マネキンと少年
「言うことを聞かない子はマネキンにしちゃうわよ」
おもちゃ屋を目の前にして、
幼児が駄々をこねると、
恐ろしい顔で、
母親は、
決まってそう言うのだ。
本人は、あくまでも躾の計画の一環にすぎず、怖がらせるつもりはないのだろうが、
幼児には津波そのものだった。
まるで身体そのものが何処かに持って行かれるような恐怖に、
震え上がるしかなかった。
それに、
洋品店の前を通った後だと、
なおさら募るというものだ。
記憶の中にまだマネキンの無表情は、
まるで生サラダでつくった人間であるかのように、
生々しい。
あの女の子はかつて生きていたのだろうか?
いや、母親の話によると、
まだ生きているのかもしれない。
幼児の目にはあまりにもマネキンは生き生きとしすぎていた。
彼女らは、
綺麗な服を着こなす。
布地のしたに生きた組織が存在しないと、
幼児は想像することができなかった。
そういうマネキンたちは、
彼にとってみれば、
息づかいさえ伝わってくるし、
生きている人間となんら変わることはなかった。
だが、どうして動かないのだろうか?
瞳にはつねに涙が湛えられていた。
もしかして、みなが母親の敵であって、
かつては生きていた人間だったのに、
いつのまにか、マネキンにされてしまったのだろうか?
あるいはこういう風に想像力が暴走することもあった。
もしかして知らない姉や兄がいたが、
言うことを聴かなかったせいで、
マネキンにされてしまったとでもいうのだろうか?
子供のマネキンがあると、
ふと、兄か姉なのかとおもうときがあって、お互いに見つめ合うことしきりだった。
とつぜん、「お兄ちゃんを元に戻してあげて 」と洋品店で言い出した息子に、母親はこう言って返すことしかできなかった。
「お兄ちゃんが、学校で勉強しているのよ」
幼い子供の心が母親に理解できるはずもなかった。
幼児はマネキンへの執着の度合いを深めていった。
母親とともに洋品店に向かうときは、
あたかも幼稚園に友人を訪ねるような心持ちだった。
母親は、それほど深くものを考えずにこんなことを言う。
「言う事を聴かない子はマネキンにしちゃうわよ」
幼児にとって母親が万能な神であることは疑いようがない。
母親には自分をマネキンにしてしまう能力があるに決まっている。
すると、
あの人たちはどんな悪いことをしたのだろうか?
兄や姉でないならば、
どういう関係の人だろう?
母親は目立って人の悪口を言う人ではなかったが、
テレビをみていて、
「この人は酷い人ね。罰を受けるべきだわよ」と呟くことがあった。
次の機会に洋品店に向かうときには、
例の有名人と似ているか、似ていないのか、マネキンのひとりひとりをまざまざと眺めるのだった。
幼児は、
いつのまにか、
幼児はマネキンを完全に人扱いしていた。
母親の言葉が触媒になって、
幼児の心の中でどのような変化が起こったのか?
記憶のなかのマネキンは本物よりもメッキのせいで輝いていた。
しかし数あるマネキンたちのなかで、
もっとも幼児の目を惹いたのは、
洋品店の片隅、
というよりは、
むしろ、
カウンターの奥に眠っている、
というよりは、スタッフたちの視線からすれば、邪魔だから押し込んだというのが適当だろうが・・・
どうせ、
それも、幼児にとってみればかんけいないことだろうが…
薄汚れた少女のマネキンだった。
幼児にとってみれば、しかし、彼女は すでに正真正銘の人間だった。
よく目を凝らしてみれば、顎の辺りに小さな罅が入っていた。
しかし、
痘痕も笑窪という言葉を、
幼児が知っているはずもなかったが、
肉体によって感じ入っていた。
むしりその罅こそが、
幼児の知覚をして、マネキンを人間の少女に変化せしめていたのかもしれない。
少女はとても美しい目の色をしていた。
彼が属する国家、民族には、
目の色といえばひとつしかなく、
それは黒の代名詞といってもよかった。
幼児にとってその色は目の色ではなかった。
なにか、とくべつな能力を有している故に、
彼にとっては不自然な輝きを見せているのではないか。
母親が会計を済ませているわずかな時間に、
幼児は少女と会話することができた。
もちろん、言葉が交わされることはない。
目と目で、
お互いに意思のやりとりを交わす。
しかしどうしてなのか、
彼女だけは、
自分の姉のひとりではないような気がした。
哀れにも母親の寵愛に叶わず、
マネキンにされてしまった、
未だ知らぬきょうだいだとは、
夢にも思わなかったのである。
だが、
それは、親愛の情を抱かなかったということを意味しない。
きょうだいの間に交わされる情愛と、
他人どうしのそれは、
自ずから違うとは、
幼児の思考の及ぶところではなかったが、
感情は及んでいたとはいえる。
幼児は、
なんとしても少女の名前を知りたかった。
これもまた他のきょうだいたちと違うところである。
それでも、
好奇心から知りたがったことはある。
ある日、
母親にこう質問してみたことがある。
「もしも、他に、おにいさんか、ねえさんがいたら、どんな名前にしたの?」
母親はたた首を捻ってこう答えるだけだった。
「あなたには、お兄さんとお姉さんがちゃんといるでしょ?」
彼らに関していえば、
それ以上は質問しなかった。
彼にとって、
それ以上ではなかったのだ。
しかし、
彼女のばあいは違う。
母親の娘ではないために、
名前を訊いてもまったく無意味だということはある。
だから、
名前が知りたいのならば、
自分の手で摑み取るしか方法がなかった。
幼児は男の子なのに、人形に固執することに母親は違和感を覚えていた。姉の遊び飽きた人形をいつまでも抱きしめていることなど日常茶飯事だったからだ。幼稚園において、女の子の人形を奪うこともよくあることだった。しかし事ここに至って、それがなくなりはじめたことを安心していたのである。
幼児の目はいつも虚ろだった。
少女の名前が知りたい。
もっと近しくなりたい。
母親が想像だにしないことに、
うつつを抜かしていたわけである。
後から思えば、
このことが、幼児が少年になるきっかけだったかもしれない。
彼の知らない間に、
少女は洋品店から姿を消していた。
女社長が引退する際に、
若いときに一号店として出した、
この店に、
愛着があって、
留めておいたらしいが、
会社を去るにあたって、
少女を連れて帰った。
その事実は、
少年の知るところではなかったが、
ただ、彼女がマネキンではなかったことだけは共通していた。
少女がいなくなったことに気付いた少年が、
店員にその所在を尋ねたのが、
名前を知るきっかけとなったが、
それは別れを意味することに他ならなかった。
店員は、自分は知る事情を話す気にはならなかった。
彼は少年を単なる幼児としか見なさず、
少年とは認めていなかったからだ。
少年は少女の名前を知ることが、
別れのおかげであることを、
なかなか理解することが難しかったが、
やがて、納得するわけではなかったが、
いちおうは、
受諾すると、
不思議に少女のことは、
かつてのように彼の魂が彼女にわしづかみにされることは少なくなっていった。
やがて、
彼が長じて、
少女と同じ目を、
世界の何処かに見つけたとき、
脳裏に小さな稲妻を発見するだろう。
彼と少女が置かれていた事情背景を理解することはないだろうが、そもそも知らされていないのだから当然だろうが、感情レベルにあっては薄れた記憶を思い出すかもしれない。それは既視感ではないのだと、少女は何処かの時空から語りかけるかもしれない。そのときは、彼には彼女の名前を呼ぶ義務が発生するだろう。せめてそのくらいはすべきだ.