プロローグ ウツにて死亡
仕事の合間に書き溜めていた物を投稿してみました、年明けまでノンストップ投稿予約です。
他の作品も、鋭意制作中です、なにとぞご寛恕をお願いいたします。
それでは、ウツ系主人公?をお楽しみください。
次は12/20、21時投稿です。
俺こと三峰葵25歳はウツ病、と診断された。
元々溜め込み易い性格、性質だったらしく、初期症状を思い返してみると、高校生くらいから思い当たる事があった。
お偉いお医者様が言うには、俺はほぼ全ての症状に当て嵌まっているらしく、長期の治療が必要といわれ、頭の回っていない俺は『はぁ』としか返せなかった。
最初に気付いたのは友人だった。
『目が死んでいるぞ、ウツか』といわれ、色々と疲れているんだと返した俺は家に帰ると洗面台にある備え付けの鏡を見た。
久々に鏡越しで自分の顔を見た気がする、友人も心配するわけだ。
健常な人間の半分ほども開けていない目蓋に目元が薄っすらと濃い痕が残っている、おそらくはクマだろう。
生きているのか死んでいるのかよく分からない人間が、鏡にはいた。
そして幼少期に発症した皮膚病も再発していて、顔面の右半分を覆っていた、ハタケだったか?
確か皮膚が白くなるとか、小さい頃は軟膏塗りたくってくいてた気がする、こりゃ目立つな、最悪だ。
何をするにしても気が重い、やる気が起きない、興味が湧かないというのが大学時代も大変だった。
高校の頃からハマったラノベとかアニメとかゲームとかPCゲームとかは惰性で続けているようなもので、買っても読まない漫画や小説がむしろ多くなっていた気がする。
卒業論文もダラダラとやる気が起きずに前日にこれでいいのかよとかいう陳腐なものを作ってギリギリ卒業させてもらったようなものだ。
もちろん、就職活動なんてしていない、どうせどこかに採用されるだろう、そんな頭のおかしな自信がどこかにあったのだ、大概だなもう。
しかし、社会はそんなちっぽけな自信を容易く打ち砕くもので、卒業するまでに内定は1つも得られなかった。
当然だ、他の同期生達は3回生辺りからしている者もいるほどに、就職氷河期といわれていた時代だったのだ。
何の気力もない、当時から目の死んでいた俺を採ってくれる会社なんて、ある訳がなかったのだ。
さすがにこの時の俺は緊急事態だとは思っていたのだろう、気力をかき集めてハロワに行って担当の人と色々相談する事となったが、今更ながら問題が浮上した。
『俺は一体、どんな職に就きたいのか』というものだ。
何をするにしても鈍かった俺は担当の人に言われるがままに適正診断というものを受け、その結果から事務職系、それと作業員と言う、なんとも対極にありそうな職が診断された。
大学にいた頃は情報系の学部にいたから、事務職形をメインにすればいいかと思った俺は片っ端から受けていき、片っ端から落ちていった。
そして気付いたが、事務職系は経験や知識、または資格がないと採用してくれる所がないらしく、書類選考の段階で落とされたり、面接になってから『何か事務職をするに当たって通用する資格はありますか』といわれても、惰性で大学を卒業した俺に資格を受ける気力なんてある訳がなく、結局不採用通知が送られてくる日々が続いた。
それでも卒業して半年経ち、ようやく採用してくれる会社が見つかった。
介護施設の経理補助だ、結構大きな法人が経営しているらしく、今の高齢化社会を考えたら、まず潰れそうに無い所だと安心した。
正直幼い頃から育児放棄されていた俺はいい加減家から出ようと思い、引越し資金を貯める為に仕事に励んだ。
けど、初めての仕事というのもあり、当時自覚していなかったウツの症状と戦いながらの仕事は『最悪』と言ってもいい結果しか残さなかった。
まず人の顔を覚えられない、これは致命的だ。
興味、関心、意欲というものがさっぱり抜け落ちていた俺は、普段から出会う職員の名前や営業に来る会社の人間、それに利用者の家族の顔が全くといっていいほど覚えられなかったのだ。
隣にいる先輩事務員の名前すら思い出せないのは、重症としかいえないだろう。
当時経理事務の補助として勤め出した俺だったが、補助だけが仕事ではなく、受付や電話対応、それに利用者の通帳の出納管理をしていた。
しかし、これらの仕事は殆どミスが多く、メモを習慣付けてミスを無くそうとしたが、気力が続かずいつの間にかしなくなった。
まぁ、試用期間中に事務員から現場に回されそうになったが、仕事をしていく内に自分はどこかおかしいのではと思い始めていた俺は、利用者、つまりおじいさんおばあさんに対して『こんな俺が現場に入れば大きなミスをして恐ろしいことになる』と思いこれを拒絶。
結果、2ヶ月ちょうどで辞めることとなった。
あとになって知ったが、その施設では事務職でも現場を知る事で仕事を理解してもらおうという意図があったらしく、自己評価の低かった俺に関しては入社当初だから適正云々より、仕事が出来なくて当然、としか思われていなかったようだった。
後悔しても手遅れで、再び俺は就職難民となった。
失業保険なんぞ付く訳が無い、1年も働いていない俺は真っ先に金欠になった。
故にバイトをするしかなかった。
お菓子工場のラインのバイトで、自給はなんと1500円という破格の自給だったのですぐに飛びついた。
