行くか。
「行くぞ。絶対パパから離れるなよ。」
そう言うと、2人はさっきと同じような姿勢に変えて穴に入っていったが、おかしい。何かがつっかえている感じだ。
「パパ、どうしたの。」
ゆりは吸い込まれていくようだが、私の侵入を穴が拒んでいて、上半身が穴の中に入りきれないでいる。それとは別の動作が始まっていた。入り口がゆっくり閉じ始めている。危ない、と思ったよりも早くゆりが叫んだ。
「止まれ!」
入り口の動きが止まった。ゆりは必死で私の腰にしがみついている。先程と同じような姿勢になってしまった。
「パパ。カギだよ。カギを捨てて!」
ゆりの叫び声が、私が置かれた状況を教えてくれた。私は片手であちらこちら店のカギを探し始めたが、時間が動き始め、穴の入り口は閉じ始めた。早く探さなければという思いだけが働いて願いは叶いそうにもない。
苦しそうにゆりがまた叫んだ。
「止まれ!パパ、ポッケの中だよ。こっちのポッケ!」
そう言うやいなや、ゆりはスーツの片方のポッケットに手を入れてカギを取り出し、
「エイッ!」
と力一杯にカギを放り投げた。
「パパー。」
カギを放り投げるとそう叫びながらゆりは私から離れて行ってしまった。
時間は動き出し、カギは力なく宙を回り穴の外まではとても届きそうもない勢いであったが、カギが自ら意思を持って外に出るかのように出て、穴の入り口は完全に閉じた。
この時空の穴はポケットに隠れて見えなかったカギの進入を拒んでいたに違いない。
辛うじて時空の穴は私を受け入れてくれた。