憧れの客扱専務車掌
――真っ白い生地に銀のダブルボタン。白い刺繍で“旅客専務”と書かれた赤いフェルト製の腕章。乗務員にとっては憧れの的である優等列車の制服を、俺はついに手にした。車掌登用試験を突破してから四年経ち、ついに客扱専務車掌への辞令を受けた。
「高倉くん、お疲れさん」
乗務区に届いたダンボールを開いて、新品の制服に舞い上がっていたところ、後ろから声がした。
「と、土肥先輩、お疲れ様です!」
振り向くと、俺より五センチくらい背の高い、優しそうな顔立ちの人が立っていた。
「おめでとう。客扱専務車掌に上がったんだって?」
「はい。おかげさまで、無事に昇格できました」
土肥先輩は俺が車掌になりたての頃、面倒を見てくれた師匠だ。今は車掌長に昇格をしている。
「それはよかった。どうだ? 今度の勤務明けに祝い酒でも」
「いいんですか?」
「当たり前さ! 弟子の祝報は、師匠にとっても祝報だからな」
先輩は本当に人がいい。お客様との接し方は、俺が見た限りこの人の右に出る人はいない。『親方日の丸』とされていた国鉄時代も、先輩は「いい意味で期待を裏切る対応」というお褒めの言葉をよくもらっていた。
「では、お言葉に甘えて、今度是非!」
「ああ、じゃあ私はそろそろ始業点呼に行くよ」
「先輩、今日はどこまでですか?」
「今晩の『富士』で広島まで下ったあと、一日公休を挟んで、明後日は下関から『あさかぜ』で帰ってくるよ」
流石、エース級の車掌の持つ乗務は華形の寝台特急の乗務が多い。
「そうですか! 俺は明日の『能登』で金沢に行って、明後日は直江津から『あさま』で帰ってきます」
対して、新米の行路は急行や昼行特急が主だ。
「お互いに東奔西走忙しいものだな。がんばれよ、高倉客扱専務車掌!」
「ありがとうございます。土肥車掌長」
お互いに敬礼を交わし、先輩は助役の元へと去っていった。
制服を片付けにロッカールームに行ったあと、助役のところへ制服の受領サインをしに行った。
「昇格おめでとう。じゃあ、ここにサインをお願いね」
胸元のポケットに刺してあるボールペンを走らせる。
「はい。これでオッケーね。……あ、そうだ。高倉くんの今度の師匠は田端車掌長だからね。しっかり指示に従うように」
田端車掌長の名前を聞いた瞬間、背中に冷や汗がじわっと浮かんだ。田端さんといえば、車掌区の中でも有名な職人肌の頑固者で、とても厳しいと聞く。噂では、同じ列車でタッグを組んだ車掌が誤案内したために、乗務員室で怒鳴りつけたこともあったらしい。しかも、たまたま前を通りがかった乗客にも聞こえるほどだったという。師弟関係でもなければ、先輩だった車掌に対してこうならば、俺はどうだろうか。今から想像しただけでゾッとした。
肩を落として休憩室へ入ると、一服をしている数名の同期と目があった。
「おう、高倉! 聞いたぞ。今度の師匠は田端さんなんだってな。気をつけろよ」
「ああ、そうするよ……」
想像以上に落ち込んでいたように見えたのだろう。同期たちは何も言わずに短くなっているタバコを消して、また新しいタバコに火をつける。先行きは不安で、明日から始まる乗務に向けて心中穏やかではいられなかった。
初めまして。在原紀之と申します。
大学で文芸部に入ったことをきっかけに小説を描き始めました。
本作は部で制作した部誌を再度修正した作品です。
今後、定期的に投稿していきますので、楽しく読んでいただければ幸いです。