週6で夜のバイトだが、1月に30万近く稼げたのは幸いして、就活中のガソリン代やら諸経費については問題が解決した。
しかし、就活はやはりというか中々うまくいかない。
さすがに2ヶ月で仕事から逃げた俺を採用してくれる場所は、更に狭まったのだ。
年が明けても職は見つからず、バイトをするだけの日々。
職場の環境は最悪一歩手前だ、仲の良い人間なんて1人もいやしない。
そもそも完全防備で目元以外全て覆っているのだ、声だけで判別なんぞ出来るか。
周りがお菓子の話やテレビを見ている中、俺は一人だけスマホのアプリに夢中になっていた。
そして最初の仕事を辞めてから1年近く経った頃、ようやく、ようやく新しい職が決まった。
リサイクル事業をしている会社の総合事務らしい、地元でも上場はしていないがかなり大きな企業なのはサイトを見てすぐに分かった。
工場長は昔気質の人間で温かみのある人で、どこか右寄りな気はしたが、親身になってくれる良い人だった。
前任者が辞めたので引き継いだ先輩事務員は俺に早く引き継いでさっさと自分の職務に戻りたかったのだろう、1ヶ月の突貫工事のサービス残業で仕事内容を覚えさせられた。
生憎と頭の回転が鈍くなっている俺は残念ながら1ヶ月では仕事は覚えられなかったが。
そしてそこから地獄が始まった。
自分で作った仕事の手順書を読みながら仕事をこなしていくが、間違いが続出して呆れられた。
基準以下の物件を減額しなければならないのに、客の脅すような口調に屈して減額せずに損害を出してしまい呆れられた。
仕事が遅くて呆れられた。
何度も質問をしにいって『いつになったら覚えるの』と呆れられた。
日常的な会話が出来ずに呆れられた。
呆れられて呆れられて、いつの間にか俺は会社で孤立していた。
一緒に入った同期の人は試用期間中に耐え切れず辞めてしまった。
俺も辞めればよかったと思いたかったが、頑張ればまだどうにかなるのではとぼんやりと思いながら針の筵の中で仕事を続けていく。
しかし、結末は呆気なく訪れた。
俺は孤立している間に会社のミスを先輩社員に押し付けられたのだ。
損害額は言っては悪いがそこまで大した額じゃなかったが、損害が出てしまったという事が問題だったらしい。
俺は口裏を合わせられた現場の人間、そして他の先輩事務員達に吊るし上げにさせられた。
何を言っても口裏を合わせたあいつらに封殺されて、工場長にはさすがに信じてもらえず、俺に厳重注意してこの話は終わった。
しかし、その次の日から俺のあだ名は『うそつき君』となった。
そして仕事内容も一変した。
ネットオークションをしている部門のデータ作成、そしてアップロード作業だ。
1日150件から200件を専用の作成ソフトで入力していき、処理速度の遅いパソコンでアップロードしていくという作業だ。
総合事務としての仕事なんて、欠片も無くなっていた。
1日をそれだけに費やしていき、一言も誰とも話さず、するとしても仕事の質問だけで、先輩事務員からは『事務所には基本入ってこないで』とまで言われる始末。
そしてその言葉を投げかけられてから2ヵ月後、俺はその職場を辞めた。
既に次の事務員を探しているような事を普通にしていたのだ、しかも俺の目の前で。
俺は自分の不甲斐なさに失望した。
どうして俺はこうなってしまったのだろうと。
そしてそれから俺のウツ病は更に加速していった気がする。
睡眠不足から心身衰弱、果ては自殺願望が浮いたり沈んだりしながら、バイトで貯めた貯金を消費していき、1年近く経って底をついたが何十と面接しても採用される気配は一向になかった。
そして件の友人の言葉だ。
高校時代からの友人で、お互いの家に泊まるくらいの仲の良さだった彼はかなりの正直者で、歯に衣着せぬ舌鋒で辛辣だったが、何故か馬があった。
俺も正直者な部類だったからだろう、年に何度か会っていた俺達が久々に再会しての最初の言葉がそれなのだ。
病院に行った方がいいと言われた以上、それを無碍には出来ず、精神科に行く事となった。
まあかなり行くのには苦悩した、病院の受付で精神科は別の棟だったのだ。
自分だけ扱いが違う、異常者を見るような目で見られるのは怖かった。
だけど、俺はこの状況から抜け出したい、そういう思いがどこかにあった。
何をしてもつまらないんだ。
何を見ても興味を抱かないんだ。
何をしても喜びを感じられないんだ。
四六時中罪悪感しか抱けないのなんてイヤだ。
もっと笑って他の奴らと一緒に楽しみたい。
初恋だってまだなんだ、恋愛結婚なんてしてみたいじゃないか。
だから俺は、そんな自分と決別したくて、精神科の門を叩いた。
結果は黒、あたりである、否定しようのない証明が診断書には載っていた。
俺は『明日また来てください』というお医者様の言葉に頷いて診察室から出て行き、フラフラと覚束無い足取りで車へと乗ると、友人へとメールを送った。
『クロ、ウツだった』、と送ると、さすがにあいつは仕事中だったのか返信はさすがに無い。
仕方なく俺は自宅へと帰る事にして、病院から出ようとした。
その時だ。
全身に衝撃が走り、俺の意識は失われた。
その時俺は、小さくはあるが願っていた。
―――死にたくない、と。
読んで頂き、ありがとうございました。